雨宮 明子さん(仮名)

  (住所:神戸市 年齢性別:76才女性 職業:無職)


 私がここ学園都市に移ってきてから12年目になります。
 私も年老いてきました。でも1人で頑張っています。もうこの土地の人間としてやっています。自治会にも顔を出し、人の世話にならないようにしています。年3回の誕生会、毎月2回3回の清掃、気持ちよくやってます。7月末には子供達も喜ぶ夏祭り、私達もお手伝いしています。
 でも、地震についてはここの5階の方は大分大変だったらしく、下の階の方はあんまり話は聞いておりません。

 ここは大学に囲まれていい所ですが、大学も健康の事に関しては色々行事しており、民間の方も行かせてもらっています。又、市住(私達の入っている市住も)は、あちこち空いてますが、人の話ではもし地震時には、避難してくる人のために空けてあるとの事です。話に対する真実ははっきりわかりませんが……。

 早くお返事をと思いながら、この暑さ、又8月10日に2件も不幸があって、それに出席するのも大変でした。
(2007年8月22日)


 お久しぶりです。震災以来9〜10年経ちましたが、何も変わることなく元気でやっています。
 この地、西区は田舎のような所ですが、昔を思い出します。川やどんぐりも身近にあり、年をとっても自治会なり長寿会での誕生会(年3回)、案山子作り、輪投げもあり、皆頑張ってやっています。

 久しぶり三宮へ出てびっくりしました。ビルが高くなったこと、人が多くなったことに驚きです。
 私達はあれから10年経っていますから、腰や膝を悪くしている人が大勢います。それに若くありませんから、また地震になったら心配です。

 でも今は地震より核の方が怖いでしょうね。同じ人間、仲良くしてもらいたいと思います。地震も重大問題ですが、今6カ国協議や北朝鮮との協議、そちらの方が大変じゃないでしょうか。すべてよい方へ解決するよう願っています。
(2006年11月2日)


 早や阪神大震災から9年経ちましたね。17日、テレビでは1日震災のニュースでした。
 改めてみてぞっとしましたね。恐ろしいです。でもこの震災で死を免れたのが長田区で一人住まいの老婦人でした。灘区でもタンスの下敷きで10日目に発見(私の友人でした)され、淡路島では地域で救援活動し、地震後3時間位で大方の人達を救出しています。人に頼らず、自分の地域は自分達でと、人と人とのつながり、情報も密に入っていたのでしょうね。

 私達もまた地震が来るとは思いたくはありませんが、近い将来、南海地震が発生すると予告されています。マグニチュード8を超える巨大地震とか。西区でも震度4〜5強でしょう。今一人住まいですし、毎日夜になると心配します。

 神戸も美しくなりました。長田もまだ更地があり、美しくはなりましたが人が長田に帰ってこないと言われています。
 今年は申年。災いはさる、去って欲しいですね。
(2004年1月19日)


 暑い毎日が続きます。この度可愛いミニうちわを送って下さってありがとうございま した。少し涼しい気分になれたかなと思います。
 市住に入って2年目の夏祭り(8月5〜6日)、広場いっぱいにうち広げられる出店、私 も今年一年役員として市住でヨーヨー模擬店を担当しています。役員20人位で出店し ます。何でも経験、楽しみにしています。盆踊りもあります。

 今年6月までハット神戸に居た友人(90才)は、身寄りがないので急に垂水の特別養老 院に入居しました。ここから近いこともあって、月に2、3回訪ねていますが、見知ら ぬ土地に来て、食事も口に通らず嘆いていました。
 震災までは一人で借家で朗らかに 過ごしていた人だったのに、預金を預けているので引き出すときにいろいろ文句を言 われたりするそうで、そこを紹介した民生の方はいまだ一度も訪ねてこないとのこと で嘆いておられます。一日見学もなく見に来たその日に入居され、今でもハット神戸 に帰りたいとこぼしています。

