富岡 典子さん(仮名)

  (住所:神戸市 年齢性別:64才女性 職業:無職)


 長い事ご無沙汰しておりました。私もやっと3週間前に退院する事が出来ました。皆様には、本当にご心配をお掛けして申し訳ございませんでした。

 この度の治療は白血病の人と同じ抗ガン剤の治療でしたから、私にとってはとてもしんどく、大変でした。意識のなくなった日もありました。子供やお友達にもずいぶん心配をさせて、迷惑をかけてしました。一人のお友達は津山の方から、もう一人のお友達は帰宅から毎週木曜にはお見舞いに来て下さり、ずいぶん励まされました。嬉しくて、何度私は涙した事かしれません。お友達の愛情というか、心の絆というか、感謝の気持ちでいっぱいでした。矢萩様も遠い所、本当にありがとうございました。

 これから先、何年生きる事が出来るかわからないけど、一生懸命ガンバって生きたいと思っています。お友達や皆さんへの恩返しと思っています。
 今のところ、一人でどこも行けなくて、家の中で暮らしています。白血球がなかなか上がらないため、身体がフラフラします。足も前に骨折した後が痛いので、うまく歩けなくてどこにも行く事が出来ず、病院や銀行、ちょっとした用事で行くのにもタクシーに乗るしかないのですよ。少し歩くと心臓がドキドキして、苦しくなります。しかたないですね。

 入院中、病院で色々な経験をしました。私は介護する側とされる側を経験して、こんなに患者にとって辛く、苦しい思いをするとは思いませんでした。看護婦の手が足らないからといって、平気で個室の患者をほったらかしにして、何とも思ってない人達です。朝の食事が終わっても、なかなか片付けてくれない。昼も夜もです。そしてポータブルトイレを3日間ほったらかしにされ、病室にのぞきにも来なかったのです。患者は不安と寂しさと、辛さを抱えてガンバっているのにです。
 話をするのが嫌なら、顔を見に来てくれるだけでも、患者は安心するのです。気にしていてくれると思うのです。それもなしで、私はとても情けなかったです。足はパンパンに腫れ、お腹も顔も…「もしかしたら腸閉塞かもしれない」と、不安がいっぱいでした。そんなとき、私は帰れるものなら、帰ってやりたいと思いました。

 ある患者さんは、いくら言ってもトイレの始末や片付けをしてくれないので、点滴を引っ張って自分で片付けに行き、見つかって看護婦にしかられていたのです。私は悪いけど文句を言ってやりました。「怒るくらいなら、頼んでいる時に何で片付けてくれないのか。看護婦の仕事と違うのか。何分かかるのや。ものの2〜3分もあれば出来る事を後で…後ですると言いながら動いてくれないくせに、怒る事がおかしい」と言ってやりました。私と同じ治療をして、年齢も一緒です。とてもしんどい時にそんな事があり、8月15日に亡くなられたのです。抗ガン剤で皮膚の方も、大変な事になっていたのです。私も同じです。

 家に帰ってきても、皮膚の苦しみ等々抱えています。私は入院していて栄養失調でした。もう少し食べられるような物でも出ればいいのですが…。一度まるで犬か猫のエサみたいに、お皿に放り投げて入れたような感じで…犬か猫の食べ残しをくれたような感じでした。それはあまりなので、病院へ投書しました。それから盛り付けは気を付けてるみたいでした。
 こんな病院はどこにもあるのかなぁと考えます。大学病院でしたら、大変な事になりますよ。先生方も看護婦さんも、給食の方々も皆気を使っている事はよくわかります。

 もっと書く事がいっぱいあるけど、今日はこの辺で失礼します。少し疲れてしまいました。また家の方にもお出で下さい。皆さんによろしく。
(2000年10月13日)


 皆様大変ご無沙汰いたしております。いつもお手紙を頂きながらずっと出さないでごめんね。

 10月半ばに腰痛で足が動かなくなり、無理も出来ず、寝たり起きたりの生活で良くなって来たのですが、12月の初め頃から又同じ事の繰り返しです。病院に通っているのに一人の先生は「年齢がまだ若いのだから、コルセットは無理だ。」と言っておられたので、私はどういうことかと思っていました。

