佐治 和枝さん

  (住所:神戸市 年齢性別:83才女性)


 世界中に拡がった新型コロナ、これは何か人間以外の力が働いているのでしょうか?。今まで人類が経験したことのない感染力だそうですね。いつまで続くか怖いみたいです。

 自分は捨てる、人の為だけ生きる。出来るかどうかわかりませんが、これから人類はそういう生き方を示さなくては、コロナを収める事は出来ないのだと思ってしまいます。今までは地球上で人間だけが何の我慢もせず、野生の動物・植物、海の生き物達に我慢を強いて来たのですよね。今、そのツケが人間側に回って来たのでしょうか?。そう思えてなりません。

 自分より困った人に手を差し伸べて、弱った人には寄り添って、絶滅寸前の動植物は出来るだけそっとしておく。きっとそれ等を今の私達は忘れているのかもしれません。  つつましい心で、やさしい心で、地球を星を太陽さえにも赦しを請う時が来たのではないののかと、一人考えさせられます。
 地球温暖化もそうですよね。

 コロナ渦が、一日も早く終わりますように、一人一人が気をつけて生きて行くなら、自然と消えるのではないでしょうか。
 毎日テレビで見ている限り、感染者数ばかりが表に立って、死亡や完治の数も見てませんが、そう思うのは私だけでしょうか?。  これを読んでくださった方が、新型コロナに感染されていません様にと祈ります。
(2020年4月19日)

 おめでたく年がやってきましたか?「かみひこうき」の皆様、いつもがんばっておられるようでうれしいです。
もうすぐ15年目の1月17日がまいります。
 あいにくその日は主人の7回忌でカンヅメなので、何にも出席できませんが、主人が死ぬ前の言葉を少し出しておきます。神戸市が打ち出した言葉で「これで震災もあらかた片付いた」と、10年目に新聞に書かれた記事を見て、主人は「あっ神戸市はもう皆立ち直り生きて行けると言っているのだなぁ」と言っていました。すごく淋しそうであの言葉忘れる事は出来ません。

 終わってはいないのですよね。その時、あれから10年経っていたのですもの。70歳の人は80歳になって、少しずつ減る皆の関心。外に被災者はおかれるのだろうと暗に主人は言っていたのだと思います。若ければ、力があれば、色々と何かできるのにと悔しい思いもしていたことでしょう。
 今私は、本当にやっかいな事ですが、やさしさと思いやりがどんなに人をなぐさめ、力づけるかを言い続けているところです。いかがでしょうか?少しは役に立っているのかなぁと、考えてしまう今日この頃です。

 あの日がなかったら、と何度思った事でしょう。そして昨日、5回天下りで退職金をもらっている人と、この寒空の下明日への希望もない若者とを比べ、これも一つの災害だと思ってしまいました。そう思うのは私だけでしょうか?その5回の退職金でどのくらいの人が助けられますか?天下りの退職金、やめてくださいよ!一般の人は退職金って一度しか頂けないのです。
(2010年1月13日)


 地球上の日本号はどうなるのでしょうかね。あちこちで災害が多発している関係か、阪神淡路はどうしてか遠い日の事の様に思われてますよ。あの日のトラウマを経験なさった日本の、というより世界中にいかほどの人数が覚えていらっしゃる事でしょうね。オリンピックやその他他国のハリケーン…等々あり、今や心の片隅にさえなく忘れ去られている様に見えます。14年前のあの日、日本人の心に芽生えた絆はどこに行ったのでしょうか?。ムカツクだけで人を殺し、最初は熱い思いで出馬した国会の人達も、自分たちの派閥のみにこだわり、国民を忘れてはいませんか?。

 私たちも生きているのです。あの大きな震災を生き延び、年を重ねるたびに押しのけられる人権を悲しい思いで見ています。老人は生きていてもいいんですか?。生きている事が社会悪になりますか?。2度の戦争、2度の空襲又は災害を生き延びて来られたお年寄りの人達にどうぞ生きていてもいいんだよって云って下さる政治はないのでしょうか?。皆様政界の方々は国をもてあそびすぎてはいませんか?。
 このような考え方はいけないのでしょうか?。?マークを100程書いてもわからない事だらけです。絆と云う字こそ今の日本人に必要なのではないかと思います。

