昔から胸がつぶれる思いとか、人の噂も75日等のことわざが有ります。震災当時肉親を亡くした方々の何人かと話を致しました。涙を流し低い声で語ってくれました。胸が苦しく、吐く息ばかりで、地球の重さで全身をしめつける絶望感に堪えられぬ、一切の物を見たくも聞きたくもない。此の大苦をどこにブチ当てればよいのか。金も不要、物も不要。命もいらぬ。生きる希望など全くない。だのに腹もすくし寒さもこたえると、泣き笑いの物語でした。
無事生きているのが何よりの幸せであり、1日も早く気力を取り戻して下さいと月並みな言葉を掛けましたが(苦しんでいる此の人にとっては、此の言葉は勝者が敗者に云う言葉と感じたと思う)、私は肉親が皆無事だった。今此の人々は無事元気で生活をして居られるのだろうか。私はいつも祈りをおくっている。
現代の世相は、他人の事にかまって居れない、自分達の事で精一杯の世の中です。なのに最後まで声を掛け世話をして下さるボランティアの皆様方に只感謝有るのみ。最後に、亡き6400人の魂と共にさけぶ。天よ再び此の様な災害をおこさないで。
(1999年4月17日)
東西90cm、南北74cm、上下40cm、約17秒地獄の始まりだった。
ビルが根こそぎ倒れた。下部が崩れて11階建てのビルが10階になり、蛇のように波打つ集合アパート。「助けて」の声を聞くも、瓦礫の下。見えてはいても火に炙られて近づく事も出来ぬ。全く無力の己に腹が立つ。
パンクした病院の内外、ケガ人・病人の山。怒鳴る大勢の声。道路は大きな道以外は、倒れた建物、瓦礫のために通れない。この中、多数のボランティアの皆様の親身のお世話活動に、私は深く頭を下げました。
しかるに、この間救援物資に群れたかる輩共、トラックに次々と積み込み係員やボランティアの止めるのも聞かず、暴力と脅し言葉で強行略奪がいくつも各所であった。ボランティアの方も、ずいぶん立腹された事でしょう。
人道正義のボランティアの皆様の中に、私は日本人を見ました。嬉しかった。
ボランティア活動された皆様、本当に有り難うございました。
(1998年7月4日)