塩谷 誠貫さん

  (住所:神戸市 年齢性別:83才男性 職業:無職)

塩谷さんへ直接お便りなどされたい方はこちらへ

 久し振りです。取り急ぎ率直に申し上げます。
 常々言っています様に、私は真実実体より外、申し上げません。
 その心身共に余裕はありません。家内は盲目同然の身障1級の手帳をもらっており、下(しも)の感覚もなく、痴呆症も明らかに出、その上昨年暮れ12月22日より入院しいぼ痔の手術も受け10日間の入院も。
 私も倒れて1日1晩の看護もしてやれず、長男夫婦と孫3人で徹夜付きっきりの介護をしてくれ、予定の10日で終わり次第1月7日退院はしたものの、三田へ行っている娘と在宅介護会社社長と打ち合わせの内、介護施設の世話になりました。

 漸く3月になって私も体調取り戻し、すべての介護を断り、一人で家内の24時間体制の介護は勿論、炊事洗濯、買い物、掃除一切を一手に引き受けて頑張っております。が、心は、魂は、日本国内の内政外交、世界状勢は昼夜の別なく心を砕き、我が身の不甲斐なさに切歯扼腕すれども、身はここに自縄自縛の実態なれど、心は常に全世界全人類の平和と幸福、恒久平和を求めて止まず。

 齢83歳と雖も、心は万年二十歳。私の初願は日本人の考えにより、日本人の手により日本人の為の新設憲法の制定。特に心の教育第一に、信心、信仰、宗教道は一つ。全人類は一つの大理念の下、現在日本人の覚醒と明治憲法を基幹として、現状を把握して活眼を開き、心身一新して大改革するほかなく、まず活眼を開き大理念を実社会の実生活に生かす。

 現在の小泉、自民、創価学会、公明党の与党の無能、実行力のなさに悲嘆に暮れ、特に日本人による自主憲法の制定と殊に心の教育を第一にした学制、制度の一大改革と神仏一体論とする真の誠の信心、信仰道を以て正しき宗教道の確立と全世界人類を一体にしての宗教教育の確立を希求して止まない。

 いつまでも神戸大震災の復旧問題をもてあそばず、広く視野を拡げて今現在の世界の大勢に負け、埋もれることなく、活眼を開き活力を持って世相人心の教化善導第一に、努力精進活躍されんことを祈って止まず。草々拝具 合掌
(2004年5月15日)


改革はまず新自主憲法の制定から
 先日の各党首討論会を見聞して、各党首共何ら建設的発言、論議なくして唯党利党略、派閥の主義主張のみにして、一般国民の声を無視し、選挙に勝つ為の手段方便のみに終始したるは実に残念至極。

 この不況、倒産、リストラの渦中にあって国家的財源不足の時、なぜ国民の選良の士たる国会議員、国家・地方公務員の高給・高額所得者が自他共に認めながら、自らの身銭を切る痛みを感ぜずして公職の職権を以て一方的に医療費、介護保険制度の上限を設けず、生活保護者より保険料を徴収し、或いは一般国民に対し消費税の増額・増収を画策するのか?

 これまでの為政者で一体自らの身銭を切ってまで国民の為に献身した者は何人いたであろうか。口には国民の為と唱えながら、自らの派閥、党利党略の為の策略にして、その実善良なる国民の血をすすり、肉をしゃぶってきた結果が、今現在のリストラ、倒産、不況、自殺者の増加までに至った。この実情を反省した一言を発言した議員が政党があったであろうか。

 これ皆現在の戦勝国主導より制定されたる現憲法・法律による間違った為政者の職権濫用と言わざるを得ず。
 この際、現行憲法に守られあぐらをかく国会議員、官僚族は国家社会的、大所高所より活眼を開き、視野を拡げて国家国民の恒久平和と幸福の為、敗戦後、戦勝国により制定されたる現憲法を根本的に見直し、日本国民の考えにより国民の為の新日本憲法の新設・制定を急ぐべきではなかろうか。特にすべての原点たる「心の問題」「教育と宗教問題」こそ、その原点、第一義にとすべきではなかろうか。

 今回の選挙こそ、その絶好の機と考え、この一文を呈する次第。敢えて進言する。新憲法制定に関しては、旧明治憲法の心を参照、骨子とするを以て、「心の問題」に重点的に配慮するを希求するものである。
 敢えて言えば、民間レベルより遙かに高い官僚、国会議員等の給料・ボーナスを根本的に見直し、是正すれば国家財政は潤うであろう。合掌
(2003年10月29日)


 奈良の浦嶋さんよりの御厚志、有難く受取りました。厚く御礼申上げます。御言葉にあまえまして、浦嶋さんへ一筆お礼方々お願い申上げたく、又、差支えなければ、浦嶋さんの御住所も、私の住所も御紹介願いたい。
 浦嶋さん、遠方の奈良よりわざわざ、被災者の私達の為、御親切なる心の贈りもの有難うございました。厚く御礼申上げます。

 未だ見ぬ初対面の方に失礼かとは存じますが、矢萩様も御承知の様に私は大震災に遭う以前より、敗戦のその以前、この世に生を受け、物心づく幼少時より、「義理と人情、思いやり、誠まごころ一途に生きよ」と、厳しき祖母の訓育により、スパルタ式に又反面、「飴と鞭」の眞の愛情に育てられて人となり、学校生活、青年団生活、そして旧國鉄車掌生活半ばにして、「赤紙召集令状」により、三年間の軍隊生活、そして敗戦、復員後の荒廃退廃せる青年層の再生開眠の為、或る宗教教団に入り、東奔西走心血をそそぎしが…、過労と栄養失調の為、病に倒れ、宗教教団の内外の実態を五倫五体を以て実体得し、現社会の実態を知るにつけ、人、頼る勿れ、他力に縋ること勿れ、頼るは、己が心、己が心の力のみ、と痛達致しました。

 思えば私は一世紀も二世紀も早く生まれ過ぎた様ですね…。浦嶋様、初対面もない方に失礼でしょうが、袖すり合うも他所の縁ですか。馬鹿の夢事とお笑い下され。御失笑の上、浦嶋さんのお考への一端でもお聞かせ下されば幸甚の至り、御好意の御礼がつい長々と失礼致しました。あしからず。
(2003年2月12日)


 あの神戸大震災後、早9年目を迎えるに当たり、私はその祥月命日を契機として、声を大にして叫びたいのです。

 それは、恒例の如く現地に於いては、竹筒に灯りをともし、ご冥福を祈ると共に、今改めて自らの心を省み、心の力を信じ、もっと温かき慈愛、思いやりの心の火を、情熱の火を燎火の如く燃やすべきではなかろうか?
 生き延び、生かされた者同志が心と心の手を結び合って(喉元過ぎれば熱さ忘れる)が如き、いつの世の常の如き様では、いつまでたっても望む様な平安大平の世は訪れまい。 いつまでも震災の痛手を他に救いを求めるばかりでなく、一人一人が民間に於いて立上がるべき時ではなかろうか?

 あの中央政府、政権を見ても、地方政治を見ても、政界も財界も教育、宗教界までが金権腐敗の渦に巻き込まれて国民大衆の良心安寧は上の空、我が身我が党の保身のみに目が眩み、私財私腹を肥やしている。 毎日の新聞、テレビ、週刊誌等にはそれらが一日として絶えない。
 その上、財政の失敗による金が足りなければ、細々と生き延びている公的年金、介護保険料、一番痛手を被る消費税引き上げなど、おのれら高額所得者、ギャンブル的高収入者等は見逃し、野放し。5段階制度による250万以下はがっちり徴収して、それ以上の高給、高額所得者は上限なく一律に4705円の保険料???
 こんな徳川幕政時代の様な徴収、無法な悪政のまかり通る今の世の中、信じられるものとて何一つない! 唯信じられるものは、汝、われ己の心のみ。己の力、心の力の働きによる外、期待出来るものはない。

 今更いつまでも「被災者」と甘えず、全市民、全国民と共に心新たに一人一人が己が心を信じ、心の力の働きの強さを信じ、一致団結して立ち上がろうではないか。
 不肖私は齢81才といえども心は万年二十歳。ご協力願います。
 皆さん、あなた自身の為、全市民、全国民の為、ひいては全世界人類の為に不肖私自身も震災被災者の一人として特に痛感せるもの(合掌)。
(2003年1月11日)


今の政府のやり方は徳川悪政の繰り返しではないか?
 敗戦後57年を経て、戦勝国主導による現憲法、法律に於いて何の反省自覚もなく、官僚主導による政治・司法・政教(宗教)分離となり、心の教育は行われず、正しい法治国家としての役割を果たしているのだろうか?

 私は心ならずも参戦させられ、焦土と化した祖国に立ち、疲れ、廃れた村民・青少年の慰労と慰安と活眼を開く為、「素人劇団」を作って全力を尽くして活力を与え、ある宗教教団に入りて昼夜の別なく尽くせども、力至らず病に倒れた。
 ふっと娑婆世界を振り返って「宗教・教育・政治・司法・警察等」の実態の世相の凶悪化を案じ、すべては金・権力腐敗・地位と名誉と肩書きの物言う徳川幕政のままの現状を案じ、心魂を尽くせし時、平成7年1月17日の神戸大震災に遭い、お陰様にて仮設に3年、復興住宅に4年、ボランティア等の御支援を得て現在に至っております。

 しかし、敗戦後間もなくある山に入り、四十余年の最低生活がたたってか、震災による移転、移転がたたってか、家内(77歳)は半ば痴呆、寝たきりに等しき状態となり、介護保険のお世話になり、入浴介護のみ頼めども、1割の料金を取られ、私はまだ入浴のみも金額は少ないが、長時間或いは入院等の場合はこんな端金では済まぬ。
 老人介護の為の介護保険なら、二重取りに等しい。現在の介護保険を今の内に見直して頂けないでしょうか?と言いますのは、65歳以上の第1号保険料の5段階ですが、なぜ250万円を上限としたのでしょうか?同じ65歳以上でも総理、大臣、官僚、国会議員など高給・高額所得者は世の中に多々あるはず。

 一部発案者の、上に厚く下に薄い現行制度を早急に見直して頂きたい。かかる不公平の弱い者いじめの「有産・高額所得者」にまずメスを入れ、己の身を切り傷めてでも天下万民の安心立命を守るのが、公職にある者の当然の務めではないか。
 今の制度が変えられぬのなら、第5段階250万円以上の高給高所得者の介護保険料を全国民に公表すべきではないか?密室政治の一端の一大悪法と言わざるを得ない。なぜ5段階を10段階、15段階までに出来ないのか?財務省はじめ高位高官の時代離れの高額高給所得にあり。これを改めぬ限り、金にまつわる犯罪の取り締まりは出来ない。
(2002年8月15日)


