桜井 義信さん

  (住所:神戸市西区 年齢性別:60才男性 職業:無職)


 思い起こせば13年前、震災で生き埋めとなり、その後、助け出され入院、通院。 障害者なるも今だ通院の身。 今、阪神大震災を語る者少なく、小中学生も知る由もなく、風化しつつある。そんな子供達と今、野球をやっている。高齢者の仲間となった今も、腰や足が痛くともやっている。 

 週に2,3回私が行けば、顔を見るなり、やって来る。 私も顔には出さずともうれしい気持である。 この子供達は震災のことは全く知らない。親もしかり。学校とてしかり。
 この子供達がやがて成人になり、社会へ出発した時、共々に社会で助け合い、励まし合い、やっていけるのだろうか。 地震も災害も知らない子供達が。 しかし、家に閉じこもらず、夏の暑い時も、冬の寒い時も、私と野球をやる日々。 2、3時間。それだけでも、私も子供達も心が、精神面が解放的になる。 

 地震や災害は忘れた頃にやって来る。 私達大人が、社会人が積極的になり、ましてや体験者が逃げずに伝えてゆく、話してゆく。 備えあれば憂いなし。 いつかは分ってくれる人が、人類が助け合うことの大切さや苦しい時に、悲しい時に、つらい時に助け合うことのできる成人に。野球を通じてやっている。子供達は元気である。 大人が知る事もできない事を自由に発言する。 時にびっくりする事を言う。 スポーツを通じて何かを目指して交流する。

 もうすぐ「1.17」がやって来る。 13年目の冬、思い起こせば、私はこの年までよく生きていると思う。 この先いく年あるかは計り知れずとも、あの世へ行くまで子供達と野球をやっていたい。 震災で障害者となり、年も還暦を過ぎ、今だ通院の身なれど、手、足、腰が多少なりとも動く限り、スポーツをやってゆきたい。 それが残された私の人生、あとわずかな人生、悔いのない人生。 もうこれしか残っていない。

 阪神淡路大震災の犠牲者に心からご冥福を祈ります。
(2008年1月8日)


 何とか明るい話はないか、身の回りを見ても、日々の生活にあまり変化なく、そんな中、毎日近くの公園へ行く。
 18年中頃から同じように公園に来る仲間(?)が二人いる。二人共に年は70才前後で今だ名も知らない仲である。 しかし、会えばホッとする。互いに笑顔が出る。そして何のとりとめもない話が約1時間ぐらい続く。家は二人共すぐ近く。

 人間とは不思議なもの。名前も過去も何も知らない者どうしが「10年の友」の様な気がする。それでいいかも知れない。時に顔を見ないことがある。そんな時、もしやと思うが、また会えばホッとする。そして子供と動物が大好きである。成人より子供と動物(特に子供)の友が多い。よく子供達とクイズをやる。
 私が考えたもの、又、クイズ本で覚えたもの、子供達もクイズが好きで、「クイズのオッチャン」として、野球のコーチとして子供達に人気がある。又、動物も公園でよく見る。犬は私にすぐなつく。犬も私が動物好きだと分る。 子供も動物も、ウソも裏切りもなく、分り合える。

 未だいる少々デキの悪い中学生達、男も女も公園に時々来る。私にグチを言うため、聞いたところで、どうする事もできないが、アドバイスはできるし、話し相手にはなる。お互いそれだけでいいのだが。 もちろん名前も住所もお互い知らず、それでいいと思う。
 一人の女子は短大へ、一人は就職へ。 又、男子は高校へ行ったり、就職すると言う。働く子は「学校も家も嫌い」だから働くと言う。それはいい事だ。人生の第一歩もあせらずにゆっくり進め。 又、何か一つでいいから、自分の好きな事を見つけ、それに向かって行け。進学も就職も君たちの道。 思いっきり行け。私の話はそれだけ。

 今、震災が起きれば互いに助け合う事ができる。名前も知らないどうしが、これが地域のつながりと思う。日頃付き合いのない身内より頼りになる。
 私の心の底にそんな思いがある。あってはならない大震災、だがこれも体験者の備えのひとつ。この様なつながりでいい。多くの人達と心のつながりを持ちたいものです。
(2007年2月1日)


 とうとう60才。思えば長いようで短い人生。その中で震災を抜いて語れない人生。もし震災に遭わずば、こうして「かみひこうき」にメールを出す事もなかったのだろう。
 今、決して不幸だとは思わない人から見れば不幸だろう。しかし、本人は60才を迎えたという事は、生きている、そしてこれからも後何年残っている人生か分らないが、オツリの人生である。

 地震の事であまり話し合った事がない。もし我が子が震災に、災害に遭ったら、我が身も人も救う事ができようか。せめて我が身だけでも救えようか。親心あるが、子は親心知らず、まったく話をしない。正月すら帰っても、あまりいい顔はしない。
 もう10年以上も離れて暮らし、子は心が離れたのだろうか。しかし、親は子の事を10年1日たりとて忘れた日がない。もし、私が死ねば、誰が発見するのだろうか。3ヶ月も4ヶ月も骨になるまでこの家でほったらかしか。

 もう私の所も別れた妻も、子も、兄弟も、友人も何年も来ず、よくこんな環境で病とケガとたった一人で生きていると思う。何の為にと時々思う。ただ私の精神力が人並み外れているか、だから少々変人か。多分変人であり、精神力の強さがあるから生きている。

 そして春には「還暦野球」をやろうとする。体重も落ち、60キロから、今は50キロそこそこである。歯も抜け、髪も白髪だらけで、いかにも老人である。しかし、春にはまた野球をやる。

 もうすぐ「1・17」。12年目の震災日。この私でさえ、地震の怖さは12年間1日も忘れず、少しの音やテレビの「地震速報」におびえる。又「阪神大震災」がきたら、今度は助からないだろう。「1・17」は特にそう思う。私だけだろうか、こんな思いは。
 地震体験者の友がいない、知らない私だが、60年も生きたこの命、あと少し残っているかな。春はまだかな。今一度、桜のころに、我勇姿。
(2007年1月11日)


 今の少年少女たちは、どう生きるか悩んでいると思う。戦後生まれの阪神大震災を生き抜いた者でさえ、どう生き抜くかはむずかしい。それが10代で命を早める、一体その短い命に何があったのか。しかし、その小さな胸で死を覚悟する。そうとう悩み苦しんだに違いない。

 もし災害を体験していたらどうだろう? 災害とは悪い事ばかりではなく、人生の生き抜く力を又与えてくれる。生き抜いた者に生き抜いた喜び、又、命の大切さを。
 多分命を早める者(自ら)は、災害の体験はあるはずもなく、体験しようとしてもできないもの。だから色々な災害で生き抜いた人達の話を見て、聞いて欲しい。少しは為になる。

 学校で、友達から、図書館で、又、インターネットで写真を見たり話を聞いているうちに、自身が死のうという気がなくなる。先生も親も信用できないなら、自分の力を信じてやってみる。そこに命をかけて死ぬ前に命をかけて、何でもいい。災害の話でもいい、スポーツでもいい。自分の好きな事、やりたい事が何人(誰)にもあるはず。
 投げ出す前に命をかけてやってみる。 10年、20年、30年かかろうが自分の為にやる。何かにトライする、すればいつかきっと、「あの時、死なずによかった」という日が必ず来る。

 世の中、世界の中、人は自分の為に生きる。ボランティアとか社会とか世界平和の為とか、それは大義名分であって、本心は自分の為である(ひいては人の為になる)。
  もし万一このメールが読めたら、少年少女で万一の事を考えるなら、ほんの少し待ってみたらどうかな。死ぬ勇気は生きる勇気よりむずかしい。その勇気をもって、少々待ってメール見てね。

 さて、こんな立派話を言う私でさえ生きているのだから、まだまだ生に対しやり残している事がある。もう一度「スカイマーク」のグランドに立つまで。播磨の還暦野球チーム連絡先よろしくお願いします。
(2006年11月30日)


 久しくなくもまだ生きている。最近体の調子が悪く、もしや死が近づいているのではないかと思う日々が多い。 そのぐらい体のあちこちが痛く、特に腰が痛い。

 こんなに体調が悪い中、スポーツがやりたい。ただそれだけ。他にこれといった生きがいも無く、ただ命ながらえているだけ。自身が入れる野球チームを探すが見つからず、最後に残った「還暦チーム」のみが多少の望み。
 それもパソコンが無ければ探しようも無く、西区のチームのみ。もはや絶望、後何年やれる自信も無く、今しかない。

 ボランティアも少年野球も全部やめて、最後の還暦チーム。名前(チーム名と電話)だけでも分らないものか。
 今、人の心、子の心計り知れず。震災を乗り切って今ある命、それをどう使うか話し合った事も無く、地震体験者も何も語らず。又、人知れず一体皆はどうしているのか、この団地に多数いるはず。しかし、顔も話も聞こえてこない。

 以前はボランティア(小学・少年野球)を体を投げうってやり尽くすも、ただ本人だけ気持の空回り。時々地震の話をするが、一人よがり。何だか本当に疲れた。
(2006年11月6日)


 東横インホテル、18年2月2日オープン。神戸・三ノ宮のど真ん中。
 かつて11年前、地震で倒壊した街、そこに身障者をないがしろにするホテル。客室が満室とは一体何をいわんか。ある日、「身障者は泊まれますか?」ときく。ホテル側は「泊まれる」と。しかし、「入口で車椅子を降りてきて下さい」と。歩ける人間が車椅子に乗るバスもなく、入口からはって来いと言う。

 これが三ノ宮の地震のあった所にある東横インホテルで、客室が満室。阪神大震災で身障者となった神戸の人間をバカにして見下しているのか。今の世の中はお年寄りや身障者、特に電車や横断歩道で身障者が困っている時は助けてあげて下さい。マスコミ、小学校でよく聞く話だが、社会は心底助け合っていけるだろうか。

 今、トリノオリンピック日本選手の中にあって、女子フィギィアスケート個人の金メダルを見ていると、「勝った、やっと勝った」と日本でたった一つの金メダルに思わず涙が出た。年をとると涙もろい。同じ日本人だからかな。でも親はどんなに鼻が高いか。
 夏・東京オリンピック、冬・札幌オリンピック以後全部見ている。数々の思いがある中、金メダルを見て、選手を見て泣けてきたのは多分初めてだ。最近、暗いニュースが多い中、久しぶりに感動した。

 少年少女たち、日本人であれば誰もが感動する、その気持を大切に。子供達がスポーツに又自分の生きがいに向かって大きくなれ、身も心も。太陽の空の下で運動しろ。若き日に出来なかった事が今になって、60近くなって、「なぜあの時に」と後悔の日々。今も頭をかすめる。
 子供達は勉強やスポーツをやっていれば頭も体も疲れて、よく寝てよく食べ、それで十分。大きな夢も希望も満ちあふれ、自身がやる。
(2006年2月24日)


 2006年、一年の始まり。
 早いもので我が子もこの一月に成人式を迎え二十歳となる。震災を乗り越え、社会人の仲間入り。感無量のこと思う。離れて暮らすも心は通じ合いたい。でもあまり話はしない。親を必要とすることなく、自力で頑張っている。

 今の若い世代はすごい。フィギュアスケート、プロゴルフ、テニス、卓球、ボクシング・・・アマチュアでも野球、サッカー男女、特に女性の若い子にはびっくりする。
 本当にやればできる。生きて健康であればできる。未来、将来は限りなく明るい。子供達にはそれを託す事ができる。
 しかしながら今、世間では子供の自由が無い。親が学校が奪う。あまりにも子供達に災いがふりかかるから、災いを恐れるあまり子供の自由が無い、自立心が無い、そして家に閉じこもる。親は先が不安になりそう、子供は・・・一人っ子が増える。スポーツ人口も減る。

 来月(2月)には、あれほど反対した神戸空港が開港する。初めはその珍しさで人は行くだろう。しかし、いつまでもつか。三つの空港が狭い神戸沖にも飛び、大事故がいつ起きるかも知れず、国が決めた事は何が何でも押し通す。そのしわよせは国民に来る。そして又、ニートやフリーターが増える。
 今、子供、若者の先の不安から、ひきこもり、スポーツ嫌い、ニート、フリーターが増える。親も又、将来の不安からか一人っ子が多い。いつも同じことを言うのだが、こんな事で大災害(地震)が起きたら、心を一つにして助け合う事ができるのだろうか。
 今だ震災後の孤独死がある。誰にも見取られず、たった一人で死んでいく。哀れで淋しく悲しい。

 昨年12月28日、友人が死ぬ。毎年思うが、今年こそいい年でありますように心で手を合わせる。
(2006年1月10日)


 早いもので今年も後2ヶ月少々。 震災より10年は長いようで短い月日。明けて自分は59才で、又一年もすれば60才。老人の仲間入りか。

 気ばかり若く、しかし、体は気持についていけない。こんなはずでは、もう少し出来るのではと自分に言い聞かせてはいるが、やはり体がついてこない。やっぱり俺は老人かもと思う。我が子も年明けて20才になる。もう親の出番は無い。体力、知力ともついてゆけない。それでいいのだ。
 子は親を追い越す、たくましくなる。それでいいのだ。親は置いてけぼりでも。淋しいかな我が人生。

 病をおしてボランティアをする。何の為、子供の安全の為。地域でもう少し交流がある様、出来る様。いまだに我が身さえがよければいい、そんな姿勢が見えてくる。我が校さえ無事卒業さえすれば。
 昔の言葉に「親方日の丸」というのがあるが、知っているだろうか?上が国家なら下の者は「おんぶに抱っこ」。こんな言葉すら知らない者がいる。

 子供達は、ボランティアと先生の区別がつかない。無給と有給、どちらもいい大人でしかない。特にボランティアは何のためにいるのか? 学校で本当に子供達に分るように話しているだろうか。又、子供達の両親は何を考えているのか? いまだ顔さえ知らず。ボランティア精神とは何か?

 決して見返りを願うものではない。ほんの一言「ご苦労様です」、又、子供達からは「ありがとう」それだけでいい、気持が安らぐ。
  「遠い淋しい日暮れの道で、顔で笑って心で泣いて、叱った監督の心の声を忘れるな。 我がチームにきっと春は来る。 生きてゆこう、希望に燃えて、チームの口笛高らかに、このチームの進む道」 
 今は只、この子供達だけが心の支え。 希望に燃えろ、ミラクル少年野球団。
(2005年11月11日)


 この度神戸市障害者スポーツ協会から、来年5月リハーサル会場内定。又、このリハーサルで好成績ならば、11月の「第6回全国障害者スポーツ大会(のじぎく兵庫大会)」の道が開かれる。先は長いが、またひとつ生きる道ができた。年々体力が落ちる中で、一生懸命やらねば。

   人の人生とは、あらゆる人生がある。ある日突然の地震、そして助かり、障害者となり、全く違う人生を歩む。しかしながら毎日が今日は我死番であると覚悟するならば、物事に動ずることなかれ。いつも自分に言い聞かせている。

 今、小中学校で運動会が盛んであり、私も有瀬小運動会へ招待され、今年も行く。子供達は元気で、1年生から6年生まで元気一杯、ニコニコしてよく動く。日頃のイメージと違い、明るく楽しく、一生懸命にやる。特に1年、2年生は大変かわいく、心もいやされる。子供とはこうありたいもの。

 学校、家庭、塾と子供の自由を奪っていないか。日頃見た事もない子供達の笑顔。そんな子供達を見ていると思えてならない。学校、家、塾では最近の子供は、甘やかしていると聞くが、子供の中にあって、格差がある。
 「できる子」と「そうでない子」との差が大きくそれが引きこもりや登校拒否、すぐ休む子、引っ込み思案、運動嫌い。

 貧困の差とは金銭ばかりでなく、心の貧しさ、精神面のわだかまり、親子の絆のなさ・・・子供達の自由とは心の自由ではないだろうか。
 間違いなく子供達は、日本国を支える大切な子供達である。
(2005年9月30日)


 待てど暮らせど届かず。6月の「かみひこうき」が返送もなし。不思議な事がある。

   今、我が野球部に女子2名がいる。まだ小学校5,6年生の子供である。しかし、ずいぶん教えられる事が多く、感心する。人様の子供はこれほど難しいものだったか。我において子供すら正しく導く事が出来ようか。
 今、悩み、やや切なく身をもってして、この身が果てようとも好きな野球で子供達のため、ひいては自分のためと費やしているのだが、この心境を子供達にも言えず、言ったところで分るはずもなく、弱音を吐く監督と見られるのがおちだろう。
 人から見ればたわいの無いことか、何ともささいな事か。 しかしながら、今、我が身の出来事である。

 今、国内はもとより世界において事件、災害(ハリケーン、水害など)が多く、特にアメリカの水害は、阪神大震災以上とも聞く。又、力の無い者が犠牲になり、大国アメリカと言えど復興に数年かかると思う。
 日本の台風も今年は被害が少ないとあなどるなかれ。災害は何時来るか分らぬ。他人事と思うなかれ。

 話は最初に戻るが、「親の心 子知らず」又、「子の心計り知れず」 いつ離れていくかも。小学生の間だけでも中学生になれば、チームメイトであっても離れ、親ですら話をしなくなる。
 少年期から青年・青春時代、親はますます淋しくなる。人とは幸福に暮らしていれば、近親者とのつながり少なく、いざ何か起これば、親子や近親者は一番の助けになるのである。