 悪い事は悪い事と云える日本人であってこそ、将来を担う若い方達、子供達の為に良い日本を残してあげたいですね。美しい日本、今はそう云えません。表現力のない私の精一杯の思いです。
(2008年9月10日)


 久しぶりです。とうとうひどい世の中に突入してしまいそうですね。与党の思い通りにいったら、天に向かって唾を吐くのと一緒ですのにね。
 議員さんたちよ、自分の息子・孫は、身内だけはもし戦争が始まっても行かなくてよいと思っていらっしゃるのでしょうか?それともそれも権力で行かなくてもよいようになっているのでしょうか?

 いよいよ老人殺しが始まりましたね。あまりインパクトが強ければ「いじめ」と言ってもよいと思いますが、政治に携わっている人たちは本当の貧しさを知っているのでしょうか?お金の力で今の地位を得た方々はきっと一番安い豆腐がいくらで売られているかわかるのでしょうか?一番高い豆腐の値段しか知らないでしょうね。ひょっとしてそれも知っていらっしゃらないかしら。

 老人で金持ちの人も多々いらっしゃいますが、大部分の老人はビンボーです。それを考慮に入れて政治をしてほしいですね。長く続いた平和を崩さないでいてほしいですね。これ以上若者を自殺願望に走らせないでほしいですね。先の希望がないから死を選ぶのではないですか。
 政治に携わる皆さん、貴方達にも子供はいるでしょうに…心は痛みませんか?私時々皆さんがエイリアンに見えます。
(2005年4月9日)


神戸空港反対を言い続けるにあたって
 やみくもに何の考えもなく、ただただ反対だ反対だと言っているのではないのです。
 問題の空港の土台には10年前の地震による家屋やビル、昔からある大きな木々花々、そして6000人を越える命そのものがあるのではないでしょうか?空港によって今まで港で生きた方、港で生き甲斐を感じた方々、もしかしたら海は死ぬかも知れないのです。魚達は死ぬかも知れません。

 どうして今年台風がこんなに日本を襲ったのでしょうか?海が怒っていると誰も考えないのでしょうか?諌早の二の舞をやっているとは考えないのでしょうか?科学では割り切れない何かを感じてしまうのです。
 神戸は港町です。どうして港町をなくしてしまうのですか?もう一度世界一の港町に発展させるようなぜ皆力を合わせないのでしょう。よその県は市民の方達の力で後々までも子供達へのツケは回して欲しくないと立ち上がっているではありませんか。

 このままでは海は死んでしまいます。空港のまわりだけとどうして言えるでしょう。毎日大きな音が絶え間なく駆けめぐれば、そのまわりも被害は大きいと思います。
 ガレキと一緒に眠っているたくさんのたましいをそのままそっと眠らせてあげる事は出来ませんか?魚達のいいすみかにしてあげる事は出来ませんか?震災さえなければ夫はまだ生きていると思っております。

 生前夫は「おれが神戸を好きなのは、海が生き生きしているからだ。港から船がいつも出入りするのを見たいからだ。夕暮れに水が澄んだ日は魚達が嬉々として泳ぐ姿を見るのが好きだから……。関西にどうして三つも空港が要るのだろう。関空でさえ海の形態を変えているではないか?まして神戸に出来てしまえば、もう関西の海はどうかなってしまうと思うよ」とよく言っていました。

 皆様他人事ではありません。垂水の海でも明石の海でも何らかの海中の形態に変化が起こるかもしれないと思うから反対するのです。何か起こってからあわてても間に合わないのです。もうその時は海に生き物がいなくなり、海は死んでしまうかも知れないのです。
 神戸は海から恩恵を受けて今日があるのではないですか?昔から神戸を愛した祖先達はこう言うでしょう。「ここはもう神戸でないよ」と……。

