震災から十年も経った今、再度の経済的大ショックからこの一年半、何とか立ち直るために必死で生きて参りました。何か今までの私とは違う生き方・頑張り方を必死でして来たような気がします。生きなくては……。
そして、少しは人間らしい生活を再び始めたい!〜
その一心で頑張って来ました。考えている時間もなく、只々無心で……。苦しい時ほど人間は多くの事を考えるゆとりがない…それがむしろ幸いなのかも……。ただ目の前にある事だけを懸命に丁寧に丁寧に、片付けて来ました。おかげ様で少しは生活らしきものが出来る土台作りは出来た様な気がします。
これからは、少しゆとりが持てて、たまには自分の好きな事がやれるような生活へ…と考えると、未だ未だ今の頑張りでは甘いと思います。61才に…いやあと数日で62才になりますが、自分に出来る事をコツ〜コツ〜と一つ一つ積み重ねてゆくだけです。
正直お手紙を何度も何度も書こう…と思いました。けれども文章が考えつかず、やめてしまっていました。本当に本当に久々のお便りになってしまいました。
生きる事の厳しさを今更ながらかみしめておりますが、それだけ人生の大切さと、喜びの深さも教えられた様な気がしています。全て、自分で築きあげてゆくものですから、これからも自分を信じ、まわりの多くの方のお力を頂いて、頑張ってゆこうと思っております。
この次は、もっともっと楽しそうなお便りが書ける様に頑張ります。暑い中、皆様のご健康ご多幸を心より祈念申し上げます。2005.8.9 守田拝
(2005年8月9日)
今年は寒い時と、暖かい時の差が激しく、突然寒くなったり……。暖かいというより、むしろ暑ささえ感じる今日この頃です。年々気候が変化を来たしているようで、不安を感じております。
皆様にはお変わりなく、お過ごしでありますように……と念じながら、今日も又、ペンを執っております。日々の流れ、時間の流れの早いことには、今更ながら驚いてばかりです。
つい先日、コスタリカの大学院で法律を学んでいるロベルトさんという青年(23歳)の話を聞くことができました。日本にはあまりなじみのないこの国ですが、中立国として、平和を重んずる国でも有名です。ところが、この国の大統領が、イラク戦争において、アメリカの要請を受けて、軍隊の派遣に同意したとの事です。
ロベルトさんは、明らかにこれは憲法違反であると考え、たった一人で国を相手どって裁判を起こしたということです。そして、結果はロベルトさんの勝利で、大統領はアメリカに対してイラク支援の輪から退く事を表明したということです。わずか一人の青年が司法の場で闘い、国を救ったといえるでしょう。
実にしっかりとしているこの青年の生き方、考え方を日本の若い人に聞いてもらいたいとしみじみ思いました。
しかし、それに比べて、今の日本はレベルが低いですね。どこかの放送局のような件で裁判を起こし、どっちが勝って、どっちが負けて……そんな報道ばかりを繰り返すマスコミの在り方にも疑問を感じます。一体この事が、国の将来とどんな関係があるのか……。
もっと国の将来を考え、今、日本で進められようとしている平和憲法の改正を大きく報道する必要があります。そして、9条は変えずに、日本は永世中立国目指して欲しい。
このままでは、日本は何も考えない人が増え、国として何の将来も望めなくなってしまいそうで、怖れを感じる。もっともっと、自分の国の将来を見つめる目を養い、今の平和を維持する努力を続けていきたいものです。
(2005年3月14日)
震災から十年が経ちました。十年目の神戸市東遊園地での慰霊祭には6000人程の人が集まり、ろうそくの灯を手に祈りを捧げました。10年目にして初めての雨!ぬかるみを踏みしめながら、私は今年も又多くの方々へ、祈り続けた。
10年の出来事をいろいろと思い出し、次から次へ、涙があふれて止まりませんでした。私は今、ここに生きている。しかし、十年経った今、私の人生はまたまた大きくゆれている……。
只只ひたすら真っ直ぐに生きることを見つめ、経済的な立て直しを図り、まわりの苦しい人達へのお手伝いも、ほんのちょっぴりさせて頂き、神戸空港建設に対して、市民として反対運動をして、その後、憤りも頂点へ……。
何の力も経済的なものも無い私が市会議員として立候補をしたり……。しかし今思えば、そんな力がよくあったものだなあ〜としみじみかみしめている私です。
そして今、私は別の人生を見つめています。一昨年秋に、頑張って貯えたお金をある人によって全て失い、何とか生きる為の闘いを始めようとしています。
しかし、人はそんなに強くないものです。娘の精神的な病を支えてきた私も、今は娘の気持ちがよく判る心境にいます。即ち、自分でも危ないなあ〜と感じて、何とか…自分を建て直そうと懸命です。
そんな中、奈良の浦嶋さんからちぎり絵を再び頂いた時に、涙が出て止まりませんでした。心にしみました。何とか生きてゆきます。そして再び、自分の夢を……。
人に感謝あるのみです。人間万歳!人間大好き!