 私も地域で友人を作りたいと思って9月からセンターで書道を習おうと考えています。 震災前一年位友人と習っていたのですが、友人が亡くなってしまって、また頑張って みようと思っています。
 まだまだ暑さは続きます。お体に気を付けて下さい。かしこ
(2000年8月4日)


 桜が散って、一気に初夏が訪れたようですね。かみひこうきをいつも愉しみにしています。
 罹災した人達も、今は新しい家に落ち着いてホッとしているでしょうが、一方では仕事がなくなったり、家賃の事で悩んでいて、必死で頑張っている人も多いと思います。
 私は何とか毎日幸せに過ごしていますが、5年間行方が分からない友人の事を案じていました。しかし娘が偶然出会い、電話番号だけ聞き出しました。先刻電話しましたところ、「まだ会いたくない。仕事もせず、朝から友人宅でブラブラしている」との事でした。
 罹災前は保険会社の営業主任としてばりばりやっていた方でしたが、震災直前に自宅が全焼し、義兄が生きながら焼死。残ったのは片足一つでした。そして昨年ご主人が病死し、辛い毎日だそうです。一人息子と神戸市内の復興住宅にいるようで、私は電話で「泊まりに来たら。辛いだろうけど頑張ってね」と励ましましたが、しばらくはそっとしてあげて、また友情を結んでいきたいと願っています。

 古川飛祐さんとは今も文通しております。ハーブのしおりを下さり『母の舞』という本にはさんでいますが、本を開けるといい香りがします。お写真も頂きました。また、手話を習っておられる川本恵子さんとお二人共、私の娘より若いのですがいい方で、私は幸せと感謝しています。またよろしくお願いいたします。
(2000年5月14日)


 4月に入って日増しに暖かくなってきましたね。皆様お元気でおられますか?
 市営住宅に入居して1年半、すっかりこの地の人間になりました。市住という団体の 中で清掃、バザーと、隣人と仲良く出席することにより友達も出来、市住で良かった と感謝しております。
 また、友人と足を伸ばして少し離れた所へ初めてすばらしい花見をしてきました。弁 当も何も持たず、散歩のつもりで行ったところが今まで見たこともないくらいの桜。 川の両脇に重たくしだれ桜のように垂れているのです。本当にすばらしい花見でした。
 浦嶋様とは今もお電話、文通しております。先日もまたうすばらしいちぎり絵を戴き ました。カーネーション、バラと目を楽しませてもらっています。いい香りのするし おりもあります。本好きな私には何よりもうれしいものです。

 世の中大変な事が多くなって心配ですが、善意の方も私のそばにいてくれて、幸いで す。これからも年を忘れて頑張りますので、またよろしくお願いします。
 矢萩さんもお元気で。
 追伸 ネコ(チビ)も家の中で走り回っています。
(2000年4月14日)


前略 いつもお世話になっております。
 今年の夏は暑くて、元気な私でもうんざりでした。全国あちこち大雨で大変だったで しょうが、此方はジメジメした暑さ、仮設から少しの間民間住宅に入った方は、「エアコ ン無しで扇風機の風は熱風。シャワーをしても駄目で毎日気が狂いそうだった」と言っ ていました。昨日の雨で少し涼しいかなと思いますが、それでもまだまだ暑いです。

 さて、古川さんからのメッセージ、ありがとうございました。住所は控えておりませ んが、仮設で色々なことを勉強させていただきました。はり絵、ちぎり絵をコープの ボランティアの方がいろいろ教えて下さいましたので今家の中は賑わっております。 地域の総会でコーラスの練習もしておりますので、あまり暇がありません。 家は2階なので猫は下に降りられず、寝てばかりで可哀想です。
 浦島様が田舎だけど一度いらしてくださいと言って下さっていますが、交通の便がわ からなくて、神戸しか知らない私には行くのにとても不安で迷っています。都会より 田舎が好きな私ですが、一度は行ってみたいと思っています。またよろしければ古川さん の住所をお知らせ下さい。文通させていただきたいと思います。矢萩様、またついで の時にこちらへいらして下さい。
(1999年9月19日)