 国会、各担当大臣、国土交通省などへの嘆願・要請書についてなぜ互いに話し合い、協力しあい、一団となって効果の上がる方法を採らぬのか不思議でならない。

 これも皆、旧態依然とした中央集権或いは司法、警察等の金権腐敗、役得主義等、戦勝国主導による現行憲法の一大欠陥の所以と言わざるを得ない。
 敗戦後の暴力、凶悪殺人事件の続発、裁判・刑法は乱れ、学校教育は心の教育を重視せず。世想人心の教化善導を率先して為すべき宗教法人は法に守られて人集めに金集め、土地建物を買い漁り、税制優遇措置を悪用して金権腐敗に堕落頽廃し、人心救済の聖職を忘れ、本分を全うせず。

 この悪世末法、五濁凌辱の世を救う使命も投げ捨てて、政財界に負けずと金権獲得に奔走する等これ皆憲法・法律の根本的誤りにあり。明治天皇の発布による敗戦前の「大日本帝国憲法」の精神に鑑みて、現在及び将来にマッチした日本人の手、心、考えによる日本国の為の「新日本国憲法」を創設すべきではなかろうか?。

 今の国会議員初め教育、宗教或いは司法、検察、警察は敗戦の苦痛も忘れ、己が身の保身と金権の上にあぐらをかいて、国民の痛みを感じず、口を開けば「憲法第9条の戦争放棄」のみを主張して法律、教育、宗教の過ちを認めようとしない。これでは国民の福利、安心立命の真の平和と幸福の安定生活は望み得ず。
 故に早急に旧憲法法律制定の心を心とし、基幹として新日本国憲法の創設を急ぐべきであろう。憂国に心痛むる平成の志士。合掌
(2002年5月8日)


 私は納得の行く真理道を求めて、今年2月初めより通信「生涯教育」の講座を知り、「釈尊に学ぶ」講座を申し込んだ。全四巻で一巻毎の出題に解答文を送付すると、講師からの評価採点が送り返され、あと一巻、四巻目の評価返信を待つのみとなった。

 釈尊は釈迦族の王子として生まれ、25歳までの酒色、栄耀栄華の生活に疑問を持ち、父王が出家の意を察知し、出家を止めさせんとするを知り、門番の目を盗んで敢えて出家された。
 真理を求め、法を求め、師を求めて難行苦行の托鉢を続け乍ら、遂に真理の法を悟り、80歳の御入滅まで法を説き続けられた偉大さを知るにつれ、ふっと我が身、我が心、我が求法、実践と同一なりを悟った(但し幼少時より25歳までの身の上は全く異なれども)。失礼無礼乍ら、彼(神・仏)も人なら我も人なり。

 幼少時よりのわが身を省みて、我が初志大願に狂いなき。心の力のみを頼りとして生き抜いた我が心行を以て貫き通した事実に驕る事なく、「為せば成る為さねばならぬ何事も成らぬは人の為さぬ為なり」の先人の教訓を心に秘め、これを契機に改めておのが「心願成就」一筋に、先師に負けず。時代は異なれど真理・真実は一つ。努力精進し、5尺に足らぬ小身ながら、生涯を生き抜く決意、決定(けつじょう)を新たにした。合掌礼拝これあるのみ。

 私は小学校および高等小学校を首席賞で卒業し、旧国鉄車掌として活躍中、「赤紙」(召集令状)を受けた。南方派遣軍が出発前夜の軍事作戦変更により、本土防衛軍として二宮駅前にて待機中、敵艦載機の機銃掃射を受け危機一髪の命拾い。奇しくもその8月15日の正午の玉音放送により敗戦を知り、即刻姫路の本隊へ帰隊。すぐ解散、帰郷となった。

 その後は休む間もなく村青年団長の再三の依頼により「新生劇団」を結成し、荒廃する農村青年の思想善導と慰労の為、小学校講堂で3回に亘り上演した。泣きと笑いの新生劇団は大好評のうちに終わり、次々と事業を行い、全て大好評だった。
(2002年3月19日)


 思い起こせば7年前、平成7年1月17日午前5時46分、 天地を揺るがす大地震。住宅は焼けて、焼け野原。電気、 ガス、水道は切れて、水は出ず。 倒れた家の下敷きとなり、 或いは猛火迫りて危機一髪。一番尊い命まで奪われて、 この「7回忌」。
 慰霊の為にロウソクを立てて合掌し、成仏 祈れど心は痛み、胸に秘めて涙をのんでしばし合掌。 祈念、合掌、礼拝すれど、死せる命は再び帰らず。

 幸いにして、(神戸の)西寄り・塩屋にて被災すれど、半壊 となり、その後「美山台の仮設」に当選し、入居3年。 ガードマンを続けるうちに、新聞、雑誌、ダンボール、 アルミ缶等が廃品の中に多く出されているのを見た。
 自転車を買って、早朝より西へ東へ、南へ北へと時間の 続く限り、生ゴミ、荒ゴミの日に回収して廻り、回収業者に 連絡し、「ふれあいセンター自治会費」の足しとした。全て 一人で駆け回り、3万、5万と自治会の通帳に入金された ことには感謝した。

 その後、復興住宅(東垂水第二住宅)に当たり、平成10年 3月27日には、雨降る中を子供等の助けで入居し、 はや3年が過ぎた。
 その間、第2代自治会長に推された。50軒ばかりの自治会なれど、早朝より周囲を掃除(吸い殻や犬の糞)して廻った。近隣自治会(4自治会)の廃品収集箇所も隣接しており、新聞、雑誌、ダンボール、アルミ缶等が大量に目に入った。仮設時代を思い出し、住民に頼んで倉庫に収め、月一回、回収業者に渡した。「塵も積もれば山」の如く、月に 3万、5万と自治会の通帳に振り込まれ、運営資金となっている。

 区役所に頼んで、中古のカラオケを届けてもらい、カラオケ 同好会を有志と共に作り、週一回の大掃除の後、慰労、 慰安として集会場でカラオケを楽しんでいる。
 突貫工事だった為か前庭に雨水が溜り、歩行がままならなかったのを、 (住宅の)ベランダ下の換気口に雨水が入ることを発見して市住住宅局に電話をし、側溝造りやマサ土を入れての整地等をしてもらった。次々と工事の追加 手直しがあり、住民の安全な生活を護る努力をしている。
(2002年3月11日)


人の世のすべての事どもすべては一人一人の心の力によるが故に(その2)
 何故今、この様に宗教と教育問題を強調、叫ぶのか。敗戦後50年以上経った現在、敗戦当時の戦勝国首脳主導による現憲法は今の世になじまぬ。特に金と物が主導の今の世に、肝心要の心の教育(学校教育)が軽んじられているが、人の世の全てを動かす原動力は一人一人の心にあり、心の力によるものなるが為。

 古来よりの大和魂、大和撫子の美しい優しい心を忘れつつある。男女同権によって父権は軽んじられ、幼児・児童・生徒の心に悪影響の恐れあり。今にして食い止め、正しい人倫の教育、宗教の心、魂の訓育に肝心要なりと案じ、9条のみの憲法改正を口にする議員族の覚醒の為。
(2002年2月15日)


人の世のすべての事どもすべては一人一人の心の力によるが故に(その1)
 大震災後七回忌を迎え、地元神戸、淡路方面では表向きは一応復興成ったように思えるが、裏面即ち精神面(心の問題)はまだまだ未解決のまま(高齢者、身障者に対する福祉、介護等も)。

 全国的に真の痛みを感ぜぬ為政者、各関係省庁幹部連に寄せる一方的なる救済措置は行われているが、弱者、低所得者、最低年金生活者の痛み知らぬ高額年俸、高額納税者等を保護し、身の保全を図るなど、徳川幕政と同様の施策を踏襲せるに過ぎず、何ら改善改革は行われていない。

 殊に毎日、新聞、テレビ、週刊誌等に報道されている如く、大人社会即ち各家庭における夫婦・家族による幼児教育は行われておらず、逆に家庭内暴力・殺傷事件の続発、学校教育における学力のみの偏差値評価。或いは親・身内による打算的なる見栄体裁により、児童・生徒本人の意志も確かめず、一にも二にも大学大学、塾教育と猫も杓子も幼少時より受験受験と苦しめ、エスカレーター或いは金の力で以て大学出を作り、学歴偏重の現実社会につながる。

 為政者・官公庁の上層部或いは金融、建設、司法、警察等且つ会社社長幹部連の毎日報道される金にまみれた収賄・贈賄等、皆これ幹部一人一人、官僚一人一人の心の教育の自覚、人徳の不徳の為す処。敗戦前まで守られた教育勅語の御教訓、御教導の精神が忘却され、一人一人の心の教育の軽視されたる結果が、今現在の社会、世相、人心荒廃、犯罪社会を作る元凶と思われます。

 世の為政者、司法、警察関係者は皆、敗戦後当時に遡って国民の苦悩と実態を直視し、学力、技能、体育よりも先ず心の魂の教育を第一義とせねばなるまい。敗戦後に戦勝国首脳による現法を改めるのではなく、これを参考として敗戦後50余年を経た今こそ、荒廃せる現状を直視し、日本国民の手そして考えによる日本国の為の、日本人の為の新憲法を制定すべき時が既に来ている。

 現在の為政者、司法、警察に任さず、有志、有識者、民間より埋もれる善智識者相集いて、一刻も早く新憲法を制定すべきである。特に宗教法人法に於いては、世相人心の教化善導を忘れた根本的一大メスを入れるを要す。合掌
(2002年2月15日)


為政者と国民の自覚(介護保険の5段階は納得行かぬ。しかも年金より天引きで先取りとは)
 阪神大震災後早6年、その後の復興も表向きは大半成ったように見えるが、肝心要の「心的救済」、「経済的復興」はまたまだ前途程遠く……。その救済、復興の名に隠れて、国家社会即ち行政、国会議員、司法、警察、銀行、金融、そして会社社長・重役等々の不正が、なぜ連日の如く新聞、テレビ、ラジオ、週刊誌等に報道されるのか。また「有産・有名芸能人」などの脱税、麻薬、殺人などの続発は判断に苦しむ。

 後手後手に回る警察、司法と裁判の長期化。それに犯罪捜査の家宅捜索に5日も10日も前に予告するとは、証拠隠滅を見逃す如き捜査方法。これじゃ犯人逃すが如き手段。犯人逮捕が主か、犯人逃すが目的か、不思議でならぬ。