人を信じてきた私です。これからも、浦嶋さんのお心を大切に大切に持ち続け、多くの人と手を取り合って、以前の私らしさを取り戻し、私らしく良い人生を過ごしたいと思います。
すべての人に対して感謝!"かみひこうき"に感謝……私を少しずつ少しずつほめながら、又再生してゆきたいと思っています。
ありがとうございます。
すべての人に幸多からんことを心より祈っております。守田拝
(2005年2月16日)
先日は喜納さんのメールをお送り下さいまして、ありがとうございました。喜納さんとは空港問題に関してチャリティーコンサートを開いてからのご縁で、とても良いお付き合いをさせて頂いています。我が家のパソコンにも同じ文章が喜納さんから届いていました。 今回の参議院選挙の際も一日お手伝いをさせて頂きましたが、いつもの事ながら
パワフルな行動力と見事な歌唱力には脱帽・・・というところです。
しかし、世の中は何か最近おかしい方向にどんどん進んでいる様な気がしてなりません。少しでもこれからの若い世代の方々や孫の世代が住み易い地球、住み易い日本であって欲しいと願うばかりです。そのためにはおかしくなって行く一つ一つの事に対して、勇気を出して、ストップさせる為の行動を起こす必要があります。
今、住基ネットの裁判にも参加し、原告の一人になっていますが、3月には陳述をする予定です。あの神戸空港に対しても、まだまだストップの声をあげ続けていかなくてはなりませんし、子供達の命が奪われるという悲惨な出来事も後を絶ちません。一人一人が今、やらなければいけない事をすぐに形として表す時だと思います。何が出来るのかを自分に問いかけて、出来る事から始めたいものです。
どんな人にもあいさつを必ず行う、近所の掃除をする、老人ホームの慰問に行く、募金活動を行う、議会を傍聴に行く、悪い事に対して勇気を出して注意をする、そして絶対に棄権をしないで投票する事・・・ 全て必ず出来る事ばかりです。
少しでも希望の持てる、夢のある社会にしたいものです。そして被災者の一人として未だ苦しみの中に在る人が、一日も早くその苦しみから解放されることを願ってやまない。今日も明日も全ての人に感謝をしながら、ささやかに頑張りたいと思います。
皆様のご多幸、ご健康を心よりお祈り申し上げます。<守田拝>
(2004年12月6日)
今年の夏は例年になく、厳しい暑さが続いています。
かみひこうきには、お便りを書くのが久し振りで、私にも、その間再びいろいろな事がありました。例の小泉首相の「△△いろいろ・・・」の変な発言が記憶に新しいところですが、まさに「人生イロイロ・・・」の感じをしみじみ味わっている昨今です。あの震災の厳しい現実と苦しい生活との闘いを、何とか乗り越えて来た私も、全身から時に力がぬてゆく様な初めての経験をしています。
震災当時は、何か夢中に生きることと闘い、必死に日々の生活を支えてきました。それも何とか今までたどりつき、今ここになって、大きなアクシデントに見舞われてしまいました。思いもしなかった仕事上での大金の損失!!。あれ程がんばって、がんばってここまできたのに、そのために、私の人生は、又ふり出しです。
震災当時と同じ様に、自分を励ましながらゼロからのスタートを切ったところです。しかし、この痛み、苦しみは、いったん安心できる状態まで巡り着いてからの出来事である為に、想像を越えた、苦しみが続いています。人の心の平穏は、かなり経済事情も大きいものです。
今、全くゆとりがない為に、今まで感じた事のない体の苦しみを伴っています。はじめて病院通いをして、歩みを止め様とした事も正直ありました。しかし。この手で再び努力をして、何とか経済的な安定を図るしか、生きる道はなく、黙々と歩く様にしています。自分を信じ、がんばってゆくしかありません……。多くの皆さんの心を今、改めて痛みと共に感じている昨今です。
10年目にこんな状態になるとは思いもしなかった現実ですが、厳しい日々ですが、背中を向ける事なく、正面から歩いてゆこうと思っています。今後ともよろしくお願い申し上げます。
(2004年8月20日・本日61歳になりました。)
浦島三四 様
この度はプレゼントを頂きまして、本当にありがとうございました。
早いものであの日から、9年1ヵ月が過ぎようとしています。私も神戸三宮で恐ろしい体験をして、必死で生きて参りました。
人生の様々な局面を目の当たりにしながら、くぐりぬけて来た!!…という方が むしろ正しいのでは…と思っています。正直言って暮らしぶりは好転とまではいかず、ぎりぎりのところでの生活が依然としています。しかし、必死さのなかで多くを学ばせていただきました。生きるための努力の中で、人としての在り方も…。
やはり自分自身が追い込まれてゆくと、全てのものが透き通って見えてくるようになりました。恐らく欲も取れて、まっすぐ素直な心になれた今は、お金は大きな借金を抱えたままですが、人との財産が本物としての形で持てるようになりました。素晴らしいほどの生きる為の神様が下さった心の持ち方です。
今は借金を返してがんばったお金で少しでも苦しい中にいらっしゃる方が相談に気軽に来て頂ける”癒しの家”を作ることを夢に今は3倍も4倍も力をふりしぼって毎日がんばっています。必ず実現をして、今での多くの方々へのお返しとしての人生を送ってゆきたいと思っています。60歳の年には、少し体も疲れを感じますが、まだまだ大丈夫です。
本当にありがとうございました。私のデスクの上に”夢、実現”と書いてかけさせて頂き、がんばってゆきます。浦島様もお体ご自愛下さいませ。
(追伸)
心の持ち方一つで、生き方が変わる事を、今は有難くかみしめながら生かせて頂いております。色紙に込められました浦島様の大きな愛とぬくもりを支えにして、これからもがんばって参ります。 −ありがとうございます−
(2004年2月20日)
久々にお便りをさせていただきます。早いもので、震災から10年目を迎えたことになりますが、震災記念日が近づくにつれ胸がキリキリと痛み、息苦しくなる私です。三宮で被災した私ですが、毎年1月17日は記念祭に出席し、苦しい思いで亡くなられた方々に、心から手を合わせてきました。
しかし、今年は、参加することができませんでした。何とか今まで生活を支え、目標を定めて生きてまいりましたが、今年は、いや、昨年の夏くらいから生活に対する考えが変わってまりました。
