被災された方へ 飛んでゆけっ!


全国から寄せられた被災者へのお手紙です。

1997年1998年1999年2000年2001年

1.西川 裕美(仮名:広島市)さん

 被災者の方々、お元気でおすごしですか?

 報道では神戸の復興がクローズアップされていますが、その一方でご不自由な生 活を続けておられる方、心の傷をかかえた方が沢山おられることと思います。毎日 のめまぐるしい動きの中で、あんなに大きな震災も第三者には記憶がうすれていっ てしまうことも残酷だけれど事実です。

 第三者からのお願いと言ってはなんですが、どうぞそのご体験をいつまでも私達 に発信し続けて下さい。皆さんの声によって震災の恐ろしさ、今後の対応点そして 人間の強さ、私達にできることなど探してゆきたいと思います。

 神戸の皆さんの逆境にも負けぬ強さ、明るさにふれる度、感動しています。皆さ んのお姿に励まされている者がたくさんいることをどうぞ忘れないで下さい。
(1997年5月30日)



2.安岡 まいこさん

 こんにちは。私は中学3年の安岡 まいこといいます。
 大阪の兵庫県に近いところに住んでいるので、私も神戸のかたほどではありませ んが、阪神大震災の被害をうけました。
 今日の朝、読売新聞を読んでこのホームページのことを知り、励ましのメールが 1通しかない、とあったので、送ることにしました。
 今は中学生なので金銭的な援助はできませんが、ちょっとでも元気が出てくれた らうれしいです。
 もちろん、おとなになって自分で稼げるようになったら、お金とかを送って、援 助するつもりです。
 これからも被災者の方々のために頑張ってください。応援しています!
(1997年12月14日)

3.山元 良華(大阪市北区)さん

 12/13(土)付、読売新聞、夕刊で「飛べかみひこうき」の記事を読んでお 手紙を書きました。
 私は、27才で、大阪に母と二人で暮らしています。
 今年の始めから、病気でずっと自宅で療養生活を送っています。
 一時は、あまりの病状のひどさに、”早く死んでしまいたい”とばかり考えて、 毎日過ごしていました。
 でも、今は、日々回復にむかい、なんとか、気持ちも前向きになってきています 。
 「阪神大震災」で被害にあわれた方々は、本当に辛い気持ちで心に深く傷をうけ ていると思います。
 私も自分の事のように胸が痛みます。
 同封しました、神戸のA少年の事件の記事の中で、とても印象に残った言葉があ ります。
 「どのような、運命が巡り来ようとも、自分自身の財産に変えよ・・・」
 言葉で言うのは、簡単ですが、私自身、悲観ばかりして「死」ばかりを考えてい た自分を反省し、今、与えられた自分の人生を生命あるかぎり、大切に生きてゆこ うと思います。
 「阪神大震災」の事を教訓にして、もう一度、生命の大切さ、生きることの意味 を、みつめなおしていきたいと思います。
 追伸:ささやかなものですが、テレホンカード、お役立て下さいませ。被災地で ボランティア活動をされている皆様、お体に気をつけてこれからもがんばって下さ い!
(1997年12月14日)

4.吉田 晶子(大阪府豊能郡)さん

 12/13の読売新聞の夕刊を拝見しました。
 インターネットへの返事が一通だけというのを読んで、すぐにこのハガキを書い ています。
 私の住んでいる、川西市北部と隣接する街では、大震災のとき、1〜2ヶ月ガス が止まる程度のことでしたが、その朝の今までに感じたことのない程の大きな揺れ と恐怖は、忘れられません。
 短大時代は、大好きな神戸で過ごしたこともあり、ガレキの残る三宮を訪れた時 、そして今でも、傾いたままの家などを見ると涙があふれてきます。
 復興は進んでいるようですが、個人の復興は、大変にむずかしいことだと思いま す。
 でも、大切な命を絶つことを考えないで下さい!
 あの震災で生きてきたすばらしい命です!!
 メリー・クリスマス!幸せが訪れますように!
(1997年12月15日)

5.田中 有紀子(大阪府摂津市)さん

 初めまして。私は現在2児の母をしています。
 地震の時は、まだ長男克弥が1才になって10日ほどたった時でした。
 何となくゆれているので目があき、そこからは、食器棚から食器がおち、割れる 音や本棚の本が落ちる音の恐怖でした。
 とっさにネコ(コテツ メス の事です)が、私のふとんの中でいるのがわかり 少し安心で、ゆれがおさまり、主人とあまりの恐怖にそろりと起き上り部屋がちら かったのをゆっくり片ずけました。
 幸いあの地震のゆれにもビクともせずねていた克弥だけがすくいです。
 あの後、約3か月間位は精神的にショックと恐怖心で毎日が疑心暗鬼でしたが、 今はあの時がうその様に毎日を元気にすごしています。
 今、思い出しても、はずかしいのですが、ボランティアの人達みたいに何にもお 手伝いできなかった事、ただ、TVを見て大変なんだと思った事と同時に、私はあ まりにも無力すぎるのではと思い知らされました。
 今は、あの時、何にもできなかったので、いつかだれかのためにしてあげれる事 ができたらと思い骨髄のドナーに登録したり、街角で献血したりしています。
 《仮設で夜になると心細くて、地震で死んでいればこんなつらい目にあわなくて もよいのにと思います。六十七歳女性》←たぶんこの方だけではなく被災地のみな さんは本当につらい日々の中、時間だけが過ぎてた事と思います。
 確かに死んでしまえば、何も思わなくて今を感じる事はないでしょう。
 でも、生きていると言う事は、季節や色々な事を目や耳で肌で感じて、死んでし まった人たちの分もがんばって生きてあげなければいけないのではないのでしょう か。
 私は昔、つきあってた人と別れたショックで自殺して死んでもいいと思い手首を 切りました。
 死ぬなんてこわくないそれが私の本心だと思っていましたが、いざ、右手にカッ ターナイフを持つとこわくて、それでも泣きながら何か所も手首に傷をつけました 。
 痛いのにあまりにも傷があさいので血も少ししか出なくて、本当に死ねるのか? 不安で今度こそと深く傷つけましたが、けっきょく、少し傷が残っただけでした。
 目に見える傷は時間と共に消えましたが、心の傷はずっと残っていました。
 そんな時にある人が、「親にもらった体は絶対自分で傷つけてはいけないよ。親 は傷つけるためにその体を子供にあげたのではないから!」と言われ、その日以来 私の中で、前を向いて生きて行こうと決まりました。
 今現在は、長男克弥も幼稚園へ元気に行っています。次男恭平はやんちゃで、ネ コのしっぽを引っぱったり、悪さばかりしています。
 今、つらい事は、毎月の家計が苦しい事ですが、つらいつらいと泣いていても、 にこにこ笑っていても同じ1日ならにこにこ元気に笑ってすごそうと思っています 。
 六十七歳女性の方へ、「がんばって下さい。」としか言えませんが私のこの汚い 字と文章で、少しでも心の傷がいやされたらと思います。
 もし、時間がありましたら、返事が返ってくるのを楽しみに待たせていただきた いと思います。
 《六十七歳女性》の文章は12/13(土)読売新聞夕刊にのっていたものです 。
(1997年12月15日) 

