仲田 遼子(仮名)さん

  (住所:神戸市 年齢性別:87才女性 職業:無職)


 ご無沙汰し、申し訳ありません。私如きを何時も心にかけて戴き、有難うございます。皆様もお変わりございませんか。

 年月の経つのは早いもので一月二十八日になれば、満八十七才になります。先日お便り戴きまして、有難うございました。早速お返事をと思い乍ら、丁度その時分に体に不調がありまして、寝付いていたもの ですから、遅れてしまい、申し訳ありません。2,3日位前からやっと起きてぼちぼちしている今日この頃です。

 私は若い頃から二度も結婚しているのにどうやら子供が出来ない身体らしいです。それは先生にも言われ ました。現在は義理の子供だけれど、小さい頃から育てて来たものですから、お蔭様で今は実の子供の様に二人の男の子が良くやさしくしてくれます。大変感謝している今日この頃です。此の頃は長男と二人でよく一緒に歩きます。

 思い返せば月日の経つのは早いもので、又一つ年を取らねばなりませんね。お互いにいやですね。
 これからはますます寒くなりますから、皆様におかれましてもどうぞお風邪など引かれませぬ様ご注意戴き まして、お元気で良いお正月をお迎えになれます様、心よりお祈り申し上げます。

 まずいお手紙ですが何卒お許し下さいませ。どうぞお身体だけはお大切に。 又ね。
(2003年2月15日)


 お返事が遅れてしまい、申し訳ありません。実は昔のお友達から電話があり、3日ほどお邪魔してきました。そのお友達は子供もなく、主人に先立たれ一人暮らしなものですから淋しかったのでしょう、ちょいちょい電話はあるのです。私より20歳若いし生活も裕福なのですが、足が悪くてずっと病院通いをしています。若くても色々と悩みもあるのでしょうね。

 私も相変わらずですが、色々の話を聞いて誰でもそれぞれ思うことがあるのだなぁと悟りました。そして私の気持ちが間違っていたことにも気が付きました。若くても年寄りでも色々悩みを持っているのだなぁと悟りました。年寄りやからと思って悪病に取り憑かれたのですが、そんな悪病に負けるかという気持ちになりました。これからは気を強く持って、こんな病気に負けないよう頑張る心積もりです。

 そして浦嶋様より度々のちぎり絵を頂き、心より厚く厚く御礼申し上げます。以前はびわのちぎり絵、今度はお馬さん、それぞれ可愛く上手に出来ています。立派です。早速いつもいつも座っている食卓の前の壁に貼らして頂き、ずっと眺めています。お部屋が引き立ちます。有り難うございます。
 私も若い頃は手芸が好きで、色々とよくしたものです。今思えばその時代が懐かしいです。顔も知らない浦嶋様よりいつもいつも親切にして頂き、お礼のしようもありません。本当に本当に心より感謝致します。時節柄お身体を大切に。有り難うございました。
(2002年2月16日)


 何時もお尋ねいただきありがとうございます。毎日暑いですね。お返事が遅れてしまいました。気になりながら体が不調の為、申し訳ありません。

 というのは他でもありませんが、この頃物忘れがひどく、気分もすぐれず、病院で頭の検査をしてもらったところ、脳梗塞と言われ、余計に落ち込んでしまって、自分でも嫌になっている今日この頃です。まあ年が年ですから仕方はないのですが、もう生きてる事がかえって辛い位な思いです。

 何の楽しみもなく、只憂鬱な気持ちばかりで、好きな踊りでもしたらちょっとは気がまぎれるだろうと思い、着物から帯、下着、履物までそろえたのに、さあ今度は覚えられず、それが又ひとつ苦になっているのです。

 8月5日夜7時から盆踊りがあり、気晴らしに参加しました。少しはお稽古もしましたが、まあ若い頃したものですから、なんとかついて踊れました。7時から約2時間ほど踊りっぱなしで、すごく疲れましたけど、まあ久しぶりに若返った気持ちになり、楽しかったです。でも年を取るという事はこんなにも辛いものかとつくづく考える今日この頃です。
 84歳です。乱筆にて御免くださいませ。
(2001年8月7日)


 何時も何時もご親切に尋ねていただきありがとうございます。この度は浦島様より結構なちぎり絵を頂き、お部屋に飾らせていただいています。またほかにも浦島様から頂いたと思うのが今のところ3枚飾ってあります。