 我が身においても今尚、腰やわき腹(を痛め)、体重の低下など不調ながらも今も「野球をするぞ」である。グランドでこの身が果てようとも、今、我を生かす道はこれしかない。 今の一瞬だけこの道を行く、ただ一筋に・・・
(2005年9月3日)


 先日、校庭で全員で1000名ぐらいの小学生に身の回りの出来事を話す機会があった。 じっと聞いている子、よそ見をしている子・・・先生でもない者が話す。それはどんな効き目があるのだろうか。それは「おはようございます」のあいさつから、人間の絆、人のふれあい、心の通じ合いが生まれるといった内容だ。

 先生にも子供達にもどんな風にとらえる事ができたか。子供達は人に先生に言われるから、あいさつする。多分本当の意味が分っていないだろう。それを先生がどう正しく導くか、又、家庭内であっても同じ事が言える。家でどれだけの子が両親とあいさつできるか。

 父は早く出勤し、母がいてもパートに行く時間が迫る中、父母どちらでもいいから「おはようございます」が言えるだろうか。親は子があいさつすると、少々てれくさいが、嬉しい。では親から積極的に言う。日常的にそれが家庭内の和の始まりであり、色々な話がしやすくなる。

 親子の絆は家庭から生まれる。そして人が家庭を通じ、ふれあいが生まれたら、万一の災害から助け合う事ができる。もし不仲であり、あいさつもできず災害があれば、当然、友人が優先になり、いくら身近にいても不仲であれば助け合いが遠のく。
 小学生には少々きついが、人の心のふれあいとは、こうして必要であり、人や先に言われるのではなく、中、高、大学生となってもますます必要になってくる。

 自分からすすんで人をつくる、友をつくる、家庭をつくる。そうすれば先生も親も友も世界に誇れる日本になる。あらゆる事件も人と人とが助け合い、それが平和の道、人類の進歩。

 幼き頃から学べば、きっと頭に脳裏に焼き付く。子供を人をこの紙面で簡単に言うはたやすいが、いざ現実に小学生から正しく導く。
 いかに大変でも難しい事が現に子供と取り組んでいる先生や親は毎日が休まる日が無いと察する。しかし、生まれて一生80〜100才、自ら命を絶つでなく、自ら命を生かす。
(2005年6月26日)


 ボクは電車の運転手。子供達のあこがれの職業である。事故直後、名も知らぬ何の縁もゆかりもない人達が共に助け合う、一人でも多くがそう願ってカミヒコーキに言い、又、テレビの中の必死の救出活動。日本もまだまだすてたものではないと思わず、テレビの前で涙を流す。

 何と多くの若い命が・・・本当に代わってやれるものならと。しかし、その当日に助けるどころか、イベント、娯楽、飲食にうつつをぬかすJR職員。人の心を持った人間であろうか。それでも子供のあこがれの職業か。

 今(5月10日)、JR職員にいやがらせが多くあると言う。そんな事で多くの命、又、これから未然に防ぐ事故、助かった人達、生き残った人達にとって何の助けにもならない。バカなことである。

 あまりもハイテクの一分一秒を争う生活。日本はそんなに何をあせっているのか。国民も日本のドンもあせっている。老兵達はそんなにあせらなくても、急がなくてもいいと思っているはず。

 せっかくあの阪神大震災から10年、何とか立ち上がり、元の生活の尼崎周辺と被災地。今、又元の生活に戻すには何年の歳月が必要であろうか。
   日本国は、あわてず、騒がず、もう少しゆっくりとできないものか。それとも日本人特有の気質だろうか。災害や事故がある度に過去の教訓が活かされているだろうか。

 教育もゆとり教育どころか今日の子供達は塾通いで忙しい。地域で事故の教訓、災害の教訓が話題にのぼらず、未だ「対岸の火事」である。これが地域周辺の現実であり、今一度我が身に起きる前に、107名様永遠にやすらかに。
(2005年5月25日)


<教訓>
1.弟や妹をよくめんどう見る事。
2.道具を大切にする事。
3.チームメイトは助け合う。 仲良くする事。
4.ボールは見つかるまでさがす事。
5.だらだらしない事。 やる気を出せ。
6.両親の言う事をよく聞く事。
7.監督の言う事をよく聞き、話がある時は素直に言う事。
8.冷茶を必ず持って来る事。
9.早寝(夜10時までに)、早起き(朝6時)を必ず守る事。
10.自分の健康(病気やけがなどに)は自分で気をつける事。
11.練習の時、必ず朝ごはんを食べて来る事。
12.宿題を必ずする事。
13.ボールを取ってもらう時、必ず「ありがとう」を言う事。
14.家でも「おはよう」、「おやすみ」を言う事。
15.練習の時、人に会えば、「おはようございます」、「こんにちは」を必ず言う事。
16.監督の話は絶対守る事。
17.「教訓」や「きまりごと」を守れない者は野球(スポーツ)をやる資格なし。いつやめてもいい。

 このような決まり事は、野球をやっている時だけであり、家や学校ではどこまで出来るのか不安であり、心配でもある。
 今又、世の中には何かの大事変か真にその時。九州での地震、兵庫県での列車衝突の大事故。あの阪神大震災を上回る大音響という。そして、地響き。

 仕事、スポーツ、その他色々な思いを乗せている列車、それが一変して地獄の列車となり、人生を、家族を何もかも奪ってしまう。ただ一つの救いは、同乗者がけが人を助け合うといった人間同士の思いができたこと。何も知らない者同士が助け合う。いかなる時もこうあって欲しい。 テレビではけが人や死者の数がどんどん増え、心当たりの知人、家族、会社その他もしやもしやといても立ってもいられないと察する。

 どうか最善の努力、救出を行い、助かる命あらば一時でも早くと今はJR西日本にかけるしかない。一命でも多く。
(2005年4月25日)


 友達ができず、家にひきこもる。そこには何か理由がある。好きな事ができない、勉強ができない、スポーツができない……それが何年と積み重なり、子供(少年)の何らかの事件が起きる。子供も人間であり、子供の身になって考えよう。

 今、野球(私が担当するチーム)で何らかの事情がある子が7,8人いる。中には女の子もいる。週に2回、共に野球をするが、その時の子供達は活き活きしている。家も学校も知る由も無いが、本当に楽しそうである。中にはバットもグローブも持たない子がおり、他の子から借りている。
 その子は親一人子一人で、決して裕福ではない。しかし、本当に野球が好きで、一生懸命やっている。元気であり、それでいいと思う。健康で五体満足、それ以上の宝は無いと、障害者であるからこそ、本心より思う。

 家庭が裕福で両親がいる子は、塾にも行き、野球もやる。野球用具は一式持ち、車で送迎してもらっている。これが大半である。勉強もそこそこ出来、何の不自由もない。 「うちの子に限って」は事ある毎に聞く話である。
 震災時に生まれ、地震を知らず、親も大きな被害を受けた経験が無い(神戸市西区では)。子供も大人も物質的な不自由なく、精神的にも不自由していないだろうか。もしあれば、子供は学校も家も、又、相談する友も無く、孤立しないだろうか。

 3月〜4月は、卒業式に入学式と悲喜こもごもである。特に入学式は楽しみで、どんな子供達が入って来るのか、親でなくとも嬉しい。その前に卒業式、思えばこの6年生は幼き頃(1年生)からの顔見知りで、さみしい気もするが、元気一杯に天高くはばたく。 そしてピカピカの1年生、中には入学前からの顔見知りもいる。この子供達とも命ある限り共に行こう、卒業まで。
 3月24日 卒業式  4月11日 入学式  神戸市西区・有瀬小学校。
(2005年3月16日)


 ふるからず小学校に縁があり、大人より子供の友達が多い。卒業式や入学式、その他色々なイベントに出る。 幸いにして神戸に小学校犯罪は聞かないが、楽観できず、いつも神経が休まらない。
 そんな中でも登下校ボランティアをしている。又、子供達もこの度防犯ベルを神戸市の子供が全員持っている。時の流れとはいえ、むなしい気もする。

 その昔は、味噌、しょうゆ、砂糖などが足りなくなった時、ごく当たり前の様に隣近所での貸し借りがあった。 子供も来て隣のご飯。隣も又家に来る。
 今はどうだろうか? 物の貸し借りをし、子供も大人もなく、その家でご飯を食べる。都会においては交流がなく、むしろ避けて通り、顔すら合わない様にするぐらいである。

 これが子供達に暗い影を落とす。親の勝手で子供が犠牲になる。それがうちの子に限って親の話。防災も防犯もうわべのキレイ事だけで、一部の人のみ集まり、あとの者は知らぬ顔。

 神戸が、日本が、いや世界が「心一つ」になる日はいつだろうか。時々むなしい気がする。個人の力では限界がある。いつもながら災害があってから地域のコミュニケーションとか、譲り合いとかである。これが昭和20〜50年代頃は近隣の親しき付き合いがあった。特に下町ではそうであった。

 平成に入り、「隣はどんな家族だろう?」多分そんな事は思わず、自己中心の家になり、それが災害や子供達への犯罪がある。世の中は欲求不満になっている。そのはけ口として、弱者(子供、女性、老人)が犠牲になる。防犯も防災も、人は全く違うと考えているのではないか。「共に助け合って、防ぐ」これが人の心のつながりと感じる。いつも同じ事を言わざるをえない。

 又、家にこもる子供が多い。年々スポーツをする子供が減り、野球もメンバーが足りず、チームが出来ない状態になる。子供を親の勝手にするな。子供に好きなスポーツをやらせろ。健康であればいい。
(2005年3月4日)


 10年やっと過ぎ、若くも年寄りでもない半端な命。後は少々のオツリの人生。今、こうして振り返ることができ、未来のない人生も見える。
 震災後、また前とよく夢を見る。思い出すこともできる。多くの人が人生観が変わったと思う。いい方にもそうでない方にもである。

 神戸には雪がない。しかし、豊岡や新潟は豪雪。特に新潟は19年振りの豪雪と言う。仮設の中、雪との戦いもある。想像をはるかに絶すると感じる。助かった者、命あった者は、亡くなった人の分まで生きてゆかねば。災害に遭い、被災者となり残った人の宿命。

 生きてゆきさえすれば、いつの日か命あってよかった、今日まで生きてきた。そう思える日が阪神淡路大震災の様に10年もかかるかも知れず、必ず来る。そう願ってやまない。
 スマトラ沖地震・津波では、今も尚死者が増え、身元確認もできないまま埋葬するとか。では残った者は永久に捜し求めなければ・・・

 今も尚、世界中で災害があり、人と人とのつながりがあって、再建・復興の道がある。日頃どれだけつながりが大切か。今、都会に災害あれば、人はどれだけ助け合うことができるか。不安一杯の中、いかなるいさかいがあろうと家族のため自分のため、助け合わなくてはならない。
 これがどの行政機関よりも早くでき、又、必要である。地域の大切さを分っていて日頃の付き合いが少ない社会。特に高齢者は一人で苦しみ、その命さえ自ら絶つ者もいる。妻なく、子なく、職もないとすれば、災害もまぎらすことができず、人は自分もすてる。 たった一人でこのような人生になると、ヤケを起こす。

 人々は、行政はこんな状態の中、災害あらば助け合うことができるのか。助け合うことができる根本からの人間の付き合いが大事である。いかなる人であれ最終手段は「助け合い」。オツリの人生を何とか生きまいか。
(2005年2月9日)


 日本国ですら、地震列島。2004年も、もう何(災害)もないと、そんな中、スマトラ沖大地震・津波。一日ごとに死者の数が増す。
 ただ一点の光は、日本が世界で一番早く支援、救助活動隊が出動。ただ自衛隊はどうしただろうか? イラクへ行き、日本が、世界が、ボランティア、軍隊を必要とする。日本において、世界の誰より地震と津波の恐ろしさを知る国民ですら、このスマトラ大津波は想像を絶する。

 阪神大震災の傷、心の傷は11年目で、やっと心から新年を迎えようとする中、大災害をテレビの中でしか知る由もないが、日ごとに死者数が増えるのには身震いする。災害とは万全の備えある所ですら、一度起きれば甚大な被害がある。まして何の防災、備えの無い所ならば大惨事である。それが特に子供においては大多数の犠牲。

 我が身においては手助けも出来ず、歯がゆい思い。災害の体験者は少なからず哀しさが増す。だからもう体験したくない。
 今回の体験者は今から復興、いや救助活動などの生活。何も考え付かずに呆然としてしまう。だからこそ周りの人、ボランティアら、人の心の支えが絶対に必要である。事はそれからだ。

 新潟中越地震、京都府・兵庫県(水害)の被災地では、正月どころではないだろう。 しかし、せめて子供達だけでも正月らしくあって欲しいもの。又、戦争とはいかなるものも破壊する。人の心でさえもである。スマトラ方面の被災地でさえ、国内の紛争があると聞く。被災地でさえも戦争する世界、「世界人類の平和」とは先進国の遠吠えか。

 1・17阪神大震災、新潟県、兵庫県、京都府・・・本来は災害記念日などあるべきではない。しかし、本心から戦争を上回る惨事がある事を肝に銘じて、子供達に日本の将来を託す。か弱き者に救いの手を願ってやまない。
(2005年1月6日)


 「おはよう」、「おはようございます」誰でも言える一言、この一言がどれだけ大切か、大人も子供も心の底から分って欲しい。小、中、高、大学、社会、そして避難所生活の中、一日の始まりが全てこの「おはようございます」。特に避難生活の中は、お互いの心の交流が一番。この一言で一日が始まる。
 交流があって復興の道がある。個人が交流がなくて復興が始まらず。被災以前より仲間意識が強くなったと感じる。

 連日、避難生活の様子がテレビから流れている。この現状を今、子供達はどのように感じ、又、防災とは何かを学校で教え、親や行政は知っているのだろうか。少なくとも被災した子供達は十分分っている。だから避難生活の中、子供も大人も「おはようございます」から始まり、心が通じるのである。

 被災地以外で「おはようございます週間」がある学校や社会もあり、その時だけ、指導者も子供も「おはようございます」と何度か言っている。しかし、その期間が過ぎれば、言える子供も大人も少なくなり、指導者とて何も言わなくなってしまう。親も指導者も子供に遠慮している。
 もっと人間同士として、心の底から助け合うべきである。行政も指導者も親も地域と一体になることが必要である。
 国民みんなが生活がかかっている中、(災害が)いつ来るとも分らず防災と「おはようございます」の一言が学業に仕事にスポーツに・・・

 災害(地震、台風等)や事故は来ないにこしたことはない。しかし、誰にも分らない。 地震国日本は、ぜひ必要な防災を今一度見直すことが必要。被災してからではなく、「おはようございます」の日頃の交流が、万一の時に助け合う力となるのである。
 文明の利器が発達した世の中ではあるが、それを活用するのは人である。間違いなく、正しく活用すれば、防災も予知も文化交流の発展につながるのではないか。
(2004年11月23日)


 台風と地震、よもや大地震が起きようとは…台風は来ると分かっていながら大災害。しかし地震はいつ、どこで起きるか誰も分からず、突然来る。そして地震国日本列島はどこであろうとも不思議ではないのだ。

 地域とのコミュニケーション、何回質した事がうまく出来ただろうか。そんな中、今回行政の手回し手順は早く、余震続く中、懸命の作業が行われた。崖崩れの中、母子三名の救出。地震を体験するも、同じ思いは二度と体験したくないもの。とはいえ、いつどこで起きるやも分からず、心してゆかねばならない。

 今、何が出来るであろうか、自問自答する。小学校のボランティア(交通・防犯)しているとはいえ、こんな事するぐらいなら、豊岡や新潟で助けに何とか行けないものか。無理である。通院とボランティアをストップしては体がついてゆけない。今一度、10年前の地震の時助けてもらい、病院まで連れて行ってもらったそのボランティアの人に心から感謝する。

 どこの誰とも分からず、激痛で目が開けられず、生死の中をさまよっていた。今でも誰とも分からず終い。しかしその人は覚えていると思う。万が一目に留まれば、かみひこうきで本名を出しているこのメールが届いたら、心からありがとう、感謝いたします。

 今、豊岡や新潟にこのかみひこうきが目に留まるとは思わずとも、いつの日か誰か必ず見る事がある。そんな時、体験者としてただ一言、がんばれなんて言いません。がんばれといえば、出来ない時に非情に聞こえる。出来ない時、人は人に言われると余計落ち込む。ただ一つ生き抜く事だけすれば、必ずやいつの日か生きていて良かったという日が必ず来る。そして今が大切。
(2004年10月27日)


 今夕、台風の傷さめやらぬ中、南の海上はるかかなたに23号が発生。それる事を祈るばかりである。 地震、雷、火事、台風。 中でも地震は一番怖い。

 今年もあと2ヶ月少々、そして年明けて「1・17」が来る。多分各地で「記念会(?)」の様なものが開かれると思う。その行事に参加する人はたとえ被災者であっても、今は生活も精神的にも少しは楽になった。少しでも元に近い形になったからこそ参加できるし、自分もそうである。中には「10年も経って何を言う」そんな人もいる。 被災者でなければ他人事のようである。