6.上村 一男(仮名)さん

 昨年の12月13日(土)の読売新聞夕刊の記事を拝見して、私の様な者でも何かの お手伝いが出来ないものかと、今日まで考えておりまし た。

 人を励ませる立場に自分があるのかどうか、人の事を思う前に自分の問題にもっと もっと情熱を注がなくてはいけないのではないか、何度も自問を繰り返して来まし たが、やはりどうしても阪神大震災の記事や告知を見ると、居ても立ってもおられ なくなり、この手紙を書く事にしました。

 まず最初に、今私の置かれている状況からお話しなくてはいけないと思います。 少し長くなるかも知れませんが、これも被災者の皆さんへの励ましのメッセージと して受け取ってもらえたら幸福です。

 私は今、大阪拘置所に収監されております。昨年の6月23日からです。 丁度今日で200日目となります。

 平成6年10月まで大阪府高槻市で商売をしておりましたが、様々な要因から、最 後は不渡りを出して潰れてしまいました。現在36才、当時33才。商売を始めて 9年目のことでした。その際の金銭的なトラブルで、私のやったことが詐欺罪になるとされ、取り調べを受け、被疑者とされたのが平成6 年11月22日でした。妻と2人の子供たちと4人で自宅を追われ、商売をしてい た時のお客さんのお家に居候させてもらうことになりました。
 居候先は大阪府枚方市でしたが、そこであの平成7年1月17日を迎えたのです。 そこの家は京阪電車の沿線で、建ててわずか2年の3階建住宅だったのですが、3階部分で寝ていた私 達は地鳴りと共に地下から突き上げるような振動に飛び起き、子供2人を守ってやるのが精一杯でした。
 神戸の方にしてみれば、大阪での強震など大したことはないと思われるかもしれま せんが、やはり生まれて初めて経験する縦揺れに恐怖を感じたのは同様だと思いま す。
 私達の寝ていた部屋はもちろん、2階のキッチンなどは悲惨な状況でした。 これは説明するまでもありませんが、大人4人が1日掛かりで片付けても間に合わ ないくらいでした。ご近所でも古いアパートの屋根や壁が崩れ落ち、救急車や消防車もかなり走り廻っ ていたようです。

 数十分後、テレビで映された映像は私達家族が最も愛した街・神戸の信じられない 姿でした。その後もテレビやラジオから流れてくる情報に私自身がとまどい、何がどうなって しまったのかさえ見失ってしまいそうでした。宝塚の友人や芦屋の知人に連絡を取ろうにも、どうにもできない時間が刻一刻と過 ぎていきました。

 私達家族がいつ頃から神戸を好きになったかは、平成4年頃から自分の商売がかな り怪しくなってきて、連日の金策に追われ、身も心も疲れ切っていたころ、子供た ちと過ごせる貴重な時間を、お金のことから離れた場所で、たとえ一時でもいいか ら笑顔でいられたらと思いました。
 大阪ではまず無理でしたし、私の生まれ育った京都も知人が多くてだめでした。 そこで何年か前に一度だけ行って、誰にも会うことのなかった王子動物園に行くこ とにし、夕方までのほんの一時を子供たちの笑顔を見ながら過ごすことができまし た。
 その頃の私の商売は明日のことも分からなくなっていた状態でしたので、「少しで も長い時間を気兼ねしなくてよい土地で過ごしたい」。もうそのことしか頭になく なりだして、銀行の当座の心配をしなくてよい日は、ことごとく神戸に足を向ける こととなりました。

 最初は動物園から新神戸オーパぐらいがせいぜいでしたが、回を重ねて道が分かっ てくると、三宮の商業地帯、市役所展望室、東遊園地、元町商店街、生田神社、ト アロード、メリケンパーク、ポートタワー、出来たばかりのハーバーランド、湊川 神社、メトロ神戸、新開地商店街、新鮮市場、須磨海浜水族園、須磨海岸、須磨離 宮公園、須磨浦山頂遊園、須磨海づり公園、明石の展望タワーと西へ延び、東はポ ートアイランドの北公園、中公園、南公園、青少年科学館、エキゾチックタウン、 六甲アイランド、ウエストコースト、ファッションマート、両洋公園、マリンパー ク、アオイヤ、グルメポット、北と北西は名谷須磨パティオ、総合運動公園、GS 神戸、コスモスの丘、学園都市キャンパススクエア、流通科学大学祭、西神南サリ オ、アリバシティ、西神中央プレンティ、西神中央公園、高塚公園、グリコピア、農業公園ワイン城、フルーツ フラワーパーク、しあわせの村、西鈴蘭台駅前。
 戻って新神戸から布引ハーブ園、布引の滝各所、ビーナスブリッジ、再度山公園、 外人墓地、北野異人館など、挙げればきりがないくらい神戸の隅々まで訪ね、行く ところ全てが好きになってしまいました。

 いつかは神戸で暮らしたいと思い出したのも、この苦しい時期でした。 しかし、現実は厳しく、不渡りを出した以降は取り調べと半拘束状態の生活で、先のことも全く見えない日々が続きました。 そんな中でのあの震災は私の人生観を根底から覆す出来事だったのです。
 私は居候先の人にも、自分の家族にも黙って、原付バイクで水と食料品を積めるだ け積んで、震災から2日後の朝、出発しました。道路が寸断されていることを聞いていたので、能勢の山を越えて川西の方へ出よう としました。
 約4時間掛かって宝塚の友人宅へ着き、顔を見てお互い安心し、芦屋へと向かいま した。その途中で見た街並は現実の世界とは思えない光景でした。一瞬、来なければと思いかけたのも事実です。 宝塚から西宮の山を抜け、2号線に出た時には、もうこの世の出来事では無い、目 を覆いたくなる様な場面ばかりで、自然と涙が出て止まりませんでした。 両手に廃屋から持ち出した荷物とリュックを背負ってゾロゾロ歩く皆さんの姿は終 戦直後の日本の焼け野原を想像させる程悲惨なものでした。
 2号線は車も殆ど動かず、緊急車輌さえも立ち往生するありさまで、道路沿いの木造民家はことごとく崩壊し ていました。43号線に出ると、今度はそこを横切るのに恐怖を感じてしまい、他の皆と同じ様 に私も頭上の阪神高速が崩れてこないことを祈りながら渡ったものです。
 結局芦屋の知人は避難していたらしく、会うことは出来ませんでしたが、中層マン ションの上階の方でしたので、そこへ昇るのがまた怖く感じて仕方ありませんでし た。芦屋の潮見町という所なのですが、その付近もかなりのダメージを受け、道路もあらゆる所で波 を打った様に盛り上がり、寸断されていました。
 その潮見町から43号線に出た所が精道町といって、何度か映像にも出ました精道 小学校がある所です。何も出来ない私がそこに立ち寄り、救援物資の配食などを手伝わせて頂き、死の渕 から難を逃れて助かった人々の顔を見ていると、自分の置かれている「被疑者」と いう立場を忘れて、何とか力になりたい、こんな私に出来ることは無いのか、と自 分の無力さを改めて思い知らされました。
 寝袋も何も持たない私は、冷静に考え直し、枚方へ帰路をとりました。 帰りは約5時間かかったと記憶しています。

