難しいけれど、とても面白い。広く、大きく物事を見て(正見)、道理に沿って自らが判断し(正思)、偏ることなく語り(正語)、自らの生活を選んでいく(正業)、それがいつの時代であっても、人間の決めた「世紀」が末であろうが、始まろうが、関わりなく「正しい真ん中の道(中道)として、それぞれが選び取るのである。
終わりよく受け取って、己自身も正しい被災者(地)と手を携えて道理に見合った支援の大道を歩みたいものだ。
(2001年1月2日)
出来ることを、出来る人が出来る範疇で…この志がどんなところにあろうとも、無理することはない。私はこの5年の被災地でのささやかな動きの中で、よく学んだことでした。主に西区内で、時に東に西に、ただただ正義の旗を勝手に押し立てて、周り(家族も含めて)にいろいろと波風を立ててきたと、自省しきりの今日この頃です。
="バラバラでいっしょ"差異(ちがい)を認める世界の発見=所属する宗教団体の年始テーマなのですが、まさにその通りだと、この5年さまざまなちがい(価値観)を千差万別に見せた、この地での支援スタイルに見てしまいます。この期になって、それらのちがいを越えてお互いに認めあうようになれたらと思いますが、どんなもんですかね。どんな形であれ、想いを寄せ集めて緩やかにやりたいものです。その歩幅に共鳴、共感する志があれば……この地のことは、私共自身でまとまる許容の範囲で声を出しあっていけばよい。
もう5年、これからが本当の正念場なんですね。21世紀がやさしい市民の暮らしを土台にした社会の再構築に向けて、お互い支えあえたら、甘えずにやっていきたいものと思っております。この世界のアジアの孤児たる国にならないためにも、神戸からの発信を続けようと思います。合掌
(2000年1月26日)
昭和ヒトケタ生まれの小生にとって、この現代都市型大震災からの2年、何よりも先ず己の生き方がどうだったのかが一番問われたことのように思います。人でなく人の間とかく、この間にこそ、ぬくもりやいとしさ、悲しさや喜びも共にすることこそ共感しあえる人間の共同体社会の原点なんだったナと思われてなりません。そのことから、この自然(天然)を資源とみなして人間社会の便利さや進歩や発展といったものへの追及に対してものの見事に破壊しつくしてしまっている現実にも大きく目を開かされました。
そしてもう人類のあくなき欲求のみにする開発や進歩の美名による欲張り合成は止めなければとも・・・。そこから自然に対する畏敬を忘れずに共に生きる存在なのだなと気付かされました。恥ずかしいことですが本当なんです。
夏を迎えようとしている時、未だ幾万という生活の基盤が破壊されたままで仮設住宅に住まざるを得ない。「すべての被災者に公的支援を!!」と今国会上程(成立)を一途に運動されている実現ネットワークに参加させてもらってお話しを聞いたりしています。地震、台風他自然災害大国のこの国に、未だこの種の「公的援助」をする法律(恒久法)がなかったことに驚くと同時に、この国の法律の運用の仕方、行方にこれからは大いに注視の目を向けなければと思うところです。そうしないと、一難ある時に安心してよりかかれる「人間の国」としての形はうまれてこないと思う今日この頃です。”批判”ご検討下さい。
”すべての被災者に”
公的援助実現ネットワーク(神戸)電話:078ー577ー8890
(1997年4月12日)
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