 地域のつながり、コミニュケーションは出来ている所と出来ていない所がある。独り者(特に高齢者、障害者、病人など)は孤立している所もあり、もはや「世捨て人」となりつつあり、何ともわびしい。それでも懸命に生きようとする。そんな中、来た台風。上陸すると分っていながらも甚大なる被害がある。何故だろうか。

 「裏山が崩れる恐れがある」と行政に連絡するも、その行政は「今のところ大丈夫」と言う。住民に危機感があるにもかかわらず、住民でない行政が「大丈夫である」と。 結果は、家は全壊し、裏山は崩れ、死者、行方不明者が出た。
 時を同じくして豊岡市(兵庫県)は円山川、舞鶴市(京都府)では由良川が決壊した。ともすれば地震以上の被害である。
 今、全国からのボランティアと懸命に復興中で、一日も早い復興と子供達の健康を祈る。

 他に動物好きの人にとって少々気になるのは、各地ともペットの安否、生存がどうなっているのか何の報道もない。人間が生きていくのに(水、食料の確保に)精一杯、それどころではないと。しかし動物も命あるもので、家族同様にしてきたはずである。
 色々な問題が発生する。それでも一生懸命生きていくしかない。
(2004年10月17〜23日)


 相次ぐ地震、今尚ドキッとするし、あわてる。団地の隣近所は知らぬ顔。怖くないのだろうか。又、エレベーターが止まり、中に人がとじこめられていないだろうかと思い、見に行く。私だけである。自治会の役員は、会長はじめ10数名誰一人として(エレベーターに)見に行かない。又、病人、高齢者、一人暮らしの者の安否を気遣っていない。

 あの大地震以上で全壊、倒壊で多数のけが人が出た場合、どの様に助け合う事が出来るのだろうか。10年(地震から)の年月がこうしたのだろうか。地震に限らず災害はいつやって来るのか、備えはあるのか。物だけでなく、人と物のつながりが大事ではないか。

 この度の台風18号は、一週間も前から分っていて、甚大な被害があった。学者でさえも分らぬ地震、何とも頼りない。答弁を聞いていると、不安な顔、笑っている顔・・・
 そんな態度で「南海地震とは関係ない!」と言っている。自然災害に断言は出来るはずがない。来るとか来ないとか国民はいかなる公共機関であれ、頼らざるをえない。 時が経てば元の木阿弥か。被災者は生活を立て直すのに懸命である。

 95年以来、心のより所は「オリックス」であった。まだイチローがいた頃だ。あのオリックスはどこに行ったか? ファンと一体になっていたオリックスは強く、我々も心強かった。あのオリックス(「がんばろう神戸」を合言葉に)は今、大変な中にある。時の流れに勝てない。

 もうすぐ小学校の運動会がある。日頃の練習の成果を精一杯に発揮し、頑張って欲しい。 運動会は楽しみである。もう台風はごめん、当日の晴天をただ祈るのみである。
 ただ少々気になる事がある。それは子供達がよく風邪をひいたりケガをする事だ。又、肥満の子も多い。スポーツに勝つ事より、自分の体に勝ち、自分に勝つ事が大事だ。がんばれ神戸っ子。
(2004年9月17日)


 地震国、そして台風。特に台風は分っていても甚大なる被害がある。今年は特に台風の当たり年か。後で聞く話は私だけはならないと思うも、まさか私達が被災者とは。

 台風に限らず、地震、水害、水難、事故・・・そこに防災は有ったのだろうか。完全なる防災はない。一人が、十人が、そして何千、何万の人が防災に対する認識を必要とする。それには地域、市、県、国が一体となること、又、一つ一つの情報が大切。最も早く伝わることが必要。
 いつも思うが、連絡が少ない。災害が起きてからあわてる。又、石油と共に国内の野菜の価格が値上がりする。

 そんな中にあってオリンピックの激闘。国の威信とか名誉と言うが、そうだろうか? 一番勝ちたい当事者である選手がいて、周囲が成り立っている。勝つと思っていた選手が負け、あまり期待しない選手が勝ったりする。それが勝負の世界である。
 勝てば「金(一位)」だが次は守るだけ。しかし、負ければ次に「金(一位)」がある。勝った時より闘争心がわく。常に追う方がいい。

 一個人としての考え方だが、被災者にとってオリンピックどころではない。生活を立て直すのに一日一日精一杯である。そこにスポーツの入る余地はないのだろうか。スポーツを通して心を一体化すれば、親近感がわく。防災も助け合う事ができる。もちろん被災者も助け合う。何にでも通じ合う心が必要。これが無ければ防災も難しい。

 防災だけに片寄れば、我関せずもあるかも。スポーツとは何か?それは心のよりどころ。これを通じ、防災と一体化するオリンピック。スポーツと防災はきっとうまくいく。一市民もスポーツで体を鍛える。何かにつけきっといい事がある。
(2004年9月1日)


 暑い、エアコンの無い我が家は特に暑い。猫も暑さにまいっている。その中にあって子供達は元気一杯。特にスポーツをする子供達はそうである。
 人間は何かを、特にスポーツをしていれば、いい友達も出来、体も出来、自分に勝つことも出来る。

 いつも言っている事だが、スポーツをする子供が年々少なくなっている。その昔はチームに入れない子供がいるほど盛況であったが、今はメンバーが足りず、小学校は6年、5、4、3…と3チームが原則だが、6年と5年が足りず、上級生チームができない現実になっている。

 親は先生は勉強に力を入れる。それが塾通い。果たしてそれだけが子供の未来か?将来限りなく夢有る無限の力ある子供達にもっと無限の力を伸ばしてやりたい。それがスポーツの道であってもいい。
 子供達を自由にしてあげたい。自由とは子供だけではなく、我々大人達にも言える。自分の殻に、自分だけの世界にいては、それが知らず知らずの間に子供の自由を奪っている。

 多分どの家も両親も「私の子供は自由にしている」と子供のいいなり、親のいいなり。本当の自由とは、自分だけの世界にしてしまわないことである。人間は地に天に太陽になじむ。本来そうあるべき人とのつながり。
 あらゆる境遇において前向きに生きていて人間をやっていて、本当に良かったと子供にも教えたい。話だけではなく、それはスポーツが一番の近道。

 還暦も近く、障害と病だらけの人生。又一からやり直そう、又一からやり直そう。震災後のように、いや、地震は数年経ってからであった。今は一からやり直そうと思っている今日。
(2004年7月11日)


 先日、胃潰瘍(いかいよう)なるものを初めて患った。以前から激痛が数回あり、辛抱の末ようやく病院に行った次第である。男とは痛い目をせねば病院に行かず、厄介なものだ。
 5月14日に入院、その後5月23日に退院。まだ全快とはいかず、それでも退院後すぐ、野球をやる。我ながら呆れる。

 この30日、「神戸市大会」で、立ち幅跳び、ソフトボール遠投に出場する。本当の「スポーツバカ」である。
 退院後一週間で依然体調すぐれず、気分もめいる。身の回りの要は外見からは何ら変わらないように見える。よかれと思ってやる事は、ボランティア(各部門)だが、やや頭打ち。

 いよいよ30日、大会へ。そして結果は第一位。ソフト投げは前年より5メートル短く、それでも33メートル30センチで優勝。又、立ち幅跳びは2メートル9センチで、これも優勝。さほど練習も出来ない中、まっ、これぐらいが取り柄か。確かに年々体力は落ちている。あと何年やれるか先の事は考えたくないが、確かに老いている。

 最近、子供達がよく手足や肩の骨を折る。いとも簡単に。野球、サッカー、又は遊びの中で……親はびっくりしてスポーツをやめさせる。やるからには多少のケガはつきものと言っているが、骨まで折れとは言えない。両親に任せるしかない。
 しかし、本人(子供)がやめるならいたしかたないが、本人の声を無視して親がやめさす事は、本人(子供)にとってかわいそうであり、それが上級生になっても何らかの障害になりはしないか。

 日本社会の中、特に小中学校に問題がある。もしバスケットボールをしていたら、スポーツをしていたら、そう思わざるをえない。無念である。
(2004年6月7日)


 日本はいい国。本当に日本に生まれ、日本人であることを誇りに思う。又、それも人それぞれ、人としての道があり、それを忠実に生きてこそと感じる。
 60近くなってもいまだ勉強の道、特に幼き児童に教えられる事が度々ある。子供とは思った事をすぐに発言することがあり、我々もびっくりする。

 もう10年を数える震災1.17。我が周りにおいて日々人生をまっとうする少年野球のコーチや小学校防犯。それに自身のスポーツ、通院もある中で子供達といれば暗い過去はない。 今だから言える、今だから話せる。
 たった一人でよくぞ今日まで、しかし、まだ先はある。時として途絶える時もある中、またやり直そう、もう一度やろう。もう一年やろう、そう思って10年になる。

 あの地震から共に暮らした猫が平成14年11月死亡。以後、友人に子猫をお願いし、ようやく翌年4月2日に待望の子猫(名前・チビタ)が来る。精神的に和らぐ。しかし、何とも手間のかかる子猫、またそれもいい。小さな命、共に暮らそう。 

 この5月30日、神戸市障害者大会がある。 そのため少々ハードなトレーニングをし、やや体調不良。出場する各場の遅れを取り戻すべきこの4月と5月である。やり過ぎで食も入らなくなるほどでも、出場の覚悟。
 出るからには必ず勝つ。 この次に晴れて「勝ちました」と報告したい(チビがじゃまをする)。
(2004年5月20日)


 卒業、入学、春。真夜中、我、身も心も晴れやかに。一年が始まる。  又、子供達(一年生)とうまくやってゆくのは大変な事。まして担任から校長に至るまで、苦労もありなしと。

 西区は神戸で最大の街(人口24万人)、はたして子供達は何人ぐらいだろうか。その大半が兵庫区、長田区の子供である。新一年生は震災後に生まれた子供達である。両親、若い人達は震災を乗り越えて、我が子が入学する。感無量だと思う。行く末万事なし遂げるであろう。せめて日本国内安全都市でありたいものだ。

 時を同じくして、イラクでは3名の人命取引。以前にも増して政治の事は分からないが、命の事は分かる。自衛隊は軍隊ではない。人助けのためのイラク駐留なら、もちろん日本人(人質)の救出もいる。たった3名を何故できない。本当に国民のための自衛隊か!(このメールが着く頃、3名は救出されているかも)。
 依然不透明で、国民はもとより、その家族はいてもたってもいられない気持であろう。今こそ日本のあるべき姿、姿勢をはっきりすべきである。

 又、国内では、オリンピックの時、万全を配してあたるべきである。この時、この瞬間を日本が世界が待っている。
 イラクでの3名救出と共にオリンピック、震災行事の無事成功を祈っている。
(2004年4月15日)


 鳥インフルエンザ、兵庫県の職員が笑いながら対応。又、その夜、坂口厚生労働大臣が「牛やら鳥やら、モーケッコー」と話し、記者から笑いが・・・何とおそまつな。これがあの震災の神戸か?嘆かわしい。兵庫県民、いや全国民を馬鹿にするなと言いたい。その一方で兵庫県の会長(養鶏協会の)が自殺。これほど事が大きくなるとは、何事も深刻化してから行政があわてふためいている。
 もう対岸の火事ではすまされない。おそらく兵庫からの卵、鶏肉は坂口大臣のシャレではすまされない。これが震災ならどう対応するのか?

 今の時期、明るい話題は少ない。依然被災者との交流もない健常者、障害者の集いはこの春から各地で行われる。なぜ被災者は表に出ないのだろう。隠すわけではないが、自分から言う人はいない。「今頃、今更何を言っているのだろう」これはある行政の声である。そのような事言われるなら、話さない、忘れたいというのが本音か。

 今、手紙を書く人が一体どの位日本にいるだろうか。時々友人に手紙を書くが、返事は電話である。若者はEメールである。日本人は手紙を書くことが出来ないし、国や行政も奨励しない。全て携帯電話で事足りる。その先端はインターネット。老兵は消え行くのみ。なんと情の薄いことか。

 まぁともかく卒業・入学シーズンで和気あいあい、少々うれしいような淋しいような、あの子もこの子も中学へ。しかし又ピカピカの一年生が来るのは楽しみである。たくさんの孫である。手なずけるのに手を焼くが、又それがいい。淋しがっているヒマはない。老い先短いが、これぐらいが生き甲斐かな?

 文句不平不満を言わず、我が人生を全うする。20万人被災者の中にこんな不思議な人間もまだ生きている。これからも精一杯生きる。
(2004年3月11日)


 今、懸命に生きる事の難しさ。小学生の登下校の安全確認ボランティア、中学生へのソフトボールコーチのボランティア、公園での少年野球のコーチ……老い先短い命を懸けてやっている。子供のため、自分のため。

 生かされた命をどうやるかである。震災後助かった命を。助かった者でさえ、生きることの難しさを感じる。本当に自分のやっている事が役に立っているのかと。見返りなど求めないが、一言のお礼もない。それなのに、何のため中学へ出入りしたり、子供に野球を教えるのか。
 周りの大人は黙って見ているだけ。又、子供は不思議そうに見るだけ。しかし、ほんの一握りの子供達からは、「明日も来てね」の声。大人にも頭を下げる人がいる。そんな時は「ああ、やっていて良かった」と思うのである。できれば数人の子、大人達が今、自分達が出来る少しのことでいいから「世の中にこんな人もいる」という認識を持って欲しい。

 この西区で震災や災害に無関心の多い中、いつの世に神戸にこんな大地震があり、その子供達が今の神戸を作り、日本の大都会にしたことがわかるのか。震災を乗り越えて懸命に生きている子供達がなしえた自分の人生に、自分の子に誇りと勇気を持って、生きていく事の大切さを、神戸の震災後10年、20年経っても話していけるか、西区に限らず日本が世界に示す勇気である。
 今までもこれからも「かみひこうき」で大人が、いや子供達も少年達も歴史の一ページをいつまでも教訓とし、後世に伝えゆくだろうか。そう願いたいものである。「かみひこうき」から知り合い、今、良き友、良き理解者と月一回の手紙のやり取りをし、お互い手や指が動く限り続けたい。

 多分人生最後の夢、オリンピック発祥の地ギリシャ・アテネよもや出場??? 命果てるとも夢叶うなら。まああまり考えず、運を天に任せるようになる。人生成せば成る、何事にもストレスを貯めずに……。
(2004年2月17日)


 この1.17。限りなく少ない数字の中に人生のドラマ、人それぞれの想いがある。 9年〜10年目になる。
 その中の一人、今こうしてペンを執る、書ける、生きている。明日も来年も、先の事は分からない。しかし、今こうして生きている。あの1.17を乗り越えて。
 亡くなった者、助かった者、そこにどれだけの違いがあるか。助かった者は日頃災害に備えていたか、又、亡くなった人達は備えが十分ではなかったのか。

 いずれにしても災害を他人事とはとらえない。人との和、つながりが最も必要とされる。ありとあらゆる生活物資の中、日本から先進国人類の人の和、主義主張の違いから人の和は薄れゆく。その時世界のどこかで災害(地震)がある。そして当事国はあわてふためく。この時人類の和があれば、あわてふためく事なく手を取り合うことができる。人類を超えて。
 しかし、現状はどうだろう。高齢者が目立ち、若者の姿がない。あの1.17当時の小学3,4年生が、今は17,8才で今春卒業し、就職、或いは大学などへ進む。多くの若者がいるはずである。災害(地震)あらばこれら若者が中心となり、又、その体験を生かし、活躍して欲しいものである。

 震災後遺症の中で最も厄介なのが、大人の社会復帰の拒否、会社、病院、人と会うこと、又は生きることへの拒否ではないか。人生の半ばを過ぎ、老人でも若者でもない者、震災に限らず手の付けようがない(精神的な)大人のその多くが酒におぼれ、中には自ら命を絶つ者もある。言うまでもなく一人身であり、救いようがない人達と本人が何事も避ける時、周りの人達はどうしようもない。これが現状である。
 まして震災、戦争、病、無関心の中、もう一度生きている限り、今自分は何を目的とし、自分のため人のため何をすべきか考える。それがいつかいい結果を生む。人間として最後の務めをしなければならない。それが先に亡くなった人達への供養にもなるはずである。
 今一度、若者も高齢者も日本の国民が自分のため、人のため立ち上がれ。
(2004年2月23日)


 「慟哭」つらく悲しい言葉である。人はたかが猫と言う。しかし、震災後共に8年過ごした友人である。

 11月26日午前11時過ぎ、我が手の中より最後のささやき。猫の耳元で「頑張れ、苦しいか」俺にはさすってやることしか出来ず、早く楽になれと。4日前、動物病院で注射と点滴をして、やや持ち直した気がしたが、やはり無理であった。私の最後のささやきの中で、僅かに首を上げ、私の方に顔を向ける。その悲しそうな顔生涯、忘れる事はない。
 あれだけ私のそばを離れずベタベタしていた猫は、最期の時、人から離れ、奥の部屋で一匹だけになり、人も寄せ付けなくなる。それでも一昼夜そばにいて、最期を看取る。風邪をこじらせ、肺炎で死。動物も人も病死はつらく悲しいもの。

