大森 ヨシ子さん(仮名)

  (住所:神戸市 年齢性別:77才女性 職業:無職)


 長い間お便りしませんで、ごめんなさいね。
 平成10年10月6日に一人息子が死にまして、孫二人を引き取らねばならなくなったのです。仮設には引き取る事が出来ませんので、色々な所に相談に行きましたが、どこもだめとの事で、本当に困りました。
 11年5月には仮設を壊す事になり、3月28日に今の所に来ました。私も体が悪いので、何をするにも暇がかかります。すぐに初盆や1年の法事を済ませるのに大変でした。

 今まで一人分でよかった食事・洗濯を三人分しなくてはなりません。病院(月曜から土曜まで)に行けば、先生は入院を勧めて下さいますが、家の事を色々お話しして、通院でお願いしています。血圧が上80,下52で、私の年でしたら「上が150位ないと」と言われました。

 いつも埼玉県の小川様から優しいお便りを頂いて、心より嬉しく思っております。いいお便りを出す事が出来ないので、ついついご無沙汰しました。お許し下さい。皆様のご健康と幸多かれとをお祈りして、ペンを置きます。さようなら。
(2000年2月3日)


 震災の時3時間半も下じきになっていてたすけてもらった時は足をいためており、あるく事が出来ませんでした。今はどうにかあるける様にはなりました。

 私は75歳です。1歳で父と死別、2年半で母と死別、父の弟の家で兄1人、姉1人、私と3人お世話になりました。兄は私が17歳の時戦死しました。姉は此の度の震災で死にました。今私は1人ぼっちになりました。親の顔はしりませんが兄や姉の顔がちらついて早くむかえに来てほしいと思います。

 震災前はパートをさしてもらっていましたのですが、今は年金だけの生活です。家はあたらないしこれから先はどうなるのか心細いです。

 此の住宅でも今年になって7人も死にました。

 かみひこうき事務局の皆様ほんとうに有り難うございます。皆様のお心をしっかりと心にとめてがんばります。
 (1998年2月16日)


 被災して2年7ヶ月経ちました。同じ被災者でも家は住めなくなっても着る物や道具は十分持ってきている人もあり、私のように3時間半も埋まっていて助け出して貰って着の身着のままで、その上ケガをしていて未だに病院に通っている者。

 家のことですが、前に市営住宅に住んでいた人は優先だそうですね。自分の家をなくした人の方が辛いのではないでしょうか。仮設暮らしでも所によっては随分違うらしいことをいろいろと聞きます。テレビや新聞では年寄りを優先のように言われておりますね。この仮設では年寄りが随分と死にましたよ。私もそのうちに。

 9月から病院代が高く付くようになりますね。
(1997年9月1日)


 私は長田区で被災しました。家は全壊して土地 だけ残りました。家を建てるのにも市からは貸してもらえないし、土地の税金 は払わなくてはなりません。

 年金は2ヶ月で15万2,033円です。家賃を払わない今でも、医療費と生活費 で困っております。医者の先生にはいろいろ食べないと体が元に戻らないと言われま すが、どうにもなりません。

 3時間半埋まっていたのを助け出してもらったのに、今では生きていくのがつらく 思います。膵臓と緑内障ではね。医療費も上がるらしいですね。
(1997年4月25日)






大森 ヨシ子さんへ届いた『かみひこうき』



1.馬場雅裕(OLIVES LEAF NETWORK)さん

 大森よし子さん、初めまして、馬場と言います。メッセージ、読ませていただきました。今つらいと思いますが、 ボランティアをしている人を中心に、「公的補償」を真剣に考えて、活動しています、笑顔を忘れずにがんばってください、僕たちも、つらいつらいと考えると、よけいつらくなるような気がして、そんなとき、笑顔を思い出すことにしています、そうすると、以外に楽になったりすることもありますよ、では、がんばってくださいね。
(1997年5月5日)

2.永田雅人(Wally)さん

 初めまして、私は阪神・淡路大震災でボランティアの世界に迷い込んだ者です。あれから年に3回程神戸に出かけています。
 毎回出かける度に、神戸の移り変わりと変わらぬものを感じて関東に戻っています。
 本来変わらなければならないものが変わらなくて、変わらないで欲しいものが変わってしまう・・・このもどかしさを感じながらも、私はまだまだ皆さんと語ったり遊んだり、時にはイベントを起こしたりしたいと思います。
 ですから、今後ともども「遠くの隣人」としてよろしくお願い致します。
(1997年11月18日)

3.古川飛祐さん

 こんにちは。1997年4月、9月のかみひこうきを拝見しました。お体の具合はいかがですか?医療費が上がったこと、本当に困ったものです。住宅についても、私が「現実に合っていない」と感じるのですから、被災された方々には、声にならない声がたくさんあるのでしょう。私がかみひこうきを読んだように、この輪は今も広がっているはずです。これから毎日、大森さんを想って、生きていきます。またお話ししましょう。
(1999年8月21日)

4.古川飛祐さん

 こんにちは。寒い日が続きますね。早くも春の花が咲き始めていますが、ピンク色の ホトケノザ、黄色い菜の花、青いイヌフグリなどです。静岡では、梅が咲いたと聞き ました。このあたりはまだつぼみが堅く、1本だけ鉢植えのものが見事に咲いている のを見ました。
 今日の川越は午前中は日が射していましたが、午後になると少し雨が降り出しました。 お体を大切になさって下さい。良い年になりますように。
(2000年1月23日)



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