上岡 伸一さん(仮名)

  (住所:神戸市 年齢性別:83才男性 職業:無職)


かみひこうきの皆さま、おめでとうございます。いつもありがとうございます。
 昨年寅年は妻が年女で前半は何とか平常に過ごしましたが、妻は7月10日にトイレの前で倒れて右足を骨折して入院手術で長い間身動きが出来ず、身体が硬くなって元に戻らず自力で何も出来なくなりました。
 介助が必要で5ヵ月間入院生活をして、12月4日退院して自宅で過ごしておりますが、私だけでは介護が無理だと、孫が晩は泊まりこみで助けてくれます。
 昼間は日曜除く6日間デイサービスに行っております。大変ですが、今年は私が年男です。
 良い年になってほしいですね〜がんばります。
 良い年になりますよう祈っております。

 震災から16年になりますが、ほとんどの人が災害のことを忘れているように思いますね。この住宅は12軒1階にまちコミュニケーションがあります が、各地からまた、外国からも来て震災の時の状況をしるために中学生や高校生、一般の人達が訪れます。語りついでおります。当時の炊き出し等も見せて一緒 に食事をしております。
 こんなことをしておられる皆さんに感謝しております。
 かみひこうきの皆さま方今年もがんばって下さい。

 仮設住宅で一緒にくらした両隣の方々とはその後全然お会いしておりませんが、年賀状だけは毎年届きます。山あいの寒い場所で4年間苦労したので、心が通じますね。お互い元気でおりますよと、いつもありがたく思います。今日はこれで失礼します。
(2011年1月2日)


 震災から早くも15年、当時67歳と68歳で5年間、仮設生活をしました。
 平成12年1月25日、やっとこの家に入居して、丁度10年が過ぎました。
 5年間位は、町の活気もありましたが、新しい人が多くなってきて、町の復興に全力を掛けた人の苦しみが分からないものが多くなったように思います。

 私達は5丁目、6丁目に住んでいた12名で、地区で只1戸の共同住宅です。1階には町づくりコミュニケーションの事務所があって、平成17年頃まで大勢の方が来ていました。現在も各地から視察で訪れる人もいます。
 前の公園には地区の慰霊室があります。この1月17日5時46分に合わせ、お坊さんが10人程来て、地区の人も大勢集まり、焼香します。

 去年もお知らせしましたように、老老介護、頑張るしかありませんね…。

 この地区の現状お知らせまで。今日は失礼致します。
 1月12日晩8時頃記
(2010年1月12日)
 

謹啓 かみひこうきの皆さまにはいつもお世話になっており恐縮に思います。深くお詫び申し上げます。

 私達も81才と82才になり、妻が3年前に骨折してから一日中、寝たきり状態で歩行困難となり、老齢の私が付ききりで面倒を見ているので、外出も買い物も一時間以内に帰らないとえらい事になります。
 一人では起き上がりができなくなりました。というて施設に入れることができません。
 体力の続く限り二人一緒に暮らそうと思っています。

 さて、震災から14年、いろいろな苦労を乗り越えて今日まで過ごしましたが、最近は震災の話は全く聞かれませんね……昔話のようになりました。
 でも仮設住宅で過ごした両隣の方々はバラバラになって顔をあわしておりませんが、年賀状だけは「元気ですか?」と知らせてくれます。4,5年同じ場所で苦労した者は、通じ合いますね〜。

 私達こんな状態で暮らしておりますので、時間がなくきりきり舞いの現状です。
 一切を一人ですることは大変なものですね・・・
 老々介護、頑張るしかありません。。。
 今日はこれで失礼します。敬具
(2009年1月10日)


 かみひこうきの皆様にお世話になり、ご心配をかけておりますが、妻が以前から体調悪く、私は介護で大変な日々です。
 炊事、洗濯、掃除、トイレまでの往復手を引きつつ、暮らしております。

 寝たきりではありませんが、自力で起きるのもできず、一日何回か補助する状態です。外出買い物も、1時間以内で用を済まして来ます。
 週に2回はデイサービスへ行き、入浴と昼食をして1時には帰ってきます。体調悪い時は休むと云い、月5,6回行けたらよい方。老々介護で自分の体の心配をしてしまいます。

 震災の亥年、一回り来て今年亥年、災いなく良い年になってくれることを祈ります。

 いつもお世話になり、厚く御礼申し上げます。ありがとうございます。出来るだけ頑張ります。
 時間がなく、申し訳ありません。近況だけお知らせしました。
(2007年1月10日)