 その翌日からもテレビからは阪神地区の私達家族の思い出を一杯作ってくれた場所 の見るも無残な姿ばかりが映し出され、心を痛める日々が過ぎていきました。
 私はいつ拘束されてもおかしくない立場でしたので、一日一日を家族と有意義に過 ごしたいと思う反面、どんな形でもいいから出来ることは無いかと思案した末、一 番身近なボランティアと書かれていたポスターに導かれ、献血ルームへ通うように なりました。平成7年は何とか制限限度一杯の25回分の献血をすることが出来ました。 その間にも家族との別れ、連日の取り調べ、身体の不調、そして居場所が無くなり 、軽自動車での生活が半年以上続き、捜査当局からの生殺し状態での半拘束生活に 疲れ果て、何度神戸の海に飛び込んでしまおうと思ったでしょう。

 それでもラジオや新聞で知る神戸の情報を張り合いに、自分が一番苦しいのでは無 い。私は家族を守るために最後まで頑張って商売を続け大きな損害は与えてしまったけ れど、悪いこと、犯罪になるようなことをした憶えはない。 どうしても守りたいものがあったから、こういう結果になってしまった。 でも被災地の人達は何の落ち度も無いのにあんな目にあって苦しんでおられる。 自分はまだまだ頑張れるはずだ。
 こんなことで負けたら、これから先、大切な家族を守っていける訳がない。 車の中で中々寝付けない時も毎夜この想いで生き延びて来ました。

 私は今すでに5回の公判を終え、春ごろには刑が確定します。 幸い家族とも意志の疎通が取れ、「出所するまで待っている」と言ってくれます。 そして又、必ず4人で神戸へ行こう、何も出来ないかも知れないけど、「どうせお 金を使うなら、神戸で使おう」。そう家族で話しています。
 私がここに入所してからも妻と子供たちは、神戸の街を訪れて、私に様子を手紙で 送ってくれます。

 今の私の立場で偉そうなことは何も言えないのですが、社会復帰したら、その時点 でまだ仮設住宅があるのなら、週末訪問ボランティアでもいいから、私達家族が最 も愛する街で寂しい、つらい想いをしている方々に、少しでも励ましの言葉が掛け られる様に今を頑張りぬこうと心に誓っています。

 本当に話が回りくどくなってしまいましたが、私が一番いいたいのは、神戸の街を 愛し続け、何とか力になりたいと思っている人間が私以外に沢山居るということを 今、寂しい生活を送っている方々に知ってもらいたいのです。
 震災後3年を迎える前にどうしても伝えたかった思いです。 私の様な立場の人間でも人を、街を愛することは出来るのです。 私も今は本当に苦しくつらい毎日ですが、神戸がある限り、負ける気はしません。
必ずみんな一緒に復活、復興、復帰しましょう。 待っていて下さい。

 自分が一番つらいと思ってしまったら、下しか向かない人間になってしまいます。 神戸の街で生活していることを幸せに感じて下さい。私達家族にとって、それが一番の夢なのですから。

 長々と関係の無い話までしてしまい、本当にすみませんでした。 もっともっとお話したいこともあるのですが、枚数に制限もありますので、今日は これで失礼します。
 乱文、乱筆、誤字、脱字お許し下さい。
(1998年1月8日)



7.渡辺 久美子さん

 東京都にすむ者です。
 公的支援のために活動しているかたがたがいらっしゃる事をテレビで知りました。震 災後3年目、東京の人達は、毎日の生活に追われて(それはどこでも同じだと思いますが)、あの日の事を忘れようとしています。私 も、仮説の人達の現状などをテレビや新聞で知るまでは、よく解っていませんでしたし、今も解っていないと思います。
 政府は、いつも弱いものは無視し、よりひどい状況に陥れるのが平気である(仮設に住むお年寄りの医療費も均等にあがるのでしょう)、そして強い 者、利害のあるものには援助を行いより強くする(同じ公的資金を余力のある銀行にまでつぎこむ)、このような事がいつまで続くの でしょうか。これは、神戸だけの問題ではありません。
 東京だって、いつ大震災が起きるかわかりません。この際、きちんと危機管理と支援 の骨格だけでも作っておくことは、当然と思います。とはいっても神戸は遠く、集会や活動にはなかなか参加できないでしょうが、たとえ ば国会前で座り込みでもする時には参加したいです。
(1998年1月27日)

8.久保田 佳子(仮名・秋田市)さん

 被災者の方の苦しみと比べられませんが、私自身辛いことが度々おこり、それを乗り 越えてきたことの一つである、以下の気持ちをメッセージにして送ります。

 日々の生活の中で、ささやかな、ほんのちょっとでも"うれしいこと・喜び"を感じた なら、その素直に感じたままの気持ちを大切に、心にとめてください。
 たくさんの犠牲になった方々、尊い命を失った方々のためにも、その方々の分も、そ して何よりも自分のためにがんばって生きてほしいと思います。
(1998年1月27日)



9.高野淑子&松尾未来(ブラジル)さん

わたしたちは、サンパウロ日本人学校の6年生です。
皆さん、お元気ですか。
日本の地震のことは新聞で読みました。
大きなビルや橋が倒れていて、びっくりしました。
まだまだ大変でしょうが、これからもがんばってください。
(1998年1月30日)

10.古川飛祐(埼玉県)さん

 初めてお便りさせていただきます。朝日新聞の平成10年1月24日付に載っていた「かみひこうき」についての記事を読みました。いまだ仮設住宅で暮らす方々にとって、頼もしい活動だと思います。声を託す場所があり、受け手もそれによって現状を知ることができます。インターネットなら、広範囲の人々が遠方からでも参加することができるでしょう。私はインターネットはやらないので、こうして手紙を書いています。
 2年ほど続けていた仮設住宅の方への手紙を出す「文通ボランティア」がこのほど終了し、次に何ができるのかと毎日自分に問いかけていました。文通の相手の方を通して、ずっと神戸を見つめてきました。歌が好きなので、いろいろな歌手が想いは一様に、被災者の方々への励ましを込めて作った曲を、カラオケで常に歌ってきました。聴いている友の心に、少しでも響けばと。

 新聞に載った分への感想を書かせていただきます。

 "飲食店経営女性(81)"の方へ
 「一日一日をすごさせてもらっている」というお気持ち、考え方はすばらしいと思います。さみしいお心、お察しいたします。今日から毎日、お店の繁盛と御健康を祈らせていただきます。街の再開発にほんの少しでも役に立てることはないか、探していきます。

 "無職女性(81)"の方へ
 3年間、どれほど御苦労なさったことでしょう。車の音も人の声もあまり聞こえない――そこまでのさみしさとは知らず、恥ずかしく申し訳ない思いです。書くことが何より好きな私の手紙を、こういうところへこそ届けられたら、と真剣に考えました。せめて、少しでもこの気持ちを伝えられたら、と「かみひこうき」へ想いを託します。元のお住まいへの懐かしさ、公営住宅への入居の難しさ、その上での「がんばって生きていきます」というお言葉に励まされました。御健康を心からお祈りいたします。

 "自営業男性(25)"の方へ
 全ての人に伝えたいようなメッセージです。私は今まで「自分には何ができるのか」と考えてばかりで、自分の思いやわずかながらボランティアに携わった経験などを周りに伝えようとはしませんでした。まず私にできるのは、神戸を見つめる自分の気持ちを、できるだけ多くの人に伝えることだと気づきました。ありがとうございます。若々しい力に満ちたお言葉は、大勢の若者の心に届くことでしょう。私も努力します。御健康をお祈りいたします。