 また「福祉」「介護保険」と呼び名はよいが、その掛け金にしても、一体誰の為の、何の為の福祉、介護保険かと尋ねたい。高額所得者、高給取りに軽く、弱者、低所得者に重い。法令法令と逃げるが、一体この法令を決めた国会議員に一体何人の弱者、低所得者がいるか?と尋ねたい。民政安定は先ず弱者、低所得者を守り、高所得者の余裕ある人々の、即ち為政者の立場の人、企業重役等の有資産家のご協力と思いやりがあって、本当の意味の福祉行政であり、介護保険制度と思われる。この根本的改革なくして、ただ5段階5段階ではどうしても納得行かぬ。

 立法・為政者は活眼を開いて、己が保身のみを考えず、国民の代表として自覚と国民の現状に視野を拡げて、正しい行政を行って頂きたい。現状のままだと、300年400年以上昔の鎌倉、徳川幕府の悪政の轍を踏む恐れあり。今広く世界の情勢を案ずるに、余りにも「独裁専横的」な政治の余波が、我が国にも押し寄せていると言っても過言ではない。諸外国との連携、協調も必要なれど、我が国内、国民の福利民幸が第一義と思われる。合掌
(2001年12月15日)


 毎年しかも同時期(7〜9月)に発生し、しかもほとんど同様な進路が予想される台風の被害が、科学文明の利器が発達し、これだけ気象情報の進歩がありながら、なぜ防げないのか。自然現象といえども、台風の発生地点も進路の予想もわかっており、年中行事の如く各地に大被害と多くの人命を失っている現在、なぜこの発生地点・時期に於いて強大な科学力で消滅せしむるとか、その進路を阻み、太平洋上に方向転換せしむるとかできないのか。

 夢の大空に投資する予算があるなら、宇宙に挑む資金と暇があるなら、もっとこの人類に住む地球上の人命と物資、地球環境の破壊、人類の平和を希う人としての良心が、そして研究費があるなら、なぜもっと自然科学の研究に力を入れて、科学の研究者・技術者はこの大自然の大被害から救い護る方法がないものかと不思議でならない。

 宇宙開発、宇宙基地よりも現実に人類の住む地球上の環境保護が先決問題ではなかろうかと思われてならない。成程大自然の現象だから、打つ手がないから宇宙基地を作るのかは知らぬが、一体何百、何千人の人がその基地で永久に生活できるのか。

 先ず足元の地球の台風或いはハリケーン等の研究、開発が先決問題ではないでしょうか。年中行事の如き人的物的に大自然を破壊する台風に対する何らかの対策、未然防止の方法はないものかと不思議でならない。気象情報のみでは後手後手の毎年の大被害、何とかならないものでしょうか。科学、気象情報の進む今、何とかよい手はないものでしょうか?。
(2001年9月14日)


世想浄化の原点を考えよ
 この人の世は、一人一人の心の連係で成り立っている。宗教という言葉はいつ頃から使われたかは知らぬが、「マンマンチャンアン」の神、仏、殊にご先祖に対しては、私は物心つく幼少の頃より教えられ、信じて合掌礼拝してきた。「あの人は信心深い人だ」と言われる人に悪い人はなく、尊敬されてきた。これは古の昔より自然体の風習、思想として受け継がれ、人々の心は正しく、美しく、平和だった。人の心あってこその神聖なる信心、信仰、合掌礼拝があった。

 人間一人では生きられない。『大自然・天地・森羅万象』に生かされ、神仏という心のよりどころがあってこそ、是非善悪、正邪曲直の正しい分別が出来る。この心の原点、よりどころを忘れて『安心立命』の幸福な生活は到底出来ない。この原点・指針を今の指導者、学識経験者・有識者は軽視し、或いは忘却しているのではないか。いかに智学的に教育され、先端科学発達し、文明の利器が進歩発達しても、それを取り扱い、操作しても、扱う人の心によって善にもなり悪にもなり、一つ違えば凶器にもなる。今現在こそ、その恐ろしい危険極まりなき時代と案じられる。

 敗戦後、雨後の筍の如く乱立せる新興宗教団と古来よりの神社仏閣等々1万8千余の宗教法人がありながら、どれだけこの「五濁凌濁の世」の人々に貢献し、世想相人心の教化善導に尽力しているだろうか。この古来よりの神聖なる信心、信仰、合掌、礼拝の心が曲解・抑圧・軽視され、逆に人心を迷わし、宗教戦争、宗教アレルギーの心を起こさせ、正しい信心・信仰・合掌の心を失い、世想人心の安寧、幸福な平和な日常生活を脅かしている憂いなしとせず。

 『三つ子の魂百まで』の教訓を生かし、政治も教育も経済も皆一人一人の心が原点であり、その心の働きによって、世の中は運営されている事を活眼を開き、視野を拡げて且つ自己を省みて、早速に心を見つめ、現状を改むるべきである。

 政治も教育も経済も宗教もなぜここまで混乱し、堕落したのだろうか。人の心を作り、人格を作り、養成すべき学校までがなぜここまで荒廃したのだろうか?。
 私は先ず、今の国会議員、官僚達は日本人としての自覚に欠け、敗戦後半世紀以上も過ぎた今も尚、連合国の主導により憲法の亡霊を引きずって、過去の責任は責任として一応取っておりながら、代々の内閣は勿論、現役国会議員がなぜ『日本人による日本のための「日本国憲法」』の創設を為さないのか、実に不思議でならない。

 国の基本の憲法が間違っているから、国政も教育も経済も宗教も皆狂い、世の中は乱れているのがわからぬか。例えば議員連中は只第9条第9条と口角泡を飛ばして派閥争いに明け暮れ、憲法調査会とか作ってどうなっているのか。いつまでかかっているのか。

 教育にしても先ず第一に『心の教育』、徳育、道徳、原点としての正しい信心、信仰、合掌の(特定でない)宗教教育を行わずして、児童生徒の『心の魂の教育』は出来まい。いつまでも肝心要の『心の教育』をおろそかにし、英才教育、学問の詰め込み教育で金の無駄遣いをし、一にも金、二にも金金の力で、人の心を迷わし、経済界、世情全般を狂わせ、今の世の中金重点に、悪も犯罪も金で丸め込み、「善導教化」すべき宗教界までが金にまみれて「政教分離」の現憲法まで牛耳り。

 このざまでは正しい政治も教育も宗教も、皆己が本分を忘れ、己の利得のみに走っているといえる。一体いつになったら国民の求める安心立命の平和な楽しい生活が出来るのか。『温故知新』人生の原点に省みて、国政の原点たる憲法の『新憲法』制定の一日も早からん事を希求して止まない。

 憂世、人心救済に生涯を賭ける。真実誠の人道に生きる心の叫び血の叫びを、早急に実現されるのを祈って止まない。合掌礼拝
(2001年5月22日)


 先日は「かみひこうき」にて、奈良県の浦嶋三四様より結構なる「ちぎり絵」有り難うございました。厚く御礼申し上げます。

 今この荒廃退廃せる人心の悪化せる中、殊に阪神大震災の天変地変の後遺症は、広く長く尾を引く時、未だ震災の痛手は癒えず。心のケアが必要な時、思へば私も年を取っても、心は二十歳(ハタチ)。
 家庭の事情で2,3歳の頃より厳格なる祖母の訓育により、義理と人情、思いやり、誠、真心、正直一途に駈け抜きて、厳しくしつけられて人となり、79歳の今日まで生き抜いたど根性。魂は今後も生涯命ある限り、私の生涯の使命として、全身全霊を以て、世相人心の教化善導に、捧げ尽くす決意・決定です。
 もし御同感・賛同下さる方は、ご一報下さい。過ぎし60年間を記し続けた『映心記』がご参考になりますれば、いつでもご利用下さい。

◎七つ転んで八つで起きりゃ どんな苦労もへっちゃらさ
◎人の世の誠の道に叶いなば 祈らずとても神や護らん
◎神仏の希求(ネガヒ)は一つ誠道(ヒトノミチ) この世直しもただ一つなり
◎耐えて忍んで修行をすれば 恵の花咲く春は来る  (合掌)
(2001年3月13日)


わが心をかえりみて(誠貫のなきごと)
 ◎震災の試練に耐えて何のその この世を救う道ひとずじに
 ◎誰がやる今こそ我がやらざれば 人の心の春や来るらん
 ◎世は乱れ心は荒れて救われず 報恩感謝の合掌の心忘るな
 ◎この世をば憂い続けて寝(いね)られず 又(鬱病)の再発かと案ず
 ◎西を向き東を向いて叫べども 関心うすき人の心は?
 ◎戦いに敗れて廃れし人心 救う手だてのあれやこれや仁
 ◎金もなく地位なく名なく力なし されど心は休む間もなし
 ◎一筋の道を生き抜く我が身には 何のこれしき負けてたまるか
 ◎戦に敗れたとても心まで 売ってどうする次の世代は?
 人の心に安らぎを。この人の世に真の平和を。
(2001年2月27日)


宇宙開発より地球上の救済が!
 一体人間は何の為に生き、生活しているのか。宇宙森羅万象の大自然の中に生かされている一つの動物にすぎぬではないか。それが共生どころか、動植物を、自然現象まで支配し、或いはこの大宇宙の空気まで汚染していながら、尚その上に莫大なる国費と、一つ違えば人命まで犠牲にして、競って「ロケット打ち上げ」、「宇宙基地建設」と……。
 それがどれだけ人類貢献したか?。今現実に大気汚染に悩まされ、課題の多々ある中、毎年の如く世界各地で起きる地震・雷・噴火・洪水・ハリケーン等々が、地球上に多大の被害をもたらしている中、救済を待つ幾多の人々、復興を待つ土地・建物、自然の修復の事を考えるのが第一ではないか。

 国の名誉や科学者の競争、ロケット研究費・機材費に莫大な国費の無駄遣いをする事で、どれだけの人命を失わせているかを考えた事があろうか。現実に住む地球に足を置かずに。何が出来るか。各国の為政者、科学者のご一考を願う。合掌
(2001年2月7日)


 昨年来、20数回ものかみひこうきを飛ばして頂き、厚く御礼申し上げます。ご存じの通り、大正、昭和、平成を走り続け、駆け回って79歳、初めて誠に耳を傾け、ご理解頂き、感謝感激です。生まれてくるのが1世紀以上も早かったかと、反省しています。しかし死すまで生涯は、この目で心で見つめ、実践する決意です。

 申し遅れましたが、寺崎千鶴さんから先日メールを頂き、有り難うございました。前文にも一寸書きましたが、激動の大戦を中心に、大正、昭和、平成と駆け抜け走り続けて…旧国鉄車掌を皮切りに、召集令状により3年、敗戦後は農村青年団の善導に、志すところあって宗教法人に入り、不眠不休の荒修行すること40余年。世相を憂い、思い詰めて(鬱病)となって「青山の地」と決めしわが本籍地まで追われ、発起してガードマンとして東奔西走せしが、神戸大震災に遭って美山台の仮設に移り、3年余にして平成10年3月より今の新築市住に入居させて頂き、仮設を通じてボランティアの支援も得て、漸く落ち着くことが出来ました。