何かのために働き、何かのために貯金をする・・・・、働いても働いても貯まらない現実の中、健康でまだまだ元気な間に行きたいところへ行こう〜〜そう思って、今年は1月10日〜18日までフランスのニースに行ってきました。雨ひとつ降らず毎日16度〜18度のポカポカ陽気で、しゃれたニースの浜辺を歩きながら、生きている喜びを満喫してきました。
十年前には、考えられなかったことです。しかし、フランスのホテルで日本のテレビを放映しており、震災記念日にニュースをやっていた時には、手を合わせて、祈りましたが、遠いフランスにいた私の胸は、キリキリを痛み、息苦しくなってしまいました。表情がうまくできませんが、涙がポロポロと出てきてしまう、この心の痛みは一生続くのでしょうね、きっと!!〜。
ゆとりなど全く無く将来に対しても貯えゼロの現在の生活で、一体どうなるのか、全く判りませんが、「なるようになる・・・」と言う事しかわかりません。とにかく問題が起きてから考えることにしています。お金もないけれど、それは大した問題でもなく、案外とさばさばしたものです。フランスの楽しい日々を、過ごすことが出来たのが今は大きな喜びとしてこれからの私をきっと支えてくれることでしょう。そして、ささやかに生き、ささやかにがんばり、またどこかへ旅を楽しみたい!!・・・と、心から願っています。
心の健康を大切にしてゆきましょう!「夢」を最後まで持ち続けながらこれからもがんばってゆきます。
(2004年1月20日)
早いもので、季節は9月になり、吹く風も少しやさしさを感じる今日この頃になりました。
「かみひこうき」へのお便りを、久々に書かせていただきます。このお便りは、あの震災が始まりでした。多くの被災者の方々とともに歩んでまいりましたけれども、各々の人生にその間も様々な出来事が繰り返されたことと思います。ゆっくりな歩みの中にも、少しずつ光を見つめて生きてきましたけれども時には力を失い、歩みを止めてしまおう……と思ったことも幾度か……。
今、様々なことを振り返って思いますと、多くの被災者が個々の力を振り絞っての歩みではなかったか……と、思いが至ります。私自身も自分自身の中に、秘められた力があった事を少しは感じながら現在も歩みを続けています。いつまでも変わらぬ想いは「多くの方々への感謝の想いです」。
苦しい道のりの中で、病の娘との歩みもありましたが、33才になる長女の結婚という出来事があり、つい先日、娘に男の子が生まれました。新しい命を見ていますと、人の力の大きさ、神聖さを感じさせていただいております。時に新しいエネルギーを分けてもらいながら、これからも多くの方々と共に手を携えながら私らしく様々な活動を続けていきたいと思いを新たにしています。常に希望を持ちながら……。守田拝
(2002年9月2日)
あけましておめでとうございました。早いもので、震災から7年目を迎えようとしています。
多くの人達が、それぞれに懸命に自分を支えてきたこの7年間は、これからの自分を支えてゆく意味でも、大切な時間であるとも感じています。今までの人生では、決して味わう事が出来なかった、人の心の表と裏とを嫌という程見せつけられましたが、それだけに世間に対する根性と開き直りも、身につける事が出来ました。
物事は考えようで、こんな大きな物を見つめる心を養う事が出来たのも、震災から生き抜いてきた事への、ささやかなプレゼントでは……と思うようになりました。
先日は神戸市長選挙の事を書かせて頂きましたが、時間の経過の中で冷静に見つめてみますと、様々な反省点も明確になってきましたし、市民の皆様へは申し訳なさで一杯です。
市民派に何とか政治を取り戻そうと思う心で動いたとしても、そのグループ、団体を形成してゆく中で、一部のところで地位、名誉……を得て、今後の自分の生活につないでゆく人が必ず出てきてしまう……という現象です。仕方のない一面かもしれませんが、それは与党(体制側)と何ら変わりがなく、説得力が全くありません。益を求める心を常に捨て、人は全て平等という心を私の支えとして生きてゆこうと思っています。
代表、リーダーを作る事を極力避けながら、多くの市民の方々と共に考え、共に悩み、共に苦しみ、共に笑い、共に泣き……そういう仲間作りをして、何とか原点に立ち戻り、頑張ってゆこうと思っています。
それは人を責める事なく、己が何をしてゆくのか、己に何が出来るのか!……。これからもささやかに行動してゆこうと思っています。4年後、10年後に神戸から……日本から……少しでも苦しい人が減ってゆく事を祈りながら、自分を支え、見つめて生きてゆこうと思っています。
今後とも、多くの皆様にご指導賜りますように……願いを込めてペンを置きます。本年もどうぞよろしく、お願い申し上げます。守田拝
(2002年1月5日)
震災から早いもので7年近くも経とうとしている。あの震災という苦しい体験の中
から私の市民運動のスタートがあった。
神戸空港の是非をめぐる住民投票の実現を目指しての署名活動!そしてリコール運動
(笹山市長に対して)! そして空港反対の市会議員が少しでも増える事を願っての
、市会議員選挙への立候補に!……。しかし、この神戸の街は新しい歴史のページを開
くことを拒否した。財政の破綻!福祉の壊滅!全く市民不在のこの街に住む人は何を考え、どんな将来を見つめて暮らしているのか?……それを思うと辛くなる。
前回の市長選挙でも、結局勝てなかった市民派。10月28日の市長選挙は、神戸空港を止める事が可能な最後の選挙であった。私は考えた末、木村候補の手伝いをする決心をした。
候補者の秘書として、全て行動を共にして闘い抜いた。一日の休みも無く、朝6時か
ら夜10時迄。まさにすさまじい闘いでした。睡眠時間は2時間半程。その私の思い
の中には、これからのこの街を支えてゆく若い人達に、より健全な、より誠実味のある
市政と神戸市の灯りを譲り渡したい!……と。その想いしかなかった。
しかし、結果は敗れた。市民派と言われる他の候補者の中に、2名は自民党側から何らかの大金 が出ていると言われている。情けない。神戸の現実でもある。木村氏の票を減らし、矢田さんの当選をより確実にするための策略ではあるが、市民の一人として、選挙に対しての与党のしたたかさと巧みさを感じる。
神戸の住民は自分の立場を守るための一票からどうしても抜け出せない。神戸市民全
体の想いを寄せ、いかにすればこの街が、よりよい街になるのかを考えれば、自分の
立場を勇気を持って捨てるしかないのだが……。私はそれを貫き、普通の市民が大
きな力と大きなうねりを持てる様になる迄、地道な活動を今後も続けてゆきたい!