 "自営業男性(46)"の方へ
 「カッコよく飛び越えなくてもハードルを倒してでも乗り越えていく」こんなに強く確かな決意を私は知りません。ハードルの存在を感じると同時に、逃げ出すことを繰り返してきた自分をようやく恥ずかしく思うようになりましたが、この言葉で完全に目が覚めました。もう逃げません。倒してでも進んでいく、本当の勇気を教わりました。逃げている場合ではありません…自分ではどうすることもできないハードルを抱えている方々に対し、行政などの面で私にもできることがないか探し、見つけたら力を惜しまずにやっていきます。人生で大切なことを教えていただきました。どうもありがとうございました。御恩は決して忘れれません。私はずっと神戸のことを考えていきます。

 ――以上、失礼なところがなければ、それぞれの方に伝えていただければ幸いです。実際に足を運んで、この目で見て、耳で聞いて、被災地のお役に立てたら、と思いながらままならず今日まで過ごしております。皆さんの活動を知ることができて幸いでした。インターネットに興味のある友人がいたら、そちらのアドレスを紹介しようと思います。
 これからも順調に活動が続くよう、お祈りしています。それでは寒い日々ですので、皆さんお体に気をつけてお過ごし下さい。
 (1998年2月1日)



11.福本有希(東京都)さん

 私は東京に住む16歳高校1年生です。震災発生以来被災地と、震災のことについて強い関心をもってきたつもりですが、神戸の皆さんの意見を聞くと自分がまだどれだけ未熟者かを思い知らされるような気がします。

 私は神奈川のある進学校に通っていますが正直なところ今震災のことに対して何かしよう、又忘れずにずっと見つめていこうという人は皆無だと言っていいと思います。私だって偉そうなことを言える分際ではありませんが、最近の若者は、自分が生きていくのに最低限必要な周りの事にしか、関心がないようです。そんな若者たちがこれから社会に出て社会を動かしていくようになったら、日本は、そして神戸はどうなるでしょう。何とかしなくてはと一人もがく毎日です。

 いろいろと考えてはみるもののどうにもお動き出せなかった私も,遅ばせながら、今度3月に神戸のほうへ”勉強”に、行くことにしました。私の学校の理数科の生徒の必修になっている”課題研究”なるもので震災のことについて扱うことにし、そのためもあってこれからはもっと積極的に神戸と向き合っていきたいと思っています。神戸には3月の20日あたりにいくつもりです。どなたかこのわがままな私に直接お話を聞かせてくださる方がいらしゃいましたら、是非ご連絡ください。文通してくださる方もいらっしゃるとうれしいです。
 (1998年2月12日)



12.山口道子(東京都)さん

 はじめてお便りいたします。

 朝日新聞で、ホームページ「かみひこうき」のことを知りました。
 私はインターネットができませんので、こうして手紙を書いています。
 阪神大震災から三年、神戸は建て物などはめざましく復興していても、まだまだ 人々は頑張り続けていること、復興から取り残されている方もいること、孤独死が 190人もいること、などを知り、心が痛みます。
 そして、ボランティアとして今も活動している方々がいることも知りました。

 私は、東京に住む四十八歳の主婦です。
 私のような者でもボランティアとしてお役にたてることがあれば、と思います。
 春休みか、夏休みでしたら、一週間ほど家をあけて神戸に行くことができる、と 思います。
(1998年1月27日)



13.山崎雅子(東京都)さん

 ボランティアの皆様

 先日、朝日新聞で「かみひこうき」の活動を知り、早速ホームページに載ってい る被災者の方々の声や、励ましのお便りを読ませていただきました。
 パソコンは初歩中の初歩で、Eメールの送受信ぐらいしかできませんので、取り あえず、この手紙を書くことにしました。
 皆様のような若い方々が、根気よくこのような地味なボランティアを続けておら れることに本当に頭が下がります。
 私も何かお手伝いをと思うのですが、体力、金力に欠けますので、せめて、手紙 を書くことでお許し下さい。

 さて、被災者の方々のお便りを読ませていただいて、涙が止まりませんでした。
 身内を亡くされた方、一人寂しく暮らされている方、それらを乗り越えて勇気を 持って声を挙げられた方など、それぞれに心の痛みもいろいろですが、特にお年寄 りの方のことが気にかかります。
 「かみひこうき」に声を寄せられた方にはお便りが届くことがあると思いますの で、同封の手紙は、それすらも難しい方にお渡しいただけたら幸いに存じます。

 寒さ厳しき折、皆様にはくれぐれも御自愛下さいますよう。
 かしこ
(1998年1月27日)



14.石塚陽子(東京都)さん

 拝啓 突然のお手紙で失礼いたします。

 先日、朝日新聞紙上で、ホームページ「かみひこうき」についての記事を目にしま した。
 仮設住宅で孤独のうちに亡くなられるお年を召した方々のことなどを新聞等で知る たび、なにか私にもできることはないだろうかと思うのですが、東京からでは仮設 住宅を訪問するにも遠すぎて、きっかけがないまま過ごしておりました。

 このたび、ホームページ「かみひこうき」の記事を読むうち、訪問するかわりに手 紙のやりとりで、仮設住宅に暮らす方と交流できないだろうかと考えるようになり ました。私自身はパソコンを持っていませんので、インターネット上のホームページを見る ことはなかなかできません(職場にはあるのですが)。
 仮設住宅に一人で暮らしていらっしゃるお知り合いの方などで、文通して下さると いう方がもしいらっしゃいましたら、ご紹介いただきたくて筆をとりました。  突然のお願いで申し訳ございません。お忙しいこととは存じますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。 敬具
(1998年1月27日)



15.手塚孝子(栃木県)さん

 拝啓 1月24日付の朝日新聞の記事を読みました。

 震災から3年が過ぎて、特に1月中は各TV局でいろいろな特集も組まれていたよ うです。それらをひとつひとつ見たわけではありませんが、正直風化しているかなって思わ ないわけではありません。同じ人として、これってやっぱり悲しいですね。
 私自身、そんなに偉そうなことを言うつもりもないし、実際ボランティアをやった わけもないのですが、それでもまだ震災の問題は片付いていないと思っています。

 仮設住宅に取り残されている人たちのことが、やっぱり気がかりですよね。 立ち直って公営住宅に移られたりした人は、それはそれで立派だと思います。 でも、だからって仮設に残っている人がどうのって言うのは、やっぱり違っている と思うんです。
 市の郊外の公営住宅に空きがかなりあるという点についてもそうです。 どこかに出かけるにも、車に乗れなくて公共機関でしか移動できない人が、バスが 1時間に1本しか通らないような、そんな住まいをどうして選択できますか?
 私も車に乗れない身なので、その辺は理解できるつもりです。 誰だって好きで残っているわけではないと思うんです。 だから弱者となってしまった人たちを決して非難してはいけないと思います。

 「がんばって」といわれるのも、つらいかもしれませんね。 でも希望を持ちつづけて過ごして欲しいと願っております。
(1998年1月27日)



16.伊藤美加(山梨県)さん

 前略 朝日新聞を読みFAXしました。

 常日頃、神戸の方々への何か支援ができないかと思いつつ、震災当時の募金・物資送付以来、何の力にもなっていない私ですが、公的資金援助の必要性を強く望み、一日も早い真の意味の復興を願って止みません。
 特に高齢者の方々の孤独死、介護をする方々の心労……。考えると自分の毎日もつらくなります。ただ政府への怒り、神戸の方々への支援をどうやったらよいか、いつもいつもどうすることもできず、という繰り返しで、おそらく私のような気持ちの人々がどんなに多くいるか知れません。この世の中、おかしいと思います。2万4千人もの仮設の方々をよそに、必要のない川に河口堰を作る予算として1千億もの大金を投じたり、悪いことをした金融機関の援助に巨額の公的資金を使ったり、ああ…書けば書くほど悲しくなります。