 色々とはありますが、感謝の生活をしております。常に地域住民と協調して、区役所福祉課の善意によりカラオケをお借りして、月に3回、5回と集会所にて住民は自由に参加して楽しんでいます。また住民で屋外の大掃除を月1回行い、和気あいあい過ごしています。

 まあまあ追々落ち着きつつあります。波瀾万丈生き抜いた至誠一貫のど根性は、世の為人の為、大自然の為、微力ながら死して尚も働き続ける決意です。寺崎さんもお大事に。有り難うございました。合掌
(2001年1月27日)


神戸大震災に偲ふ
 神戸大震災より1月17日で丸6年、あの時の事は思ひ出したくもないが…或程度の復興は成し遂げられたとはいへ、未だ住宅は復興せず、或は数多くの身内・友人・知人を亡くした人も多々あり、心の傷を持つ子供・大人達にしてみれば、まだまだ震災復興は程遠しと言へよう。
 それに市はじめ自治体の各地で復興記念大会と銘打つて行われ様としてゐるが、亡き犠牲者の「霊を慰霊」し、黙祷を捧げ合掌の誠を捧げるのが本願ではなかろうか?。まだまだダンボール生活を送る路上生活者、生活困窮者、震災犠牲者の慰霊を口実に、一儲けを企む輩なしとせず。市の責任者、市民の良識者は活眼を開いて、善処され度。

 祈無き震災被災者の諸精霊。
 願ふ被災者の心の再起。
 亡き友の夢にめざめて今日も又 合掌に起きてしばし涙す(合掌)
(2001年1月14日)


温故知新(ふるきをたずねて、新しきを知る)
 皆さん、西暦2001年と口にはすれど、日本人として紀元は2○○○年に なるのでしょうか? 如何に昭和20年、大戦に敗れたとは言え、猫も杓子も アメリカ、アメリカと西洋かぶれして、国の紀元も発祥も歴史も忘却し、 外国かぶれして日本人としての自主性を忘れ、敗戦後50余年を過ぎた今、 西も東もアメリカ主体とは一体我が国の政府は、議員達は誰の為に正しい 政治、政策をしているのか。正に返答を尋ねたい。

 年の始めに当り、現状を熟知し、沈思黙考深く反省と希望を持ち、国民にも 夢を持たすべきなり。
 思えば遠く、徳川幕政300年の弱肉強食の時代を振りかえりみて、今現在の 政治、政府権力者、或いは銀行、大会社社長、幹部等の金、金、金で身を、 会社を滅ぼし、国民に迷惑をかけて恥をさらす。この大人社会の実態を目の当たり にして、全国の青少年、学童達は如何に考えているであろうか。 神戸大震災で 今日を生くるに苦しんでいる被災者達はどう案じているか。
 先に述べた国家権力者や全国各省庁、市町村の為政者は旧年来の悪政を 身も心も一新してこそ、2001年を口にする資格がある。
「温故知新」真にど根性据えて命懸けでやれ。

 森総理をはじめ学識、有識者は挙って、ITとかコンピューター、ホームページと か最新機器等、早期活用を述べているが、65才以上の高齢社会、また今度のIT等 は現在何割の人間がこれを扱えるのか?聞くところによれば、機器を据えても半数、 或いは3分の2が使い方がわからぬそうだ。私達70〜80才の者は、それでなくとも 近年の公文書、パンフレットに横文字が多く、非常に困っているのに。
 為政者は全国民の声が聞こえぬのか。 合掌
(2001年1月1日)


敗戦後60年の今、考うる事
 当時種種の事情があったとはいえ、こちらから戦を挑み、初めからわかっていながら力尽きて、日本の有史始まって以来、初めて戦に負け、内外共に、各国各人類にご迷惑をかけながら…成る程当時の軍閥、内閣の独走と雖も、これは我々日本人の責任と言わざるを得ない。
 にも拘らず、今現在の国政を司る内閣、政府は党利党略、派閥抗争に飽き足らず、金金金で、金まみれ。地位と名誉も財産も、皆すべては金で片付け、敗戦時の一億総懺悔の真摯の心を忘れ、仮の平和におぼれている。最早忘れられんとする今日この12月8日!開戦の責任を痛感し、一億総懺悔の心を、戦禍に倒れた尊き多くの人々に合掌の誠を捧げてはどうか!。(一億総懺悔の心を忘るな慰霊の為)合掌
(2000年12月8日)


 昨晩のあるテレビで、介護保険について、出演された方が保険料の徴収方法の不合理性を強く強調し、事によっては訴える旨、事例を挙げて、制度の不備不正を唱えておられた。私としては、これを喜び且つ大改正の実らん事を祈るのみ。
 思えば今度の介護保険程、不公平、矛盾したものはない。年老いてからの生活保護と年金を出しておきながら、何のことわりもなく生活保護者からまで、5段階とかいって保険料を徴収し、高額所得者や土地・建物等を持つ財産家等々の全てを250万円程度を上限に5段階に分け…これで公正・平等の政策・政治と言えましょうか?。40歳以上の該当する国民・市民は納得出来ましょうか?。

 これこそ上意下及不下意不通、徳川幕政の上に厚く下に薄い、悪政の轍を踏むに等しい。本当に平等に徴収するなら、10段階以上に分類して、先に述べた高額所得者等々、その所得に応じて保険料は徴収出来るはず。
 今の5段階を改め、もっと視野を広げて全国民が平等に公平に、介護保険料を納められる様。是非5段階を10段階以上に、直ちに大改革して下さるよう、祈って止まない。合掌
(2000年11月28日)


政治家にもの申す(怒りを込めて)
 今の政治家は、政党は何じゃ。選挙運動の時は自分に都合のよい事を呼び掛けて…今の政治はどうなっているのか?。次々と新しい政党が名乗りを上げ、当選した途端に長い物に巻かれよ式に消えてなくなり、有力な政党に合併する。昨日の敵は今日の友。一体政党の主義主張はどうなっているのか?。
 何でも多数決で決まる世の中とはいえ、投票した一人一人の国民はどうなるのか?。国会そのもの、議員その者は、一体誰の為にあるのか?。公約に掲げた政治理念、国民生活の安寧、平和な幸福な社会生活はどうなっているのか?。国会議員、国会は国民の代表なるが故に、もっと広く、深く万民の事まで考えて欲しい。

 また、この10月より始まった介護保険料徴収の問題だが、5段階と決め、その5段階に当たる250万円以上の高給高額所得者に対する扱いは一体どうなっているのか?。国民は皆不審に思っており、納得しておりません。億万長者、兆万長者が同じ5段階では、どうしても納得行きません。このわけを、詳しく全国民に公示して下さい。
 今のままでは、徳川幕政時代の悪政と言わざるを得ない。この自由、平等、平和の今の世の中に、一国の国民の死活問題をこのまま黙って見逃してよいのだろうか?。億万長者、兆万長者、何千万何億の高給高額所得者には、痛くもかゆくもなかろうが。これは、貧乏人いじめの介護保険法と言っても過言ではない。何卒よろしくお知らせの程願います。合掌
(2000年11月1日)


 この10月から天引きされている介護保険料について
 保険料の決定法、納入通知及び保険料の決め方について、5段階とかを見てもどうにも納得できず、区役所介護保険係へ問い合わせに行きました。しかし、とにかく5段階、5段階の一点張り……。どうしても納得行かぬのは、年金にも大差があり、1段階にも生活保護者が含まれておることです。また、震災後復興住宅へ入れて頂き、家賃を払って苦しい生活をしている私達もいます。12年度13年度14年度と増額になるとは、一体誰がこんな思いやりのない保険を決めたのか?。4段階5段階で250万と記されているが?。

 全国の億万長者、兆万長者や大会社社長・幹部、大銀行の頭取、大蔵省はじめ高級官僚、総理、国会議員等々の何千何万何億という給料やボーナスを取っており、自分の財産がわからぬ程の高額所得者、大財産家もこの5段階で、上限を決められるのですか?。
 これではどうしても納得できません。まるで過去の徳川幕政のやり方、弱い者いじめで上を大切にする。下より巻き上げて、上にべんちゃら。歴史に逆行のやり方ではないか。是非一考大改革を祈って止まぬ。合掌
(2000年10月14日)


 今国会において、論議の一つとして「教育基本法」について討論されているが、私はどうしても納得できない。なぜなら、教育の原点は三つ子の魂百までの基本を忘れている。今の為政者・教育者のほとんどは、親の見栄と頂戴、現社会の・会社の要請とはいえ、唯有名校・有名大学と学歴偏重に追われて、人として正しい「心の教育」が為されていない。敗戦後は特に、核家族の増加等により、教育の原点なる家庭教育、正しい心のしつけがまともに行われていない。
 これではいくら学校教育に、教育基本法に頼っても、心無き教育基本法心の無き先生達の学校教育では、到底人間教育は不可能であろう。教育行政の方々は、出生時の「母子手帳」を活用し、家庭教育まで手を伸ばし、心の養育に勉むべきなり。

 私自身が二つ三つ頃より教えられ、78歳の今日まで行じてきた生き証人として、どこへでも出て、私の言う重要性を解って戴きます。私は、それを待っています。
 今の政府は、学校も裁判も何もかも信用できません。特に学校教育は、根本的に間違っている。目覚めよ早く、教育者よ。徳育・道徳・心の教育を第一に! 合掌
(2000年9月30日)


高額所得者、高級官僚等も介護保険の掛金を明示せよ
 今度決められた介護保険について、国民の一人として尋ねたい。 月々僅かな年金で家賃を払い、細々と生きている阪神大震災の 被災者に何故一律に強制的に年金から天引きして納めねばなら ないのか。しかも一通の説明書にて、国民の声も聞かず。

 我々低所得者に対する説明も無く、高額所得者、高級官僚、 国会議員等の全所得と介護保険掛金のすべてを国民の前に 明示すべきではなかろうか。
 大蔵省、税務署がある以上、全国民の財産はわかっているはず。 新聞、公共機関がある以上、全国民平等に納めている事実を 公表できるはず。
 先の「商品券」にしても、ただ一部の国民が特典を受けたのみで、 全く効果無し。

 お上のやる事は信用できない。すべては上に厚く、下に薄い。 血も涙も思いやりも無い。まるで徳川幕政の様な独裁専横。国民の 選挙によって選ばれた国会議員をはじめ、大蔵省、税務署、各官僚誰もが 人間としての血が流れ、良心があるはず。もっともっと下萬民、我々 貧困家庭も多々ある事を肝に銘じて、良識ある政策・政治を願って 止まない。 合掌
(2000年8月23日)


   敗戦と終戦について案ずること
 如何なる理由があろうと、昭和16年12月8日の奇襲による 我が国・日本軍により第二次世界大戦は始まり、全世界に 多大な被害を与え、多数の人々は殺された。そして今は亡き 昭和天皇は神格を下り、「人間天皇」を宣言された。にも拘わらず、 今日の敗戦の日をなぜ「終戦の日」と決めたか?
 敗戦当時の政府、有識者達は何等責任を感じていなかったのか。 表向き体面を保ち、要領一辺倒のみを考え、戦争責任の重大さを 痛感しなかったのか。なぜはっきり「敗戦の日」と定めなかったのか?