あけましておめでとうございます。
 かみひこうきの皆様には大変お世話になり心から御礼申し上げます。

 あの大震災から 12年になりますね・・・今でも二人であの日のことを思い出して語ります。
 あの時は二人とも60歳代の中頃で再建を目指して頑張りましたが、5年後に入居して3年は元気で暮らしましたが平成15年初め頃から体調が崩れ、二人ともが入退院を繰り返して私は何とか自立しておりますが、妻が去年一月間入院して足が弱くなり11月にベッドから立って二三歩行ったところで前倒れして右手首骨折入院35日普通なら年末までギブスが取り外し出来るのに骨が弱く、3週間延びて今でも不自由な状態、私が起こして座らせる状態です。
 家事一切何とかやっておりますが、1日も早くギブスが取れて自力で起き上がりが出来るよう願っております。やはり無理したのかなあと思います。

 昨年は国内外でいろいろな災害があってニュースを見るたび涙がでる思いでした。正月早々雪おろしで多くの方が亡くなっていますね。ほんとに胸がいたみます。
 災害のたびに多くのボランティアの方々が助けてくれて有難く思います。私たちは今日までたくさんの方々に助けていただき何一つお返し出来ない体に情けなく思うこの頃です。少しでも自立に頑張ります。

 私たちも78才と79才に年末になりました。昭和の始めから小学生の頃から戦争で何事も辛抱してきました。
 当時の高等小学校卒業後は、私は海軍志願で丸1年軍隊で終戦を迎え、妻は女子挺身隊で働いたものでした。戦後は食糧難で苦しい生活を乗り越えて来ました。幾多の苦難を乗り越えてきた二人ですのでもう少しは生き延びようと思います。

 今年もよろしくお願いいたします。15日この地区で亡くなった117名の慰霊祭を行います。
(2006年1月10日)


 かみひこうきの皆様に大変お世話になっております。
 先日は浦嶋さんの住所をお知らせくださいましてありがとうございました。早速お礼を申し上げました。

 私達二人も暖かくなるにつれ体調も動くようになりつつあります。家内は一人では外出できないので、月一回の診察には付いて行きます。昨年6月から部屋内だけで歩いております。部屋で転倒したために外での転倒を心配しています。

 これからは一日一日体に気をつけて頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。
(2005年3月29日)


 「かみひこうき」の皆様にはいつもお世話になり、申し訳なく思います。
 少しずつ寒さもやわらいで来たように思いますが、本日は浦嶋さんのちぎり絵をお送り下さいまして、誠に有難うございます。再三頂き恐縮に存じます。

 高齢になり、皆様から心温まるご支援を頂きますと、大きな励みになり、これからも頑張ろうと思います。 今まで多くのボランティアの方々に助けて頂き、いつも感謝しつつ、この10年を過ごして来ました。ほんとに有難いものです。
 今、新潟や豊岡等の災害地でボランティアの活動が報じられていますが、有難いものですよ。

 眼の手術後は、字が二重に見えたりして、書くのも面倒になりました。読みにくい所もあると思います。 私達も一日一日大事に過ごしていきます。
 「かみひこうき」の皆様、有難うございます。浦嶋さんの住所が知りたいですねー。

奈良県の浦嶋三四様へ
 貴方様より昨年に続き、3枚目の「ちぎり絵」を頂きました。誠に有難く、厚く御礼申し上げます。 山里の一軒屋、遠く山の谷間には霧がかかり、春の季節を思わせる風景に見えますが・・・?
 最初のはコスモスの花、昨年はぶどうの実がなった絵。二人が食事をする部屋、テレビの横の壁に貼っています。 二人でお茶を飲みながら眺めて、皆様に感謝しつつ、残りの人生を頑張っていきたいと思います。 ありがとうございます。
(2005年2月15日)


 あの大震災から10年が過ぎました。かみひこうきの皆様には大変ご支援を頂きました。厚く御礼申し上げます。

 当時、私たちも67歳と68歳になったばかりで大元気でした。再建に頑張りましたが、やはり無理をしたのか三年前から、二人ともが病人になり、入退院を繰り返しました。
 今は何とか二人で一人前でかばいながら暮らしています。これ以上は悪くならないように気をつけて頑張ります。