神戸の未来に光をもたらす迄!……。
(2001年11月17日)
早いもので、6月も終わろうとしている。これからいよいよ暑い夏へと向かってゆくのだが、世の中は、決して良い状態ばかりとは言えない昨今です。神戸で少年による悲しい事件が起きたのが、つい昨日の事の様に思える。日本国中が、恐怖に戦いた。まるで、明日は自分が標的にされるかの如く……。
根本的な解決(国民自ら反省と国の青少年問題に対する取り組みなど…)もなされぬまま、現在に至っている。その間幼い子自身犠牲になったり、青少年が加害者になったりして、むしろ問題は複雑化している感さえある。
そんな中、先月の池田市での痛ましい事件が起こってしまった。幼い8人の子供さんのお顔を想い浮かべると、口惜しくて、残念でたまりません。瞬間の恐怖を全身で感じて、この世と別れてしまわなければいけなかったお子さんがあまりにも可哀想で……。世の中の有り方を真剣に考え、受け止めてゆかないと、この先もまだまだ辛い事件が起きそうな気がする。
これ以上の人間の欲望を捨て、自然環境を守り、お互いを理解し、愛してゆけば、まだまだこの世の中も捨てたものではないと思う。身近なところの問題をしっかり受け止め、それを地域の中で取り組み、前進してゆけば、子供達が少しは大人を信用し信頼し始めるような気がする。全く社会から目を伏せ、我が事、我が家庭だけよければ…それで満足しているような生き方をまず直してゆきたいものである。
7月29日の参議院選挙もまずは棄権をせずに、全員が投票にゆく事から始めたい。比例区の有名人の乱立を批判するのは、投票をきっちりすませた後に堂々と行いたいと思う。自分で責任をもって選んだ人に、この国をまかせてゆきたいものである。責任を持つ国民の誕生があれば、必ず責任を持つ政治家が誕生すると信じて今後も行動をし、見届けてゆきたいと思う。
(2001年6月29日)
時代は、2001年 新しい流れの中に突入しました。神戸は、震災から、多くの苦しみを経て、今日を、しっかりと踏みしめて、歩き続けています。 一人一人、夫々の立場・事情の違いこそあれ、生きる姿は、前にもまして、実に逞しくもあり、誠実そのものです。それは、死と背中合わせの苦しみを乗り越えた者の、自信とでも言えるのでしょうか・・・。震災直後の苦しみ、不安は、自然と消え去り、自分の着実に生きた結果が、今を支えている! ささやかな私の自負心です。意外と元気ですよ。
今日は被災者の皆様へ!・・・という事で、奈良の浦嶋三四様から、「ちぎり絵」が届きました。今、毎月 向かい合っている、パソコンのところに飾っています。こうして、今も心を寄せて下さる方が、いらっしゃる!・・・と思うと、人の優しさ、人の偉大さを感謝せずには、いられません。自分を支え、家族と共に、地域の皆さんと共に、これからも、少しでも、何かのお役に立つ事が出来れば、と思う日々です。
浦嶋様もどうか、お体 大切に、おすごし下さいませ。そして、紙ヒコーキのスタッフの皆さんも、お体ご自愛下さいます様に!!・・・
いつもありがとうございます。
多くの皆さんに、感謝をしながら、本日はペンを置きたいと思います。
(2001年3月17日)
皆様、新年明けましておめでとうございます。
震災から早いもので、丸6年、亡くなられた方々の七回忌を迎える年となりました。大きな被害の中で、人間としての生き方そのものを見つめ直した瞬間もあります。当時の痛みの中から今でも立ち直れず、苦しんでいらっしゃる方々も多い今、私達は何を学び、何を行動という形で表してきたのでしょうか。
一度壊れてしまったものは、元には戻れない!。まして失ったものは返って来ない!。それを現実として受け止め、事実を受け止め、そこから出発するのに、私自身は丸5年を要した感がある。最初は、心配して下さる方々へ、いかにも大丈夫そうに肩に力を入れ、全身を奮い立たせ、精一杯の力を出して、生きてきたような気がする。今考えればかなりの無理があり、私本来の姿ではなかった……。
丸6年を迎えた今、何か全ての力を抜き、頑張る事もやめ、私自身の足許をじっくり見つめて、歩き直す事にした。今までと違い、広い角度で、しかも人々の深い心の部分をじっくりと見つめ直す事が出来ているのが、不思議な気がしています。自然体にやっとなれた今、まわりの方々も、私に対して自然に対応して下さっているのを感じている。
精神を病んで苦しみのどん底にいた娘(31歳)も、素晴らしい青年と出逢い、昨年末に結婚して、今は人並みの幸せをかみしめて、一歩一歩前進しています。人生様々で、日替わりのメニューの如く、大波小波の連続です。しかし、その受け止め方次第で軽くもなれば、重くもなる!。
全てに感謝をして、事実をしっかり見つめ、問題に背を向ける事なく、きちんと対応してゆけば、必ず人生に大きな成果が得られるものと信じています。
かみひこうきの皆さんにも、大きく支えて頂きました。全ての方々に感謝をして、私に何が出来るのかを見つめて、これからも生きてゆきます。全ての人達の幸せを祈りながら、心をこめて、ありがとうございますと言わせて下さい!。
(2001年1月15日)
早いもので、震災から5年3ヶ月が過ぎようとしています。
この5年間に様々な事に出会い、喜び、悲しみ、怒り……。こうして想いをペンであらわしていても、長かったようで、短かったようで……。でも、人並みの生活を送れるようになった事に、ただただ感謝をするばかりです。震災直後から今日まで、私自身を振り返ってみても、精神面でのゆとりに大きな違いがある事に気がつくようになりました。一生懸命に頑張ろうとすればするほど、気持の面にゆとりをなくしていた様な気がします。
昨年の10月に結婚した娘も、ゆっくり歩いて小さな幸せを手に入れています。この事もただただ感謝です。
やっと自分で好きな時間に、好きなところに行ける様になりましたし、何をしていても、表情がゆったりとしていると言われますし(言い方を変えれば、顔にしまりがなくなった?)、今までにないおだやかな表情をしているとも言われる様になりました。