 私も手芸は好きです。でもこの年になったら気持ちばかりで仕方ありません。それに年のせいか物忘れがひどくなり、考えなくて良いことを考えて、憂鬱になってしまいます。これではいけないと思いなおして、昔習った踊りでもしたらちょっとは気持ちも晴れるだろうと踊りの衣装から履物まで一切買い揃えてやっと習いかけたのに、今度は足がふらつき、頭の方もばかになって覚えられず、またこれも今のところ悩みの種になっています。

 この間踊りのアルバムを開いてみたら、団体踊りのものはいっぱいあるのですが一人 踊りのものは一枚だけでしたので、早速焼き増しをしてきました。お恥ずかしいのですが、浦島様によろしければお渡し下さいませ。あと一枚はおついでの時で結構ですから、お返し願います。この寫眞は55才〜56才位だったと思います。遠い所の浦島様にお世話になりおやさしい言葉を頂き、また寺崎様をはじめ上杉様にもご親切なお言葉を頂き、皆々様には大変感謝しております。本当に本当にありがとうございました。宜しくお伝え下さいませ。

 いくらがんばってみても年ですね。年には勝てませんね。つくづく考える今日この頃 です。遠いところですが、こちらのほうへお越しの節は、おかまいも出来ませんが、一度お立ち寄りくださいませ。お元気なお顔を見せてくださいませ。何時も何時もお世話になりっぱなしで申し訳ありません。ありがとうございます。どうぞお体に気をつけてくださいませ。
(2001年5月24日)


前略 この度は、見ず知らずのお方様より御厚情ある お言葉、又、結構なちぎり絵をお送り頂戴き、本当に 有難うございました。
 私はお手紙を読んでいる内に涙が出て、泣きながら 読ませて戴きました。 なんて心温かなお人も居られるのだなとつくづく感激致しま した。
 広い世間、考えれば自分さえ良ければという人が 多い中、貴方様をはじめボランティアのお方様、 現在私が住んでいる所でも、集会所のボランティア さんをはじめ他の人達から助けて戴いております。 有難うございます。
 私も今年で84才になりました。 持病も有りますし、医者通いをしております。又、 用事にとよく出掛けておりますので、お返事が遅れて しまい、申し訳ありません。

 考えれば、あの震災で何もかもなくしてしまい、裸 一貫になりましたけれど、何とか主人のお陰、遺族 年金で細々と生かして戴いております。主人が亡く なり、早33年の法事も去年12月にさせて戴きまし た。時々憂鬱な時もありますが、これではいけないと 思い返し、若い頃習った舞踊を始めかけています。 もう年ですから覚えも悪くなりましたし、出来るか どうか解りませんが、気持を切り替えて頑張ろうと 思っている現在です。
 仮設時代から何時もご親切に訪ねて戴き、本当に 有難うございます。そしてびわのちぎり絵、上手に 作っておられますね。可愛いから早速お部屋に 飾らせて戴いています。私も若い頃は手芸が好きで 紙人形の本を買い、それで勉強して沢山作り、部屋 一杯に飾っていました。ご近所の奥様方にも教えて いました。

 何時もご親切な貴方様をはじめ、知らないお人様の 有難いお言葉、贈り物、本当に有難うございます。 どうぞ皆様に宜しくお伝え下さいませ。
 末筆ながら、本当に有難うございました。
(2001年3月15日)


 前略 仮設時代から今日迄長い間、何時も御親切におたずね頂き、本当に心より厚く御礼申し上げます。 仮設で丸三年、新居に来てそろそろ丸二年が来ます。今思えば、仮設時代がなつかしく思へます。
 あの頃は、家賃もいらなかったし、共益費もいらないし、光熱費と食費だけの生活でしたから、私のような遺族年金者の少ない収入でも何とか好き候に生活が出来ましたから、結構楽しく暮らさして戴きました。
 でも、此方はそうはいきません。何もかも便利良く出来てるだけに、光熱費、食事、全般的に高いです。今の所は、家賃は六千三百円、共益費が二百円と、六千五百円、次の事は初めからの規則ですから仕方はないのですが、この間市の方から、平成十一年中の収入を調べる用紙が来ました。早速、年金の葉書をコピーしてきて、それを送りました。

 さあ、これからは大変です。来年三月からのことですが、基本料金が三万三千円、共益費で三万五千円、それに看護保険、国保(光熱費、食事のほうも高いし)、私のような少ない年金生活者にはちょっと荷が重過ぎるのではないでしょうか。
 来年からのことを考えれば、悩みの種です。私は現在八十三才です。そろそろお迎えの時期も近づいています。震災で何もかも一切なくしてしまった哀れな一人暮らしの老女です。何とか安心して生活が出来る位のお家賃に、考えて欲しいと願うのみです。こんな御無理なことをお願いするのは、図々しいとは思うのですが、此れが私の最後のお願いです。