 ここに今現在の世相、即、政府、高官、議員等、各社の社長を始め、 学校教育者、宗教指導者の堕落、退廃は極まっている。そして切実な問題は、特に 青少年等による暴力、殺傷事件の続発等"是非善悪""正邪曲直"の 分別のつかぬ輩の多い事等々は皆、この敗戦を終戦にごまかした 日本人自身の内、心に秘められた「要領が良ければ全てよし」の 根性に根ざしていると思う。

 かく言う私も大戦に参加(内地)して、三宮駅前にて敵艦載機の機銃 掃射を受け、危機一髪の命拾い。 日本軍隊の良きも悪しきもこの身を持って味わってきた。この敗戦も 一兵卒の私にも予感され痛感されていた。
 「一軍人は要領を以って本分とすべし」五箇条の御誓文が六ヶ条と、 公然の秘密となってみなぎっていた。 しかし、下級下士官の口に すべらざる禁句の時代。今からでも遅くはない、終戦の日をはっきりと 「敗戦の日」と改めるべきである。 慙愧合掌これあるのみ。 合掌
(2000年8月15日)


   サミット首脳会議に案ずること
 今回の沖縄サミットについて、痛切に案ずるのは、平和の原点たる「心の問題」すなわち「宗教問題」が第一義ではないかということである。世界各地の戦争、争いの影には必ず宗教があり、なかでも民族・人種の争いには、必ずといってよい程、信仰・宗教が関わっている。

 わが日本には過去において幾多の宗教問題があり、近くはあのオウムの如き、宗教の看板を掲げて殺人事件まで起こす団体もあった。これを思い案ずるに、政治や経済などを主とする「サミット」とは別に、「全世界宗教サミット」を早急に開催し、全世界の宗教に人命の保護と全世界の誠の幸福と平和の為、せめて年1回の開催を希求してやまない。
 成る程、現状は一筋縄では行くまい。せめて今回のG8を参考に、まず有名「有力教団」を第一に開催されては如何かと存じます。真の世界人類の平和は、先ず宗教改革より。
(2000年7月31日)


   心の時代(映画説明式・自作自演)
 昔花園、今廃墟。愛のゆりかご、心の古巣。なつかし我が家、今如何。生者必滅、会者定離。生まれて死するは世の定め。どうせこの世に生まれたからにゃ、人の世の為、世の人の為、尽くすが己が本分と、誓いし誠にうそはない。乱れに乱れし今の世に、友同胞(はらから)に呼びかけん。

 敗戦前のあの平和、どこで忘れたうち捨てた。平和な心、どこへ行った。金や名誉や地位、欲望。追っかけ廻して奈落の底へ、自ら求めて落ちてゆく。哀れはかなき人心。金の力で学歴偏重。社長・大臣・億万長者。欲にとぼけた人々が、今見せしめに裁かれる。この世は金だ学歴と。子供の心を傷つけ穢し。世に害毒を流しつつ。何が上司だ先輩だ。

 とかくこの世は人の世は、心が第一、まごころ一つ。人は心だ魂だ。義理人情と思いやり。互いに助け、助けられし尊き心忘れたか。かの震災より起ち上がりて、今日ある事に感謝して、心正しく合掌の心忘れず生き抜かん。正しく強く生き抜かん。強く正しく生き抜かん(地獄・極楽この世にござる。己が心の中にある)。

 人は責むまい、とがむまい。まず己が身をかえりみて、心を正し、身を正せ。ああ春を待つ春を待つ、人の心の春を待つ。今こそ誠の心の時代、今こそ誠の心の時代。

 人々は金や権力求めども
   われはひたすら誠一筋

 欲得を捨ててかかれば、丸くゆく
   丸くゆかぬは利害得失

 生涯を至誠一貫生き抜かん(合掌)
(2000年7月13日)


   裁判の公正と促進を急げ
 オウム裁判に始まる凶悪犯に対する国選弁護士の選任は 不必要で、 国費の乱用と思われる。今朝の朝刊にある如く、 過去最高の46億円。そしてオウムの凶悪犯というべき松本に 10人もの国選弁護士をつけ、4億円以上の弁護士料を乱用 するとは、一体何の目的でこの制度が取り入れられたのか? 正当な理由があっても、貧困などの理由で裁判ができない とか、他の人権保護上どうしても国が国選弁護士を選出しな ければならないとか、国民に明白に説明できるのか。

 裁判官、弁護士によれば、検察官、検事側が捜査状況や 資料全てを開示せぬ為、裁判の準備に手間取り、裁判が数 あり、人権を護るための憲法、法律が、それを護るべき検事、 判事、弁護士が「己が立場」、「縄張り争い」をする現状では、 『法の番人』たるべき各々の責務を果たさず、内輪争いばかりに 明け暮れている。 従ってあの一大凶悪犯人のオウム・松本の 裁判も極刑の判決も下せない。  全国民は後発の犯罪や部下の信者会員の死刑判決まで出ているのに何故もっと早く凶悪犯・ 松本を極刑に出来ないのか。 全国民は首を長くし、裁判の怠慢 ぶりに怒り、不思議がっている。

 司法、裁判、検察に弁護士にまで疑惑を感じ、不思議に思い、 他の事件より「松本オウム裁判」の決着を急げ。 優先すべき 凶悪犯を先ず裁け。
(2000年6月26日)


一体人権とは平等であるべきではないか!
 近頃大人にせよ青少年にせよ、凶悪犯罪が毎日の如く 続出しているが、その凶悪犯人が警察、留置場や裁判所へ 連行、移動する時、なぜ毛布や上衣を頭からかぶせて顔型が 分からぬ様、或いは車の中も黒布を張って、まるで殺人犯等の 人権を守らなければならないのか?
 被害者側の、殊に「殺された本人の顔写真」や住所、家族の 氏名等までテレビ、ラジオ、新聞等で報道するとは…こちらの 人権こそ早く守るべきではないのか。 平和で法治国家の憲法や法律は、かくも犯人の人権のみが 先行し、被害者の人権が守られないのか。

 選挙運動の一つとして、第9条の是非のみに目の色変えて選挙運動の口実と しているが、私をして言わしむれば、現実の世の実情として 憲法、法律の改正は現行犯罪社会の、或いは裁判、警察の根本的大改が第一と信じます。 オウムの様に一大凶悪犯達の裁判がなぜいつまでも長引く のか?実態の分かった凶悪犯の裁判に何故かくの如く莫大な 国費をかけるのか?憲法をはじめ国会、国会議員は狂っている。 党利党略、すべては自己中心で、果たして国民の声は?

 本論に戻ってくどい様ですが、犯人、特に殺人犯については 先ず優先してテレビ、他報道人らは国民の前に堂々と公表(車の 移動、連行の際の公表)すべきだ。 犯人にも人権がありとすれば、 筆舌に尽くせぬ悲しみと苦痛を味わった被害者側にも優先して 人権の保護はあるはず。 有識者、テレビ、新聞の他、報道の 善処を四六時中猛省を促してやまない。 合掌
(2000年6月22日)


<全国的にゴミ減量(資源回収)に協力して>
 3年余前の仮設時代より、自転車を一台買って、生ゴミや荒ゴミの 回収日には夜明け前より、500〜2000m以上四方のゴミ置場を 多い時は2,3回廻り、新聞、雑誌、ダンボール、アルミ缶等を運び ました。「集団資源回収」手続一切を為しましたが、40軒ばかりの 仮設ではわずかしか集まりませんでした。 四方八方を廻り、殆ど 一人で5屯、10屯を集めました。 年一回の環境局から自治会への 振り込み(2,3万)も自治会費の一助としました。

 この復興住宅入居後、昨年は自治会長として「資源回収」を重点に 置きました。 時には荒ゴミは前夜より夜通し回収することもあった。 倉庫が近くにあり、このゴミ置場は近隣3自治会の共用で、他の 自治会では「資源回収」は行われていなかった。時には新聞、雑誌、ダンボール、アルミ缶等も沢山出され、又、生ゴミ の日にも新聞、雑誌、ダンボールが出されることも多々あった。 利害得失を忘れて、唯一生懸命にやっております。
 他の自治会が出す新聞、雑誌のほとんどは買物袋に入れて出され、全部引き出して定め られた様式(縦横十文字にくくり直して)で、月一回の回収車が来るまでは 倉庫に保管しております。 時々有志の方が分別、運び込み、車への 積み込みも手伝って下さいますので、とても助かります。

 「天は自ら助くる者を助く」とか「身を捨ててこそ、浮く瀬もあり水車」との 諺が、我が事の様に、前人の残された教訓の尊さが身にしみてよく わかります。
 このゴミの減量、資源回収も私誠貫の素志大願の一環。世の為、人の為、 自ら身に行じて、世相人心の教化善導の為、私この世にある限り、役員の代わりはあっても、資源回収は、この世に ここ住宅ある限り、私の任務として誠心誠意命懸けで尽くし、果つる 決意決定(けつじょう)です。(合掌)
 こつこつと地道な力が世を救ふ
(2000年5月19日)


せめて「この人の世の平和と幸福の為に!!(母の日に思う)」
 近年、特に全世界は、天変地異、地震、洪水、火山、ハリケーンと いつもどこかでその災害に悩まされており、私達の阪神、淡路地方も 大震災に遭って早5年。 しかし、これらは大自然、森羅万象の現象に して、人智、人力も及ばざる自然現象と雖(いえど)も、よくぞここまで復旧、 復興せしものと頭の下がる思いがする。が、しかし、漸くその生活の中で 上は国会をはじめ政治、経済、司法、警察そして教育、宗教のいずれもが 堕落・退廃し、金、金、金と目がくらみ、裁く者が裁かれて、教える者が 教えられ、世は本末転倒。