5年を過ぎても、まだまだ苦しい方はたくさんいらっしゃいます。こんな中で、3兆円の負債を抱えた神戸市が、更に1兆円近くは必要になるとさえ言われている神戸空港を作る事に熱心になっています。多くの市民の生活に目を向けようともせずに……。
私は子供達の時代に、今の親が行政に大きく働きかける事もせず作ってしまい、借金の返済だけが自分達に回ってきている……と、きっと言われるに違いない。何とかして、これからの生活を自分で守る事に一生懸命にならないと、世の中全体が苦しむ事になるのでは……。程々の幸せで、程々の便利さで…自然を守りながら、子供達の生活を守る親でいたい!…と願っています。
人としての生きる知恵を、今こそ使う時ではないでしょうか!。人類全ての財産"地球"を守る事にエネルギーを注ぎ込まないと、地球破壊に進んでいるだけの様な気がします。お互いを信じて、やさしさとぬくもりのある地球を残しましょう。自然に感謝!!です。
(2000年4月13日)
震災から早いもので丸5年が過ぎましたが、
多くの皆様にとりましてはまだ5年・・・というお気持ちが強いのでは・・・と感じ
ます。また私自身もそうです。
「1月17日」この日は私たち被災者にとりましては辛い一日です。
今年は何故かじっとしているのが耐えられず、朝4時50分に家を出発し、神戸市中央
区(私が被災したところ)、東遊園地のメモリアル会場に着き、多くの方々とろうそ
くに灯をともし、安らかに!・・・と祈りました。
涙があふれて止まりません!!亡くなられた方々のお名前が刻んであるモニュメント
に着くと涙々でした。今この灯を亡くなられた方々がこの神戸の空の上からきっときっ
と見て下さっているのでしょうね!!
こうして私はその日中、神戸の街を13時間歩きながら街々の方々とこの5年間の事を
語り合いました。まず神戸のメリケンパークへ。ここでは灯ろうを亡くなられたご遺
族の方々が流されており、神戸の大学へ勉強に来ていた息子さんを亡くされた四国の
お母様と少しお話をしました。「辛い5年でした。今こうして思うことは、私が悲し
い気持ちを一日も早く消してゆき、息子との良い思い出の中で少しづつ強くならなく
ては。」とおっしゃっておられました。
長田の更地の中にポツンとプレハブを建て、お肉やさんをされているお母様は、「区
画整理の問題で22坪の店が7坪も無条件で市にとられて、残る15坪もスペースの店をつく
るので、そこに入居するようにと撤去を迫られている。店をやめるかこの土地をさる
か未だに決められない・・・」と涙を流しておられました。
東灘地区、兵庫地区・・・歩き続けました。そして夕方5時45分はまた朝と同じ会場 でろうそくに灯をともし、一日を終えました。これから自分を癒しながら、一年間少 しづつ力をつけてゆきたいと考えています。自然と地球に感謝をしながら・・・・。
最後にサンテレビでかみひこうきを拝見しました。皆さんいつもありがとうございま
す。人と人とのつながりの中で生かされています。これからもどうぞ皆さん糸をつむ
いでいただき、力を分けて下さい。いつもありがとうございます。
(2000年1月19日)
あけましておめでとうございます。
早いもので震災から5年目を迎えようとしています。私自身も中心地で被災をして、何とか現在の状態まで…。しかし、現実は厳しいものがあります。
昨年暮れに友人が行方不明…・。その結果奥さんからの連絡で、彼は保険証を残して自殺をしていたそうです。被災者によって状況は遠い現実も大きな違いを生んでいます。しかしそれに対して国も行政も、そして私達もあまりにも無力です。それは悲しい程!!…。被災者の集会で私は発言しました。「この国は一人一人の国民が差別をされ、人として認められていない!!」…。
住宅金融機関に対する政府の手厚い保護はまさに国民が納めた税金の不正使用でしかなく、私は犯罪に等しいと思っています。
弱い立場の人への支援は全くといってよい程ないのが、この国の実体です。まじめに税金を納めている国民の一人として、何らかの形で怒りを表わし、国民として大きな動きをしなくては救いようがありません。
日本国民はこんな仕打ちに逢いながらも、なぜ怒らないのか…・。私も不思議ですが、外国が見ても理解出来ないと共に、日本人は信じられないとさえ言われています。
今年は原点に戻り、国民の一人として、私達が今やらないければいけない事をしっかりとみつめ、行動をしたいと思っています。
そして、この5年間の疲れが今一度にふき出しているのを感じています。
懸命に生きてきた私ですが、病と闘った娘も結婚して、ささやかな家もみつけ、両親とも、この2年別れてしまった今、何とか肩に乗っかっていた荷物が大きく、落ちてしまった感じで不思議な感じです。
しかし、今、原点に戻り、力まずに自然体になれるまでゆっくりのんびりしたい!!と思っています。この1年は自然をみつめる旅を多くしたいと思っています。きっとその先に自分がやれること!やりたい事!が現れるのでは…と思います。少し体重もふえて来て、のんびり屋のきしこになっています。これからも又メッセージを送らせて頂きます。皆様のお幸せを心より念じております。お元気で
(2000年1月4日)
古川飛祐さんへ
こんにちは。私のメッセージにお便りを頂きました事を伺い、心から喜んでおります。震災から様々な形で傷つく局面が多かっただけに、今とても古川さんの温かさが身にしみています。
人は辛い事があった数だけ、人の心が判る様になると聞いた事がありました。苦しい時には、そう思えなかったのですが、今ささやかではありますが、家に住める様になり、皆さんのお心を受け止められる様になれました。