追伸、今の所では、信頼出来るお友達が二、三人出来まして、大変心丈夫で楽しく暮らして居ります。ご安心下さいませ。
(2000年8月10日)


 新年あけましておめでとうございます。

 何時もご親切に訪ねて戴き、本当に有り難うございます。先日は家にまで来て戴き、おもてなしも出来ませず申し訳ありませんでした。お陰様で、私は今何も不足はありません。良きお友達も出来、それに解らぬ事は色々と教えて下さるお方がおります。同じ住宅のF様が良くして下さって、色々と教えて戴き、本当に恵まれています。仮設にいる時も、丁度今のF様のような方がご近所に居られて大変お世話になり、本当にお陰様で幸せと何時も感謝している今日この頃です。

 こんな新しい結構なお家に住まわせて戴き、狭いながらも楽しい我が家として、毎日を感謝の気持ちで暮らさせて戴いてます。私も今思えば、若い頃は9歳と6歳の義理の男の子を終戦の翌年から育ててきました。上の子はもう定年も過ぎ、下の子もあと2年もすれば定年ですけれど、下の息子夫婦がとても良くしてくれますので、それも救われてます。皆様に助けて戴き、本当に私は恵まれていると思い、心から感謝をして、今が最高の幸せを感じて暮らさせて戴いてます。
 私は1月生まれですので、今年は83歳です。でも心が明るければ、体もお陰様で今のところは元気です。今は本当に何も不足はありません。最高です。
 かみひこうきの皆々様、お忙しい中、何卒ご無理をなさいませぬよう、末筆ながらお祈り申し上げます。
(2000年1月10日)


 新年あけましておめでとうございます。

 仮設に居る時は度々お訪ね戴いてつまらぬ愚痴や解らぬ事を話して、それを嫌な顔もせず真剣に聞き、又解らぬ時は教えて戴き、本当によく真心でお付き合いをして戴き本当に有り難うございました。感謝しております。
 お陰様で昨年11月26日此方へ引っ越す事が出来ました。数えれば早今日で1ヶ月半にもなろうとしています。引っ越しから変わってからの片付けから一人でして来たものですから、今頃になってやっと疲れが出てきたようです。薬局で薬を買いましたがそれでも駄目ですので医者へ行ったりして、この頃やっと元の体に戻りつつありますので、こうしてかみひこうきを書かせて戴いてます。

 仮設では時候の暑さ寒さが身に沁みましたけれど、此方はちゃんとした建物ですから、家の中に居る限りその寒さも気になりません。スキマ風が入らないだけに、そしてお隣さんの物音一つも聞こえず、本当にその点有り難いです。忙しいながらも新しい家で、大変に楽しい我が家です。この家が私の最後の場所と思い、まあまあ一日でも遠慮なく楽しく暮らさして戴く心算で、何事にも頑張りながら無理をせずやっていこうと思っています。有り難い安住の家です。
 それに引き替え、まだお友達が仮設にある程度残っています。人が少なくなり、寂しく又怖い事もあると思います。そんな人達を思う時、私は心より感謝しております。又その人達の為にも祈っています。

 いつも拙いお手紙で恥ずかしいですが、これが本当の私の気持ちです。どうぞよろしく、ボランティアさんも此方へついでがあるようでしたら、是非お立ち寄り下さいませ。
 色々と有り難うございました。皆様もどうぞ無理をなさらず元気でお顔を見せて下さいませ。有り難うございました。
(1999年1月8日)


 私は9年9月の募集にて、西神井吹台1丁目の市営住宅が当りました。そして10年の10月末迄の引越となりました。もうすぐですけれど、引越につきましては種々と、出費がかさみます。其のことでちょっとおたずねしたいのですが、あっちこっちから耳にしますのに、私の家は全壊です。それなのに、私は81歳の1人ものです。国民保険をかけて全くの1人で生活しています。でも、私のような人でも100万の内から25万引かれて、手取り75万とかきいていますが、これは一体どう云うことですか。私には全く理解が出来ません。こんな話しは本当なのでしょうか。最初、請願には全壊者の高齢者には500万とか云ってましたが、だんだん4年目が来ると云うのに、支援金がへる一方です。この大震災には全国的に知られていること、其の遠い親せきの方達、種々と助けて戴いた方達にこんな時にこそ、せめて心許りのお礼もしたい気持ちで居ります。それにこれから先は短いですけれど、何時迄生きて、どんな大きな病気をして、沢山のお金を必要として死んで行くのかと考えると、気もゆううつになる一方です。もっと上位のおえらいさん達、私達の此のみじめな気持ちをお察しの上、此の度の支援金を、これ以上へらさないよう切に切にお願い申し上げます。