 主人とも近々休みを取って神戸に赴いて、一度現地の方と接してみたいと思っております。もしこのFAXをお読みになり、私にもできることがございましたなら、お手数でもご一報いただければと思い、ペンをとりました。
 勝手な乱文乱筆で本当に申し訳ございません。皆様の活動、そして心意気に感心し、私の日頃の思いをお伝えしたかったので。またFAXさせていただきます。
(1998年1月27日)



17.新井亜樹子(埼玉県)さん

 1月24日の朝日新聞を読みました。私は実は阪神大震災の方達は、もうほとんど直っていて、みんな幸せに暮らしているのでは?と思っていました。でもこの記事と他の日の記事を読んで、改めて「今もなお苦しんでいる人達がいる!」ということがわかりました。その時、私はとても失礼というか、そんな気持ちがしました。

 記事の中の被災者の声が書いてある中で、"自分では一生懸命頑張っているつもりでも、飛び越えていくべきハードルが日増しに高くなっている""何とかしてこの高いハードルを越えないことにはどうしようもない。カッコよく飛べなくてもハードルを倒してでも乗り越えていくつもりです!"この言葉が私の心にすごく強く響きました。私は今中学3年生で、2月に受験・面接があります。被災者の方から見れば小さなハードルですが、私にとって大きなハードルです。今、そのハードルを乗り越えようとしています。こわいです。テストなどでは安全校なのですが、本番どうなるか心配で、気が散ってしまうこともありました。でも"カッコよく飛べなくてもハードルを倒してでも乗り越えていくつもりです!"。今、まさにそんな気持ちです。私は被災者の方々から励まされました。今度は私が励ます番です。

 暗い夜の後には必ず朝が来ます。また夜が来てしまったからといって怖がらないで下さい。また朝が来るのですから……。
 今どん底だとしても、きっと今によいことがあります。悪いことの後には必ずいいことが来ます。信じて下さい。それから、これからもがんばって下さい!。埼玉からエールを送ります!。私もがんばりますから神戸の方々もがんばって下さい!!。
(1998年1月27日)



18.川村美代子(アメリカ)さん

はじめまして。川村と申します。

 私は今、主人の仕事の関係で海外に滞在しております。
 日本を離れて生活するようになってから、今まで以上に日本の事に関心を持つようになり、数日後れで届く日本の新聞に毎日目を通しております。

 「かみひこうき」を知ったのはそんな中で読んだ新聞の記事からでした。被災地の多くが復興されてきていると言われている中で、今も尚仮設住宅で生活され、皆さんが様々な思いで毎日を過ごされている事を知り、何とも言えぬ思いがいたしました。
 「さびしい」「孤独」「死にたい」....そのような言葉がとても強烈に私の心に突き刺さりました。しかし、その一方でご高齢の方々の「これからがんばって生きていきます」という言葉にとても力強さを感じ、何だか私の日々の生活までもが励まされているような思いがいました。
 私がこうして感じた事を、家族や友人、周囲の人達に知ってもらえるよう話していこうと思っています。

 励ますどころか励まされてしまったような手紙になってしまいましたが、今私が感じている事です。
 どうぞ皆さんお元気にお過ごしください。
(1998年2月17日)



19.浦嶋三四(奈良県)さん

 1月17日で震災から4年。テレビで3月には皆仮設を出られるとの事と聞いておりましたのに、未だに仮設で寒い冬を過ごされている方々もいらっしゃることを知りました。仮設は夏は暑く、冬はとっても寒いと聞いております。風邪も流行しているし、病気の人とか一人暮らしの方々にとっては、辛い冬ですね。

 世間も不況の波で、何かと暮らしにくい世の中になってきています。弱者の人々に力を与えて下さる政治家を選んで、世の中を少しでも変えていかなければと思います。私達も政治に無知でなく勉強をし、選ばなくてはならないとつくづく思います。

 厳しい冬を越されたら、春が来ます。どうぞ皆様には希望を持って日々元気で暮らして行かれますよう、又御身くれぐれも御自愛下さいますよう、お祈りしております。かしこ
(1999年1月25日)

20.浦嶋三四(奈良県)さん

 桜井さんが下手なちぎり絵でも大変喜んでいただき、涙が出ました。きっと震災で何もかも無くされたからでしょうね。何かお役に立てたらと思いますが、何もできません。ただ難病としか分かりませんが、たった一人で闘病生活を送っておられるとの事、ほんとに大変でしょうね。月に二、三度息子さんと会われるとの事、それが希望で明るく元気でお暮らしでしょうね。どうぞ勇気を出して前向きに過ごして下さい。としか書けませんでした。下手な手紙、読んでいただければ幸いです。
 雨宮さんからはいつも丁寧なお手紙をいただき、良いお友達となりまるで妹が出来たようです。ほんとに一度お会いしたいと思っています。
 村上さんは電話をかけても通じず、ハガキを出しても何の音沙汰もありませんので心配しております。
 下手なちぎり絵を送ったばかりに、お忙しいのに届けていただいて、返ってお世話をかけてしまいました。何卒今後ともよろしくお願いします。
 どうぞ皆さんには御身大切にお過ごし下さい。かしこ
(1999年3月16日)

21.古川飛祐(埼玉県)さん

村上智恵さんへ
 ボランティアに出られているとのこと、御苦労様です。これまで、本当に辛い思いをされてきましたね。お体の具合はいかがですか?。これから良いことがたくさん起こるよう、お祈りしています。私にできることとして、まず手紙をこうして書いています。この世に必要とされている村上さん、遠くの私と一緒に生きていきましょう。

南加寿子さんへ
 4月のお手紙を読みました。一人暮らしの寂しさ、少しは想像できるつもりでおります。お体の具合はいかがですか。できるだけ回復され、落ち着いて暮らされることを願って止みません。大切な大切な南さん、またお話ししましょう。

八木かず子さんへ
 昨年12月のお手紙を読みました。「神戸一市民のことを忘れないで下さい」この声に多くの人が応えると思いますよ。みんな、そちらのことを真剣に考えています。私のように、一歩ずつ歩み出す人が全国にいます。新聞に載った「かみひこうき」の案内を大勢が目にしたでしょう。震災は忘れられてはいません。全ての人が安心して暮らせる日が来るまで、忘れることは許されません。どうか、お体を大事になさって下さい。息子さんが安定したお仕事に就けますように。

仲田遼子さんへ
 昨年8月のお手紙で10月に引っ越されるとのことでした。その後、いかがお過ごしでしょうか。80年生きてこられ、この国を支えて下さった仲田さんのような方こそ、安心して暮らせるよう国が力を注ぐべきです。「ちょっとでも早く皆さんが思うところへ落ち着かれるよう」私も毎日祈っています。そして、これからは毎日、仲田さんのことを考えていきます。お体を大切にして下さい。

徳山芳江さんへ
 一昨年8月26日付のお手紙、読ませていただきました。お体の具合はいかがですか?。神戸へ行く時には、お店に寄らせていただきます。その日がとても楽しみです。元のお店も50年間やってらしたとのこと、すぱらしいですね。たこ焼き、かき氷、駄菓子…これからもお元気で続けられることを心からお祈りしています。