 1月5日の日は寝る事も出来ないほど苦しみ、救急(タクシー)で神大病院に行き、「10日〜20日入院させて下さい。」と言ったのです。もう暮から食事も出来なくなっていたのです。ところが病院では「脊髄分離滑り症では入院する事はできない。今すぐ手術でもする のなら話は別だが、もう手遅れだから、だめ。」との事でした。
 「家の近くの病院へ行く様に」との事で紹介状を書いて下さいましたので、行きましたところ、そこの先生は「なんでもっと早くコルセットをしないのだ。」との事でした。早速レントゲンを撮り、びっくりしておられ、すぐリハビリをして下さることになりました。「痛み止めの薬を飲みながらじっと寝ておく様に。」との事で、今日は少し楽になりました。お友達が親切に気遣って来て下さり、食べられる様にもなりました。

 6日の朝、私は福祉の方に電話をしました。すぐに来て下さり、色々とお話を聞いたところ、65才以上にならないと介護サービスは受けられないのですね。ホームヘルパーさんもなかなか来てはもらえないのです。もう一人の人は61才で寝たきりになって困っているのに、若いからと介護支援が受けられないとの事です。
 福祉事務所の方は「高橋さんと(私)ともう一人の方が気になるのでヘルパーさんを探しているのだが、なかなか来てくれなくて、私も探し回っているから、もう少し我慢して待っててね。」と言い残して行かれました。
 介護支援、介護支援とテレビなどで言ってはいるけれど、なかなか思う様にはいかないものです。 政治家の上の方の人達は悪い事をして、人の税金の無駄使いをしてるくせに、本当に困っている人が沢山いるのに悔しいですね。矛盾だらけですね。

 公営住宅に入ってほっとしたのですが、引越しの無理もあったと思います。お正月の少し前から身動きが出来なくなり、食事の用意も出来なくて、本当に困りました。少し味がわからなくなっているけど(口内炎)、今やっと我慢して食べる様にしています。 腰痛や口内炎になったり、熱が出たり、食欲が無くなったりと大変です。誰でも介護支援が受けられる様になれるといいですね。
 何を書いていいのかわからなくてごめんなさい。
(2000年1月12日)


 朝夕少し涼しくなりましたが、皆様にはお変わりございませんか?。
 私は7月28日に二度目の引っ越しをしました。この度の引っ越しはとてもしんどくて、もうどうでもいいような気持ちになったのですが、市の方達やお友達が「もう一がんばりやから頑張って」と言って力づけて下さいました。もうしんどくて「何で一人で」と涙が出そうになりました。とりあえず住宅に荷物を入れておき、子供達の所へ休養に行き、8月20日にやっと帰ってきました。
 子供の所にいる間、息子に車で岐阜へ墓参りに連れて行ってもらい、おじさまやおばさまに元気な顔を見せる事が出来ました。20日に神戸に帰ってきてから、まずは部屋の片付けから始め、それから家具を買いに行き、随分歩き回りましたがいいのを買う事が出来ました。今やっとどうにか片付くとまではいかないけど、形だけは付きました。これで一生住む所だから、大切にゆっくりいこうと思っております。

 あと何年生きる事が出来るかわからないので、もしもの事があったら子供に家具を使ってもらうつもりで洋服ダンスは少し無理をしましたよ。部屋はとても広くて端の方なので気楽です。とても元気にしているのですが、すぐ疲れてしまいダウンです。ぼつぼつ夏の疲れかしら?。
 お陰様で人間らしく暮らせるようになり、本当に幸せです。区役所の方も随分心配してよくして下さりました。心から感謝の毎日です。でも私だけが幸せでいいのかと思う事があります。こちらの住宅に移ってから知り合った方ですが、ご商売をしておられ自宅もお店も全壊でした。学校にしばらく避難していたのですが、ご主人の体の具合が悪くなりお知り合いの家に行った為に罹災証明があっても役所から何もしてもらえなくて、今は商売しながらご夫婦共病院通いだそうです。奥様が涙ながら役所に訴えたのですがダメだったそうです。私に言われたので…自分だけが幸せになったのではいけないなぁ…。座り込みに何だったのかと心が痛みます。なぜ平等にしてくれないのかと思い返しています。
 又手紙します。少し疲れました。皆様お元気で。
(1999年9月8日)