 市住に入居して早や6ヶ月、季節も春まっただ中、心もうきうきしてきます。ここ学園から少し歩けば田んぼもまだありますし、この間もつくしを見つけうれしさ一ぱい、少しもってかえってよもぎなどと天ぷらにしました。
 山育ちの私には何よりもの幸せを見つけたような感じでした。又仮設にいた時交流のあった浦島様がこの3月22日、突然奈良からこられたのです。
 ちぎり絵を通じ仲良しになった方です。私より年輩でしたが、明るくて、初めて会った方とも思えないほど話もはずみ、今度私が奈良へいく約束もしました。ボランティアの方がいてくれたなればこそ、ここまでお友達になれたのでしょうね。ありがとうございました。
 4、18日には、仮設にいた人の同窓会、今からたのしみにまっています。
 又、このようすをお知らせしたいと思っておりますのでよろしく。
(1999年4月2日)


  前略 過日、市住の方へ来て下さった方は矢萩さんでいらっしゃいますか?。猫の好きな方で「猫どうしてます?」と尋ねて下さったんですが、押入に隠れてしまってすみませんでした。後で大きくなったところを見てもらったらと後悔しました。また、浦嶋さんのちぎり絵も持ってきていただいて本当に有り難うございました。うれしくて、2月の作品をお送りしましたところ、お雛様、アジサイ、野草2枚、すばらしいのを送って来て下さいました。震災を通じてこんないい友人が出来るなんて、「かみひこうき」の方々にとても感謝しております。

 元居た仮設では4、18日に駅前のホールで一年に一度の同窓会をしようとの案が出ています。太鼓や踊りの方も来るし、模擬店もするとの事。仮設を出た友人に連絡しているところです。
 こちらは寒いようで暖かい所です。暖房もカーペットで事足りますし、猫も窓際で日向ぼっこしています。3月の声も聞き、もうすぐ春が来ます。孫も一人立ちして就職で東京の方へ行きます。皆成長していく今、私も精神的に成長しなくてはと思う毎日ですし、毎日忙しい日々で充実しています。体だけは気を付けて頑張っています。また、お便りさせていただきますのでよろしく。
 まだ寒い日もありますので、お体に気を付けて下さいませ。
(1999年3月1日)


   先刻のお手紙、有り難うございます。正月3日も過ぎて正月気分を抜いて、又頑張らねばと思っています。
 今日も仮設にいた友人から電話があり、一緒に生活していた友人5人、料理の上手な80歳のAさん、又仲居さんをしておられ料理も出来るTさんと猫2匹同居のHさん、会話の好きな○○さん、気の合った友人同士料理を持ち寄って茶話会をしようと話し合っているのでと、私にも誘いがありました。
 もちろん出席します。だから震災によって、本当にいい友人が出来たと思っています。又文通していた中学3年の女の子は短大や大学に入学してもお手紙をくれます。孫と同じように可愛い子達です。
(1999年1月20日)


 新年おめでとうございます。いつも「かみひこうき」を送ってくださってありがとうございます。震災以来、落ち着いて正月を迎えることができました。
 家も広く、日照りもよく何も言うこともないほど、今は幸せです。お世話になった方々にお礼申し上げます。仮設から近いとあって友人もいますし、市のボランティアの方も来られますので市の講演会を聴きに行ったり、地域の老人会に今年から入ってみようと思っています。未だ仮設住宅に残っていられる方のことを思うと、喜んでばかりいられませんが、今年5月ごろで皆出られることと聞いていますので、元気でがんばってほしいと思っています。
 家が広くなったので、今年、嫁2人、孫4人婿1人で、今度、私の家で焼き肉パーティーをします。嬉しくもありますが、疲れるので嬉しい悲鳴を上げています。
 こうしてお手紙を書かせていただくこともストレス解消法で、すごく感謝しております。また、お便りさせていただきますが、寒くなりますので、皆さまお元気でがんばってください。よろしく。 (1999年1月2日)