 去る17日は10年前が思い浮かんできました。朝早くから着のみ着のままで家を飛び出して2時間後には家は炎焼。1日中食もなく、晩7時頃ににぎり飯の配給を中学の体育館で頂いた事、一生忘れません。
 その後はたくさんのボランティアの方々の暖かい炊き出しのおかげで過ごしてきました。益々感謝でいっぱいです。

 全国のご支援ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
(2005年1月20日)


 謹啓 かみひこうきの皆様には長い間お世話になっております。いつも有難く深く感謝いたしております。

 私達二人も、14年5月頃から妻が一時入院して体調悪くなり、私も急に右変形性股関節を患い、徒歩も困難となり、年末、11月から2ヶ月入院(人工股関節に置換手術)して1月末に退院しました。
 妻も又、退院の前に胆のう内に胆石があり急に入院、現在手術して良くなりつつ近く退院する見込みです。高齢になると共倒れ同様、今一人で頑張っております。
 退院後は二人で一日一日、体に気をつけて頑張って行くつもりでおります。長い間お便りも出来ず失礼致しました。

 奈良県の浦島三四様へ
 先日はちぎり絵を頂き有難うございます。三年前にもピンクの花の絵を頂き居間にかざってありますが今度のぶどうの絵も並べてかざりました。ほんとに有難く厚く御礼申し上げます。
 どうかお体に気をつけて元気でお過し下さいませ。私達も一日一日頑張っていきます。ありがとう…。
(2004年2月20日)


寺崎千鶴様へ
 先日はメッセージをありがとうございました。
 震災後5年目にやっと自宅に入居して、1年2カ月になります。長い間、不安な毎日を過ごしてきましたが、今やっと落ち着いた感じです。この住宅の1階には月に2度づつふれあい喫茶とお食事会があります。楽しみにこの日を待って参加しております。
 これから前向きに明るく生活していくつもりです。貴方様お体に気を付けてお過ごし下さい。ありがとうございました。

上杉謙信様へ
 メッセージをありがとうございました。
 同じく長田で被災されたようですね。私の家は長田の御蔵通6丁目で地震から1時間後に全焼しました。着の身着のまま大橋中学校へ避難しました。5月15日仮設住宅へ入居して11年3月に強制退去、長田御蔵の事業用仮設で1年間入居してやっと自宅が完成、入居しました。
 今は2人とも元気で地区の方々と一緒にお茶会とお食事会に参加して楽しく過ごしております。残りの人生を元気で楽しく暮らしていきます。ありがとうございました。

奈良県の浦嶋三四様へ
 先日は被災した私たちに「ちぎり絵」をお送り下さいまして有り難うございます。部屋のテレビの後ろの壁に貼って毎日拝見しています。花の絵はきれいですね。わが家の庭に鉢植えの梅が満開です。私たちの心を慰めてくれます。本当にありがとうございました。
 お体に気を付けてお過ごし下さい。
(2001年3月14日)


 此の地区は最も大きな被害を受けた所です。
 震災から5年目でやっと住宅があちらこちらに建ってきましたが、まだ空地が多く、さびしい感じです。道路だけは広くきれいに区画されました。いつになれば屋根が多く見えるかを案じております。
 共同住宅に入居して一年がたちました。此の住宅の一階はボランティアの活動地点です。各地から大勢の方々が来られ話し合いをしています。ここでは月に2回のふれあい喫茶と食事会があり、お年寄りの集会所のようになっております。ここに来て有難く思っております。
 住宅の前に1000平方米の公園が出来ており、この一角に1月14日にこの地区で亡くなられた127名の鎮魂碑が出来ました。慰霊祭が行われます。17日も行われます。
 次々と民家が建つよう願っております。
 全国のボランティアの方々に厚く御礼申し上げます。私達も元気で頑張っていきます。
(2001年1月3日)


 2000年1月16日入居(震災から1826日目に入居しました!)、1月17日は地区の慰霊祭 でした。
 先日お知らせしましたが、あれから3カ月整理に大変でした。入居には私たちの手足 となって面倒見て下さったボランティアの方、この地区で丸5年間地域の方達に親し まれた町づくりコミュニケーションの小野君が神奈川県に帰るということで、先日お 別れ会をしました。ほんとに感謝しております。全国のボランティアの皆様に心から お礼を申し上げます。
 先日から噴火で心配されている北海道の有珠山地区にもいずれボランティアの方々が 手足になって助けられると思いますが、しかし本人の努力で頑張るしかありません。 災害に負けないで元に戻るまで頑張ろう〜!!

