あの日天地がひっくり返り、多くの命が失われ、多くの涙が流され、そしてあの日から多くのことが始まった。そして私もあの日から生まれ変わったとかみひこうきに書かせて頂きましたね。阪神淡路の人々は時の区切り目として必ず「震災の前」とか「震災の後」と表現します。そう、私もそういう一人です。
いま、私は行政書士として一歩を踏み出しています。そして、奇しくも今日2006年1月17日、書士業登録の認証式を受けてまいりました。震災の経験が、法律に興味をもつきっかけになり、少しでも人様に役にたつ人間になりたいと司法書士を目指し勉強し始めました。
残念ながらいまもってその目標は達成できていませんが、行政書士として自分の目標というか夢に少しづつ近づいています。
震災から年月が経てば経つほど、記憶は薄れていく・・・それは仕方のないことですね。けれど、忘れることはできない!でしょ。
日々の生活の中で震災のことを思い出すことは少ない。いやほとんど無いかな。けれどあの日の出来事、経験は記憶の奥底に沈みこんでいる。ふとした時にゴォーーッと静かに湧いて私を引きづり込んでしまう、その感覚が今日まであきらめることなく目標に向かって突き進ませてくれたんだと思う。
目標はまだ半ば進んだくらい。人様の役にたてるのはいったい何時になるのか、情けない状況にはなっているけれど、あの日見た光景を忘れることなく、あの日流した涙をしっかりと心に刻み続けながら、一歩一歩歩いていきたい。生きてゆきたい。
かみひこうきの皆さん、いまも活動を続けて下さってありがとうございます。皆さんの明日が幸せでありますようにお祈りしています。
(2006年1月17日)
はじめまして。1995年1月17日は多くの被災者がそうであるように私にとっても大きな転機となった日でした。気ままな一人暮しを楽しんでいた自宅マンションは全壊し、現在は芦屋市に住む両親の家でくらしています。震災から早2年が経ちましたが、マンションの再建は進まず、今もって不安定な気分ですごしています。
震災直後の混乱、不自由な生活、そしてそんな中でも無我夢中で一日一日を生きていた頃のことは、今でもふとした時に思い出され涙がこぼれることもあり、私を奮い立たせる源体験にもなっています。震災に遭ったことで私は自分の生き方を考え直すことが出来ました。将来の目標も見つけることができました。
震災前の私は平日は与えられた仕事をこなし、週末は新しい服を買って、おいしい料理を食べて、旅行に行って・・・と自分中心の楽しいことに時間とお金を惜しまず費やし、それ以外のことにはあまり関心をもたないですごしていました。その後、父の死そして大震災と自分の力ではどうしようもできない出来事が重なっておこり、無力感からか自分のことばかり考えて生活することが空しく感じるようになりました。その反面、あの大混乱のなかで、みず知らずの人達が助け合い、とにかく励まし合って生きていた毎日、全国から駆けつけて支えてくれたボランティアの人達とのふれあいはそれまで経験したことのない充実した日々でした。人間ができる事などわずかなことなのだけれど、それがまわりの人にとってとても大きな力、支えになるということが実感としてわかったのです。物では得ることが出来ない、もっと大きな幸せが人とのふれあいや人の行動にあるんだと。 本当の意味で人の心の暖かさを教えてもらったのです。
そしてこんな私でも何か出来ることはないかと思うようになりました。物ではなく心に関心をもつようになりました。人ともっと関わって生きていきたいと思うようになりました。自宅マンションが全壊し、再建するにあたって住民みんなで話し合いをしました。いったいどうしていけばみんながまとまっていけるのか、どんな法律が障害になっているのか、どうすれば財産を守れるのか、どうすればまた戻ってこれるのか。自分達の無知が身にしみてわかりました。本当に何度も何度も話し合いをしました。そんななかで司法書士という職業を知りました。これだ!と思いました。家を失って自分の財産は自分で守らなければと思いました。そして自分の財産と同じようにみんなの財産も守ってあげれれば、家をなくした人達の力に少しでもなれればと思いました。
今、司法書士という目標に向かって勉強しています。震災を通してわかった人のあたたかい心を大切にして、再建したマンションに戻れる日を楽しみに暮しています。
(1997年4月5日)
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