前略 6月12日に仮設の方においで下さったのですね。ありがとうございました。

 私も仮設は突然出る事にしたのです(民間住宅への一時待機制度を利用)。色々とあって、夜は人の足音やドアのガタガタする音におびえるようになっていました。裏のご夫婦の方が「6日と13日に出て行くけど、富岡さんの事が心配で…」と言われ、皆さんが気に掛けて下さっているのだから早く行く方がいいと思い、生活再建本部へ行くと課長さんが「いつ来るかと待っていたよ」とおっしゃって下さり、5日間で書類を作成し、場所も決めました。お陰様で気持ちは落ち着きました。
 足が痛いので3階は大変と思いましたが、慣れれば大丈夫です。欲を言ってみたところで、自分が何もする力がないのに…と思いました。この度は市の方から随分とお世話になり、親切にして頂きました。引っ越しの手配もして下さり、また引っ越し屋さんも市の方から言われたとの事で良くして下さいました。本当に感謝でいっぱいでした。

 もう一度引っ越しですが、公営住宅に近い所まで来ています。県の方も7月21日以降には入れるだろうという事で、はっきりとは言えなかったみたいです。被災者連絡会に話をして市の方にも聞いて下さったところ、すぐに返事が来て7月21〜31日までには入居出来るようです。忙しいですが、今度は永久ですから少しの事は辛抱して待っていました。私も何やかやと落ち着かず、友達の所へ行ったりして出歩いています。
 気持ちが落ち着いて夜は寝られるのが何よりです。そして6畳2間にお勝手も6畳ありますので、広々としてとても嬉しいです。買い物も10分も歩けば行けます。仮設の場所よりは物価も少し安く、種類も多いようです。ただバスの路線が分からず、少しずつ見学をしながら勉強しています。お友達も心配してきてくれたりして、今の私は幸せですよ。

 今回はこのくらいで失礼します。何やややこしい事ばかり書いてごめんなさい。お体大切に。皆様によろしく。
(1999年6月24日)


 ご無沙汰致しております。この度の風邪は随分長引きましたが、お陰様でようやく良くなったように思っています。御心配をお掛けしました。
 次から次へと小さい病気をしてしまいます。白血球が減っていったので病院の先生も心配して(血圧が低すぎたのです)、今は漢方薬を下さいましたのでそれを飲んでいます。少し調子がいいようです。でも2日間とてもしんどくて歩くのも居眠りが出るくらいでした。もう大丈夫です。

 話は変わりますが、最近見知らぬおじさんやおばさんが仮設をうろうろしています。中からじっと見ていると留守宅の前に置いてある植木鉢を取っていくので注意したのですが、「ボランティアの人がたくさん放ってあるから取っていってもいいと言った」との事。「私の裏のおじいさんは3月に亡くなられたので、これは国の物になるから触らないようにと市役所の人に聞いてます」と伝えたのですが、「ボランティアがいいと言ったから」と言い張り聞き入れませんでした。私は手が上に上がらないので下で干せる布団の物干しを使っていたのですが、それも取られました。その人を疑ってはいけないと思っていますが…本当にいやらしいですね。
 今まで仮設にいると別人のように思っているようです。人を見下していましたよ。「わしらは早く住宅に入ってチャンと暮らしている。お前等はまだこんな所にいるのか」と…人さまざまですね。

 4月19日はあちこちの仮設の人と観光バスで有馬温泉に連れて行って下さるとのことで、楽しみにしています。これが最後の仮設の旅行だそうです。皆様には随分御心配を掛けました。特にここの会長さんは私のことを大切に思って下さり、良くして下さいました。もう会長さんも5月には恒久住宅に移られます。私はもう少し後になるようですね。
 気候不順です。皆様お体に気を付けて、私や皆さんのために頑張って下さいね。
(1999年4月19日)


 先日はお手紙ありがとうございました。ここ2、3日とても暖かく気持の良い日々で、お洗濯や、フトンを干していると、もうこのまま春になってほしいです。寒いのは、もうたくさんです。今年の風邪はえらい目に合いました。もう治ったと思いきや1日薬をやめたら足のひざが痛くて歩けなくなり、骨折からかと思ったら風邪の熱が関節にきて、家の中をはっていたのですが、足をひきずり神大へ行くと、整形の先生も、こちらのクリニック希望の先生の言われたのが同じでしたのでもう少し風邪薬が必要の様です。それから先日のお手紙の中にちぎり絵の色紙が入っておりましたがとても美しく出来ていて、私、とても喜ばしかったです。大切に飾らせて頂きます。ほんとうにありがとうございました。何もお返し出来なくて申し訳ございません。私もやっと住宅が当たり、書類(3月2日)審査も通った様です。ただし、いつ入れるかと言う事は言って下さいません。前は、早ければ5月、遅ければ6月といっていたのに未だに室番の方もわからないそうです。でも、もう6月まではいられますので、心配なくおります。それ以上遅くなる場合は一時どこか自分でさがしてマンションでも入るしかないのです。でも市の方もなるべくむだな事にお金を使いたくないだろうからなるべく早くしてくれると思います。8月に出る方はもう仮設の建物があぶないから早く出る様にと言われています。
 ちぎり絵色紙の浦島様の方には私が直接お手紙してよいのかわかりませんので、矢萩さんからお礼を言って下さいませんか。もしよければお手紙させて頂きます。へたな字で申し訳ないのですが、書きますので御返事下さい。又、仮設の中での事、何か又あったら書きますね。今日はこの辺で失礼致します。お体を大切に、いつかお逢い出来るといいですね。
(1999年3月4日)


