吉本 俊幸さん(仮名)

  (住所:神戸市 年齢性別:78才男性 職業:無職)


 拝啓 朝夕幾分涼しくなりましたが日中は暑いので、かみひこうきの皆様もお体に気をつけて日々の活動に従事し、皆々様のお役に立ちますようお願いいたします。

 話は変わりますが、この度恐ろしい大水害のあった栃木県及び十二洲に及び犠牲になられた方々に首頭を下げて思わず両手を合わせました。田畑の損害は大きく、日本国にも大きな痛手です。思い起こしますと昭和13年の阪神大水害の時、私の実家が神戸市中央区北野町という所にあり、両親と暮らしていましたが家は泥水につかり、傾いたり、それは大変でした。その頃は戦時下で勤労奉仕にかり出されましたが、当時私は年も若く元気でした。ではまた後日。元気で活動して下さい。
(1998年9月14日)



 かみひこうきの皆々様お元気ですか。私達夫婦も鉄で囲まれた仮設の中にいるうちは、時々頭の芯が痛く弱っておりますが、これから先のため元気を出して頑張っております。
 震災に遭って一番頭にきたことは水でした。私達の6軒の文化住宅が5分も経たない内に火の海に囲まれていたその時、消防車が駆けつけてくれましたが水は一滴も出ず、いかに水が大切かを知りました。出来れば土地のある限り、今後の為貯水池を作っていただきたいと声を大にして、神戸市長にお願いしたいものです。
(1998年8月17日)



 被災から4年目、私達夫婦は平成7年1月17日、午前5時45分の阪神・淡路大震災に遭いまして、家屋は全焼し、避難所の大黒小学校(神戸市須磨区)に入り生活させてもらいました。その時、ボランティアの皆々様に助けられ、生き甲斐を覚えました。
 避難所で日常の洗濯物に困っていた時に、神戸工業高等学校の瀧川先生以下生徒の皆々様に、避難所を出るまでお世話になりました。何のお礼も出来ず、心から、神に誓うてお礼申し上げます。今もって私達の脳裏に浮かんできますいろいろな思い出……。

 私達も仮設に厄介になってはや足掛け4年、やっと永住の当地にたどり着くことが出来ました。今後は健康に注意をして長くいい人生を夫婦揃って生き抜く覚悟です。
(1998年7月11日)







吉本 俊幸さんへ届いた『かみひこうき』



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