桜井義信さんへ
 2月、3月のお手紙を読みました。腰の具合はいかがですか?。ヘルニアの痛みは、祖母や友人から聞いています。大変な人生を送ってこられましたね。私は次の時代の子供達のため、生きていこうと思っています。桜井さんのお子さんも、私の宝物となりました。「この世は人間が作った世の中、人間が何とか頑張り全国民が一人一人全国につながる」本当にその通りですね。
 夏の夜 生きる証を 筆に見る

竹上登美子さんへ
 1年前、5月5日のお手紙を読ませていただきました。政府の人が目にしていたら、と切に願います。まず、私の心には届きました。この輪をもっともっと広げるよう努力します。ご健康を心より祈ります。

隅谷由紀夫さんへ
 昨年5月5日付のお手紙、読ませていただきました。1年が経ちましたが、お体はいかがですか?。「元気で働くことができれば、死にものぐるいで働くのに」というお気持ち、痛い程良く分かります。私に一体何ができるのか?。まずはこうして手紙を寄せることから始めようと思いました。隅谷さんを思う人間が一人増えたことを、どうか覚えていて下さい。

(1999年6月20,21日)

22.古川飛祐(埼玉県)さん

田川陽子さんへ
 お体の具合はいかがですか?。病院代は本当に大変だと思います。必要なところにこそお金が回り、人々の目が向くよう私にできる限りのことをします。国の補償は当然です。真の助け合いを目指して頑張ります。

岩本良夫さんへ
 昨年3月に転居先をお探しでしたが、見つかりましたか?。落ち着いて暮らせることと、ご健康を心からお祈りします。

大内誠・昌子さんへ
 お体の具合はいかがですか?。お兄さまが相次いで亡くなられたこと、至らない行政、お金ばかりの世の中、どんなにか不安でいらっしゃるでしょう。お気持ち、本当によく分かります。私にできることを精一杯やっていきます。また、お便りさせて下さい。

松沢聡子さんへ
 お仕事ご苦労様です。色々な人との出会いもあれば、悲しいお別れを残念に思うこともありますね。私にもそんな別れがあります。お体に気を付けて下さい。一緒に生きましょう。

橋上勉さんへ
 電気工事のお仕事ご苦労様です。新しいお宅には、もう落ち着かれましたか?。橋上さんのエネルギーには、私も励まされます。どうかこれからもお元気で働かれますように。負けずに頑張ります。

松井重敏さんへ
 仮設住宅の不便さや医療費の増額について、国は思いやりがありません。私にできる限りのことをしていきます。ご健康を心からお祈りします。

(1999年7月14日)

23.古川飛祐(埼玉県)さん

西岡泰三さんへ
 こんにちは。1997年5月7日のかみひこうき、拝見しました。私には何ができるのか分からないのですが、とにかく、こうしてかみひこうきを読み、メッセージを送り、それを続けていくつもりです。こういう、誰もが見られる形で、皆さんの声が集まれば、そこから、様々な動きとなって、全国へ広がっていくと思います。お体を大切になさってください。

大森ヨシ子さんへ
 こんにちは。1997年4月、9月のかみひこうきを拝見しました。お体の具合はいかがですか?医療費が上がったこと、本当に困ったものです。住宅についても、私が「現実に合っていない」と感じるのですから、被災された方々には、声にならない声がたくさんあるのでしょう。私がかみひこうきを読んだように、この輪は今も広がっているはずです。これから毎日、大森さんを想って、生きていきます。またお話ししましょう。

佐治守さんへ
 こんにちは。1997年4月、10月のかみひこうきを拝見しました。皆さんの心の叫びを、私や、多くの人達が、かみひこうきにより、聞き、メッセージを返すことができます。そこから、かけがえのない絆が生まれていきます。佐治さんの声も、これからたくさん聞かせてください。そして、どうぞお体を大切になさってください。

高山忠士さんへ
 こんにちは。1997年4月12日のかみひこうき、拝見しました。人の間と書いて人間、この間が表すものこそ共感し合って生きる姿、本当にそうですね。ぬくもり、いとしさ、悲しさ、喜び、そして自然。ネットワークへの参加も、御苦労様です。お体を大切になさってください。人間であるために大事なことをこれからも伝えていってください。

雨宮明子さんへ
 こんにちは。1997年4月から、1998年1月の、かみひこうきを拝見しました。体操、気功、手作り、読書、いろいろやっていらっしゃるのですね。手作りの作品は、どんな物を作っていらっしゃるのですか?どうか、これからもお体を大切にして、第3の人生を送ってください。私も負けずに頑張ります。
 ここまで書いたところで、今年の4月までのかみひこうきも読みました。私も、田んぼが近いところに住んでいます。春は、野の花や、よもぎなどの姿に出会うのが、何より楽しみです。猫も一緒なんですね。御友人も多く、すてきですね。なごやかな雰囲気が、文面から伝わります。皆さんの御健康を祈ります。

川辺文代さんへ
 こんにちは。1997年8月30日のかみひこうきを拝見しました。多くの人が同じように 読んでいればと思います。私も皆の目が神戸へ向くよう努力します。国民あっての国、 と全ての政治家が考え実行する日を目指して。御健康を心より祈ります。

野本一雄さんへ
 こんにちは。1997年7月31日のかみひこうきを拝見しました。60〜70才の年齢の人達 は本当に困っていることがたくさんあると思うと考えておられる野本さんは優しい方 ですね。建物のことばかり言っても本当の復興にはならない。暖かみ、思いやりのあ る人達との生活が大切とおっしゃる野本さんご自身、暖かみにあふれています。そこ に人々が集まり、穏やかに暮らされることを、心から願います。お体を大切にして下 さい。

沢田昌弘さんへ
 こんにちは。99年2月2日のかみひこうきを拝見しました。どうするのだろうと気になりま す。お体に気を付けてこれからも神戸のことを伝えて下さい。

井手省三さんへ
 こんにちは。1997年7月12日のかみひこうきを拝見しました。役所の手続きというも のは、煩雑なうえ、本当に必要な人には不便で困ったものです。行政に対して私が出 来ることは、人間を大切にする人に投票すること。あとは何ができるか分かりません が、探し続けます。お体を大切になさって下さい。

木下広志さんへ
 こんにちは。1997年6月〜1998年8月のかみひこうきを拝見しました。新聞でかみひこ うきが紹介された時、木下さんの「もし、あなたが神戸に観光に来られるなら・・・」 という部分が載っていて、心を動かされました。私はFAXで皆さんのお手紙を読ま せていただいているのですが、こうして神戸の木下さんとお話が出来るのですから、 かみひこうきはまったくすばらしいプロジェクトです。どうかこれからも全国に呼び かけて下さい。私もそれを受け止め、さらに遠くへ伝え、皆が共に生きていけるよう 努力します。お体を大切になさって下さい。

堀川一雄さんへ
 こんにちは。1997年6月2日のかみひこうきを拝見しました。お体の具合はいかがですか? 「書くことは沢山あるがきりがない」というお気持ちもっともですが、よろしければたくさんのことを聞かせて下さい。それが人を動かす力にもなると思います。これからはお二人の体を毎日気にかけて過ごします。また、お話ししましょう。

(1999年8月21日)