 正に五濁凌辱の世、今この乱世の世にてこそ 人心救済の為、真の誠の信心、信仰、宗教がその本願、責務を全うすべき 時、本願、本務を忘却し、宗旨、宗派の派閥争い、信者会員の人集め、 金集めに翻弄して、宗教家としての責務を果たさず、且つ又、人格完成の 為の学校教育も乱れ、文教行政の基盤たる国会議員らの国会でのやりとり、 雛壇に座る各大臣の答弁もほとんどすべてが派閥重視、選挙目当ての応答 ばかりの猿芝居の感。
 先ず第一に力を入れるべきは、宗教法人法の 全面的大改正と尚その上、学校教育基本法の一大改革であると確信します。

 教育とは、学校教育のみではない。 教育の原点は「三つ子の魂百まで」。 学校教育に至るまでの二つ三つの物心つく肝心要の家庭教育にあり。 即ち母親をはじめ家族による「心の教育」即ち良い事、悪い事、正しい事、 間違った事等の正しい分別、即ち「正しいしつけ」が全ての教育の「原点」と 確信する。

 ご承知のように、今の世の中の殆どが狂っている。それは今述べた様に 二つ三つの頃よりの「正邪曲直」、「是非善悪」の正しい分別の家庭教育、 次いで「修身・道徳」。昔(敗戦前)は「よく遊び、よく学べ」と遊びが先で あった。今の教育は、一にも二にも勉強、勉強、塾、塾、部活と子供の 遊ぶ時間も休む間もない。
 現状の学校教育では人間性を見る間も自分を振り返る間もない。だから今の荒廃した社会になってしまったんだ。 教育行政はもっと真剣に考え直すべきである。
(2000年5月14日)


国会の応答を見聞して教育問題に思うこと
 国政の基本たるべき国会議員始め、社会秩序を守るべき、公安、裁判所、警察官等の司法関係者の主として上層幹部、取締り、裁くべき者が裁かれ、まるで無法治国家の如き実状…これ皆これまでの一人一人の「心の教育」が為されず、只々大学大学と学歴偏重を追っかけ、徳育・道徳教育を受けず、或いは軽視されたのが要因と思われる。

 思えば、敗戦前の教育の根幹とし、師表とされし『教育勅語』は抹殺され、外国占領軍側の以降を重視してつくられたる、現『日本国憲法』或いは『教育基本法』によって半世紀に亘ってゆがめられたる憲法・教育によって、今この日本国全般の社会は乱れ、学校教育は荒廃し、核家族制度によって家庭教育は崩壊し、特に幼児、児童、生徒はその犠牲となって正しき指針を見失い、家庭内暴力、学級崩壊、学校崩壊につながり、教職員も又暴力に遭い、教壇を離れ休職し、或いはノイローゼとなって死に至る等…一国の国政を司る国会議員特に雛壇に座る各大臣達はもっと確たる全国民が納得出来る御返答を願いたい。成る程、思えば『教育勅語』もその教育も受けていない、勉強不足の方々がほとんどだから無理もないが…。合掌。
(2000年4月26日)


先に約束せし「辻説法」の中止と今後の文筆活動について
 私、昨年自治会長の時、永年の夢であり、希求せし素心大願であった 「本願使命を忘れた現今宗教界、特に敗戦後、雨後の筍の如く乱立し、 世相人心の教化善導」はさておき、その各々の幹部・指導者はその 教祖、開教者の教義教典を無視し、軽視してだらだら人集め、金集めに 重点を置き、東奔西走せる現宗教界の堕落退廃ぶりに耐え切れず、 日蓮聖人の辻説法に習い、身命を託して・・・

 宗教界内部の実情、即ち会長とか理事等の幹部達の実状をあばき、 粛正せしめ、猛省を促すと共に真面目に信仰の道に生きる信者、会員を 救済し、目覚めしめ、本来の正しい信仰、宗教道に立ち直らせる為、 一身一命生涯をかけんものと決意決定せしが、警察などに問えば、 その各地の許可或いは警備等を考え、一面現今、世情を振り返りみるに 猛進迷進せる各信者、会員や世相全般的に宗教アレルギーになり、 私一人が街頭に立つより文筆を以って各人各層関係者等に訴え、 正しい「信心、信仰、宗教の発祥の原点」を極めんと決定せる者です。

 今更ながら一宗一派こだわりません。即ち神道にせよ仏道にせよ、 あらゆる宗教は真理を求め、真実を求むる。 人間天性とも云うべき 「心のよりどころ」であり、信心、信仰、宗教は、人間生活に欺かせぬ 「心の支え」であり、憲法にまで護られているのだ。 この憲法、宗教法人 法の過保護的扱いにより、益々増長しているのである。
宗教指導者の一大反省と共に一般信者会員の正しき猛省を促して 止まない。 合掌。
(2000年4月12日)


介護保険について
 あの震災より6年目。3年余りの仮設生活を経て、漸く安住の地 「復興住宅」に入れて頂き喜びながらも75,77才の老夫婦が 僅かな年金生活(10万そこそこ)に耐えている時、この4月より 介護保険とかで年金より天引きで有無を言わさぬ強制徴収とは、 いかにお上の命令とは言え、65歳以上の弱者よりむしり取るとは、 まるで徳川悪政時代の真似事の如し。 我々国民の代表たるべき 国会議員達の党利党略による一方的で酷な扱い。義理も人情も 思いやりも無い。 今回の国会議員の独善専横ぶりは絶対許せ ません。
 それ程国費が足らないなら何故先般の破産倒産の危機を救う為、 何10兆という血税を金融機関、銀行等に投入したのか?何故 そこまで追い込んだ各々社長、頭取、取締役などの責任を問う 表立った穴埋めだけでなく、各々責任者の預貯金、株券、私有財産 等を調べ上げ、国費に返すべきであろう。

 なるほど65才以上の年寄と言えども億万長者もありましょう。何の 為の税務署、税制調査なのか、その筋で調べれば(私有財産、 預貯金等)わかるはず。
 国会議員や公私を問わず、その長、幹部職員はめいめい担当の 蓄えはあるはず。 為政者たる国会議員のほとんどは百万長者、 億万長者、兆万長者等少なからず。 従って下萬民の苦衷も痛み も知らず、只数の力によって事を決める。ただ次期選挙目当ての 国議決定は何としても現選挙法、国会議員等など、現日本国憲法 を改め、現日本人による日本国民の為の新憲法制定をのみ祈念 して止まない。 合掌。
(2000年4月8日)


 今、どうしても夜も寝られず一筆啓上仕る。
 憲法論議について、凡そ憲法は一国の全ての 基盤であり、政治、経済、司法、教育、宗教等の 基本を定められたものである。なのに敗戦後 50余年を経た今日、50余年前の戦勝国達の 指示、指導によって強制的に作られた憲法が、 今現在の社会情勢にマッチしているであろうか?
 社会情勢は急変し、肝心の政治、経済、金融界 は乱れ、司法、警察行政は逆に世間を騒がせ、 一番肝心の教育行政、学校教育は乱れに乱れ、 心の拠り所として在る宗教界は独善、排他的に 共に世想人心の教化善導を忘れ、己が教団、 教会、信者獲得に金厚めに没頭。 己が本旨を 忘却し、取り締まるべき文部、司法もなすすべも なく。

 国を政治を司る国会議員の中には憲法9条の 改正のみに力を入れている者があるが、これは 外国の機嫌取りにすぎん!敵国、戦勝国の強制的に作った現憲法を後生 大事に守りつづけるのか? 50余年の間に世の 中は様変わりしているのが、わからぬか? これだけ次々と殺人、放火、ひったくり、詐欺、 横領等々と続発しているのに、何故早急に法律 憲行を改正し、新たに作って取り締まりを厳しく 出来ないのか。
 成る程、司法、警察、金融の不祥事が相次いで 身内の犯罪に追われて、憲行作成にまで手が 廻らぬか?国会議員も党利党略、同僚議員の不正に追われて 国の為、国民の為、次代国民の福利民福の為の 「新日本国憲法」の草案づくり、制定までは到底 手が廻らないであろう。実に嘆かわしい次第然り。 悪世来法の世か?(合掌)

 右見ても、左を見ても、上見ても、馬鹿と阿呆の 奴ばかりなり(世相実感・世直しをやる気がない)。
(2000年2月28日)


 3年有余の仮設生活を経て、今は復興住宅に入居して 欠陥箇所や植木の枯を住宅公社や関係箇所へ、それぞれ 要請の電話をしております。
 2代目自治会長に推され、50軒の安否を気遣い、環境局 への申し込みや、皆さんの協力を得て、新聞、雑誌、ダン ボール、アルミ缶等の集団資源回収を行い、自治会費の 一助として身を省みず努めを尽くす。
 これぞ世の為、人の為、己が本分と誓ひし誠にうそはない。 この世に生まれて77年貫き通せし至誠一貫。この世に示す人の道。正邪 曲直。是非善悪の分別忘れた今の世に全身全霊。行往座臥。 この身を以って示さんものと。初志、初願成就の夢果たさんものと、昼夜別なく思考して、 只、大願成就希ふのみ。(合掌)
 使命の達成誓ふのみ。成せば成る、成さねば成らぬ何事も 成らぬは人の成さぬ為なり。やろうと思えば命をかけてやるが男の意気地じゃないか。 二度や三度のつまづきで、へこたる奴は男じゃない。七転 八倒、九死に十生、これ誠貫の実想なり。

 公安調査庁、検察、裁判所は何しているのか。 あの悪徳非道の殺人鬼、オウム裁判にいつまでかかって いるのか。教祖たりし松本の極刑を早く決定し、出来れば 国民の前で処刑しておれば、残存信者もあきらめ、今度の 様な各地のアジトや地域住民のトラブル、警察の発動も 無かったと残念でならない。一日も早い裁判所の決定と、 税金の無駄遣いを止めて戴きたい。 (合掌)
(2000年2月18日)


   オウム真理教に対し、公安調査庁、裁判所、検察等々がなぜもっと早く手を打てなかったのか。私達震災被災者にとって、心身共に疲れ切っているこの時、心痛めるのはオウム真理教に対する野放し同然の扱い……。これまで死刑の判決まで受けた部下が多数ありながら、なぜ多数の死傷者を出さしめた命令者であり、第一の殺人犯同然の松本智津夫をもっと早く断罪して、残存信者、国民の前で死刑を執行し、後生の見せしめとしなかったのか。
 検察・裁判に於いても何をぐずぐず長引かせて、犯罪人を長生きさせているのか。且つその裁判費用たるや莫大なる国費、税金の無駄遣いといわざるを得ない。「須磨の小学生」の事件にしても、その他交通事故(殺人絡む)にしても、早いペースで判決が下されているではないか?。なのに、あの全国民を震撼せしめたオウム事件、もっと裁判を早め、判決を下しておれば、今だ各地にアジトを作り、地域住民とのトラブルを繰り返すこともなかったであろう。