 もう一度私達の神戸を見直そうではありませんか。海からの贈り物をもう一度ありがとうと言えるようにしようではありませんか。一人一人の方達はきっと港町神戸が好きなはずです。空港反対に本気で取り組もうではありませんか。
 皆でがんばりましょうよ。
(2004年12月20日)


 ひさしぶりの手紙です。年もおしつまって来ましたが、人は人を愛することを忘れてしまったのでしょうか?テレビ新聞、見聞きするものすべて自分中心で悲しみがおこっているということを、上は首相から物心ついた子供にいたるまで忘れているようです。
 あの被災地で出逢ったあたたかい心はもう宇宙のはてに飛び去ってしまったのでしょうか?一人の女として母として人間として毎日心いたむ日々しかありません(ごまめの歯ぎしり)。

 個の意見は私にとってそれ以上のものではありませんが、誰かを何かの意思の元に、いいにつけ悪いにつけ引き込むことは悪だと考えている日本人です。何故か毎年年が進むことには日本は私にとっては悪と思えるほうに船出しているようですが、誰も何とも感じないのでしょうか?
 こんな事がこのままこんな意思が地球上をおおう時、またノアの箱舟のような悪夢があるのではないかと毎日を1人ハラハラして生きています…というよりどっこい生かされていますが、老人はいつまでもつのでしょうか?

 この世の中は若者とそれを支配する人達だけしかいらないのですか?本当の心を聞いてみたいと思ったりしている67才の女(いちおう)です。
(2003年12月23日)


寺崎千鶴様
 いつもお心にかけて頂き有難うございます。もう6年もたったのですね。まだきのうのようにまぶたに残っています。今でも目覚めの時、思わず南の窓を見て、やっぱり違うと前の家をなぞってしまいます。年がいけばいくほど、立ち直りがおそいんですかねと、65歳にあと数ヶ月の身をなっとくしたりしています。
 あの日作った俳句?書いてみます。

あの朝
 息白く たずねし家の窓々は 西に東にはじけまがりて
 風も木も叫くや 神戸のいての朝

仮設にて
 この仮設(やど)は時々凍てて窓開きがたく
 たえまなく心淋しい 冬間近
 今朝白く土盛り上がる仮の宿
 夜長には百人一首 思い出し

 今では仮設も第3の故郷と思える程、私の中で家の、家という響きが変わってきました。どこだって生きて、しっかり生きていける場所が家なんだと……上杉謙信さん、貴方にはきっと家ということばの意味がわかって下さると思います。今の住宅にて少し作った句しゃべります。

 ◎ベランダの私の花壇花ざかり
 ◎見上げればよいまち月に雲からむ
 ◎涼しげにふうせんかずら風にゆれ

 どう言ってみたって私は64歳のババァです。
(2001年3月14日)

4月の一人言 5年目に
 4月中に見たものは花見、他あまりなし。植えたものは朝顔、ひまわり、ほうずき、金魚草その他。土の中から出た色々なもの、こんなきたない土に(ゴロゴロ石がいっぱい)。それなのになんて地球は素晴らし。土は立派だ!!。じょうろの水で、小さい虹を作りながらつぶやいてみる。いでよ!!咲けよ!!このものたちよ。地に満ちてにじ色と同じように色あざやかなれ!!とおどしてみたり、種たちに光の水を注ぎ込む。
 3つだけカボチャの苗を植え直し、実がみのったら名前書いてあげる。アケミでしょ、なぎさでしょ、しのぶでしょ、あまり偉そうでない名前を…でもきっと皆賞賛のまなざしで見つめてくれるよ。復興住宅(ここ)で初めて出来るカボチャだからね。
 双葉が久しぶりの陽にゆれている。さびしいのかな。この頃一人言が多くなった。垂水の復興住宅にて…。

 あの日から75日目に作りました。
 「まぶたとじ思い出す家のたたずまい ガレキの上に建ち上げて見つ」

 仮設にて
 「三年(みとせ)目の仮設に花の季節(とき)哀し」
 「あちこちに紅を散らした山の朝」
(2000年5月17日)








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