 又、災害、戦争、事故。災害は人類に与えられた最大の試練である。日本が、世界が災いの中にあれば、いついかなる時も試練を与えるかも知れず、いつの世もかよわき者にふりかかる。
 1・17は誰もが忘れてはならない時である。しかし、何千何万の人が関心があり、その家族や家畜はどうなったのか当事者でさえ風化しつつある中、社会の人達の心の中にあるのだろうか。
 特に国のトップの者は被災者とは何か、どのような者か、真剣に考えているのか。先のイラン大地震では35000人以上が亡くなり、23ヶ国が救援隊を送った。中でもフランスは一番先に到着、日本は一週遅れ。それが隣のイラクへは自衛隊が行くことを早々に決定。

 このことを日本人以外の22ヶ国の救援隊の人達は、日本は一体何を考え、何をしようとしているのかと思うだろう。政治とは何か。国民が何事にも無関心になりつつある我が国は「夢遊病者」である。
(2004年1月7日)


 一国民が叫んでも声は届くだろうか、知らないだけで、社会は防災連絡網は出来ていると。しかしこの8年(震災後の)、一回の防災訓練もしたことがない。又、自治会からの連絡もない。私もこの団地で一回も見たことがない。全国のどこかでやっているが、現実には少ない。

 あるテレビ局のクイズ番組で「雲仙・普賢岳は何県にあるか?」という問題があったが、タレントは全く分からず、私は愕然とした。雲仙(長崎)、奥尻島、阪神大震災と続く日本の歴史の中の災害である。日本国民で成人であれば、誰もが知っていて当然のことと思っていたが、10年以上の歳月で風化するのか。

 又、その中にあって犬、猫などの動物はどうなったのか。人間様も大事であるが、犬、猫を飼っている人達は想像以上大切に飼っているのである。血のつながりこそないが、家族、自分自身以上に大切に育てている者もいる。

 我が家にも猫がいる。震災後に飼い始めて、もう8才になる。人間なら40〜50才だろうか。今、風邪をこじらせて20日間えさも食べず、寝たきりの状態で、今日明日の命である。
 思えばこの8年間、共に生活し、いつも私の腕枕で寝ていた。家を出る時はいつも見送り、帰ると「ニャー」と入口まで迎えてくれるたった一匹の友であり、分身とも思っていた。その猫がもう虫の息、見ているのも哀れで、安らかに天国へ行って欲しいものです。

 私も天国へ行きたいが、人間であるが故そうもいかず、これは私ばかりか動物を飼っている者はこんな思いだろう。震災でこの様な運命になったと思わず、人にも動物にもやがて来る運命と思っている。人も動物も限り有る命を大事に一日一日を精一杯生きたい!!
(2003年11月26日)


 久しく便りなしと、我が人生も震災・地震を避けて通ることが出来ず、心に重く残るも1・17が近づくと、一人で多くの人達に防災を意識すると、人生こうも変わる。身の回りの事、体の事、生活面などあらゆる事に関心が集まるものだ。自分だけでなく、他人の事もである。

 一人でも多くが防災、防犯、生活面に少しの気配りがあれば、地震も生活面も人と人とのつながりが出来る。それはまだまだ見られず、特に都会ではそうだ。そんな面が多く見られる下町では、隣同士のコミュニケーションがあるのだ。醤油、砂糖、米等がないと、隣に借りたものだ。そんなささいな事から心が通じるのだ。
 都会の中にいれば、何十年過ぎても、朝の「おはよう」の一言もない。こんな都会で大地震が起これば、人は助け合うことが出来るのだろうか?地中の中から助け出された私は心底思う。阪神大震災以後も全国で、世界で地震が起きている。

 防災の意識を高めようと、防災訓練が各地で行われているが、その中で人と人とが助け合う訓練がなく、最新の科学をもっての訓練である。日頃、人と人とが助け合い、コミュニケーションをとり、それが子や孫の代まで、いや、いつまでも続く人々のつながり、思いやり、それがなくて本当の防災は出来ない。
 確かに不況と生活の不安のある中、人のことどころではないと我が家、我が家族が大切というのが都会の現実である。しかし、こうして警鐘を鳴らす1・17が永遠にある限り、話していかねばならず、人は石垣、人は城。防災とは人と人とが手を取合って、なり得るものと信じる。
(2003年10月21日)


 毎日が何の変化もない生活。医・衣・食・住に不便なく、これ以上何の望みがある。しかし人の主義主張の違いは恐ろしいものがある。震災の時には並んで水・食料の配給をもらい、共に避難生活をし、仮設から住宅へ、一喜一憂したもの。

 これがイラク難民に今起こりつつある。しかし大きな違いは地震と戦争、又文化・考えの違い。米英、イラクと一歩も譲ることなく果てしなく続く泥沼の戦い。それが連日マスコミで放送されるその中、日本のテレビ番組では不景気はどこへやら?高額な賞金・商品が提供されている。中でも一番目を引いたのは料理番組。

 日本人は気がついているか?よくあれだけ毎日朝から深夜まで家庭料理からグルメ料理が…どこのチャンネル回してもやってない局はない。有名タレントを使い、賞金まで出してのグルメ番組。いやそれだけでない。高級ブランドに高級車も…。
 他国のことはよく知らない。しかし少なくとも日本社会は、大半の国民がそれを不思議に思わない。中には生活に追われる家も会社もあろうが、ほんの一部である。食だけでなく、娯楽にしても本当に不景気なのか!!人は懸命に働き、その見返りに人々の生活や娯楽趣味がある。

 戦争にどちらの善悪もない。かつて昔日本が戦国時代には奔走していた。個人が3人4人殺めれば死刑。しかし軍隊が何万何千殺めれば英雄になり、一国の主となる。それが今も米英・イラクにある。が、もはや日本はその道を行くまい。悪の歴史は繰り返してはならぬ。

 今の少年青年はしっかり大地を踏みしめ行かねばならない。自分の意志をしっかり持って。非行などやっているヒマはない。まして自殺や道連れ自殺など、たかが20年や30年生きて自ら死を選ぶ。その本人にとっても死を持っての精算なのだろう。
 生まれて生きる喜び、又生まれて生きて行く苦しさ、つらさそれもこれも生きているからこそできる体験。これからも幾多の艱難辛苦が待っている。地震も戦争も人は、人々は乗り越えて行かねばならない。命ある限り…。
(2003年3月30日)


 石油とはそれほど重要なものであろうか。人はかつて地下水とローソク、薪、炭で暮らし、今もそんな国がある中、先進国がゆえ、石油が国家、国民の繁栄と重要な物であろう。しかし、人殺しをしてまで必要か。
 戦争は理由も分らず反対でない世界で、唯一の被爆国日本であればこそ反対であり、いつの世も子供や女性の弱き者の悲鳴が聞こえる。

 又、過去にソ連(ロシア)のアフガン侵攻、湾岸戦争があった。特に20年程前のソ連によるアフガン侵攻により、オリンピックは日本をはじめ多数の西側諸国が不参加になり、ソ連とその同意国のみでの開催となったことを思い出す。オリンピックに向けて、ただひたすら練習に励んできた選手達の落胆ぶりは、今もはっきり覚えている。
 今回はヨーロッパで行われるスポーツ大会のほとんどが中止となっている。特にアメリカ、日本、韓国と中東でのスポーツはない。メジャー開幕も日本での試合は中止が決定。これからも中止となるスポーツがあるだろうが、来年のアテネ(ギリシャ)オリンピックまで引きずらなければいいのだが。

 日本はいつになったら一人歩きできるのか。「寄らば大樹の陰」悪く言えば、「金魚の糞」。確かに偉大な国アメリカ、しかし国同志の事は、国民はどうする事もできない。 阪神大震災クラスの地震がアメリカ、中国、韓国、北朝鮮、イラクと起きたら、多分戦争どころではない。
 大地震よ、神よ、こんな事か。そう思うのは国民の中にいるはず。特に水食もないその日暮らし、精一杯の中、愚作の行為とほくそえむのは、北朝鮮か?我が国日本もしっかり足元を確かめなければ。そう思えばこそアメリカをまだまだ必要とする大変な時の首相である。

 話は変わるが、桜もまだまだの中、有瀬小学校の卒業式(3・24)がある。ボランティアをやり、早2回目の卒業式である。野球も入部する者、卒業して行った者、悲喜こもごもである。
 スポーツに子供達に戦争はどこ吹く風。 今日も元気に学校で公団で子供達の大きな声がする。スポーツに戦争はあってはならない。
(2003年3月20日)


 相変わらず国内外を通じ、大変な出来事(事件、事故、人災等)が多い。 その中にあって国会中継を見ていると危機感が無い国家のトップが不安な顔をして発言する訳ではないが、それにも増して、テレビに映る笑い顔、居眠り顔・・・。本当に大丈夫だろうか。
 国民はいかなる事があれど仕事や毎日の生活に追われている。政治的な事は国家のトップに任せるしかないし、国民は国家の言いなりである。

 最近、国民一人一人が、どの国においても同じか、災害対策も国家、都道府県の方針で決まる。災害支援対策が何か一つとして被災者の声を聞いて出来たか。中でも家賃の減額(5年間)も今は無く、元の家賃になり、払えないため強制退去させられた者が、県営、市営、公団の入居者に必ず居る。そして変死、自殺、孤独死もある。これらは圧倒的に高齢の一人暮らしに多い。

 仮設に住んでいた時には、毎日同じメンバーが「ふれあいセンター」で色々な事を話し合った。それがどうにもならずとも心のストレス解消になったものだ。今はその仲間(同じ被災者)が懐かしい。 皆どこでどう暮らしているのか。そして県営、市営、公団に移り、交流があるのだろうか。
 「鉄の箱(家)」に入ると外からは全く分らない。一人暮らしの難病者など通院の時以外は人と接する機会が無い。孤立無縁の中、一週間、十日と誰とも話したことが無いことも有りうる。

 声は聞けずとも、この「かみひこうき」、そして今も奈良の浦島さんとは手紙のやりとりが続き、心が休まる。以前は日本のどこからか郵便が来たものの、長くて半年か、中には一回きりのこともあった。
 しかし浦島さんとは年齢差こそあれど毎日楽しく手紙のやりとりをし、直接話すこともあります。生きていれば母の様であり、又、良き理解者でもあります。 春にはもう一度奈良まで行きます。 元気な姿を共に喜び合うことの出来る、たった一人の友であります。
(2003年2月27日)


 災害とは自然が人類にもたらす最大の試練ではないか。 永久に無くなる事はない。しかし、戦争はなくす事ができる。しかし、過去の教訓にもあったのか、国家のトップが争えば、子供とか力の無い者が一番先に犠牲になる。それを押して事に及ぶは、国同志の関係が恐ろしいほど悪感情になる。

 国家のトップが自分に都合のいい政治思想を強引に植えているが、どこか宗教的なものさえ感じる。「イワシの頭も信心から」と言うが、アジア、アメリカ、ヨーロッパ・・・その中に日本がある。
 まさか日本が憲法第9条を破り、国民を見捨てて、戦争支援。近隣諸国はますます悪感情を抱くだろう。又、日本の立場も難しい。いずれにせよ犠牲になるのは弱い者ばかりで、どの国においても今、もし国が壊滅する様な大災害が起きれば、国同志が手を取り合って、助けることが出来るか。

 コロンビアの事故、中近東の人達は神の怒りだと?これほどまで人間の心が冷たくなっている。亡くなった人達に何の罪がある。いつ戦争が起きても不思議でない。それが人類最大の過ちでも。ましてや災害で助け合う事は不可能が、戦になればあのニューヨークのテロ時も同じような事を言った様に思う。

 今も尚、大災害が世界である。それさえもどうなったかと思う。スポーツに国境はない。しかしそれさえも国家権力で参加できない時もある。スポーツにかける選手は国境も主義主張の違いもない。あるのは参加、出場するという事だけ。日頃の鍛練の成果を存分に発揮する。
 いかなる国においても戦争の無い、災害時に助け合う国に人類がならん事を願ってやまず。
(2003年2月12日)


 あの1.17がまたやってくる。9年目である。震災に遭ってなかったら、もし生き埋めになっていなかったら、もしこの神戸に平成4年6月に来なければ……“もし”という言葉はいつも浮かぶ。忘れることはできない。

 私にも夢があった。もし健常者であったら、あの果てしなき大空、果てしなき大地、北海道に住み、永久に子供と動物が大好きな私にとって、いや家族にも人間として健やかな人生があった。都会生まれの都会育ち、殺伐とした都会の人間社会から解放され、どんなに心豊かであろう。

 そう人には誰にも夢がある。夢があってこそ人生。しかし人は皆が夢叶わずとも懸命に生きる人が人の心を知り、愛と希望の中、自分の人生に向かう。何人たりとも人の人生は変わりうることなく、人間として道を誤ってはならず、人間らしくありたい。私は法の番人でない。しかし人間の社会のルールは守りたい。これがいかなる人間にであれ、万人に等しく正義の道がある。もちろんこの中に被災者は言うまでもなく、何人にも平等であれと。しかしいつの世も守る者も、また破る者もいる。

 震災記念日でなく震災の日とし、いかなる被災者であれ、心一つにして忘れてはならず心してかかるべし。年一回の震災の日でなく、災害はいつどこで世界の中起きるやもしれず、備えあれば憂いなし。今の子供達は神戸に地震があったことすら知らない。いや大人すら知らない人がいる。本当の地震の怖さを知らない。幸か不幸か知らない方がいいかも知れない!。
 しかし、日本は元より世界中で災害がある。幾多の事件、事故、難病、災害、それにニューヨークのテロ。亡くなっていった人達いずれもなぜどうしてこんな目に!。

 神戸1.17、数十万の中の被災者で助かった者として心よりご冥福を祈り、後数年命ある限り、かみひこうきを通じ日本に世界に震災、地震の怖さ、恐ろしさを分かっていただければとペンを取る。「いつまで震災とか被災者とか障害者か」と言う人がいる。それは本当の怖さを知らない。
 最後に重ねて震災で亡くなられた6000名余の人達に対し、心よりご冥福を祈ります。
(2003年1月17日)


 年が明ければあの1.17がやって来る。 いつまでも深き思いは私だけか? いや、そうでないはずだ。何万、何十万も震災が辛い人がいる。

 思えば47才で地震に遭い、来年でもう56才になる。男にとって一番大切な時であった。 今、この8年間が本当に生きて助かって良かったか。今も尚自問自答している。しかしながら各国の情勢を見ていると、ああ、日本に生まれて良かった、本当に良かったと心から思う。

 その中、自分のいる県住で連続放火があり、それも私の部屋の隣のエレベーター前でミニバイクが放火された。しかし、犯人は12月4日、パトロール中の警官に現行犯逮捕された。同じ県住に住む26才の無職の男で、動機は「人が騒ぐのが面白くてやった」とのことである。たとえそれが動機であっても、もっと根に何かあるいはず。ただそれだけの動機でだろうか。26才にもなってそれだけの理由か?その人間の本当の動機を探し出せるならば、又、同じ人間なのか?でなければ良いが。
 しかし、人々の無関心にはびっくりする。 自治会や県住の人でさえ、放火の事も犯人の事も我関せず、隣の人も廊下ですれ違っても挨拶もない。ましてや中近東、アメリカ、北朝鮮、いやアジアの事などどこ吹く風で、自分の生活だけで精一杯と思う。国が、国家が政治的に問題があろうと、ただ見ているだけ。

 もうすぐクリスマス、正月。喜ぶのは子供達だけか。私にも盆も正月もない時にこの文章が役に立っているのだろうか。月一回ぐらいのメールでもう何年にもなるが、時々向こう(相手)の事を思うと、日本に、世界に、体にも心にも障害がある人から見て、私の メールが無駄でないと願いたい。
 そしていつも私の文章に差し障りがないか何回も読み返した上で投函する。しかし、人から見れば活字に出来ない所があるかも知れず、その時は悪しからず。

 いつもの事ながら、来年こそはいい年であります様にと言わずにはおれない。私も年毎に体力も落ち、せめて気力だけでもと自分に言いつつ・・・。
(2002年12月7日)


 私は今、混迷の中にある。冬になれば腰が悪化し、精神的にも参る。また朝、余りの痛さに起きれない時もある。いつまで続くこの難病、ケガ……。

 こうした中、災害・事件は変わらず、日本にも世界にもある。私如きはさしたる事でない。拉致問題では政治と人間と秤に掛けられ、その渦中にある人達。またバリ島、ロシア人質、アメリカでの殺人10数名があり、日本も幾多の事件はある。
 テロについて、その本来の意味は私は知らない。この日本にあってはならないが、万一日本でテロに遭えば詳しく報道され、慌てる。日本はそれほどテロに恐怖感を抱いていない。

 しかし外国に比べ、日本人はおとなしい。そう、内弁慶である。そしてそれは外国から見た日本である。まだまだ日本に幾多の災難があるやも知れず、国家も油断大敵である。もしこの様な中で大災害があれば、各国は手を取り合うことが出来るか?。

 いずれの事であれ、被害被災者は国民である。私は案じてならない。そして人は一人で生きることは健常者であれ、病人、老人、障害者であれ、どれほど辛く悲しく淋しい事か。その精神的負担は一人身以外では計り知れない。

 私はもう55歳、まだ55歳。一番人生の中で苦しい時である。どのようなスポーツ、ボランティアへの取り組みも精神的な面で、ややもすれば薄れがちになる。いかなる難病も今の医学で何とかなる。しかしこの精神的なものはいかなる名医も手の着けようがない。その人の程度によるが、これが人によって事件や事故、難病につながると言って過言でない。この私でさえ、そんな時が、特に冬はある。それは冬は活動が制限されるからだ。