 法逃れの為、名称を変え仕事を変えても”教祖の教義”は変えないと、あの悪名高き上祐が記者会見で言ったではないか。はっきり言って、その仕返しを恐れてか、司法検察も裁判所も手ぬるすぎる(さわらぬ神に祟りなし、の尻込みか)。先の「破防法適用か否か」の時に、なぜあれだけはっきりした実証がありながら「破防法を適用」しなかったのか不思議で、悔やまれてならない。
 77歳の今日まで至誠一貫、誠、まごころ、報恩感謝合掌に生き抜いた、万年青年の私にとって、止むに止まれず、耐え難きに耐えての、上を恐れぬ切なき心の内をお察し下さい。
(2000年1月31日)


   今、世の中は混沌として、政治も経済も教育も、宗教までが乱れに乱れ、収拾のつかぬ現実社会…これ一に心の問題、国の政治も経済も教育も宗教も、皆人の心が司る。
 この原点に立ち返って考え得るに、その元は「日本国憲法」にあるといえよう。故に日本国憲法を全面的に見直し、敗戦後50年以上も経て、社会情勢が大変化せる現実に鑑みて、日本国の為、日本民族の為、日本人の為の日本人による新憲法を作るべきである。外国に気兼ねなく、我々日本人の平和と幸福、安寧生活の為の憲法、法律を作るべきである。

 何故なれば「宗教法人法」にしても、肝心要のその「目的使命」を記せずして、第1条から神社仏閣等の土地建物の保持管理を、或いは「信教の自由」を護る為、常識で言って実に過保護的条文で、これじゃ今世間を騒がせているオウム真理教等多々の邪教がはびこり、全国で18万3千以上もの宗教法人が出来るのも当然。
 又「教育基本法」にしても、心の原点たる信教宗教教育を禁止せるごとき、あいまいな条文が多々あるを憂える。学校教育にはまず(心の教育)こそが第一義であり、その為には「信心信仰 合掌礼拝」の心、即ち宗教教育を重視すべきである。但し(或る特定の宗教)をいうのではない。世の中の事の初め、開通式、始業式、地鎮祭等々には、宗教の如何を問わず、宗教行事に終始しているではないか。何故学校教育に宗教教育を行ってはいけないのか?。だから学校教育は乱れ、学生・生徒・児童が荒れるんだ?。等々憲法の不備についても多々ある。

 為政者・学識有識者は活眼を開いて憲法を再検討し、或いは思い切って新しい日本国の為、日本民族の為、日本人の手によって一日も早く「新憲法」を定められんことを切に要望します。それが、それこそが「悪世末法五濁陵辱」の現世を救う最短、最速の道と信じます。合掌
(2000年1月9日)


   公立の義務教育等にはないと思われるが、有名私立学校には大学までエスカレータ式に、保育園より大学まで卒業出来る制度がある聞き、わずか2歳で入園するのに試験があり、金がかかる。何とゆがんだ教育行政なのか?。わずか2歳の子は、もちろん親子同伴の入試だろうが、親にしても2歳の幼児にしても大変な負担になると思っています。それを実証するような悲惨な今回の幼児殺害事件まで起きたではないか。
 親も子も「心の教育」を為さずして、ただ金の力で大学大学と、学歴偏重社会の要望と、親の打算的なる地位と名誉と肩書きに溺れ、見栄と体裁を重視する大人社会の犠牲になっている幼児・児童・学生・生徒こそ可哀想です。一体文部省はじめ、文教行政、教育委員会や学識有識者等は、敗戦後の教育基本法はじめ、現在の教育行政を見直し、大改革の考えはないのでしょうか。
 私は何はさておき、読み書き、そろばん(算数)よりも『三つ子の魂百まで』の諺、心の教育即ち戦前の修身・道徳を第一義として、「報恩感謝」の「合掌の心」をまず幼児期より教育の基本として、学校教育に生かされん事を願っております。

 昨年3月27日よりこの復興住宅に入れて頂き、人の心の大切さ、大学受験の為の教育に偏している今の学校教育の実情を見聞する度に、敗戦前の教育が思い出されます。文教行政も学校教職員も、今こそ活眼を開いて実践して頂きたい。合掌
(1999年12月15日)


   古川飛祐様 初めて遠い埼玉県よりメッセージを頂き、誠に有り難うございました。厚く御礼申し上げます。

 平成7年の大震災後、3年の仮設生活を経て平成10年3月27日よりこの復興住宅に入れて頂き、有り難く感謝はしておりますが、これで満足はしておりません。
 私は3歳の頃より祖母に養育され、誠・まごころ・正直・思いやりの心を、常にたたき込まれました。魂は、信念は『三つ子の魂百まで』の諺(ことわざ)通り、77歳の今も変わることなく、老いて益々盛んにして…今現実の政治・経済・教育も乱れに乱れ、人の心を善導教化すべき宗教界までが、金権腐敗・名誉欲に溺れるなど、実に悪世末法そのものの現実に、止むに止まれぬ私誠貫は、人がやらねば俺がやる。誰もやらねばわしがやると決意、決定し、平成12年4月より、街頭に立って一般大衆に辻説法を持って呼びかけ、訴える決心です。
 特に教育については日本国憲法の「教育基本法」「宗教法人法の税制優遇措置」等に言及し、各々の使命に目覚め、敗戦前の正常、安寧なる平和な世の中、人の心を取り戻す為、老骨に鞭打って命を賭けて、この五倫五体の続く限り、全力投球の決意です。
(1999年9月19日)


   敗戦後8月15日が巡り来る度に、不思議で納得が行かないことが脳裏をかけめぐる。それは誰もが常識でわかるはずの54年前の8月15日、昭和天皇の「玉音放送」によるものとはいえ、事実戦争に負けたのであるにもかかわらず「終戦記念日」と責任逃れとも辱めのごまかしともとれる当たり障りのない「終戦」とは?。
 常識あり学識ある当時の国会が、国会議員がなぜはっきりと戦争に負けた事実を明記し、全国民に「敗戦総懺悔の日」として後世に残さなかったのか。それが軍国日本の戦争放棄を誓う真の姿ではなかろうか。今の世の中も要領よく「ずるがしこい奴」が出世をし、得をする。これもまた「敗戦」を「終戦」とごまかす日本人の一大欠陥ではなかろうか?。
 また敗戦後54年も過ぎて今更「国旗・国家」云々を持ち出す国会も国会なら、教職員はじめ学識経験者も、良識とはどこにあるのかと尋ねたい。何とも納得の行かぬ事ばかり。(合掌)
(1999年8月11日)


<どうしても納得いかぬ地域振興券>

 私達2人は世の為、人の為にと77才と75才になる今日まで夜を日について働きつづけ、平成7年1月17日・5時46分の大震災に被災し、3年に渡る仮設生活を経て、漸く「復興住宅」に入れて戴き有難く喜んでおりました。そこに「地域振興券」の発行を聞き、大変嬉しく、楽しみにしておりました。
 ところが私達2人には届きませんでした。早速市や中央に問い合わせたところ、私が10年程前に大病を患った際、「息子が扶養家族にしたため」との返事ばかりです。ところが同じ住宅のしかも同様に扶養家族になっている者でも貰っていると聞き、 益々納得出来ません。

 わずかな年金で細々と生きている老人にのみ線引きを行い15才以下の子供なら どんな資産家、高額所得者の子供らにも一律に支給するとは、一体国の国会の老人 対策や福祉なんかは口先の掛け声だけかと言いたい! 全国民を代表して出た国会 議員ならこんなエコヒイキの無い血肉の通った政策、政治を願いたい。 上に薄く下に温かい政治を!合掌

追伸
 尚、地域新聞、或いは週刊誌、地域の商店街においては半分以上も出ず、ある団体にのみ有効に利用されているとか、色々と評判になっています。 その筋により十二分 ご検討、対策を講じる必要があると思います。
(1999年6月19日)


 私と妻はほとんど寝たきり老人同様で、私一人の時は自転車で妻と二人の時はタクシーを呼んで、近くの小さい総合病院に通っている。

 初めのうちは初診500円、月4回までは1回500円で薬代は払ったり払わなかったりだったが、薬局へのカルテには免除の印が押してある時は無料なのはわかった。腹が張ったような気がしてお医者さんに申し上げたところ、「一度腹のレントゲンを撮りましょう」と言われその結果今度は「便秘のようだから大腸のレントゲンを撮りましょう」と2日かがりで苦しい思いをし、与えられた食事と飲めるだけの水を飲み、浣腸までして尻からバリウムを挿入され、苦しい約30分のレントゲン…しかもその結果は異状なし。
 薬は以前と同じにも関わらず、1400円も薬代を払わされ、看護婦長、薬局の主任そして院長に聞いても「これが医療のシステムですから。来月からまた薬代はいらなくなるでしょう」と言うだけ。月が変わって免除の印が押されて薬代は無料になったが、また2、3ヶ月して今度は買い物の途中で自転車のハンドルがガードレールに触れて薬指の皮がはがれ、10針ばかり縫った。治るまで10日位かかったが、これも薬代を1ヶ月払わされ、「このシステム…」とか言われること自体がどうしても納得いかない。

 月10万そこそこの年金で細々と暮らしている上、子供とも別居で一文の援助も受けていないにも関わらず、地域振興券も貰えぬ。なのに一つには自分の不用意とはいえ、ケガをする度、病名が増える度に薬代が要る「システム」とは、厚生省は医療行政は一体何を考えているのか。どれだけ年寄りをいじめればよいのか。どこまで上に厚く下に薄い、慈悲も血も涙もない行政かと、政府・厚生省・医療行政に問いたい。
(1999年4月27日)


 春とはいえ、花冷えのする今日この頃、お世話下さる皆様のご苦労には頭が下がります(合掌)。美山台の仮設約3年余を経て2回目にして漸く当選し、新築のこの公営住宅に入れて頂き、私ら老夫婦の死に場所として、感謝合掌の日々でございます。その上スタッフの皆々様より心暖かな「ちぎり絵」の立派な「色紙」、誠に有り難うございました。厚く御礼申し上げます。

 不肖私は77歳、妻は75歳。私が昭和63年頃より平成元年にかけて、50年心骨を捧げて尽くせし或る宗教法人を追われて、同じ平成元年8月、約2ヶ月足らずで67歳、職を求めて安定所そして警備会社へ漸く就職。東奔西走の最中、平成7年1月17日午前5時46分、あの大震災に遭って半壊となり、家主に乞われ美山台の仮設に入り、約3年余を経て平成10年3月27日、雨の中を子供に手伝って貰って漸く新築の神戸市営東垂水第二住宅へ入居させて頂き、わが「青山の地」として波瀾万丈の77年の生涯の死に場所を得、喜んでいた。