震災直後から自分の心を傷め、苦しんできた娘(30歳)は、長い長い時間、本当によく耐えてきたと思います。精神の病は聞くと知るとでは、大きな違いがありました。もう命をなくす寸前まで行っては止まり、又少し引き返して…その連続で、さすがの私も諦めてしまった瞬間もありました。しかし、それが自然の営みなのでしょうか。
気持のやさしい娘は苦しみもがく中でも、どこかで誰かに救われてきました。有形無形、どれ程多くの方に感謝をしてきたでしょうか。それは人間の力では及ばぬ事ばかりで、やはり自然の力で救われ、生かされているのを感じます。
こんな時の流れの中で、人は地球に"住まわせて"貰っている事実と、地球に感謝する心を自然に感じ、日々の営みをしています。神戸も空港問題で工事着工!…という局面を迎えて、人としての地球への感謝!人としての地球を守る心!人としての生きる姿が全く違うところにあり、それは悲しい人間の業として目に映ります。
しかし過ちに気がついた時に決定内容を変更する勇気を、心から待ち望んでいます。人を信じて、これからも神戸空港に対して人間としてやるべき事を、1日1日積み重ねてゆこうと思っています。
古川さんもお体どうぞご自愛下さいませ。
―遠い神戸より心から感謝の心が届きます様に…。ありがとうございます。―
(1999年9月24日)
私が選挙(神戸市議会)に挑戦して早くも2ヶ月が過ぎようとしています。震災で受けた大きな痛手と長女の病と歩み続けてきたこの4年5ヶ月ですが、市民(ごく普通の)の一人として今の世の中の矛盾を感じました。
まずこの地球の存在そのものが不思議で神秘的なものですが、歴史が始まってからずっとこの地球に人間は生活して来ました。それはまさに地球を借りて、そこに“住まわせて頂く”かの様なものだったのではないでしょうか?…。火を使い、狩をして、農作物を作り始め…人間は他の動物と共存をしてきた筈です。
しかし今、この地球で人として住んでいるその姿を見ると、人間は自己中心的で傲慢としか言いようのない姿になっている様な気がします。神戸空港の問題も、その人間が地球を傷つける事を止めない限り、どこかでいつの日か必ず自然にしっぺ返しを受ける様な気がするのです。先日も吉野川の第十堰を見学してきましたが、「人と自然の共存」が今一番大切な気がしました。
もうこれ以上の文明の発展は求めるのを止めましょう。そうして自然を守り、自然に学ぶ事で人類は地球と共に共存できるような気がします。みんなで自然を守り、人を守って真の幸せを得たいものです。〈自然に感謝〉
(1999年6月7日)
平成11年4月11日(日)・・・この日は私の人生にとって新しいページの始まりでもあります。
4年前の平成7年1月17日の震災で被災してから神戸の人達と共に私の人生にも大きなうねりがありました。 苦しい生活との闘い! 29才の長女の心の病との闘い! そして神戸で生活をする市民の一人としての闘い!・・・
神戸空港の是非をめぐる住民投票の条例制定を求めての署名活動の中で、今迄の私には見えて来なかった。神戸市民の在り方、考え方がよく見えて来るようになりました。それは自分自身が被災者としての苦しい生活の中にいて、心の病の娘を持ち、半端でない苦しみを経験していたからでしょう。
全ての苦しみは全ての喜びにつながる出来事!・・・と今の私の心の中からそう信じています。
神戸市民の願いは、住民投票の一つさえさせて貰えなかったのに。 何か市民は中途半端に言葉を濁してしまっている様な気がします。 この市営空港を市民の責任として作る必要があるのか?・・・と。
私は未だに胸の中が苦しくて仕方がありません。署名を集めた責任者の一人として、政党もバックも組織も無く、ましてお金も無い普通の市民が立候補したら、どれほどの市民が受け止めてくれるのか・・・自分が実験台として中央区から立候補したのです。
ゼロからの出発は945票! 最高点は6,180票(公明党)。 この市民の想いと「政治屋」としての動きが横行している今の日本の政治の縮図を見た様な気がします。
今はこの私に945人の方が入れて下さった。その人達へ胸を張って“有難うございます”と言える今後の生き方が私の新しい目標であり、お返しだと心に銘じております。“感謝”
(1999年5月6日)
今年の夏は例年になく一段と厳しいものがありましたが、朝夕は吹く風が涼しさを感じさせてくれる今日この頃ですが、神戸の夏も今年は一段と暑く、フィーバーしました。
御存知の様に、神戸空港の是非を問う、住民投票条例制定の請求の為の署名活動が8月21日から始まり、9月20日に無事終了しました。震災直後、笹山市長は、神戸市民に“空港の見直しをするつもりはなく、予定通り空港は建設を行う・・・”との発表を行い、被災をした市民は、自分の耳を疑いました。
これ程辛い思いはない!・・・そんな心身共にボロボロになっている市民に対しての首長としてのメッセージとは・・・、信じられない思いでした。これは、全国の皆さんもきっと同じだった様な気もしています。誰を信じ、何を信じて、市民は生活をしてゆくのか・・・。
そんな中での市民としての選択!住民投票条例制定を求めての署名活動だった訳です。最初は目標30万筆というのは気の遠くなる様な数字でした。毎日必死で走り回りました。声もかれました。そして終ってみるとその数字は何と35万筆にものぼりました。最後の最後まで、お互いを信じて頑張った市民の勝利です。倒れる寸前で頑張っていた私達も、これを市民の切実な想いとして受けとめて、今後も気をゆるめる事なく、住民投票の実現をめざして頑張ってゆこうと思っています。
その間、市民と多くの会話も行い、活動をすすめる中で、数多くの勉強をしました。常にその想いは、苦しい人、辛い人、悲しい人・・・、その人達の荷物を持てる人でありたい!・・・と願う心でした。自分自身も被災者であるからこそ出来たとの思いも強いものがあります。少しでも素敵な街、本当に神戸に住んでいてよかった!!・・・と心から思える様に、これからも多くの人と手をとり合って、前進してゆきたいと思っています。被災した市民は、頑張っています!!