 話は元に戻るが、政治に子供が使われている。大人達の道具だ。一体子供に何の関係がある。私はどの国であれ、親と子共に歩む。それが最善の道。それが政治思惑の中で誰が一番辛いか、間違いなく子供達である。災害も災難もいずれの国もか弱き者達は国家の主義主張の違いがあり、おそらく交わる事がない。何時の日か世界が手を取り合う日が……それは夢物語だろうか?。世界の子に平和と愛を。
(2002年11月1日)


 私は生きていて良かった。そして戦後っ子でもある。日本は米国も不景気の中、平和の国である。災害がなければもっと平和な国であろう。
 しかし先は分からない。今の子供達が成人になる頃、国による有事法制や行政による国民への税金の負担も出てくるだろう。そして子供さえ銃を持っている国もある中、宗教の違いによる果てしなき戦いがあるかもしれないが、たぶん聖戦なんてあり得ない。

 日本も拉致問題があり、24年間もかかって生ある者また亡くなっていた者がわかった。第二次大戦の怨恨か、何ゆえの拉致だろう。しかし11名の人達にとって戦争も政治思想も全く関係ない。日本とは国家とは……国民にとって一体何を信頼してゆけば良いのか。
 また6名死亡、1名不明、4名生存とは本当か。顔も声も何もない中、何を信ずるべきか。これから先、顔も声も確認できるが、それが生きている内に可能だろうか。

 いくら日本や米国が不景気でも、他国から見れば金持ち大国。ありとあらゆる物資がある。世界は見ている。そして全世界には被災者、被害者、子供達、病人、老人、障害者そして健常者もいる。一国のトップにいかなる国であれ、国民は頼らざるを得ない。

 今回私事でありますが、神戸ポートピア自転車ロード16.8キロに出場し、第3位になった。これは今までのいかなるスポーツより価値がある。障害別も年齢別もなく、皆が(障害者同士が)同じレベルで走る。その中で3位。自転車一本に賭けていた人達に申し訳ないような気がする。

 でも私は夏の猛暑の中、毎日2時間練習し、余りのきつさの中、もう止めようと何度か思いつつ、やはりやる。そしていつも思う。私は160cm、55kgしかない。年齢も一番上。いかなる大会でも一番のチビ、そして年寄りでもある。
 死ぬまで現役。これが私のモットー。また他の選手は170〜180cm、80kgはある。いずれの大会もだから審判と間違えられる。私の同じクラスのライバルを待っている。
(2002年9月24日)


 防災の日いったい何人の人が知っているのか。あの1.17.さえ、その日がこなければ語り出せない。まして9月1日が防災の日(関東大震災)とは、私でさえマスコミが取り上げなければ知らない日。それほど人々の中で薄れゆく震災。

 備え有れば憂いなし。震災に限らず防災。防ぐ災害と読む。今もなお事件が全国である中、日本で、いや、ヨーロッパで大洪水があり、我が国においてもいつあるやも知れず。過去の教訓は本当に生かされているか。災害など誰が体験したいものか。しかしながら体験者のみならず、なんびとも、備え、心構えが必要と思う。

 本当に、人は、人類はそんな思いがあるのであろうか。終戦記念日、防災の日……若い人たちに一体どれだけの関心があるのだろう。まして、日本で、世界でそんな感情があれば震災も戦争(テロ)も少なくなる。世界にも防災の日があると思う。ましてや第二次世界大戦があり、世界で唯一の原爆の被災国日本であり、阪神大震災で5600人以上の被災国である日本人でも薄れゆく中、世界でどれほどの関心があるのか。

 今一度、家族のため、日本のため、身を正そう。私はいつでも言っているが、いかなる被害者も被災者と同じではないか?。自然と人間は違うが、被爆者もいる中、私は同じと思う。
 災害も戦争(テロ)も防げる。それは日本が、世界が手を取り、ともに助け合う事。主義主張が人それぞれ違う中、大変難しい問題。しかし、誰かが(国が)やらなければ災害は防げない。ましてや人類自らおろかな事(日本,世界を含め)しているようでは、先が思いやられる。

 防災、終戦、記念日……もういらない。3つもあれば十分である。この9.1.防災の日に限らず、幾多の犠牲者の名に掛け、9.1.がある。大人も子供の生涯語り継ぎ、それを肝に銘じ、次なる災害に市が、県が、国が、そして国民一人一人が人事と思わず万全を尽くし、備えあれ。この人事と思うなかれ、これが一番大切かと感じる。また、人の痛みを知る事の大切さ、それが9.1.防災の日と信ずる。
(2002年8月15日)


 私は夏が大好き。特に暑い方がいい。なぜかと言うと、腰や肩、それに首が少し和らぐからである。昨年秋から今年の4月頃まで腰、肩、首、更に左足まで痛くて痙攣もあった。
 できれば赤道直下の国へ行きたいぐらいだ。そこで好きなスポーツを生涯続けたい。地位も金もいらない。一日2食食べていけたら十分である。しかし、現実はそうはいかず、今の生活が死ぬまで続くのか。

 時々私は「あと何年生き、何年スポーツが出来るのか」と不安になる時がある。そんな時は子供達と野球をする。私も小学校の防犯、少年野球、そして自分の野球とこの4年間忙しく、西区で、いや神戸市でもちょっとした有名人になった。それはスポーツのおかげ、国体も然り。新聞にも取り上げられた。人から見れば、障害の陰など無く、まして被災者であることも知らないのではないか。

 市街地の震災など、この西区では夢物語であり、私が震災の話をすると白い目で見られ、悲しくなることもある。だからスポーツの話をしたり、自分からスポーツをしたりするのだ。震災後8年目となり、私の知人(被災者ではない)ではスポーツをする健常者が80%で、残り20%が年数回大会で会う知人だ。
 バリアフリーとは名ばかりなのか、被災も障害も一生続く通院も誰が好きでなったものか。誰を恨む事なかれこの運命。神の怒り、いたずら、自分は自分の道を行こうと思う。

 今、日本は腐敗しきっている。それは世界にも言える事だが、また神の怒り(大災害が起きなければいいが)があるのか?。しかし、人は痛い目に遭わなければ分らない事もあるのだ。また神の怒りがあって然り。その理由はバス、地下鉄、校長が想像を絶する事件、警備するガードマンが金庫破り……。
 いつもながら数え出したらきりがない。しかし多数の者は懸命に働き、頑張っている。学校(中学校)に対して不満を持っている子供達もいる。少数であってもその不満が時として犯罪への道に進む。「うちの子に限って・・・」と親は言う。子供の行動を何も知らない親は、もっと現実を見ろ! たった一人のボランティア(小学校防犯)の私には力の限界があり、最近は意気消沈である。
(2002年8月9日)


 スポーツとは何だろう? 「参加する事に意義がある?」ではない。「勝つ為に参加する」これは全選手、全世界がそうである。今一瞬の間、震災も、いかなる出来事も忘れるのである。

 ワールドカップ(サッカー)一色で、各スポーツとも練習の時、サッカーの点差を気にするあまり、練習にならないこともある。この時、この瞬間、障害者も被災者も子供から老人まで、野球のファンも、サッカーファンである私も「スポーツする人間(鉄人)」として、テロも戦争さえも忘れてしまう。
 この様に世界が一緒になってスポーツできる事はいい事だ。ではなぜテロや戦争が起こるのか? スポーツマンシップがあれば、人は戦争する事もなく、いかなる災害が起きても世界が手を取り、助け合うこともできるはず。

 この度意外な所から文書が届き、少々びっくりしております。それは「都市安全研究センター」という所で、以前、「かみひこうき」さんの前に「阪神大震災を記録し続ける会」に2回、佳作・特別賞と少しのページながら本にも載り、その会からの紹介です。
 文書の内容は被災者の聞き語り調査会で、見れば神戸大学の住所、FAX、ホームページ、又、教授2名の名前もあった。本物と信用し、私の出生から震災、そして現在の生活が、「かみひこうき」さんに全てありますよと紹介しました。何かの連絡が?
 又、私の所に調査に来る時も、只今の時期に何か不思議な気が致します。8年目も4ヶ月を過ぎ、先程の話のようにサッカー一色の中、もう3年も「記録し続ける会」には連絡をしておらず、前方の方からも何の話もない中である。確かに神戸大学都市安全センター、神戸大学教授2名とあります。

 私の辞書には「出来ない」という文字はなく、やれば出来ると信ずるのである。支障があってはという事で、氏名は後日。話は私事でありますが、息子はどんどん遠ざかり、寂しい限りである。
 その中で、他の子供達と野球をやり、教え、私のしている事は正しいのだろうか?いつも自問自答する。又、この度9月(予定)にある「全国大会神戸ポートピアスポーツランド」の自転車競技スプリント(ハロン)、1000mトライアル(TT)、個人追い抜きに出場するつもり(もちろん障害者の部)である。これは年齢には関係なく、いかなる年であっても対戦しなければならない。その為毎日2時間の猛練習をする。しかし、未だ競技会からの連絡が無い不安の中、今日も練習を続けるのである。
(2002年6月18日)


 私はこの度神戸市障害者スポーツ大会において100m走、走り幅跳びを第一位だった。痛みの中をよくもまあやるもんだ。ある人は、そこに山があるから登ると言い、世界七大最高峰登山を世界最年少で成し遂げたと聞いた。私は「世界最年長」のスポーツ選手でも目指そうか?

 人は何か夢を持って、そこに生きがいがある。ある小学生の男子は、先天性股関節脱臼という重度の障害を持ち、10分以上立つ事ができない。しかし、少しは自力で歩き、運動もできるし、野球が大好きと聞く。 私は彼が野球かキャッチボールが出来る様、少しの援助をと考えている。私は彼の母に「彼が持つ95%の力に私が5%の力を注ぐ形の援助をしたいが、私でよければ相談にのります」と話した。
 若い母が子供の為を思って私に相談することは、随分勇気や抵抗があると思う。しかし、本当に子供の為を思っている母なら、いつか私に話があると信じている。その時は我が子と思い、人生最後のはなむけと姿勢、厳しき道、険しき道をその子と共に歩んで行きたい。 我が息子にも決して人の道を外さず、人生を歩んで欲しいと願っている。

 ところで、昨今の国会答弁は、いや答弁にはなっていないが、何とも歯切れが悪くつかみ所がない。よくまああれだけすり抜けられるものだ。自分に鉾先が来たら、まずメモ帳を見て、答弁する。つまり質問する側もされる側も初めから話が決められているのである。馴れ合いの答弁の後、最後は総理が勝つ。これが何十年、何百年と続いた日本政府と 日本の政治家である。いかにも話し合いが全員で何事も決定しようとする。
 私が一番怖いと思う「有事」とは、富国強兵、大日本帝国(徴兵制度)を思い起こし、まさか50数年前の日本に戻るのではと心配である。いかなる問題も我慢できるが、この有事決定だけは避けねばならぬ。私の憶測が間違いであって欲しいものだ。
(2002年6月2日)


 今私は神戸市の障害者スポーツ大会へ向け、練習中である。しかし、たまに何のため練習しているのかという思いが頭をよぎる事がある。自己満足のためにやっているのだろうか?。いや、私は難病と障害とこの年齢で頑張っている事、人はやる気になればいかなる事も可能になると、そう我が子に伝えたい。そう思う気持ちがまた練習へと駆り立てる。

 5月19日ユニバー記念競技場で大会がある。昨年「また来年会いましょう」と言った仲間が全員来るだろうか不安もある。ライバルなくして進歩なし。またこの度、神戸市障害者スポーツ協会から開会式の旗手を依頼され、身に余る光栄と快く引き受けた。これも宮城国体の神戸代表を務めたゆえの事である(少々当日の天気が気になるが)。
 私はライバルを待っています。同じ障害者・被災者・年齢で、また難病や独り身であって、私に勝るとも劣らないライバルを。そして共に夢に向かってパラリンピックアテネ大会出場を人生最後のはなむけとして……。いやたぶん夢であろう。しかし夢であってもいいではないか。

 私にとって、今度出場する100m走と走り幅跳びは無謀ともいえる競技である。しかし挑戦する。あの砲丸投げで金が取れ、一位になれた。やってできない事はない。今も腰と両足が痛み、特に太股に激痛が、痙攣が走る。それでも練習する。真に命懸けである。心拍数も上がる。朝余りの痛さに立てない。それでもやる。本当のスポーツ馬鹿である。
 この事は新聞もそしてかみひこうきさんも知っている。しかし私の回りは誰も知らない。私も言わない。もし分かれば話すつもりです。これは自分のためか子のためか、何のためにやるのか。それは被災者として障害者として、難病もこの年齢をもってして、命有る限り、人は夢に希望に人生に家庭にあらゆる事に前進していく。そして一日一日に感謝し、毎日が勉強、死ぬまで勉強。

 人にそれほどの上下はない。総理大臣であってもホームレスであっても生まれた時は裸。一人で生まれ、死ぬ時も一人。同じ人間同じ人類何の上下の隔てがあろうものか。差別も偏見もない社会を願う。
(2002年5月18日)


 私はある中学の女子ソフトボール部のサポートを申し出、「一日コーチ」をやりました。その内容の悪さにびっくり、驚きもとまどいも隠せなかった。と言うのは、少年野球は学校と関係なく、厳しく教え、それが私生活の中に生かされるはずであり、人にしっかりあいさつができる子にするには、徹底的に野球を教え、時には悪い言葉も出る。けがもある。親も野球をやるからには当たり前のことと思っているからである。
 しかし、中学部活は、楽しく、安全第一で、勝負など関係なく、毎日登校してくれる事を願っている官公庁、親方日の丸、今だそんな考えのある学校もある。 中には部活に真剣に取り組んでいる所も僅かだがある。もちろん部活に力を入れている所は強く、安全第一の所は弱い。

 中学生のお母さんに私が「あまりにもひどい野球内容だ」と話すと、「どうして人にしっかりあいさつができる子にならないのか。何のために厳しくしているのか」と言われる。
 この話を先生方は知っているのだろうか。ほとんど何の経験もない先生が部活を受け持っている。それが家庭訪問の時には良き先生を演じている。これがことなかれ主義であり日本人の一番悪いところではないか。子におびえる学校では生徒になめられても当たり前、そして私の申し出を断る。多分私が厳しく、先生より野球ができる子供達が私になつく。それが気に入らないらしい。たった一日接しただけで、生徒は分らない事を私にきいてくる。先生達は今まで何を教えてきたのだろうかと不思議に思うのである。

 真剣に教える私の姿が気に入らない先生。生徒達に聞けば、これまで一度も勝った事がないそうだ。これでは一生懸命やっている生徒がかわいそうだ。今だにこんな学校があるとは。ことなかれ主義、我関せずでは日本の将来も危ないものだ。
 少年少女達よ、自分をしっかりと見詰めて一歩一歩進んで欲しい。君たちの時代は嵐の中と思うが、頑張れ!
(2002年5月4日)


 私の話は震災をぬきにしては語れません。 震災なればこそ不幸を幸いと今生きているから。そして40年ぶりにした野球、その他のスポーツ。震災がなければ、今の生活模様はない。

 体験者(被災者)でありながら、不幸を幸いとする人が、果たして何人いるのだろうか。そして今、スポーツの原点に帰り、「スポーツとは何だろう?」と考えるのである。 人と人とが、又、個人が競い合い、互いに体と精神を傷つけ合うことなのだろうか。 スポーツマンシップとは、今深く考えている。大会関係者全員による公平かつ厳粛な判定は、オリンピックはもとより、全ての大会に不可欠である。 その中からスポーツマンシップが生まれるのではないか。
 健常者であれ、障害者であれ、スポーツが出来るという事は、最高の喜びと思う。

 話はやや飛躍するが、今、官公庁にあって、国家は何をどうしようとしているのか。 国民あっての国家で、民なくして繁栄はない!。確かに警察も政治家も医者も必要であり、だれかがならねばならない。しかし、その「人材」が今はない。特に政治家に至っては罪のなすり合いで、叩けばほこりが出る大臣ばかりで、もういいかげんにしたらどうだ!。
 やる事はいっぱいある。 第一に「防災対策」、それに「防犯(小学校への警戒など)」、ボランティアに対して、交通費ぐらいの支給をするとか、スポーツへの助成金、母子家庭への対策、一人暮らしの高齢者の安否確認などである。空港も必要だろうが、必要最小限に留めるべきで、ダム、高速道路などもそうである。

 今は確かに不況である。それは国民が金を使わないからである。昔は不景気の時は、ギャンブルをする人が増えたが、今は人々が慎重になり、お金を使わない。しかし、時には一度にパーッと使うこともある。
 今度の「ワールドカップサッカー」は、国民のストレス発散の場であろう。今尚、大企業の倒産がある中にあって、国内はスポーツの花盛りである。そして、その選手の年俸は庶民の100倍。プロは不況知らずなのか?。いや、一流のプロであるがゆえに人の10倍、20倍と練習し、その下には何百、何千、何万の二流の人がいる。決して不況知らずではない。
(2002年4月20日)