 私の現在居る仮設では、沢山の人が出て行きまして、今は残っている人達はかぞえる位です。ちょっとでも早く皆さんが思う所へ落ち着かれるよう、おえらいさん方、此の淋しい気持ちを解って、1日も早く安心の出来ますようお願いします。
(1998年8月)



 おえらいさんに申し上げます。

 貴方達は裕福な生活をしておられるからこの被災者のみじめさを理解できかねると思いますが、若い者ならともかく、私たちのように80才を越えた人がたくさんいます。そして仮設住まい。その都度、住宅を申し込んでもなかなか当たらず、上級の方たちと交流のある方や、高収入の方たちが当たって、次々と出て行きます。残ったものは私たちのような弱者です。そんな矛盾さに腹が立ちます。

 人間ならばもっと温かい気持ちで公平な抽選をして下さい。次に支援金のことですが、私たちのこの惨めさをよくご理解いただき、せめて申請の半分たりともいただけるよう、努力下さいませ。お願いします。
(1997年7月12日)









仲田 遼子さんへ届いた『かみひこうき』



1.永田雅人(Wally)さん

 初めまして、私は阪神・淡路大震災でボランティアの世界に迷い込んだ者です。あれから年に3回程神戸に出かけています。
 毎回出かける度に、神戸の移り変わりと変わらぬものを感じて関東に戻っています。
 本来変わらなければならないものが変わらなくて、変わらないで欲しいものが変わってしまう・・・このもどかしさを感じながらも、私はまだまだ皆さんと語ったり遊んだり、時にはイベントを起こしたりしたいと思います。
 ですから、今後ともども「遠くの隣人」としてよろしくお願い致します。
(1997年11月18日)

2.古川飛祐(埼玉県)さん

 昨年8月のお手紙で10月に引っ越されるとのことでした。その後、いかがお過ごしでしょうか。80年生きてこられ、この国を支えて下さった仲田さんのような方こそ、安心して暮らせるよう国が力を注ぐべきです。「ちょっとでも早く皆さんが思うところへ落ち着かれるよう」私も毎日祈っています。そして、これからは毎日、仲田さんのことを考えていきます。お体を大切にして下さい。
(1999年6月21日)

3.浦嶋三四さん

 はじめまして。ちぎり絵のお礼の手紙「かみひこうき」の方から送って頂きました。
 裸一貫になられたそうで、さぞ大変だった事と存じます。舞踊を習われ、紙人形も作ってご近所の奥様方に教えておられたそうで、下手なちぎり絵でさぞ笑って下さった事でしょう。ほんとに失礼しました。家が近ければ、紙人形教えて頂けますのにね。
 どうぞ御身くれぐれもお気を付けて下さい。ほんとにお手紙ありがとうございました。
(2001年5月8日)

4.浦嶋三四さん

 お手紙と美しい写真をお送り下さいまして、ありがとうございました。
 お礼を言って頂けるようなちぎり絵でもありません。何の習い事もせず、ただ年を重ねただけでお恥ずかしい限りです。
 若い頃、踊りを習われて良かったですね。踊れたら老人ホームとかへ慰問に行けたり、うらやましい限りです。せっかく衣装も揃えられたのですもの、頑張って又踊って下さい。年には勝てないと言っておられますが、続けていかれたら思い出しもするでしょう。前向きに生きて下さい。努力されたら憂鬱も吹っ飛んでしまうように思います。
 梅雨に入ったといいながら、良い天気が続いております。明日から梅雨空になるそうです。くれぐれも御身大切にご自愛下さい。
 とりとめもない乱文乱筆で失礼します。かしこ
(2001年6月12日)

5.浦嶋三四さん

 お手紙ありがとうございました。
 生きている間、誰でも少々の悩みはあると思います。その悩みに負けていたら淋しい人生になると思います。その悩みに負けないで強く生きていけば楽しい人生も開けるのではないでしょうか。悪病に憑かれたとおっしゃっていますが、どんな病気でしょうか。どうぞ病気に負けないで、頑張って早く元気になって下さい。
 馬のちぎり絵を貼って眺めて下さっているとか。赤い牛は健康祈願、厄除けだそうです。これから暖かくなってきます。どうぞ御身御自愛下さいませ。かしこ
(2002年3月12日)


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