24.古川飛祐(埼玉県)さん

橋上勉さんへ
 こんにちは。お返事ありがとうございました。またまた励まされました。「いつの時も真面目に働き、信用の御蔭」「親からもらった生身の体を大事にして信用第一に」これから世に出ていく、私達若者が常に頭に入れておかなければならないことです。私は働きはじめて5年半ですが、社会への甘えが抜け、ちょうどこれらの言葉を身をもって実感していたところです。私も体を大事にして、長い人生働けるうちは働き、橋上さんをお手本に、また同世代の仲間達を見守っていきたいと思います。すてきな人間関係をたくさん築かれましたね。いつまでも仲良く、お互いに尋ねあえる関係はかけがえのないものです。橋上さんと皆さんのご健康を祈ります。

守田基師子さんへ
 こんにちは。5月・6月のかみひこうき拝見しました。私も人間は地球に“住まわせて”もらっているのだと思っています。人間は自然のごく一部です。そして、同じ人間同士、相手を守ることを考えながら、生きていきたいものです。ご健康を祈ります。

塩谷誠貫さんへ
 こんにちは。塩谷さん、奥さま。お身体の具合はいかがですか?。行政には納得のいかないことばかりですが、良い方へ変えていくため、真に人間を想う人に選挙で投票するようにしています。良い社会が出来るように頑張ります。

光岡トミさんへ
 こんにちは。1月〜3月のかみひこうき拝見しました。お身体の具合はいかがですか?。詩吟をやっていらっしゃるなんてすてきですね。漢詩には美しいものがたくさんありますね。私が読んだことのある詩はごくわずかですが、これからたくさん読みたいと思っています。それではまたお話ししましょう。

橋元明信さんへ
 こんにちは。昨年7月のかみひこうき、拝見しました。ボランティア活動をされた方々に何よりのメッセージだったと思います。「日本人を見ました」という橋元さんの言葉を胸に、日本中が真に生きるため力を合わせていけたら良いのですが。私も力の限り頑張ります。お体を大切になさって下さい。
(1999年8月22日)



25.古川飛祐(埼玉県)さん

徳山芳江さんへ  秋も深まってきましたね。その後いかがお過ごしですか?
 私は神戸市へは一度も行ったことがないのですが、木や花の様子が徳山さんのお宅か らはどんな景色が見えるのかなど、想像しています。私は野の花が好きで、小さな頃 から親しんできた草花を古い物語の中に見つけたときとても嬉しくなります。川越を 愛するように、神戸も愛したいと思っています。御健康を心からお祈りしています。

橋上勉さんへ  こんにちは。その後いかがお過ごしですか?
 先日、家と職場の電気工事を業者の方にお願いし、橋上さんのお仕事の様子をふと想 像しました。現場を飛び回っている職人さん、これまでにもいろいろな方にお世話に なりましたが、皆さん親しみやすく気持ちのいいことにいつも感心させられます。何 日かかけて工事に通ってくださると、終わって帰られた後、寂しくなるほどです。目 を見張るような腕前とともに、生き生きと誇りと自信と愛情にあふれて働いておられ る姿が、周りに元気を分けてくれます。私は今まで出会った職人さんたちに感謝し、 尊敬し続けるでしょうし、橋上さんもその一人です。職業は違っても、私は橋上さん に恥ずかしくない仕事をしていきたいと思います。御健康をお祈りします。

八木かず子さんへ  こんにちは。その後いかがおすごしですか?
 すっかり秋になりましたね。雪が少ない日は、富士山が見えます。穏やかな日には、 水鳥が親子だと思うのですが、仲良く川を泳いでいます。そんな景色を眺めながら、 いつも八木さんはどうされているかなと考えます。神戸の空がおだやかであって欲し いと願います。菊の花が真っ盛りで、ああ、私はとてもこの花が好きなのだなと改め て感じています。少し前まではコスモスが優しく揺れていました。お体を大切になさっ て下さい。
(1999年11月6日)



26.古川飛祐(埼玉県)さん

高山 忠士さんへ
 こんにちは。寒い日が続きますが、お元気ですか?私の住む街は、ゆっくりと時間が流れるようなところですが、やはり、どんどん変わっていきます。
 建物が増え、山が見えなくなり、花畑がひとつなくなり…。新しい大学ができるそうで、そのための、駅や路線の工事も、日々行われています。良い面も多々あるのでしょうが、私は、富士山が以前よりも見えにくくなり、寂しく思っています。それでも、花は、他の場所を見つけて元気に咲いています。近頃見かけないと思っていた猫も、いつものところにいました。私も繰り返される変化の中で、しっかり立っていましょう。この世の中で誰かの役にたてるように。お体を大切になさってください。良い1年になるようお祈りします。

佐治 守さんへ
 こんにちは。寒い日が続きますね。風邪がはやっていますが、大丈夫ですか?私は、ごく軽いのですが、ひいてしまい、のんびりしています。ちょうど月が丸い頃なので、窓から見上げています。晴れていれば、どこの空にも輝いているのだろうなと思いながら、良い年になるよう心からお祈りします。

木下 広志さんへ
 こんにちは。お元気でいらっしゃいますか?
 こちらでは年が明けてから二度雪が降り、一方で春の花が咲き始めています。私は軽 い風邪をひいていますが、「かみひこうき」を書く時間が得られたと思っています。 良い一年になるようお祈りします。

光岡 トミさんへ
 こんにちは。お手紙ありがとうございます。風邪をひかれて、大変でしたね。熱が出ると、動くこともままなりません。お元気になられ、何よりです。今は、私の方が風邪の真っ最中ですが、軽い症状で済んでいます。読書や歌を控えめにしています。1週間前の休日に、部屋の片付けを済ませてあったので、のんびり過ごしています。週の半ば、光岡さんからのお手紙を受け取り、どれほど嬉しかったことでしょう!!
 毎年、1月の20日を過ぎると、元旦から、ずいぶんと長い時が経ったように感じます。年が明けてから、2度 雪が降り、梅は咲きはじめたところもあれば、同じ川越市内でも、まだまだ蕾が堅い木もあります。私が気に入っている木は、他の場所に遅れて咲きます。毎朝、通勤時に枝を見上げます。何年もそうしていると、木の方も、私を知って、親しみを持ってくれているのではないか、そうならばいいな、と思いつつ。農家と田畑が並ぶこの道が、とても好きです。多くの人との出会いと別れ、語り尽くせない思い出が、静かに眠っています。
 時々、別の道を歩くと、思いがけず、見事な木、きれいな花、気持ちの良い日だまりを見つけます。先日、歩いていてふと目をあげると、先の方に、金色の線が見え、思わず声をあげました。満開の、菜の花畑だったのです。陽光の中、神の庭園のように、光り輝いていました。そばを通る時、今度は、その香りに、うっとりしました。よく知っている香りです。小学校の花壇で、見慣れていましたから。10年後、こんなにも新鮮な感動をこの花からもらうとは、思いもよりませんでした。
 確かにこのお正月は、2000年問題の影響もあるでしょうが、ひっそりとしていたように思います。いつも同じところに立つ門松も、見当たらないので、不思議に思っていたのです。
 光岡さんにとって、良い1年になるよう、心からお祈りしています。お体を大切になさってください。また書きます。

橋上 勉さんへ
 こんにちは。寒い日が続いていますが、お元気でいらっしゃいますか?早くもあちこ ちで、菜の花が真っ盛りです。春の野の花、イヌフグリやホトケノザも私の目を楽し ませてくれます。
昔の私のように霜柱を踏んでいった小学生たちの足跡を眺めながら、通勤しています。 良い一年になるよう心からお祈りしています。