 やっと春が来た今、桜も満開となった。私も春(5月)の神戸市身障者スポーツ大会に参加するつもりだ。何のためと言われれば、登山はなぜする。そこに山があるからというのは同じように、私もそこに大会があるから。それしか言いようがない。
 これから本番。12〜2月は全く活動できない。思い起こせばこの7年間、子供と何回キャッチボールができたか。小学生の時は私が全くできなくて、やっと中学で数回。今は高校でバイトもあり、キャッチボールその他の親子のふれ合いが少ない。
 そこに大会があるからか、いや、過去において自分が子とスポーツしたり、少年野球を見てやれず、キャッチボールすらできなかった思いが、今、野球にスポーツに私一人であっても駆り立てられる。

 少年野球監督、コーチはほとんどがそのチームに自分の子供がおり、私のように自分の子もおらずコーチや又学校の防犯をする事は、やはり自分の子に出来なかった思いが強いで、それが今のボランティア活動につながっている。おそらく他人にも我が子においても私のやっている事が理解できず……いや自分でも理解できずにいる。
 まして自分以外に私の事が理解できるかな?。しかし人は人の道を干渉してならず、又自分の物差しで測る事もしてはならず、健常者であれ被災者であれ、自分の道は自分でゆく。少々強引かも知れず、そのぐらいの覚悟なくて今生まれた命いつまであるやも知れず……恐れず我が人生を全うしたい。

 確かに災害は忘れた頃にやってくる。今回またも台湾の地震があり、科学者達は地震予知を研究している中、やはり地震予知はできないと発表があった。いったい何のための地震科学者で、何のための防災訓練か。私共被災にあった人はもとより、被災者でなくても大震災は何十年後あるやも知れず、(日本の世界の)人々は阪神大震災を忘れてはならない。
 何百何千の人が私のような感性あるかは疑問だが、もしこのメールが届いたらぜひ参考に。このかみひこうきに我が生涯、人生あり。
(2002年4月8日)


 春よ来いと言いつつも、この手紙が着く頃には春本番だろう。しかし、今だ体調がすぐれず、5月の「神戸市障害者スポーツ大会」への出場も不安がある。
 今年の国体には参加できるのだろうか?万一参加できたとて、我が人生最後のスポーツなのだろうか。やはり神戸の大会で勝たないと2004年のギリシャのアテネが不可能となって来る私は、次の大会で「100m走」と「走り幅跳び」をエントリーする。健常者でさえ、55才で「100m走」と「走り幅跳び」は大変であろう。まして障害と病がある中で本当に出来るのであろうか?
 息子はまた「やめとけ、死んでしまう」と言う。しかし、私は出場するつもりで練習している。

 思い起こせば昨年も国体出場が決定した時は、悩んでいた。今年は決定するまでもなく無理かもしれない。
 防犯と野球のコーチ(全くのボランティアにもかかわらず)それに通院とかなり無理 している。野球のコーチをやめ、末永く防犯だけにするか、自分のスポーツをやめるか。しかし、やめたら悔いが残る事は確かで、死ぬまで後悔するだろう。多分今年が最後のチャンスと思うからだ。
 しかし、命を縮める事もないのかもしれない。何か一つに絞る必要があるだろう。それは防犯、スポーツ以外のものであったとしても。 学歴も職もない私にスポーツ以外に何があるのか。もちろん子供達を守るボランティアとかあるが、自分の子はどうなのか。

 人はそれぞれ人種を問わず悩み苦しみがある。その中で自分の生き方を見つけなければならない。日本に、そして世界中に、あらゆる障害を乗り越えて、その中に一瞬の喜び、楽しみ、生きがいもある。
 しかし、それ以上に幾多の障害や難関も乗り越えねばならず、時には神や仏にすがりたくなる事もある。しかし、最後は自分自身の力、精神力と信ずる。今の青少年いや、実年においても、先の見通しが立たない人がいる。  職が決まっても、不安で、時々私に相談に来る大学生もいるが、ストレスが日本人全体にある。それが暴力、犯罪へとつながり、あり余る若さと健康がありながら、道を外す事は、将来のある人生を考えると実に残念だ。うちの息子もしかり。親の心子知らずで、また子の心も親が理解出来ずにいる。
 将来のある我が国の少年少女、青年達よ、決して人の道を外す事なく、このメールが少しでも役に立つ事を願ってやみません。
(2002年3月23日)


 私が小学校の防犯をしている校舎南門の所にある県住の横、又その隣に有瀬交番がある。なんと子供達や学校、私の住居の近くでこのような事がおきようとは。駐車の車が原因らしいが、鬼畜にも劣る殺人行為。亡くなった人はもちろん、両親の気持ちを察するに心中余りある。断腸の思い。

 主犯格、まだ逃げている犯人に告ぐ、この世に神も仏もないと思うなかれ。きっと、いや必ず天罰が下る。たとえ逮捕され、十数名が?裁判で死刑になるとは思えず。しかし、天罰なら……きっと死の天罰が下る。万一数人が生き残ったとしても、一生苦しむがよい。もし人間として心があるなら。だが鬼畜にも劣る事をしでかした者にそのような心があるはずもなく、心から死の天罰が下る事を願う。

 神戸商船大学とは超エリートコース、夢も希望もこれからの……。こうして書く手もふるえ、漢字さえも出ない。そして、警察、警官の……いったい何の為の警察か。一市民が警察を頼りにしなくて、誰を頼る。私は残念でならない。

 すぐ近くで私の所から歩いても5分位の現場。又、遺体が放置されていた川は伊川。伊川谷とは伊川の事である。奇しくも私が3年前風景写真を撮った所でもある。それほどきれいな川でである。そのような所に。警察はもとより犯人に必ずや死の天罰がある。

 犯人関係者は鬼畜にも劣り生きている価値もなく、裁判や刑務所、そんな甘いものでない。ご両親、親族になりかわり、又、友人多数いる中、きっと私と同じ気持ち、いや言葉ではいいあらわせない心境と察します。
(2002年3月3日)


 今まで長田の震災行事で近所の者と井戸端会議というようなものに参加しておりました。しかし、先だって神戸市から出席のお誘いがあり、どのようなものかと半信半疑で、ハーバーランドの神戸市大公堂に行きました。そこは20階もあろうかという大きなビルにある会議場(大ホール)でした。

 内容は、5,6名の体験談発表、20名ぐらいの表彰(何の?)などであり、これが一体亡くなった人への慰霊祭かと思い、次は県や市ではなく、やはり長田で行われるものに参加したい。一分間の黙祷から始まる長田のものは、ネクタイも背広も不要。ジャンパーでも十分心は通じるのである。

 私はこの「かみひこうき」を心の便りとしています。それがいつまであるやも?今年の冬は例年になく寒く感じます。腰がしびれたりして、座って書くのもつらいぐらいだが、何のその。春がやってくれば、又、私はスポーツに全力を出したいと考えております。私の体が動く限り向って行き、新たなスポーツも目指します。

 今、社会の中、国民の中に大きな問題が山とある。今もこれからも全部国民に降りかかってくるのである。子供達、青年達の将来がどうなるのか気がかりである。
 そんな中にあって、テレビでは「大食・早食い大会」や「グルメ食」などの番組があるが、これが食文化と言えるのか!! ある国では500万人という難民が水と食に貧しているというのに、こんな事がいかんと思うのは私だけではない筈だ。

 国民が本当に危機感を持っているのか知る由もないが、国民は政治家任せでしかない。私は神でも仏でもない只普通の人間であり、8年間の闘病生活と一人身であり、ややもすれば落ち込む時もある。そんな時、この「かみひこうき」を書く。誰にも話せない事を。
 子供には弱い父の部分は見せたくない。辛抱、我慢、忍耐が途切れてしまいそうになることもあるが、自分で自分に言い聞かせて精神を安定させているのである。

 春よ来い、早く来い。災害は忘れた頃にやってくる。そんな事はあってはならないが、備えあれば憂いなし。私の言う災害とは、いかなる災難も災害と思うべし。ああ、春よ早く来い。
(2002年2月18日)


 車を運転している者で、事故を想定する運転者はいない。「自分は事故を起こさない。運転がうまい」と思うのがおそらく大半である。でなければ車など運転できない。これは災害でも全く同じで、自分は大丈夫とそう思うのが人間だろう。私は車が嫌いで、災害にも神経が敏感である。それでもやむを得ず車にも乗るが、本音は疲れる。

 この度、地域シンポジウムに行き、その中で被災者の体験談や震災時のビデオには私も少なからず共鳴したところもあった。しかしながら杖、車椅子の人、障害者の中で特に聴覚障害者は大会本部に聞いたところ、いないとの事。見れば500人はゆうに超えていた中で全くいない。だから手話などない。

 私には聴覚障害で全く聞こえない20歳の友人がいる。震災時は少し聞こえ、話もできたらしいが、この7年の間は全くの言葉も音もない世界にいる被災者である。両親も聴覚障害者。今は大手メーカーのエンジニアとして活躍し、朝6時から働き、夜10時に帰宅して12時までランニングの練習をする。彼は中距離ランナーで、これまで神戸市、兵庫県、全国で50個以上の金メダルをこの7年間に獲得しており、私など足元にも及ばない。

 その彼が各地の慰霊祭に出ているだろうか。そして手話が付いていてくれるのだろうか。神戸の地域シンポジウムでは10人前後が何らかの表彰をされ、立派な金メダルを受け取っていた。見れば50〜70歳くらいの行政の偉い人ばかりで、いったい何の功績なのか。本当に今も障害者は社会の片隅でひっそりと生きねばならないのか。
 この会でトップの人に相談してみた。次は障害者もそしてぜひ手話もまた視覚障害者もお願いしますと。しかし「予算はないのですが検討します」との答え(表彰式の金メダル・賞状は私がもらった3倍の大きさ)。

 障害者のためにボランティアする人もいます。やる気があればできます。このいつも言っている私のやる気、もっと広く大きく目を向けて欲しい。テレビで見たある所では、障害者も健常者も皆が心から集い、やっている所がいくつかある。予算は?。全員が心からやる。こうやってやる事ができる所もある。
(2002年1月20日)


 私もあけましておめでとうございますと、心から言えるようになった。たったこれだけの言葉、それが言えるまで5〜7年の歳月を要し、今は新年だけでなく、色々なめでたい事に素直におめでとうと言える。以前は、たとえば誰かに子供が産まれた時「おめでとう。男ですか女の子ですか」と、人が簡単に言える事が私には言えなかった。それは震災とケガと病気と通院、それに独り身でもあり、人様の事に対し素直に喜べずにいた。
 しかし、他人が私のこのメールをどのようにとらえているか知る由もないが、今は何事にも対し素直になれ、独りよがりはつまらんとおもいつつも……今日も通院。

 今年も寒い。腰がいつもの年よりももっと痛く、朝立ち上がれない時もしばしばある。プロスポーツの選手ですら40を過ぎると引退し、その後各種のイベントに出るようになる。それでも50歳前後。
 私はもう55歳で障害もあり、未だいや一生通院である。その中で野球、卓球その上テニスまでやろうとしている。しかし、さすがに砲丸投げはもう無理だろう。ましてテニスは、息子が絶対できるはずがないと言う。
 私もテニスは全く経験がない。未知なる世界で、無謀な挑戦とも言える。このような事をする気が出てくるのは、障害があり、今も腰が痛いからである。震災による障害であるが、自分でもなぜこんな無理をしてそこまでやるのかわからない。それは多分、健常者の時にいつでもできると、元気な体であればできる事を何もやらなかったせいだろう。

 人は何もできなくなった時、無性に何かをやりたいと思う。食する者は、今は何でも手に入る、だからそれが手に入れらなくなった時、必死で追いかける。私もそれが無理と自分で決めたくない。できるかどうか、どこまでやれるか、何かに死ぬまで挑戦する。それが私の歩む道と信じ、強い信念だけがある。立ち上がれ。手をつなごう。被災者であり、障害と病と……たとえ独り身であっても!!
(2002年1月6日)


 前回は、7年目と書きましたが、8年になった震災日。毎年振り返る、「よく生きてきた、生きてこれた、これからも生きてゆく、命ある限り」。
 この文章が皆さんに読まれる頃は、もう年が明けているやも知れぬ。災い転じて福となる。真に私がそうである。自分の人生も人様もきっとそうであろう。今、命があるのだから。この8年の歳月を、「かみひこうき」を通じ、一歩一歩確実に今日まで歩いてきた。

 災い転じて福となる、福にする。それには、人の持つ強靭な精神力が必要不可欠である。私は震災だけの話をしていればいいのだろうか。私の話し言葉、身に起きる出来事……。私は、震災を乗り越えてきた確かな生き証人と思っている。
 また「来年こそいい年でありますように」と、誰もが神社参りする時、この「いい年」とは、人それぞれ色々な面が含まれている。
 私も子と、毎年長田神社に行く。西区にいても、兵庫県どこにいても長田神社。長田神社は、全国数ある中、一番被災地に近く、社が倒れた光景は今でも忘れられない。神社が立ち直り、私もおまいりできる喜びを神に、またお願いする。

 しかし、子は一体何を願っているのか……。私も聞かず、子も言わない。それはそれでいいのだろう。子は今バイトをしている。我が家はバイトせざるを得ない生活環境。その分、子の学力は落ちている。私は無事卒業できればいいと思っているが、バイトで帰りは遅く、11時を過ぎる。晩5時からのバイトでは、疲れて学力が落ちるのは無理はなく、さりとてバイトをやめ、学校だけでは経済的に苦しく、バイトと学校の両立も難しい。
 どちらもやめる事なく、無事あと2年がんばってほしい。私はもう子の人生は子にまかす。本人の意思で何とかなる。子もここまでがんばってきた被災の子だから。

 最後に、スタッフの皆様、一年間ありがとうございました。また来年よろしくお願いします。
(2001年12月17日)


 私は手紙を書く事が好きである。今の時代、古い事かもしれず、特に若者にいたっては随分嫌がる。このIT時代の中では、当然だが。しかし私は1日1通はどこかに書く。

 もう早いもので7年目の震災の日、2002年1月17日が来る。今日までよくぞ来れたものだとつくづく感じる。
 私が撮っていた震災時の写真がもし入選すれば(震災時の写真特集)、私の話も聞きたいと神戸市からお願いがあるやもしれず(入選すればの事です)、その時はこのかみひこうきで震災における我が人生をくまなく話すつもりです。そして万一災害があれば、どのように対処していくかを。いかに防災訓練をしていても体験者に勝るものなし。どれだけ耳を傾けてくれるか。

 確かに今は不況という嵐が吹いているが、今こそこの逆境に打ち勝つ時である。強い信念と努力、辛抱そして健康な体。これだけあれば何とかなる。人は誰も助けてくれない。自分の事、家族の事、自分が本人がやらねば誰がやる。

 今年一年も随分色々な出来事があった。日本国内はもとより、世界の国々で人と人の争い、年が変わろうとしてもまだ続いているやもしれぬ。そんな中、暗い話ばかりではなく、イチローや新庄選手の海外での素晴らしい活躍があった。特にイチローにいたっては今更話す必要もなく、日本人の鏡である。我が有瀬少年野球団にも未来の若きイチローがいる。先の見えない日本にあって、頼もしい限り。そんな子供達と一緒に野球が出来る。

 しかしながら、人間の主義主張とは子供達の中にもある。ボクは投手がしたい、ボクは4番が打ちたい……そうはいかない。コーチ、監督が決める。もちろん不満がある。そしてその親も不満があり、まして監督、コーチの子であるならなおさらの事。人間の主義主張とは実に怖いものである。子供達の中から大きな事へ発展する。それを乗り越えてこそ親も子も甲子園の道、プロの道が開かれる。

 今華やかなイチローや新庄も艱難辛苦の道を親共々乗り越えて今日がある。そんな苦労話を今の子供に聞かせてやりたい。マスコミはいい事だけ報じるが、もっとそんな話があるはず。楽して明日はない。
(2001年11月27日)


 今米国、中近東いや我が国でさえ危機感を覚える中、全国の身体・知的障害者が集う第1回のスポーツ大会が宮城県で開かれた。開会式は天皇陛下ご列席の中、3万人強が参加して華々しく開催され、私のみならず若者から年輩者まで感動の涙でした。国内バラリンクピックでもこれほどではないと思う。

 スポーツとは勝つだけではなく、参加の意義もある。しかし全選手の勝つ事への執念は恐ろしいほど伝わり、勝って泣く者、負けて泣く者、またその中にも両者の間で笑いと励ましがある。障害者のスポーツと侮るなかれ、各都道府県の選手は必死の練習をしている。他県の人と知り合い、交流したその話の中から、私はこんな素晴らしい人達はなく、障害者でよかったと(身体が不自由になったからでなく)その精神や気持ちにつくづく感じる。

 またその陰で地元のボランティアチームが各都道府県5〜6名付き、選手の世話をする。もちろん各都道府県の団長、会長、役員も試合、レースがある度、付きっ切りです。応援はものすごく、ぜひ健常者の人達にも見せてやりたいものです。ビデオがあれば撮っておけたものと、後悔し残念に思っています。