 台風が去って朝夕めっきり涼しくなりましたが、いつもかみひこうき有り難うございます。

 仮設から引っ越して1ヶ月、何とか落ち着きました。ネコのチビも連れてきまして大分慣れたようです。この市住では一匹のネコも飼っている方がおられないようですので、十分気をつけています。外に行けないのが可哀想で、夜ベランダに連れ出して息抜きさせています。孫(23歳)と一緒ですので3部屋あり、台所も10畳くらいあって神戸市の方に感謝しております。
 1ヶ月ぶりに仮設へ行ってきました。残った方も来年3月頃までに、大部分出られるそうです。帰りに畑で取れたサツマイモ(大きいので直径10cmもあり、重たかったですが)をいただき嬉しかったです。その下さった方も10月9日に兵庫区の方に移転(11年9月に市住に入りますが、まだ家ができていないので今入居しても再移転となるでしょう)されます。でも、お付き合いはずっとしていくつもりです。いい方だから……。
 私は今、仮設から車で10分くらいの所にいますので、12月の餅つきも自治会長さんから遊びに来るよう言われています。最後の餅つきも愉しみたいと思っています。今年は仮設の畑でミニトマト、ししとう、南瓜がすごく豊富に取れ、食べきれないほど出来たそうです。

 これから寒くなりますので、皆さん体に気をつけて頑張って下さい。皆様によろしく。
(1998年10月20日)


 暑中御見舞有り難うございます。お陰様で元気でやっていますが本当に暑い毎日ですね。千葉の奴賀末子様にもよろしくお伝え下さいませ。前にちぎり絵を送って下さった浦島三四様に私も習ったばかりのハリ絵をお礼にと送らせてもらいましたが、その直後、コスモスの花、秋の花の2枚のちぎり絵を台をつけて送ってきて下さいました。
 私もこの8月中か9月上旬には市住にはいる事ができますので送ってきて下さったと感謝しております。まだ来年までここにいられる方もいますし私もこの暑さは今年の夏だけです。もう一日もう一日とがんばっています。人は一人では生きていけない。仮設での2年間、助けられ励まし合いながらここまできました。いい思い出をみなさん有り難うございました。これから市住に入れば、うれしい反面、生活面、人間関係で大変になると思いますが、がんばりますので、皆様によろしくお伝え下さい。
 浦島さんには電話でお礼とお話しが出来ましたのでよかったです。
(1998年8月12日)


 震災4年目の夏、もうこの一夏我慢すれば私達も復興住宅に入れると思います。この仮設も3分の1ぐらいの人が残っていると思います。寒さより暑さの方が大変ですが、目の前に住宅が待っていると思うと希望がわいてきます。
 私の友人も2人3人と市営住宅に当たって出て行かれます。新築では皆、満足しておられる方が多いですが、一面寂しいとおっしゃる人もいます。私は、仮設でボランティアの方に教えていただいた貼り絵を友人に差し上げています。ほんのささやかな気持ちで玄関に飾ってもらっています。自分で作るのも楽しいけど、人からいただくのもすごくうれしいですもの。

 週末ボランティアの方も来て下さいますし、体も元気ですし、何も言うことは今ありません。ただ、この夏を元気で乗り切っていくことだけです。
 全国のボランティアの方々、いつもいつも遠方から来て下さってご苦労さまです。皆様によろしくお伝え下さい。
(1998年6月2日)