前略
 立春とは名ばかりで、まだまだ寒い日々ですね。皆様お変わりございませんか?。悪い風邪が流行していますが、大丈夫ですか。

 私は1月23日より風邪を引き、その前からのどが痛かったりしていたのですが、少し無理をしたのと疲れとの両方で23日お昼頃から熱が出てきて、25日には神戸大病院に行ったのですが風邪引きくらいだったら近くの病院へ行くように言われ、4日分の薬を頂き帰って来ました。それから少し薬が効いて良かったのに1日半ほど薬がなかったら途端に高熱にうなされ、立ち上がるとフラフラして歩く事も出来ず困っているところへ保健婦さんが来て下さり、クリニック希望を教えて下さったのですぐ電話したら、看護婦さんが車でお迎えに来て下さり診療が終わってまた家まで連れて帰って来て下さいました。
 神大で入院中のノートを持って行き、先生が見て下さり「大変な病気をしてまだ1年だからもう1年間気をつけないとダメだよ」と。そして普通の人と同じ薬は私には無理との事でした。他の病院も行ったので、その薬を見せたからそうおっしゃったと思います。何しろ体力がまだないから無理しないように、ゆっくり治すようにと言われました。でも2、3日前から大体平熱に下がり、お風呂も入れるようになりましたが、入っても2、3時間は寝てなさいとの事です。親切なよく診て下さる先生に出会えて、本当に幸せです。

 話は変わりますが、この度1月22日朝一番に区役所の西神中央の区役所出張所で住宅の個別相談がありました。区役所の人も今回はゆっくりと話を聞いて下さり、「私は神大病院とはもう切る事が出来ない」と話したら、それも病名などを聞き私が一番だから自分の思うところを言いなさいとのことで、神大病院へ通院出来るところだったらと話したら、JR兵庫駅高層ビルの県営住宅2DKを勧めて下さいました。「神大病院もバスで乗り換えなしで行けるのでいいよ」と言う事でした。私もそこで決めました。
 そして一つだけお願いしたのは、私の住宅の中でSさんが元町の方へお仕事に行っておられるから、Sさんもそこがあれば入れてあげて欲しいとお願いして帰りました。そうしたらチャンと聞いておいて下さりSさんが行かれた時、役所の方が「富岡さんが言ってたから押さえてあるけどどうですか」と聞かれたそうです。Sさんもそこに決めたとの事で、とても喜んでおられます。
 これでここの仮設は6月頃までに皆一斉に出られるそうで、ここの会長さんも喜んで下さっていますよ。それまではいつになったら住宅が決まるのかとか、6月になったら一斉に追い出し状態にして取り壊すとか…行き先もないのに行政の人は何を考えているのかとそんな事や働く事も出来ないのにどうしたらいいのかとかばかり頭の中で思い巡らしていました。座り込みをしても無駄だったとかばかり考えていました。でもやっと心も落ち着き、感謝しています。今度書類審査で決まったらいいのにと思っています。

 いまいち体の方もしんどいので、時々散歩がてら駅の方くらいまで行って来るようにしています。これからは良くなっていくと思いますので、ゆっくりガンバリますね。
 寒い折、皆々様お体を大切にして下さいませ。いつも気にかけて頂き、ありがとうございます。
(1999年2月17日)


前略
 本年も押し詰まって参りましたが、皆様お変わりございませんか?。大変ご無沙汰致しております。

 私も退院してやがて一年が来ます。生きててよかったと、皆々様に感謝の気持ちを忘れないで前向きに明るく、お友達に支えて頂きながら暮らしております。早くお手紙書きたかったのですが、忙しくぐずぐずしている間に月日が経ってしまいました。
 そして11月18日、人を避けようして避け損なって転び、右足の踝の所を骨折してしまいました。二、三日前にやっとギブスが取れましたが、今も両松葉杖で歩いています。病院に通うのも大変でしたがガンバって行っています。もう少しの辛抱です。この度は西神南の駅員さんやバスの運転手さんにも親切にしていただきました。本当に助かりました。心から感謝です。