 そこで私事ですが、身障者2級1種桜井義信54歳は砲丸投げ、ソフトボール投げ(自己新記録)とも堂々の金メダル。よもや2種目だけで、その2つが金とは、これ以上の宝物は私にはなく、人間はやれば、努力すればできると思いました。
 スポーツに限らず、何事においてもあきらめる事なく全力でやる。その精神が気持ちが大切である。そして私は少々変人である。好かれる人とそうでない人と極端に分かれる。アインシュタインもエジソンもまたノーベル賞を取る人もそうであり…というのは少したとえがオーバーかな。それゆえ優勝が金が取れる。

 そして何より感動したのは閉会式。今思う度涙が出る。あんな素晴らしい閉会式は……。地元の若者のボランティアチームである人は泣き崩れ、私に抱きつき離さない。私の人生の中でも泣いて抱き合った経験はなく、今書いている時も頭がよぎり、思わず涙が出る。
 そしてその3名(内1名女子)が「神戸に行きたい。私の所に泊まりたい」と言ったので、「ぜひ来て下さい。私が神戸を案内し、各地へ連れていきます」と話したので、来てくれれば実行致します。これは私の話した神戸のすばらしさに感動したものと思っている。

 またこのかみひこうきの内容ももちろん話してあり、ぜひこのメールが仙台、宮城県の皆さんに届く事を願って止みません。最後に地元の全盲の女子が点字を使わず10分以上の別れの言葉を話しました。10分以上の話を覚えることは健常者でさえ難しく、それを涙の中、閉会式1万人強の前でできる。全選手が涙の中、本当に日本人であった事に喜びを感じる。
(2001年11月2日)


 今、阪神大震災クラスの地震が世界各地で起こり、地球全土が崩壊すれば、人類は又一からやり直さねばならない。ともすれば神の与える試練が、どこで起きようとも不思議ではない。しかし人々は、そんないつどこで起きるかわからない事にはほとんど無関心だ。
 それよりは今、現実に起きている戦争だ。どこに正義も悪もない。ただあるのは世界崩壊なのか。また我が国にもその一員となりうる。他国から見れば決して戦争放棄した国と思えず、ある国の標的とならねばよいが。

 大国アメリカも先の見えない中、ハワイ沖でえひめ丸の引き上げに成功し、遺体を収容している。全員を引き上げるのは1ヶ月を要するという。アメリカの国内外において色々な事件があり、戦争のさなか、えひめ丸引き上げとは大した国だ。

 今、神戸の街はあの大震災の面影はない。わずか6年で新しい街がある。そして足りないながらも法的被災者の優遇は今もある。確かに不況には違いない。それは高度成長期に比べて不況なのか。決して終戦後のような事はない。ある国の難民は被災者ではないだろうか。女・子供が飢えで水も食料もない中、その国が戦争している。またその家族は子供にも銃の撃ち方を教え、戦って死ぬ事を誇りと教え、教える方も戦って死ぬ事を望んでいる。

 私に宗教の事はわからないが、人と人が戦う事はスポーツですら怖い。ましてや命を懸けてやるとなればなおさらの事。もし私が今の戦争当事国にいれば、やはり行くだろう。ただ立場が違うからこう言えるのだろう。ああ日本に生まれてよかった。生きていてよかった。心より今そう思う。私のみならず日本人がそう願って止まない。

 これよりは私事でありますが、10月26日宮城の全国大会へ行きます。帽子からユニフォーム、靴、飛行機代、ホテル代、新幹線代は福祉団体が費用を出してくれます。日本も大した国です。障害者が全国から3750名、付き添い1000名以上が集まり、グランディ21国体会場でやります。日本も大変な中、こんな事ができる。このような大会ができる国はそう多くはない。私はその中の神戸市のたった一人の砲丸投げの選手である。

 次の返信にはソフトボール投げを含め3位までに入賞できましたと書きたいものです。よもや国内でテロに遭遇しなければ。取り越し苦労ならばいいが、国内といえどもジェット機は怖い。
(2001年10月20日)


 たった一人で震災を乗り越えてきたが、その後残された命で何ができるかと自分なりに探し、防犯、少年野球のコーチ、また自分の障害スポーツをやって来た。しかし一人では痛切に力の限界を感じる。スポーツ関係はもう何年もできないだろう。今こそ一日一日が大切と思っている。

 我が息子には無理な事を余りするなと言っている。私自身が一番良く知っているものの、やはり我が息子、共に震災を乗り越えてきたのだから。3年前まで歩く事すらできなかった私も、今は野球や砲丸投げができる。子はそんな事に驚く事なく、私の身を案じる。我が息子なればこそと思う。又子の人生も私が思うほどの事もなく、私以上にしっかりした人生観を持っている。とはいえまだ15歳で私もあと5年は頑張りたい。ほんのささやかな望みである。これがごく普通の家で家族である。

 今、人類がいがみあう。動物社会において何万種の動物がいる。しかし人間は白人と黒人、黄色人種しかない。たった3種類だが主義主張の違いは戦争にもなりかねない。又宗教の違いも怖い。仏教、キリスト教、イスラム教、この世界三大宗教の違う考え方、主義主張を、ともすれば人間はこれを越える事はできないかもしれない(この主義主張の壁が破れる時は、世界最終戦争に至る。そしていつもその陰で犠牲になるのが力のない女性、子供達。ただある国では、女性も子供も戦争も辞さないと…恐ろしい時代である)。

 我が日本国において憲法第9条戦争放棄はあるが、スイスのように永世中立国にはできないだろうか。私は政治の事はわからない。しかし、人と人が命のやり取りをする。もし私に火の粉が降ってきたら私はどうするだろう。やはりきれい事は言っておれないか。私や息子に危険があれば、やはり命を張って助け、危険人物に対し目には目をという事にもなりかねない。

 米国(ニューヨーク)に対しては、心よりお悔やみ申し上げます。これも人災、災害と思う。我が国は、もっと世界に災害に障害に福祉に、120,000,000人もいるのだから、もっと目を向けて欲しい。そしてできる限り、自分のため人のため、そこに様々な障害があるやもしれませんが、恐れずボランティア活動にぜひ参加して欲しいものです。
(2001年9月17日)


 明石の歩道橋事故で兵庫県人として恥ずかしい限りなのは、県警と明石市の罪のなすり合いです。最初8人の幼い命が奪われましたが、なぜもう一人が意識不明で危篤状態にありながら、マスコミも県警も明石市もその事に触れず、亡くなってから報道されるのか。

 今は震災の事を話す人すらなく、大蔵海岸の人災も耳にしない。私の住む団地もイベントの広告ばかり。犠牲者への冥福の言葉も、話もない。眼下に広がる明石海峡、その下で9名の命が失われた。団地からは車でわずか10分の所ですが、話も出ず、まるで避けているかのようです。自治会費の集金に来ても、私がとりつく島もなくすぐ帰る。
 まだ暑い夏が続きます。子供達は自分で自分の命が守れません。周りの大人がしっかりしなければ、私の言う人災はいつどこでも起きるやもしれません。

 暗い話ばかりではなく、この度私は決心いたしました。生涯に只一度となるかもしれません。障害者全国大会に出場いたします。神戸市からユニフォームや靴のサイズ合わせ、結団式その他の色々な連絡があり、何と私は神戸市で只一人砲丸投げ(ソフトボール投げも)の選手となり、しかも男子では一番の年長者。こんな名誉な事はそうないかもしれません。全力を出して戦います。このかみひこうきに「勝ちました。優勝しました」と伝える事ができればと思います。

 しかし自分で言うのも何ですが、私がこれほどの者とは、自分でびっくりしています。以前結団式の時初めて会った人と、大会に共に出場できたら勝とう、頑張ろうと互いに励まし合った。その人が帰りの交通事故で亡くなったと聞き、人の運命はいつどこでどうなるかわからないと思いました。その話を聞いてより一層出場の意志が固まり、名前すらわからないその人の分まで私はやる、絶対に勝とうと思っています。

 私のやっている事、話す事、考え方は少々変わっていて、変人と思われるかもしれませんが、だからこそ今まで生きてきて、スポーツやその他の事で人に負けない努力をしてきました。多分人から見たら少々の事ではないと思うが、おそらく二度と出てこないような人間でしょう。今までの体験、今やっている事できている事が自分でもよくわかりません。自信はあります。

 しかし本当に砲丸投げで、私のような小さい体で勝てるだろうか。人は言う。「本当に砲丸投げですか?」と……。無理もない。こんな小さな細い体で、砲丸投げと信じられないのも。だからこそ腰の痛みをこらえて練習する。腰に激痛が走り寝られない時もある。
 「なぜそこまでしてやるのか?」と息子も人も言う。でも止めない。私はやる。未だ全国では不幸が後を絶たない。善悪を為す前に人が人を、人という字をもう一度思い浮かべるべきでしょう。私も上には上がある事を決して忘れずに、自分に言い聞かせていますが……試行錯誤です。
(2001年8月10日)


 有瀬小学校の子供達は幸い、あの大蔵海岸で事故に遭わず少し安心しましたが、しかし同じ幼い子が犠牲になったことに変わりなく、ご両親や学校関係者、多くの友達の心中察するに余りあります。大人2名、子供9名が犠牲になりました。

 2001年カウントダウンの時にも事故の危険性があったと聞いています。警察に警備の要請をしたが動かず、救急車も待機せず、怒るべくして起きた事故ではないかと思います。思えばさぞ苦しかった、辛かった、痛かったことでしょう。こうして書いている私もこみ上げてくる。

 いつも学校で野球で児童館で子供達に接している私は、本当に胸が痛い。いつも事が起きてから騒ぐ。なぜ事前に徹底した警備体制ができなかったか、これを怠った明石市、明石警察に厳正なる処分を求めます。またいつも通り「再発防止に努めます」との決まり文句が……。事が起きてからでは遅い。兵庫県でこの夏驚くほどイベントがあります。今一度徹底的に防止策を練り、少しでも危険性がある所は中止すべきです。

 話は変わりますが、日本は600兆円の借金があるとのこと。国が国に借金では、誰がどうやって返すのでしょう。また国が国に取り立てに来るのでしょうか。一般社会人が借金すれば担保を……払えなければ差し押さえ、矢のような催促、そして裁判になります。

 鉄道や空港よりもっと自国の足元をしっかり見て、土台作りから必要かと思います。それは安全管理、失業対策、事件・事故の災害対策、病気・難病対策、児童・老人福祉……数え上げればきりがない。いくらでもやる事があります。空港作りよりも国と県と市が市民一人一人が目を向けてほしい。我が身に降りかからなければとそんな気持ちではなく……。

 内閣総理大臣様へ。子は国の宝、まず第一歩は徹底した安全管理をお願いします。
 神戸市長様へ。地下鉄海岸線は間違いなく赤字になります。なぜもっと社会人、子供達の話、意見を聴かないのか、私はそう思う。子供達は利用しません。なぜなら不便で料金が高いから。
 最後に亡くなった8名の子供達へ。もっとやりたい事がいっぱいあったでしょう。私ごときが差し出がましいですが、どうか天国で好きな事をいっぱいやって下さい。どこにどんな言葉を探してもこれが精一杯でごめんね。ともすれば色んなクラブ活動で、野球他のスポーツで会っていたかもわかりません。

 これがもし私の子だったら、ペンを持つどころではなかったでしょう。今一度、ご両親の気持ち、深く察するに余りあります。
(2001年7月28日)


 またもや兵庫県で大惨事。やっとあの大震災から立ち直りつつある中、幼い命が……私はすぐ学校および野球部の子供達がどうなっているか不安がよぎり、電話で確認を取ろうとしましたが、連絡がつかず、朝まで待ちました。一度現場に行きましたが、私の所から車で10分かかりました。警察も警備も……そして救急車が行き来し、どこの病院へ行くのか、誰がどこの人か全く見当も付かず、パニック状態の中でした。

 思えば震災の時もこうだったと思います。明石といっても大蔵海岸は垂水・西区に一番近く、私が通院する佐野伊川谷病院には13名が入院しました。22日朝一番に病院へ行き、有瀬小学校の児童がいないか、各部屋を見ましたが知っている子は誰もいませんでした。今ペンを持っても文字が震え、痙攣がきてこれ以上書けません。

 今先進国サミットが開かれており、日本も出席しています。以前にも増して、今一度この国の実態は本当に先進国だろうかと疑問に思います。今もなお自分の身に降りかからなければ知らぬ顔。こんな中にあって、またいつどんな惨事があるやもわからず、全国民一人一人、国、自治体に徹底した危機管理体制が必要であると思います。
(2001年7月23日)


 私は今、有瀬小学校で登下校の防犯係をやっている。誰に頼まれた理由もなく、また自分の子が登校しているのでもなく何の縁もない。ただ有瀬にいるというだけ。しかし、私はこの伊川谷町有瀬が死に場所と思っております。

 子供達は私の事を不思議がり、今もはっきり何の為私がやっているかわからないようです。先生方から子供達に「桜井さんは頼まれた事もなく、自分の子供がいるわけでもないが、君たちの安全の為やってくれています」と話があったそうですが、それでもなかなか子供は理解できないらしい。

 本当に色々な性格の子供がいる。そしてびっくりするのはカギっ子の多い事。胸からカギをぶら下げているその多くは児童館で親の帰りを待つ。ある日100人ぐらいお母さんとお父さんどちらが怖いと聞くと、全員がお母さんが怖いと言い、またどちらが好きと聞くと、やはり母親と答える。何という父の威厳のなさ。昔の頑固親父はどこへ行った。

 また父と子が遊び、話し合う事も少ないという。そして父親としてしつけがなってない子供の多い事など、私は本当にびっくりする事ばかり。自分の人生と今の時代をはかりにかけてはいけないが……。

 自分が歩いてきた道は、震災後180℃変わった。人生を決して無駄にしたくない思い、障害と震災と難病と今も戦い続けながらも、この世に確かに桜井孝至の父、桜井義信がいるというその思いで、子供の為自分の為にやっている。先生方がこのメールを見れば、少しはわかってくれるかな?。

 思い起こせば6年前地震により生き埋めとなり、その後入退院を繰り返し、通院の身でありながら、全く一歩も歩けず車椅子の生活を送り、仮設では這いずり回っていた。ここまで生きて歩けるようになり、そしてスポーツまでできるようになるとは、自分自身夢にも思わなかった。

 今度は全国障害者スポーツ大会推薦状が神戸市から届いたが、まだ出場するかどうか迷っている。旅費もユニフォームも神戸市が出してくれるが、宿泊代は自分持ち。2泊3日の大会で、あの宿敵神戸コスモスの選手は一人もいない。砲丸投げ、ソフトボール投げ、走り幅跳びと3種目にエントリーして、出場は2種目。大会は13年10月27〜29日にある。我が人生に悔いなし。
(2001年7月12日)


 今回の大阪府池田市の小学生殺傷事件は「もし私の子供だったら……」と子を持つ親は皆そう思うだろう。最近は余り事件、事故には触れなかったが、今回の事は余りにも悲しく怒りが収まらない。人が人を殺める、それも何の抵抗もできない児童を。

 私は今も公園で野球を子供達に教えている。そして私の顔を見ると飛んで来る。他人の子でさえ一番かわいい時、私はそれがうれしく、夏も冬も共に日が暮れるまでやる。ずいぶん子供の友達ができ、またその両親にも大変喜ばれている。全くのボランティアで、食事も電車代も自分持ち。それでも子供が、その両親が喜んでくれる。本当に生きているとはいいものだ。

 伊丹といえば、阪神大震災の被災地でもあり、やっと立ち直りかけた時なのに。これが外国の犯罪であれば先ず第一級殺人罪で死刑、それも早期に決定するだろう。小泉総理大臣が法の改正を急ぐというが、それより二度とこのような事が絶対あってはならない。このメールは亡くなった子供達、そのご両親には多分届かないだろうが、私は天国まで届いて欲しいと思う。このかみひこうきに乗って。

 小学2年といえば、ちょうど少年野球の一番下のクラスで、私の教えている子供達と同じ学年と思えば背筋が凍り付く。犯人については触れない。もう人間として人間でない。そして日本には変な法律がある。精神異常者は人間でない、人でない。全部がそうでなく、今までの事件の中の精神異常者は法律の厚い壁によって守られている。こんな馬鹿な話はない。殺された者にとってはたまったものではない。また残されたその家族は悔やんでも悔やみきれない。

 またこの先真似をするような人間がいないとも限らない。命とは何だろう。自分も人も生きているありがたさ、健常者であるありがたさを本当に人類は分かっているだろうか。二度とこのような事件がない事を、心から祈ります。

 また今日も子供達と野球をする。たまに大学生ともやるが、ほとんどが子供達中心の野球です。その子供達もいろいろな性格がある。おとなしい子、すぐ怒る子、文句ばかり言う子、素直な子、礼儀正しい子……。それも小学2〜4年ぐらいまでで、小学5,6年生は塾が多く、ほとんど試合以外来ない。一番手間のかかる子供達、またその母親父親ともずいぶん知り合い、「うちの子の面倒を見てくれありがとう」と言われ心よりうれしく、またその色々な子供達と友になる。ほとんどの子は父親とキャッチボールさえできない。その手間のかかる子供達が大好きである。

 息子がこれを聞けば、きっと嫉妬心を抱くだろう。だから息子とはまた別に付き合う。通院と野球とこのかみひこうき。その中から色んな出会いがあり、子供より私が子供のようである。あと何年できるかしらないが、多分倒れるまでやるだろう。いつも手間をかけます。私はこれぐらいしか言えない。私のメールが最大の言葉と思っています。
(2001年6月12日)