 そこに思いも寄らぬ「地域振興券」の交付を新聞記事、噂を聞いて喜んでいたところ、付近の同居はほとんど来ているのに、私ら夫婦には来ませんので「神戸振興券係」に電話で尋ねたところ、「あなたは息子さんの扶養家族になっているから」と何度聞いても同じ答え。どうしても納得いかず、自治省、自民党本部、公明党本部の電話番号を調べ、問い合わせても同様。私思いまするのに???15歳以下の子供には、親や親族が何億、何兆の財産家でも高額所得者でもほとんど無制限に支給しているのに、わずか月々10万そこそこで細々と暮らしておりそして扶養家族といっても遠くで別居し、一文の生活費も貰っていない。10万そこそこの年金生活(11年以上も息子とは別居生活)しているに関わらず、何の配慮もない。受けているとすれば、通院の時保険証を借りることだけ。
 なぜ15歳以下の子供には無制限に支給し、65歳以上の老人にのみそんな無慈悲な取扱を決めたのか。たとえば平成11年3月29日付の神戸新聞朝刊に「なぜ老人にのみ線引きしたのか?なぜくれぬ振興券」と大文字の見出しが出ており、尚この「公金出す大蔵省も意図が分からない」と頭をかしげていると書き記しており、又週刊文春(4月8日号)にも「創価学会のデタラメ」と大見出しで「学会への公的資金注入だ」と明記している。一体政府は、国会の議員達は何を考え、何をやろうしているのか?。
(1999年4月10日)


 ●あゝ阪神大震災!!…ご要望に応えて、続編を創作致しました。

 波瀾万丈の50余年!!再出発の警備員、昨日は東、今日は西と、笛を吹きながら旗を振り、「交通安全」と「人命保護」に昼夜の別なく働いて、地域の人々の声を聞き、所轄省庁、市、区、町長へ直訴、嘆願善処して、今日も征かんと目醒めし時、平成7年1月17日午前5時46分、天地を揺るがす大地震、住居は壊れて家主に乞われ、垂水区美山台の仮設に移住、福祉やボランティアの恩恵を受け、温かき人々の温情に咽き、三年有余の仮設を経て、今新築の市住に安住。七十余年ぶりに安住の地を得、与えられたる幸甚を喜び、残る余命は素志大願の(人の世の為、世の人の為、尽くすが己が本分と誓ひし誠に嘘はない)子々孫々の後世の為、老いて益々盛んにして、万年青年こゝにあり。文筆以て報いんものと(心の旅路の映心記)!!。思いつくまゝ、気のつくまゝに、人に呼びかけ、語りかけ。人の心の目醒めを希ひ、この人の世の幸福を世界の人の幸せを、命の限り、身の限り、尽くし果つるが我が本望と。(災い転じて福となし)只合掌に、あゝ涙!!
報恩、感謝に只涙。合掌、礼拝これあるのみ。(合掌)

 前編に引き続き、恒久住宅入居後の続編です。
 (註)これは大震災のテレビの映像や新聞、ラジオ等を見聞し、且つ又直接悲惨なる被災地に立ち、或いは歩いてこの身に痛感して、私の好きな活弁式(映画説明を思ひ出し)に思ひのまゝに書き綴つた創作せしものにて、これに対する映画はありません。あるとすれば震災当日のテレビ映像(私誠貫77年間の波瀾万丈の映画を作りたいが、金はなし)です。悪しからずお許し下さい。
(1998年10月10日)


(註)これは活弁(映画説明用)に作ったものです。悪しからず(仮設にて自作自演したものです)。

 ●あゝ阪神大震災!!

 昔花園、今廃墟。愛のゆりかご、こころの古巣。なつかしわが家、今いかに。愛しきわが子、今いづこ。思ひ起こせば4年前。平成7年1月17日午前5時46分。眠りを覚ます大地震!!。電気・ガス・水道は切れて真っ暗がり(闇夜にからすは鳴かざれど)。あちこちに上る炎の中を右往左往して、身内を捜す。親は子を呼び、子は親を呼び“阿鼻叫喚の生き地獄”。消防車来たれど水は出ず。たゞ茫然と立ちすくむ。夜明けてみれば焼け野原(焼け野のキギス夜の鶴)。あゝ空爆を思ひ出す。わが家は焼けてくづれ落ち、親兄弟の行方は知れず。学校・公園・広場を捜し、身内の安否を尋ねつつ、夢遊病者のさまよふ中を、ボランティアは立ち上がる。人頼みでは駄目なんだ。前が、後ろが、隣の人が、互いにめざめて起ち上がる。あゝ(遠き親戚より近くの他人)昔の人ぞよく言った。今こそ教訓生かす時、2階の人よ下敷きに苦しむ友よ。火の手は迫る、屋根は重し。男も女も老いも若きも、心一つに手を手を取って、互いに助け助けられ、人の命の尊さを。今身にしみて味わいつつ、我が身の危険もかえりみづ、全身全霊死力を尽くす。生者必滅・会者定離、生まれて死するはこの世の定め。せめてこの世に生まれたからにや(人の世のため、世の人の為、尽くすが己が本分と誓ひし誠にうそはない)。あゝ震災の被害を受けて人の命の尊さと、人の力の偉大さを、この身に受けて只涙!!。自然のめぐみ身に受けて、互いに生かし、生かされる。この人の世の幸せを。この人の世の楽園を。神に仏に、大自然に、森羅万象皆共に。報恩感謝の合掌忘れず(希望に起きて、歓喜に働き、感謝に眠れる幸せを)。戦ひなき平和の日々を、『地獄極楽この世にござる己が心の中にある。』人は責むまい、とがむまい。まづ己が身をつねって、人の痛さを知ることこそ大切なり。友よ、わが子よ、同胞よ。今こそ目醒め。己が為、民主平和のそが為に、子々孫々のそが為に。この人の世の幸せの為。平和に勝る幸はなし。平和に勝る幸はなし。(あゝ阪神大震災前編)の終わり。(合掌礼拝)
(1998年9月27日)





塩谷 誠貫さんへ届いた『かみひこうき』



1.古川飛祐(埼玉県)さん

 こんにちは。塩谷さん、奥さま。お身体の具合はいかがですか?。行政には納得のいかないことばかりですが、良い方へ変えていくため、真に人間を想う人に選挙で投票するようにしています。良い社会が出来るように頑張ります。
(1999年8月22日)

2.古川飛祐(埼玉県)さん

 こんにちは。メッセージをいただきありがとうございました。おばあさまはすばらしい育て方をされたのですね。誠とは塩谷さんのお名前にありますね。そしてまごころ・正直・思いやりの心…今もその信念の通りの方でいらっしゃるのですね。信念を実行する勇気をお持ちです。「人の心を取り戻す為」それは、私の夢でもあります。この「かみひこうき」をご覧の皆さん、来春から街頭に立って全力で呼びかける塩谷さんにお会いになったら、耳を傾けて下さい。聞いた事を、また他の人に伝えて下さい。一人、また一人…そうやって世の中は少しでも良い方へ変わっていくと信じて。塩谷さんの声に、皆さんの叫びを重ねて大きくしましょう。
 塩谷さん、お体を大事になさって下さい。もしも、いつか私に子供が授かったら…誰かを育てることになったら…おばあさまのこと、塩谷さんの魂を頭に置き、心やさしい信念とその実行に賭けることのできる子に育てたいものです。誠、まごころ、正直、思いやりの心。私の理想であり、目標です。
 もう、今から街に響くお声が聞こえてくるようです。
(1999年10月10日)

3.川本恵子さん(仮名:神戸市)

 こんばんは。始めまして。。。あれから、5年ということで、数日前から今日まで、テレビの特別番組が多く放送されておりました。そのお蔭で「かみひこうき」さんのホームページを知りました。
 私も東灘区深江で震災に会いまして、今は灘区に住んでおりますが、長かったような、短かったような、この5年でありました。
 私の娘は産まれつきの知的障害児で、出産と同時に医者から宣告を受けました。母親として、なかなか立ち直れずにおりましたが、やっと、なんとか、物事を肯定的に考えられるようになった矢先の震災でした。震災当時、娘は三歳でした。
 いろんな事がありましたが、先日、満8歳の誕生日を元気に迎えることが出来ました。知的な能力の遅れは勿論、身体も弱いですし、手術などもありますが、それでも彼女の精一杯生きている姿を見て、親というより、人間として学ぶことが多くあります。
 娘の成長を目にする時、無事に生きてこられたことを感謝せざるを得ません。「命」という目には見えないけれども、この世で一番大切なものをこれからも、「宝物」として、大事にしていきたいと思っております。
 皆様も、この宝物を大切に・・・・精一杯良い人生を歩き続けられますように。。。。寒さが厳しくなってきます。何卒ご自愛下さいますよう。。。心より願っております。
(2000年1月17日)

4.寺崎 千鶴さん(仮名)

 初めまして。6年目の今日、やっとこのページを知りました。
 震災当時は大阪の北部に住んでいたのですが、体が弱く自信がなかったのでボランティア活動も出来ませんでした。その事が今でも心残りで、ずっと被災者の方々の事が気にかかっておりました。 時間が経つに連れ、人々の関心も薄れていく中でこのような活動が続いている事は素晴らしいと思います。
 被災者の皆様、6年経った今でも色々苦しく大変な事も多いでしょう。何の力にもなれない者ですが、皆様の暮らしが少しずつでも良くなっていきますよう、心からお祈りしています。 寒さが厳しい今日この頃です。皆様くれぐれもご自愛下さい。
 そして、「かみひこうき」の皆様、これからも頑張って下さい。
(2001年1月17日)

5.寺崎 千鶴さん(仮名)

 お返事ありがとうございました。
 いつも世の中の為に尽くされている塩谷さんに多くのことを学ばせて頂いております。私も何の力もありませんが、世の中が少しずつでも良くなるよう努力していこうと思います。 まだまだ寒い日が続いております。くれぐれもお体を大切になさってください。
(2001年2月14日)

4.浦嶋三四さん(奈良県)

 新聞でかみひこうきを知り、メッセージだけでも良いのなら私でも出来るわ、とちぎり絵も下手なのを承知で1月17日に送り、矢萩さんにお世話をお掛けしています。仮設住宅も見に行き、大変な所で日々乗り越えてこられたのだなぁと被災者の方々の大変さが分かりました。
 私も年を重ね、でも元気で日々過ごして居ります。お年を重ねて居られるそうですが、お元気で日々過ごされますよう、お祈りして居ります。お手紙頂けるそうで、待って居ります。
(2003年2月27日)

塩谷さんへ『かみひこうき』を送る

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