これからも、ご支援、よろしくお願い申し上げます。
皆様お元気で・・・。 かしこ
(1998年10月2日)
阪神大震災から3年7ヶ月余り…その神戸市は今、熱いパワーの中署名活動がスタートしました。被災者の生活の復興も思うようにゆかない中で、神戸市は計画通り、平成12年春の工事着工を目指して計画を進めようとしている。
神戸市民は今、改めて市政の在り方に対して疑問を抱き、"人を守る"行政の在り方を問い、8月21日よりいよいよ空港建設の是非を問う住民投票条例制定請願の署名活動が始まりました。受任者目標3万人、署名目標30万人……。最初のうち(2〜3月頃)は、可能性はあるのかしら?…と多少の不安がありました。
この厳しい暑さの中、署名に向けてのエネルギーと熱気は日に日に高まりを見せ、あっという間に受任者1万人を達成していた。9行政区それぞれの工夫を凝らした進め方の中、今ではこの活動を楽しむほどのゆとりを見せている。街頭での署名活動…、戸別訪問…、知り合いを通して…、進め方は様々ですが、期間はわずか1ヶ月間!!。9月20日のゴールを目指して、神戸は今、熱い熱い高まりを見せている。必ず30万名の署名達成を目指して、やり遂げる決意です。
少しでもこれからの神戸市が、市民の為に真に豊かな街である為に、悔いのない活動を進めてゆきたいと思う。
全国の方の応援をよろしくお願い申し上げます。
(1998年8月23日)
皆さんお元気ですか。早いもので4月の半ば…桜の花もパッと散ってしまい、いよいよ葉桜の季節となりますね。
この神戸もあの震災から春を迎えるのは4回目!。私自身、平成7年の桜は目に入りませんでした。そして平成8年の桜は何とか目に入りましたが、わざわざ出掛ける事もありませんでした。そして平成9年の桜はやっと友人達と、お弁当を持って出掛けてきました。そして平成10年の今年は…。何か心の中に空しさが残り、そんな気には全くなれませんでした。それはどうしてか…。今この震災の後の苦しい中、明石大橋の完成で人々は浮かれて5000円ものお金を出して、20万人近くの人が渡ったと言われています。その1億円近い収入は一体どこへゆくのか?…。私は全く渡る気などしませんでした。便利さの裏に多くの人の苦しみと環境の破壊…。もうそろそろ人々はこのあたりで便利さを求める心を捨てないと、神戸は…いや日本は…いや地球は滅びてしまいます。
その中で神戸市は予定通りに空港の建設を進めています。市民の中に賛成の人も、反対の人もいろいろです。しかし、今作るにしても震災という大きな災害を経験し、多くの人の命とものをなくした神戸市民として、改めて今、自分で答えを出さなくては責任を果たしたことにならない気がします。そのため神戸空港建設に関しての住民投票の条例制定を求める署名を始めようという運動がやっと起こってきました。その会に何度も参加をしましたが、結果的には何か政党色と組合色が色濃く出て、発言する人、仕切る人はいつも同じ人ばかり…。いつもがっかり悲しい思いで帰ります。やめようかしら…とも思いました。しかし、市民の何の力のないささやかな力を集めて何か出来ないものかしら…と会を立ち上げました。横一列で、誰でも自由に物が言える会にしたいと思っています。どうぞ皆さん、市民一人一人の力を寄せ合って、何かの力になれるように手を取り合ってゆきましょう。
あなたとあなたと…そして私と…。いつも一緒に笑って話せて、心から楽しいつながりを作ってゆきたいと思います。貧乏所帯ですのでカンパも求めています。(いっしょに考える会 00940=0=78873)
(1998年4月11日)
明けまして おめでとうございます。
あたらしい年と共に、"かみひこうき"からお便りが届きました。
皆さんの文面を拝見していますと、文章のひとつひとつに込められたお気持ちが、ビンビン伝わって来まして、感動しています。
私自身、三宮で被災して2年3ヶ月の仮住まいを終えて、昨年9月に神戸に戻って来ました。その間どれほど多くの方の助けをいただいたことでしょう。夢中で生きてきて、やっと小さな小さな我が家で寝起きをするようになって、着ていた"鎧"をがバサッとはがされた感じで、文章のひとつひとつに、様々な言葉のひとつひとつに、そして多くの出来事のひとつひとつに喜び、涙しています。
田中有紀子さん(摂津市)の文面を拝見しまして、何度も読み返しました。長女(28歳)が、震災を境にして心の病になり、手首を切ることを何度繰り返したことでしょう。言葉で言い表し難い、この3年間の日々を我ながらよくぞ生き抜いてきたものだと不思議な気がしています。
人間必死な間は何とかしなくては……と思いもしない力が出て来て、無我夢中で進んで来られるものです。しかし人間は、何かのふとした出来事により、このパワーが失速することも確かです。
震災の翌年に父を亡くし、母を支えて生きて来ましたが昨年暮れに母も亡くし、パワーが消え失せています。母にいかに支えられていたかを改めて知りましたが、今は頑張ることはせず、少しのんびりとしたいと思います。
そして半年先、一年先にきっと新しい私自身が再生されることを信じて、今は自分を守る時期が来た様に感じています。娘もまだ入院中ですが、女性と政治をつなぐ会"リブル"の代表として、世の中をしっかり見つめてゆき、今まで以上にパワーアップをした私が再生されることを信じて進もうと思います。
