私は震災前、灘区内に住んでいました。それなのに西、東も分からない西区の仮設に来ました。それも灘区は灘近辺、中央区は中央区近辺としていたら仮設で一人寂しく死んだ人も、死にたくはなかったでしょう。私も実感しています。知人もない、心を許す事も出来ない。ただ公営住宅が当たるのを望みに日々を送っています。
知事も市長も国も良い事は言っておりますが、一体何をしてくれたでしょうか。老人の死を待っているように思います。
私は公害喘息、C型肝炎で病院へ1時間半かけて通い、元気になろうと頑張っていますが、いつまで続くか……。
日本中のボランティアの皆様、本当にありがとう。これからも仮設住宅から一人残らず公営住宅に入居出来るまで頑張って下さい。
(1998年4月11日)