 前略 櫻花咲き希望の春が訪れてまいりましたが、久しぶり又お便りいたします。
 仮設にいても私達の所はセンターで色々行事があって、私も積極的に出ていきお手伝いさせてもらってますので、毎日が忙しく、幸せと思って感謝しております。
 今度神戸の明石大橋の開通日にもある方のはからいで当日夕方見物させて戴きました。又4、5日前に岐阜県の山間の医学生(20歳前後)が来て下さいました。ボランティアとして各戸を訪問、いろいろ相談にものって下さり、書食も用意してもらい(材料は医学生、調理は私達仮設の婦人)、後ゲームを愉しみました。仮設にいればこそと思っています。この4月にも市住、県住にいかれる人もいます。でも私は、仮設にいる間、住めば都で空気もいい。隣、近所ともすぐ声かけられる仮設は好きです。後、もう少しの間です。愉しい思い出をいっぱい作っておきたいと思う毎日です。私も一応、身体障害者です。一人住んでいると不安もあります。でも一匹のネコが、不安も解消してくれますし、私もまだまだ年とって体は少ししんどいけど、夢ももっていますし、震災で亡くなった友人(タンスの下敷になりました)の分まで元気で長生きしなくてはと健康にも気をつけがんばっています。
 かみひこうきの方、本当に有難うございます。皆様によろしく、お伝え下さい。
(1998年4月25日)


 震災3年目、私には仮設で2年目の冬、やっと落ち着き仮設になじめるようになりました。2年間いろいろな事がありました。つらい事、楽しい事……。8月の暑さには苦労しました。家にいるより外へ出ている方が涼しかった。でもこれも市営住宅に入れば、なつかしい思い出としての残るでしょう、仮設に入ればこそ出来たこと。

 千葉県の高2の学生さん、長野の中学2年の学生さんとの交流、大勢の方に来てもらってのボランティアの餅つき、普通に味わえない素晴らしい、楽しいひとときでした。今も5人の学生さんと文通があります。多くの人と交わる中で、素晴らしい友人も出来ました。何よりも私の宝と思っています。

 これからが本格的な寒さ、たまに来る子供達もここは底冷えすると言います。カーペットも敷き、ストーブもある私。備え付けのコタツ暖房の方もおられます。それを思えば寒いと言えませんし……。春の来るまで元気でがんばります。

 新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 新年早々、ちぎり絵本当にうれしく戴きました。浦島様からと思いますが、私ははり絵やちぎり絵を見ていると心がなごみます。よろしくお伝え下さい。住所がわかれば教えて下さいませんか。お願いいたします。
(1998年1月12日)


 前略、あれから早3年。私も仮設生活1年余りになりました。

 幸いにもこの仮設は素晴らしい自治会長さんのおかげで住み良いところで感謝しておりますが、永住ではなく仮設では、やはり将来が案じられます。今度、もし市住に当たれば、嬉しい反面、金銭面で悩むでしょう。今の年金では家賃出せば一銭も余裕がなくなるのでは。仕事も少しはしたい。でもここでは通勤だけで疲れるでしょう。精一杯頑張るつもりです。病気にもなれない、家の保証もしてくれない国、政府の無能に憤りを感じますが、楽天的な私にはのんきが一番でしょう。

 センターで、体操、気功、手作りに読書に明るく頑張っていきます。
(1997年9月24日)


 大震災から3回目の春、私には入居以来始めての春です。

 都会を離れて静かな所です。仮設が2つあってふれあいセンターも一緒に使用していますが、自治会長さんや役員の方が皆良い方ばかり。そのお陰で月1回ボランティアの方によるはり絵教室、コープ神戸の方と一緒にする手作り教室に参加しています。出来た作品がふえるにつれ、わが家のなかも華やかになってきました。

 人との交流が人生にとってすごく勉強になります。ボランティアの方が全国から来て下さる。福岡から名古屋からやって来て下さり、夜は持ってきた寝袋で睡眠をとられるとか。私達の方が布団で寝ている。本当にご苦労様、お礼の言いようもありません。