多くの方に心からありがとうございます、と申し上げてペンを置きます。
(1998年1月6日)
今日は我が家に紙ひこうきが飛んできました。赤とストライプの2機で仲良く!!……。
震災の中で体験した様々の想い、それによって痛めた心…問いかけたいことが一杯一杯あります。そんな想いを少しでも女性の立場で、行政を動かしてみたいと考え、今、女性と政治をつなぐ会“リプル”を結成し、仲間と共に頑張っています。今日は私達の来月のイベントのご紹介をしたいと思い、新たなかみひこうきを飛ばします。
1995年1月17日、家族3人(夫・長女)は三宮のマンションにいた。あの激震の中、恐怖におののき、辛さに耐え、今振り返ると良く生きていたものだと不思議な気さえする。その瞬間と数日間の恐怖は、言葉に言い表し難く、ショックの大きさの為か、いくつかの記憶が消え失せている。
病身の娘と身近な人と自分を守る為に、本能というべきものなのか何かに押されるように、必死にガレキの街をかけずりまわった。食料、飲み物、医薬品、暖をとるもの、電池、ろうそく等を夢中で探し求め、歩き続けた。
その後大阪の知人宅での3ヶ月にも及ぶ避難生活!。やっと探し求めた加古川での仮住まい。知人の厚意に甘えての2年3ヶ月の生活。その間差し出す家賃を全く受け取らないその姿勢に、人としての大きさを見る思いがした。人に支えられての2年8ヶ月!!。
やっとささやかな住まいを求め、9月に神戸に戻って来た。今もまだ心を痛めて入院中の娘と共に、家族3人のゼロからのスタートが始まった。しかしこうしてこの2年8ヶ月を振り返ると、心から信頼出来る人とうわべだけの人との違いが、今では手に取るように判って来た。
新しい生活のスタートを切った今、何か言い表しがたい生活の重みと、精神的な重みがのしかかり、夢中で歩いてきた足取りも沼地を歩いているようなもどかしさと辛さを感じている。
思うようにゆかない生活に、いらだちを感じ始めている人は決して少なくない今日、真の意味での傷口の痛みはこれからの方がむしろ強い気がする。傷口をえぐるが如くの残酷な痛みに、被災者は耐えてゆかなければならない。
少しでも多くの人と手を取り合い、その痛みが軽減する事を願うばかりである。多くの被災者に幸い多い事を心から願って止まない。
(1997年9月17日)
私は幼い頃、「何になりたい?」と聞かれても答えることができなかったのです。幼稚園で、小学校で、よく聞かれますよね。中学生になると無理にでも、まず一つの道を選ばなければなりません。同じ学校の、同じ学年の中で一人だけそれができず、時間をもらいました。
人間の心持ちを変えようと思ったら、人間を信じ、待たなければなりません。誰かに変えられるのではなく、自分の夢として叶えていけるまで―私の夢には時間がかかります!。長生きするつもりですが、生きているうちには実現しないだろうと覚悟しています。それでも遠い未来にきっといつかきっと花を咲かせる、その種まきぐらいはできるかもしれません。花からこぼれた新しい種が、また芽を出すでしょう。その日までに、たくさんの自然を残しましょう!。地球は他の何者でもない、私達の星です。
3.古川飛祐(埼玉県)さん
こんにちは。その後お元気でいらっしゃいますか?。娘さんはいかがですか?。
紅葉が街の中でも大変美しく、風もなく穏やかな1日です。花や木を眺める時、自然を守ろうと思う時、守田さんのことを考えます。
私の夢は争いのない世界、本当の平和と幸福があって、かつての夢だった"カウンセラー"が一人も要らなくなるような世の中です。夢と呼べるものを見つけるのも、その方法を見つけるのにも時間がかかります。でも、イメージが頭にハッキリと浮かんだら、それを消すことはできません。不思議ですね。
あれでもない、これでもない、と夢を探し求め、いつの間にか形作られてきたものがありました。その間、地球はずっと私を見守ってくれましたし、宇宙がこの星を抱いていてくれました。行きようとする、多くの人々を知りました。毎日、様々な事があります。雲の形も風の色も、昨日とは違います。時間の流れに乗りながら、人は出会い、お互いを生かしていきます。人間の力より、もっと大きなものが確かにあり、だからこそ、人間は地球の美しさを守らなければなりませんね。地球は人間だけのものではないこと。人は誰のものでもないこと。そこに愛情が生まれるのですから。
それではお体を大切になさって下さい。また書きます。
(1999年11月28日)4.浦嶋三四(奈良県)さん
下手なちぎり絵ですのに、お手紙をありがとうございました。
かみひこうきのスタッフの方から送って頂きまして、もったいなく思っております。
震災から立ち上がられ、お元気で全身の日々をお過ごしの事、何よりお喜び申し上げます。私は年を重ねすぎ、何のお役にも立てず終わりそうです。小さい体で病気勝ちなので、昔した事のあるちぎり絵がなぐさみ事の一つです。恥ずかしいようなちぎり絵に、ご丁寧にお手紙をありがとうございました。
どうぞ御身体ご自愛下さいますように。そして頑張って下さい。
(2001年5月19日)
守田さんへ『かみひこうき』を送る
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