 唯一つ難儀だと思うのはエレベーターです。地下鉄で三宮に出るのも、改札口まではいいのに、地上に出る時はとんでもない所に出ます。JRで大阪へ行き、娘の所へ世話になりたかったのに、どこにもエレベーターがないのです。JRは荷物を運ぶエレベーターはあっても、人を乗せるのはないそうです。
 何でかなぁと考えてしまいます。こんなに多く車椅子や杖の人がいるのに不思議ですね。私は三宮に出る時は、湊川からバスに乗り換えるか、県庁からタクシーで行ったりします。
 自分が足が悪くなって初めて気がつき、エレベーターを探す始末です。駅を色々とチェックするようになりました。また人が私の目の前を急いで、当たるのを分かっていそうなものなのに、すぐ前を素通りするのも危ないです。相手は知らぬ顔をして行ってしまったけど……。私どこに行ってもいけないです。病院へ行く時は、雨が降ればタクシーです。こんな時は誰に言ったらいいのかなぁ。私がボゥーッとしているから、やっぱり私が悪いのかなぁ。

 早く住宅が当たるといいのに…心待ちにしています。
  (1998年12月17日)


 ひと雨ごとに秋も深まって、朝夕涼しさを越して急に寒くなってきました。皆様お変わりございませんか?。

 8月に座り込みをして、少しは変わったかと思いきや何も変わっていません。ほんとうにお役人の方は、汗水垂らして頑張っている皆様の声を聞こうともしないでバカにしてますよ。また10月2日から県庁1号館で座り込みを始めました。私は2日3時半頃から行きましたが、4時頃から風が出てきて6時頃には寒くて外に立っているのがとてもつらかったです。
 県庁の外に放り出され、皆震えておりました。私はまだ体が本格的でないので、帰りには熱が出ていました。私一人ではないと思います。私より高齢の方もたくさんおり、風邪を引かれた方もおられると思います。でも負けておれません。被災者統一要求会の局長さんもずいぶん腹を立てておられ、行政の方々にも怒鳴って言われてましたが、行政の人は「私達は管財人で、窓を閉めカギを掛けないと駄目ですから皆に出てもらってます」の一点張りです。ほんとうに市民を軽蔑してますよ。私達は皆同じ思いで、皆幸せになろうとしているのに…つらいですね。
 約束する時はいい加減に言い逃れで努力すると言いながら、ちっとも守る事も努力する事も何もしていないのですよ。日本国は議員さんを始め、皆右へならえですね。そのうちの半分でも3分の2でも、ちゃんと市民の声を聞いて戦ってくれる議員はいないものでしょうか。
 地震から4年近くも経つというのに、まだ仮設で苦しい生活をさせられているのは日本だけじゃないかなぁ―情けないですね。

 それからもう一つ、私が腹の立っている事があります。私の友人である障害者のご夫婦で、現在「老敬施設みなと」に入院中なのですが、役所に行く用事がありタクシーを拾って、帰りに障害手帳を出し「お願いできますか」と尋ねたところ、運転手が「そんな事していたら、わしらもうからへんから出来ない」とあっさり断られたそうです。何のために市から手帳を持たせてもらっているのか?何の意味もないですよね。これからバスや電車に乗るのがまだ怖いので、タクシーしか乗れない人にそんな事を言うとは卑怯と思いませんか?。

 今日はこの辺で…また書きます。いろいろ頭に来る事が一杯あるのに、なかなか痩せません。皆様お身体大切に……。
(1998年10月5日)


 9月に入り、やっと朝夕が少し凌ぎやすくなってまいりましたが、皆々様にはお変わりございませんか?。私は少しバテ気味です。時々じっと寝転ばないと疲れ切ってしまいます。身体中が痛みます。