橋元 明信さんへ
 こんにちは。寒い日が続きますね。早、梅の便りが届くようになりましたが、私のお 気に入りの木々たちは、まだまだ咲きません。それでも菜の花畑は満開となり、足下 には小さな草花たちが顔をのぞかせています。20年近く前のこと、通っていた幼稚園 で飼われていたウサギたちにオオバコやハコベを食べさせるのがとても楽しみだった のを思い出しています。
 お体を大切になさって下さい。良い一年になるよう心からお祈りしています。

大森 ヨシ子さんへ
 こんにちは。寒い日が続きますね。早くも春の花が咲き始めていますが、ピンク色の ホトケノザ、黄色い菜の花、青いイヌフグリなどです。静岡では、梅が咲いたと聞き ました。このあたりはまだつぼみが堅く、1本だけ鉢植えのものが見事に咲いている のを見ました。
 今日の川越は午前中は日が射していましたが、午後になると少し雨が降り出しました。 お体を大切になさって下さい。良い年になりますように。

井出 省三さんへ
 こんにちは。寒い日が続きますね。いつも通りがかる川に、水鳥の姿をしばらく見かけません。暖かくなれば、またやってくるでしょう。お体を大切になさってください。良い1年になるようお祈りします。

沢田 昌弘さんへ
 こんにちは、寒い日が続きますが、お元気でお過ごしでしょか? 昨年から「かみひこうき」にメッセージを寄せ始め、様様な声を聞きました。これからもずっと続けていくつもりです。お体を大切になさってください。良い年になりますよう、心からお祈りします。

徳山芳江さんへ
 こんにちは。寒い日が続きますが、お元気ですか?私は、軽い風邪をひき、今日の午後はずっと、「かみひこうき」を書いて過ごしました。いろいろな方がいらっしゃいます。
 こちらでは、2度、雪が降りました。まだ蕾が堅い梅の枝に、一足早い花を咲かせていました。地面では、雪の下になりながらも、すくすくと育っていた、野の花たちが、すでに咲きはじめています。こんなに早く咲くものだったかと、驚きながらも、楽しく眺めています。
 お体を大切になさってください。良い年になりますよう、心からお祈りします。

田川陽子さんへ
 こんにちは。寒い日が続きますね。散歩をすると、少し前は、何の花も見られなかったのが、だんだんと、春を呼ぶように、様々な花たちが微笑みかけてくるようになりました。最近は、静かに咲くロウバイが好きになりました。黄色い、おとなしい花です。お体を大切になさってください。良い年になりますよう、心からお祈りします。

岩本良夫さんへ
 こんにちは。寒い日が続いていますが、お元気でお過ごしでしょうか?
 私は、はやっている風邪につかまってしまい、今日は半日、「かみひこうき」を書いていました。案外、同じことそしている人が、いるかもしれません。お体を大切になさってください。良い年になりますよう、心からお祈りしています。

大内誠・昌子さんへ
 こんにちは。お体は、いかがですか?梅の便りが届きはじめ、だんだんと、春が近づいてきています。暖かく、良い1年になりますよう、心からお祈りしています。
(2000年1月23日)

27.寺崎千鶴(仮名)さん

 初めまして。6年目の今日、やっとこのページを知りました。
 震災当時は大阪の北部に住んでいたのですが、体が弱く自信がなかったのでボランティア活動も出来ませんでした。その事が今でも心残りで、ずっと被災者の方々の事が気にかかっておりました。 時間が経つに連れ、人々の関心も薄れていく中でこのような活動が続いている事は素晴らしいと思います。
 被災者の皆様、6年経った今でも色々苦しく大変な事も多いでしょう。何の力にもなれない者ですが、皆様の暮らしが少しずつでも良くなっていきますよう、心からお祈りしています。 寒さが厳しい今日この頃です。皆様くれぐれもご自愛下さい。
 そして、「かみひこうき」の皆様、これからも頑張って下さい。
(2001年1月17日)



西川 裕美さんへ届いた『かみひこうき』



1.高木(神戸市:仮設住宅在住)さん


私は夫婦2人暮らしなので、個人的には仮設の生活はとりたてて 不自由はありませんが、家族の多い人は大変です。 でも、今では仮設の暮らしにも慣れてきたし、 復興住宅に移る人も多くでてきました。
自力で再建した人もあります。街中もだいぶ整理できまして、 表通りでは震災の傷跡が見られなくなりました。 うれしいことです
(1997年6月29日)

2.戸橋(仮名:神戸市:仮設住宅在住)さん


拝啓、梅雨の最中季節外れの台風が7号と8号連続して来襲。 8号は兵庫県全域に直撃しましたが、たいした被害もなく、全員元気に明日に向かって毎日を過ごしております、他事乍らご休心の程。 思えば地獄のような日からもう2年半にもなり、日々世間の目から忘れられるような日々ですが、仮設住民といってもほとんどの人が来る日も来る日も公営住宅への転出を一日千秋の思いで連日すごしております。 ただ私共の仮設は九十五軒で一昨年スタートしました。 その後1年くらい移動もなかったのですが、昨年の秋頃よりぼつぼつと公営住宅や持ち家再建で櫛の歯が抜けたように仮設から出て行かれ、この6月は最も多く7軒出て行かれて現在では最初の3分の2位まで落ちていき、今年の10月の公営住宅の募集で年内に出て行かれる家もある予定です。
最悪のケースで今迄3回の募集に漏れている人の心理状態は非常に複雑なものです。
今でも震災前の住んでいた所付近は表通りは殆ど前に近い状態ですが、 一歩裏通りに入れば更地ばかりです。恐らく震災前の状態に戻るまでは 10年はかかると思います。
こんな事を言えば貴方達に非常に失礼かもしれませんが、五十何年前、 広島に原爆投下の切実なるものがあって、草木も七十五年以上過ぎない と咲かないという話も聞いていましたが、現実は広島の復興の目覚しいことです。
私も戦後何回か広島経由して長崎、鹿児島方面へ時々列車で通過して、 町並みを拝見しており、あまりにも復興の目覚しいのにびっくりしております。
神戸の街も震災といえば、ほんとの話つきつめるとあまりにも木造家屋の老朽化していた上へあの大きな震災ですからたまったものではありません。築後50年以上の老朽家屋ばかりの長屋では全壊もしかたがないと思います。まだ早朝だったので通行の人が少なかったので被害した人も約6千人あまりですみましたが、これが昼のうちであったらと今思うとぞっとします。
私も今72才になりました。時々布団の中で思うことがあまりの激しさにいろいろと走馬燈のように頭の中でかけめぐります。 現在私共の西神第3仮設も残りの家族の公営住宅への移転や持ち家再建 などで年内移転が確定している家庭は約5軒で、今年10月の募集で何件の当選があるのか不明でこれだけは神のみぞ知るという事です。 色々ととりとめのないことばか書いてきましたが、これが神戸の仮設の現状です。私も一昨年11月よりの自治会長としての官庁及び各公共関係 等の人脈や自治会のたてよこの連絡等をまとめても西神方面の仮設人口 は最初4万人でしたが、今では約2万5千人まで減っておりますが、完全復旧はまだまだ先の遠い話です。
有り難うございました。今後ともよろしくお願ひ致します。 皆様方のご多幸をお祈りいたしております。 乱筆乱文御免の程。 早々
(1997年7月5日)


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