 平成13年5月20日、神戸ユニバー記念競技場にて、第40回身体障害者競技大会。これは年齢・障害別に実にうまく分けてあり、何十種以上の区分となっている。もし障害者野球もそうならと、私ならずともそう思う人もいるはず。

 それはともかく、私は砲丸とやり投げに出場し、砲丸は優勝し金メダル、やり投げは2位銀メダルでした。しかし思うように砲丸の記録は伸びず、来年までに今以上の記録(12m余)出さないと、次は負けるかもしれません。また、その前に宮城県仙台市で開かれる全国大会で記録の良い選手が本当の参考基準となり、上位の者がパラリンピックへの道が開かれる。私は仙台で記録を出さないと、パラリンピックへの道はない。

 なぜそうまでしてスポーツにこだわるか。では、私からスポーツとこのかみひこうきを取ったら何がある、何が残る、何のために生きている。子供のため、自分のため、また今までお世話になった人に何らかのお礼がしたい、それができない今、震災復興住宅にいる。
 しかし名前ばかりで、この西区はほとんど震災の面影はなく、復興住宅に入居している人も地元の人が多く、元仮設の人もいない。私の住宅は築26年以上建つ県営住宅で、ほとんどの入居者は被災者でなく、近所付き合いもない。

 死ぬまで通院とスポーツはやる。それしかできないから。車の運転は医師から止められている。万一この手紙が先生の目に触れたら、スポーツはともかく車の事で大変しかられると思う。しかし、買い物、通院、試合、子供の所へ行くのに、バスや電車よりも安いため、やむを得ず車に乗っている。
 もう20年以上無事故無違反で、ゴールド免許であり、運転には細心の注意を心掛け、いつも事故がないようにと祈っています。そんな私ですら車は怖いです。そして車は嫌いですが、どうしても必要上やむを得ません。

 競技会の帰り、「来年また会いましょう」とお互い声をかけ、心の中では本当にこのメンバーで一人も欠けず会えるだろうかと思っています。そして知人にこのかみひこうきの事を話し、インターネットができる人は数人ですが、「桜井さん本当の話だったんですね。私は見ました。最初から全部読みました」と公園で言われました。

 公園には色々な人、小・中・大学生、社会人、老人と様々な出会いがあり、全部私から話しかけ、野球の練習や学校の話し、世間話をします。
 その人達が私の練習を見ていると、とても障害や被災、まして通院、入院をしていた事、それ以上に重度2級障害者とは信用しない。それほど私は他から見ると元気というか、少々変わり者だろう。しかしインターネットを見た人だけは信用する。それは私が自分の事を隠さず話し、またこのかみひこうきで紛れもない本名を出した事に大いに意味がある。ありがとうございました。
(2001年5月21日)

 早速はやる気持ちで書きました。4月28日の練習試合は5回までで2対1,私が先発、後は抑えのピッチャーで勝ち。晴れの全国大会は、残念ながら他のピッチャーで、2回戦はあのコスモスと当たる事なく敗退し、私の登板はなく、悔しい思いが今も残ります。相手は名古屋ビクトリーで10対9で敗れ、そのビクトリーですら知っての通りコスモスには歯が立たず、コスモスの93連勝。日本いや世界でも障害者野球のチャンピオンです。たかが障害者野球されど障害者野球……。

 もう私の出番などないと思い、辞めようと監督さんに……気持ち・気力が落ち込んだと話をすると、「辞める事は許さん。ピッチングの練習だけしろ」とそれだけで後は何も言わず……。ここで私が引けば私の人生はない。何のため震災を乗り越え生きてきたか、まだ私を必要とする人がいてくれる。そんな思いでまた練習に参加する。

 今思えばよくぞ踏みとどまった。またやる、生死を賭けて。そして今もなお、毎日2時間練習をする。時たま何のため、勝つ事に何の意味がある……そんな思いが頭をかすめるが、やはり通院の帰り練習する。私の座右の銘は「何事も生死を賭けてやる」。少し大げさかもしれない。しかしこの年齢とこの重度の障害を乗り越えるには、生死を賭け向かっていかなければ……。

 この障害者野球は、1級の人も4級の人も同じレベルで戦う。ほとんどのスポーツは年齢と障害別に分かれている。だからこそパラリンピックで障害者野球はない。いやオリンピックですら、野球の歴史はない。もし障害別であれば、私は一番であると思うが、敗戦の将何を語るで、そんな事は言っておれない。

 5月20日ユニバー記念競技場で陸上大会がある。この大会は障害別と年齢別に分けてあり、だからこそ砲丸投げ、ソフトボール遠投と2連覇3連覇出来る。砲丸投げはパラリンピックの種目にあり、もし勝てば2004年のパラリンピックへの道が開ける。それまで今年を入れ、4連覇しなければアテネへは行けない。その時58歳になる。でも私はアテネへパラリンピックへ行くつもりです。何が何でも4連覇しなければ。

 もしこの手紙を見た人は、なぜそこまでしてやるのかと思うだろう。私は震災で一度死んだつもりで、震災前と全く別の人生を歩いている。だからこそ、何事も死んだつもりでやる。皆さんはTBSのガチンコファイトクラブを知っていると思う。あの若者の中で体や心に何らかの障害がある人、また健常者ですら何らかの悩みはあると思う。その時この手紙が届いたら、死んだつもりでやれと言いたい。少し過激な表現かもしれないが、生死を賭けてやれば何でも出来る。私はそう信じ、今生きている事を神に感謝します。
(2001年5月10日)

 第9回全国身体障害者野球大会組み合わせが4月14日決まり、あのコスモスとは別ゾーンで、うまくいけば決勝で当たるかもしれません。しかし、その前に4月28日練習試合があり、その結果次第で私の先発が決まります。昨年は近畿大会でもあり、コスモス以外は余り実力の差がなく、決勝まで行けたが、今度は全国大会…果たして私の出番があるだろうか?もう冬の寒い北風の中、リハビリを兼ね一人ピッチングを一生懸命やってきた。あとは練習試合でどれだけ出来るか。やはり不安はある。息子のように練習すればするほど強くなる。私は現状を保つのが精一杯。

 若い人を相手にでも、いつも後はない、後は振り向かないと言い聞かせ、奮い立ってきた。運を天に任せるだけ。地震と私とスポーツは、切って切れない仲。あと何年出来るか分からないが、病院では死にたくない。出来うる事ならグラウンドで…そんな事あらば他人に迷惑がかかり、申し訳ありませんが、それほどスポーツに想いを寄せています。ああこれが健常者の時に、なぜ気が付かなかったか。何回も何回も言ってきた話してきた。それでも今も後悔している。

 今もなお、群発地震が続く日本では、どこで起きても不思議でないが、もう二度とあんな阪神大震災のような事は、日本でも世界のどこにおいてもあってはならない。今年も3月頃、芸予地震の余波がこの神戸でもあり、震度3で蛍光灯が揺れ、猫が一番早くタンスの裏に隠れ、私はどうする事も出来ず、ただじっと座っていた。必要最小限の物と金と時計とラジオは枕元にあり、いつでも持ち出せる状態にしてある。もちろん薬も1ヶ月分の用意をしてある。体験者以外でこれぐらい買う人は少ないでしょう。こんな事を言えば怒られますが、人は痛い目に遭わないと分からないのです。これは災害に限った事でなく、あらゆる事件・事故・犯罪また病もそうである。

 私は4月14日生まれ。つもこの頃は関西で桜はほとんどなく、パッと咲いてパッと散る。名前もそうだが、私のようであり、そうありたいもの。私はいつも同じ事を言っている。このかみひこうきの便りを、本当に心から待ち遠しく思っております。スタッフの皆様方のご苦労も大変と感じ、心より感謝しております。

 寺崎さんはどうしておられましょう。お元気ならば、それに越した喜びはございません。またよろしく。もしこの私のメールが届いたら、過去まで見てもらいたい。見てもらうだけ、読んでもらうだけ、それだけでも十分気持ちは伝わると思います。私のようなこんな人間もいるのだから、生きているのだから……。
(2001年4月16日)


 いつもながら浦嶋さんには、心より感謝しております。
 入院もわずか4日で無理に退院しました。春の全国軟式野球大会があり、宿敵コスモスに勝つまで何が何でもやるしかない。コスモスは万全で、全国に敵はいないというその慢心を何とかできないか。でも無理だろう。しかし中には私のように執念も意地に向かっていく者がいる事も、コスモスは知ってもらいたい。5月6,7,8日、場所は神戸グリーンスタジアムで、多分私が先発投手。最大の栄光である。

 話は変わりますが、上杉さんの若さあふれる様子がメールからうかがわれます。しかし、上杉さんは余りにも私のケガ、難病を知らないようです。他人は知る事のできない、この障害名と病名、震災後合併した難病の証明を入れます。
 私は先生が退院を止めるにも関わらず、自分の生きる証に大会に出場します。この先何年生きていられるか、何もしないで生きながらえても何の意味もないから。何か失えば何かを得られる。何事も失う事なくして、得る事もない。また自分の心に対した敵は、手のつけようがない精神面である。しかしその精神面で生きているようなもの。

 もう台湾やトルコ、インドの地震への、人々の関心は薄れており、まして阪神大震災など、人はいつまで言っているのか……。そう思う人もいる。今は家もあり、元気で働いている人もいる。しかし、私のような人間がいる。また、亡くなった人達さえ忘れられている。そして事件・事故・災害がある度に、人はパニックになる。人は体験しなければ、何も言う資格がない。何事も。なぜなら、自分の身に降りかからなければ、他人事のように思う。悲しい事である。体験してからでは遅い。それは私のいつもの言葉である。人々よ。もう少し自分に、人に思いやりと愛情、そして勇気を持って欲しい……。 被災者ではありますが、生きる事に全力を、今ある限りの命を。

 ぜひ寺崎さん、お便り下さい。ご迷惑でなければ。いつもながらかみひこうきさんには、お世話になり、うれしく思っております。
 退院後、ペンを持つ事が少ししかできなかったが、今は大丈夫。毎日バッティング、ピッチングを一人でやっています。約1時間ぐらい…それが精一杯です。ピッチングは近くの公園で、壁に当てる練習で、打者にどこまで通用するか、それは一球入魂で全力を尽くして。私の血糖値は300はあります。とても退院できる体ではありません。しかし、今やらねば先はないと思っております。今回のお便り、ありがたく思っております。
(2001年3 月13日)

寺崎千鶴さんへ
 6年目でも60年でも巡り会えたことは、本当に心より嬉しく思います。体が弱く、自信がないと書かれていますが、そんな事はありません。あなたは立派に生きています。今はどこに住んでおられるのか、察する事は出来ませんが、世界の中にあなたがいる。ボランティア活動をしたいが出来ない。その気持ちだけで十分です。無理に自分を責めないで。人はその気持ちがあれば、きっと何かに役立つ時がきます。ただ、私は精神的に強く、そうでなければ今日まで生きて来れません。あなたのメールが何よりの力になります。今までも色んなメールが来ましたが、若い人は続かず、今は同じ大阪の障害者と奈良の病弱な人だけです。もし気が向いたら手紙を下さい。

 私は今も腰が痛い。痛いというより疼く。また肩、手足がしびれ、時々痙攣も起こします。目の方もこうしてペンを持つのがやっと、ほとんどかすんでいます。大変書きづらい中、死ぬまでペンを持つ事で、私は書き続けます。その中にあって、この寒風の中、ピッチング、投球練習をしてます。点滴を受け、痛み止めを注射し、リハビリをして走る事は無理ですが、軽く駆け足は3〜4歳位の子と同じかな。投げる力は十分あります。春の障害者体育大会、野球大会に向け、同じ障害者より練習をしなければ…年齢も54歳ですから。体にはコルセットを着けてやります。 それでも、人はその人の才能、天分というのがありますよね。

 話は変わりますが、あなたはサンタクロースを信じますか?いると思いますか?。変ですね。54歳にもなって、こんな話をする人間は、まずいないでしょう。子供達にも同じ質問をすると、年齢にもよりますが、ほとんどの子はいないと言います。悲しいですね。
 夢がない。人は夢を持たなければ…夢は夢であっていいのです。わたしの口癖ですが、人は何かに向かって、前向きに生きていたい。それは何でもいい。その人に合うもの、できるもの。無理をせず、背伸びせず、すごく自然に。

 今回、かみひこうきさんを通じ、お便りありがとう。わたしは文章が話が、書いている内に次から次へと湧いてきます。その時ペンを持ちます。
 あなたは病弱ながらも、今は確かに生きている。こうしてかみひこうきにメールを出す事ができた。そして返事が来た。生きる証に。病に勝って下さいとは言わない。わたしが一番よく知っています。病と仲良くなって生きて下さいね。またお手紙下さい。
(2001年1月28日)

寺崎千鶴さんへ
 6年目でも60年でも巡り会えたことは、本当に心より嬉しく思います。体が弱く、自信がないと書かれていますが、そんな事はありません。あなたは立派に生きています。今はどこに住んでおられるのか、察する事は出来ませんが、世界の中にあなたがいる。ボランティア活動をしたいが出来ない。その気持ちだけで十分です。無理に自分を責めないで。人はその気持ちがあれば、きっと何かに役立つ時がきます。ただ、私は精神的に強く、そうでなければ今日まで生きて来れません。あなたのメールが何よりの力になります。今までも色んなメールが来ましたが、若い人は続かず、今は同じ大阪の障害者と奈良の病弱な人だけです。もし気が向いたら手紙を下さい。

 私は今も腰が痛い。痛いというより疼く。また肩、手足がしびれ、時々痙攣も起こします。目の方もこうしてペンを持つのがやっと、ほとんどかすんでいます。大変書きづらい中、死ぬまでペンを持つ事で、私は書き続けます。その中にあって、この寒風の中、ピッチング、投球練習をしてます。点滴を受け、痛み止めを注射し、リハビリをして走る事は無理ですが、軽く駆け足は3〜4歳位の子と同じかな。投げる力は十分あります。春の障害者体育大会、野球大会に向け、同じ障害者より練習をしなければ…年齢も54歳ですから。体にはコルセットを着けてやります。 それでも、人はその人の才能、天分というのがありますよね。

 話は変わりますが、あなたはサンタクロースを信じますか?いると思いますか?。変ですね。54歳にもなって、こんな話をする人間は、まずいないでしょう。子供達にも同じ質問をすると、年齢にもよりますが、ほとんどの子はいないと言います。悲しいですね。
 夢がない。人は夢を持たなければ…夢は夢であっていいのです。わたしの口癖ですが、人は何かに向かって、前向きに生きていたい。それは何でもいい。その人に合うもの、できるもの。無理をせず、背伸びせず、すごく自然に。

 今回、かみひこうきさんを通じ、お便りありがとう。わたしは文章が話が、書いている内に次から次へと湧いてきます。その時ペンを持ちます。
 あなたは病弱ながらも、今は確かに生きている。こうしてかみひこうきにメールを出す事ができた。そして返事が来た。生きる証に。病に勝って下さいとは言わない。わたしが一番よく知っています。病と仲良くなって生きて下さいね。またお手紙下さい。
(2001年1月28日)

 風吹かれて空見上げれば、月が見えます。ふるさとの私や一人ぽっちぐらしの。流れ流れの伊川谷、2001年もこれからも、死ぬまで多分一人ぽっち暮らし。

 息子はどんどん大きくなる。もう私より15cmも高い。しかし腕相撲はまだ負けない。多分同年代健常者でも、私に勝てない。上半身だけが力がある。だから砲丸投げも投手もできる。スポーツは30%の天分と30%の運と40%の練習がうまくかみ合ってできる。それでも3日練習しなければ、ただの人になるとは、あるプロ選手の話。学力も同じ事がいえる。

 息子は2001年3月に公立高校を受ける。本人は自信があると言う。私は不安一杯の中、それでも勉強しろとは言わない。ただ「自分の人生は自分で決めろ。どうしても判断がつかない時、父に相談しろ」と、それだけ言う。だが先生の話では、同年代で塾に行っている子よりできるらしい。でも私は合格発表があるまで、安心はしない。

 この30%の運というのが、人生の体験の中でいかに大事であったか、私はそれは偶然のものではない。その人その人の運と運命というものが、確かにある。短命の人もあれば、90〜100歳まで無事生きる人もいる。どちらが幸か不幸か、それはわからん。震災で障害と難病になった私は、運が悪いとは思っていない。むしろ今日までよく生きて来れたものだと思う。平成7年1月17日は明日の事もわからず、一日一日が生き地獄の毎日だった。 今日があるとは、夢のようである。ましてや息子が高校受験。息子に運があるか?。学力があるか?。もう息子は自分で一歩一歩切り開いていく。  

 今もなお、伊豆諸島の子供達は避難生活と聞く。中には進学する子もいる。震災に負けず、自分なりに強くたくましく生きて欲しい。その中で進学への道が開かれてくれる事を願う。  また次のアテネ、次の大阪(?)オリンピックを目指し、一生懸命スポーツをしている少年少女達の明日の道がある。

 健康な体があれば、人間はやる。やればできる。何事にも。今もなお子供達に不幸な出来事が多い。私は震災に関しての話が多いが、震災もいかなる出来事も、人災だと思う。 人災は防げる。