 先日お友達6人と出掛けて夕方帰ってくると、近所のおじちゃんが待っていて下さり「今か今かと待っていたんやで。あんたに喜んでもらいたい事があるのや。一生懸命県庁で座り込みをしたでしょう。そのお陰で自立支援金の事が新聞に載っている」と言って新聞を見せて下さいました。私もしんどかったけど、一緒に仲良くしていただき、同じ思いを持っていたからこそガンバれたと思っています。
 ご近所の方達が「病気上がりの体で富岡さんの事心配してたよ」「よくガンバってくれたね」「仲間の方々にも私達皆が感謝しているよ」と言い、座り込んだ方達に本当にご苦労さん、ありがとうと言っておられました。私も嬉しかったです。新聞を入れておきますので、読んでみて下さい。

 では今日はこの辺で……。
 まだまだ暑いです。お体くれぐれも気をつけて下さい。何だか頭の中がまとまりませんので…ごめんなさい。さようなら。
(1998年9月12日)


 先日は暑いところ、県庁までおいで下さり「かみひこうき」をありがとうございました。

 相変わらず県庁の方に行きがんばっておりますよ。なかなか話し合いは進展しません。御役人の方は嘘ばっかり言っています。お昼に約束したことを、夕方にはもう覆す、その場限りの言い訳をし言い逃れをしているのです。
 皆様も疲れが出てきています。でも役所の言いなりにはなれません。老人の方も一生懸命がんばって来て下さっております。91歳の老女の方が疲れが出て寝ておられ、心配して仲間の方が見に行かれましたら「私にもしもの事があったら、貝原(知事)さんに涅槃で待ってると伝えて下さい」と言っておられたそうです。

 私も洗濯を夜中にしたり、寝る時間を削ってガンバって行ってます。皆さんもそうしておられるのです。神大の先生、ある交通局の方も「何で行政は市民をいつまでもほっておくのかなぁ。本当にあの人達は何を考えているのかわからん」と言っておられました。「とにかく暑いから体には十分気をつけてガンバって下さい」との事です。
 市民の方は皆、私達の味方のように思います。中には親、子、兄弟を亡くされたのでせめてお盆の間だけでもと遺影の写真を飾り、一緒に県庁でガンバっています。それを見て、県庁側は物扱いにして「線香をたくな、リンを鳴らすな、経本を読むな、こんな物は取り払え」と言いました。本当に人間の皮をかぶっているだけで、人の痛みも分からず、血も涙もないのですよ。先祖もなく、情けない人の寄り集まりなのでしょうか?。神戸だけじゃない、仮設の人だけじゃなく、日本中の人が皆安心して、幸せに暮らせるような行政は出来ないものでしょうか?。役人は幸せすぎて、自分の所だけ幸せであればよいと思っているように思います。

 かみひこうきの皆様も暑い折り、お体に十分ご自愛下さいませ。乱文乱筆お許し下さいませ。
(1998年8月17日)



 前略 暑い毎日ですがお元気ですか。私もどうにか頑張っております。

 今日も毎日のように県庁に座り込み(仮設入居者には支給されない被災者支援金制度の拡充などを要求)とに行っております。病院に通いながらなので、皆様に申し訳なく思いながら行ってます。兵庫県被災者連絡会ほか大勢の方で頑張っております。

 貝原知事はなかなか出てきません。そして、部下の人が「仮設におる人は仮設で死んだらいい。仮設に入っている限りは支援金も出さない」との事。「国からもらってきたお金はどうなっているのか」とこちらが質問したら「ワシ等の勝手や。どう使おうと勝手じゃ」と言っておりました。座っていてもムカムカ腹の立つ事ばかりです。
 一人でも多くの人が参加して下さるとありがたいと思います。そしてマスコミが取り上げて下さるようになれば、貝原さんも出てくるのではないかしら……。
 仮設の中で住宅が当たっている人に署名をお願いに行ったら、「私達はもう関係ないのやから、署名をして市からにらまれたら困る」と言われましたよ。
 また「座り込みに参加したくても、家族が病気だったりしてどうしても行けないのでごめんなさい」という方もおられました。その人達とは話をしてホッとした気持ちでした。どうか一人でも協力できる方がおられたら、よろしくお願いします。

 一つずつ色々の問題を解決していけるといいです。お金をもらって住宅が当たったからといっても、他にまだまだ問題があります。貝原知事が出てきて、それを一つずつ回答してくれるといいですね。
 早く明るい日が来る事を祈りながら、明日もまた座り込みに行きます。

 追伸 一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。まだこんな事をしている事を。神戸の震災を忘れないで欲しいのです。仮設で苦しんでいる事を……。一昨日も私のそばの女性が突然倒れて、半身不随になられました。つらいですよ……。わかってね。
(1998年8月9日)






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