こうしてボランティアの方の献身に比べて今の政府はどうでしょうか?このあいだも国会議員全員一致の採択でJR無料乗車証が出来たとのこと。きっと公用ばかりで使うのではないでしょう。議員として給料をもらいながらもです。私達は今、市営住宅に申し込みをして当たれば永住できる住宅に入れます。しかしそれも入居するとき、敷金、湯沸かし器、電燈傘等最低30万円くらいはいるでしょう。仕事もない私達はそれも悩みのたねです。国会議員さんにはそんな痛みもわからないんでしょうね。

でも私達はがんばって生きます。自分の力で残された第3の人生を有意義に生きます。
(1997年4月2日)









雨宮 明子さんへ届いた『かみひこうき』



1.馬場雅裕(OLIVES LEAF NETWORK)さん

 雨宮明子さん、初めまして、名古屋に住む、馬場といいます。今、ボランティアを自分に出来る範囲ですがやっています、名古屋からも友達が行っていますよ、もしかして会っているかも?寝袋で寝ることもあるようですが、でも、みなさんの笑顔を見 ていると、それが活力になるんですよ、はい。
 何か政府のことを心配されているようですが、大阪の方で、公的支援を国会に通すという動きが起こっています、はい、名 古屋の僕が入っている団体も動き始めているんですよ、みんな頑張ってやっています、どうぞ、有意義な第三の人生をお過ごし下さい。陰ながら応援しています。
(1997年5月5日)

2.永田雅人(Wally)さん

 初めまして、私は阪神・淡路大震災でボランティアの世界に迷い込んだ者です。あれから年に3回程神戸に出かけています。
 毎回出かける度に、神戸の移り変わりと変わらぬものを感じて関東に戻っています。
 本来変わらなければならないものが変わらなくて、変わらないで欲しいものが変わってしまう・・・このもどかしさを感じながらも、私はまだまだ皆さんと語ったり遊んだり、時にはイベントを起こしたりしたいと思います。
 ですから、今後ともども「遠くの隣人」としてよろしくお願い致します。
(1997年11月18日)

3.古川飛祐さん

 こんにちは。1997年4月から、1998年1月の、かみひこうきを拝見しました。体操、気功、手作り、読書、いろいろやっていらっしゃるのですね。手作りの作品は、どんな物を作っていらっしゃるのですか?どうか、これからもお体を大切にして、第3の人生を送ってください。私も負けずに頑張ります。
 ここまで書いたところで、今年の4月までのかみひこうきも読みました。私も、田んぼが近いところに住んでいます。春は、野の花や、よもぎなどの姿に出会うのが、何より楽しみです。猫も一緒なんですね。御友人も多く、すてきですね。なごやかな雰囲気が、文面から伝わります。皆さんの御健康を祈ります。
(1999年8月21日)

4.川本恵子さん(仮名:神戸市)

 こんばんは。始めまして。。。あれから、5年ということで、数日前から今日まで、テレビの特別番組が多く放送されておりました。そのお蔭で「かみひこうき」さんのホームページを知りました。
 私も東灘区深江で震災に会いまして、今は灘区に住んでおりますが、長かったような、短かったような、この5年でありました。
 私の娘は産まれつきの知的障害児で、出産と同時に医者から宣告を受けました。母親として、なかなか立ち直れずにおりましたが、やっと、なんとか、物事を肯定的に考えられるようになった矢先の震災でした。震災当時、娘は三歳でした。
 いろんな事がありましたが、先日、満8歳の誕生日を元気に迎えることが出来ました。知的な能力の遅れは勿論、身体も弱いですし、手術などもありますが、それでも彼女の精一杯生きている姿を見て、親というより、人間として学ぶことが多くあります。
 娘の成長を目にする時、無事に生きてこられたことを感謝せざるを得ません。「命」という目には見えないけれども、この世で一番大切なものをこれからも、「宝物」として、大事にしていきたいと思っております。
 皆様も、この宝物を大切に・・・・精一杯良い人生を歩き続けられますように。。。。寒さが厳しくなってきます。何卒ご自愛下さいますよう。。。心より願っております。
(2000年1月17日)



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