 私たちが住むこの共同住宅は1階に地域の方々のふれあい喫茶またはパソコンその他 いろいろなことができる場所を設けてあります。この頃楽しみにしています。
 今私たちの子供3人は自分の子育てに全力を投じております。高校生、大学生と小学 生は1人だけで大変だと思いましたので、親としてこの5年間全力で夫婦だけで頑張り ました。お陰で子供達には迷惑かけません。これからも頑張ります。
 終戦直後の食糧不足でも、今回も苦しみも乗り越えてきた二人です。避難所で4ヶ月、 仮設住宅丸4年、事業用住宅で10ヶ月…この5年間支援いただきました全国の 皆様に厚くお礼申し上げます。有り難う。
 神戸に来られる際はお立ち寄り下さい。すぐ分かります。
(2000年4月10日)


 謹んで新年のお祝詞を申し上げます。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。今迄大変お世話になりました。
 さて、阪神大震災より既に丸5年を迎えます。この間、不自由、不便を感じながら乗り越えて、この度、漸く、再建住宅に入居する事になりました。16日です。昨年1月15日、起工式をして、今年1月16日、落成式です。丸5年目に我が家に入居する事になりました。震災直後午前7時まで避難所に入り5月15日、仮設住宅に入居して今年4月5日まで4年間。3月の仮設解消で再建住宅建設現場の近くに転居、現在まで幾多の苦難を乗り越えて来ました。住宅も完成しましたが、正月の入居は出来ませんでしたが、荷物は半分位入れてあり、新居に出入りをしております。何か夢のような感じがしております。しかし、ある程度の借金をかかえての事。これからの生活は、節約しながら、新居での生活を始めたいと思っております。幸いに二人共、身体に異状はなく元気ですので、残りの人生を前向きに生きて行くつもりでおります。
 この家は共同住宅(12戸)ですが、前は公園、周りは家がはなれており、日当りの良い所です。今後の生活には、健康的な場所と思っております。皆様には大変お世話になりました。多くのボランティアの方々に心から感謝をし、お礼を申し上げます。新居に住みなれたら、又、お知らせ致します。
(2000年1月4日)


 私達夫妻は神戸市長田区で全焼の被災者です。中学校で4ヶ月の避難所生活をして現在の仮設住宅で生活しています。今日まで全国の皆様及びボランティアの方々の温かい御支援によりまして、体調もまあまあで頑張って来ました。ほんとに有難く厚く御礼を申し上げます。
 やはり、住みなれた元の地に帰りたくて、地区に住んで居た10名の方々で共同住宅を建てようと頑張っています。
 一日も早い元の場所に戻れる日を待ち望んでおります。
 71歳、72歳の夫婦です。
(1999年1月)






上岡 伸一さんへ届いた『かみひこうき』



1.川本 恵子さん(仮名:神戸市)

 こんばんは。始めまして。。。あれから、5年ということで、数日前から今日まで、テレビの特別番組が多く放送されておりました。そのお蔭で「かみひこうき」さんのホームページを知りました。
 私も東灘区深江で震災に会いまして、今は灘区に住んでおりますが、長かったような、短かったような、この5年でありました。
 私の娘は産まれつきの知的障害児で、出産と同時に医者から宣告を受けました。
母親として、なかなか立ち直れずにおりましたが、やっと、なんとか、物事を肯定的に考えられるようになった矢先の震災でした。
 震災当時、娘は三歳でした。いろんな事がありましたが、先日、満8歳の誕生日を元気に迎えることが出来ました。知的な能力の遅れは勿論、身体も弱いですし、手術などもありますが、それでも彼女の精一杯生きている姿を見て、親というより、人間として学ぶことが多くあります。
 娘の成長を目にする時、無事に生きてこられたことを感謝せざるを得ません。「命」という目には見えないけれども、この世で一番大切なものをこれからも、「宝物」として、大事にしていきたいと思っております。
 皆様も、この宝物を大切に・・・・精一杯良い人生を歩き続けられますように。。。。寒さが厳しくなってきます。何卒ご自愛下さいますよう。。。心より願っております。
(2000年1月17日)

2.浦嶋 三四さん

 はじめまして。ちぎり絵を飾って下さっているとの事で、ありがとうございます。
 年を重ねておりますのに下手なので、感謝しております。お体ご自愛下さいますように。お元気に日々過ごされますよう、お祈り致します。
(2001年5月8日)


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