橋上 勉さん(仮名)

  (住所:神戸市 年齢性別:83才男性 職業:無職)


 いつも気に掛けて頂き、有難うございます。度々お手紙頂き乍ら、連絡も取りませず誠に失礼しました。

 私も若い頃より電気工事業に励んで来ましたが、十年前(平成12年)に脳梗塞で倒れ、緊急入院しました。 幸い手当が早かった為、思いの外、早くに退院出来ました。  それ以後建築関係の仕事から手を引き、得意先から厨房機の電気関係の修繕を依頼されて、あちらこちらと車で廻っておりましたが、脳梗塞の後遺症も少し有り、又寄る年波には勝てず、昨年思い切って廃業しました。
 しばらくは整理等で一日一日を何となく送って居りましたが、此の春から市の勤労センターで、週一回ですが水彩画の勉強に通って居ります。

 いつまで続くかわかりませんが出来ればずっと続けていきたいなーと思っている今日この頃です。
(2010年5月10日)


 久々にペンを取らせていただきます。度々の励ましのお便りありがとうございます。
 三寒四温と春も目の前までやって参りました。事務局の皆様も益々ご健勝のこととお察し申し上げます。

 実は私、かれこれ4年になりますが、脳梗塞で倒れまして直ぐ救急病院に運ばれまして手当てが早かったためお陰様で順調に回復しまして多少の後遺症は残りましたが外見ではわからぬほどまでになりました。
 仕事のほうも無理をせず大分減らしましたが、出来る範囲内で頑張っておりますが、震災の後遺症だけは永久に回復しないでしょう。

 またこの度は、奈良県の浦嶋三四様からのちぎり絵、本当にありがとうございます。見知らぬ方々からの励ましの言葉やこのような形のあるものまでいただき本当に有難く涙がこぼれる思いです。
 どうか事務局の方からくれぐれもよろしくご伝言くださいませ。
(2004年2月17日)


 今思えば、あの大震災も、なぜか遠い昔の様に思えてなりませんが、3年半の仮設生活は昨日の様に思われます。あの時は、何かに付け苦しい生活を強いられましたが、全国の皆様からの暖かい励ましで、やっと自宅再建、今では何とか元気に頑張って居ります。仮設当時一緒に居られた方々とも仲よくし、自立してからもお互いに尋ね合い、其の時の話に花を咲かせ大変よい思い出になって居ります。
 さて此の度、埼玉県の古川飛祐様からのメッセージ有難うございます。皆様から励まされなんとか自立出来た私共が、人様を励ますなんて夢にも考えて居ませんでした。私が今、此の年齢になっても働けるのは、自分から言うのは、おくがましい事ですが、いつの時も真面目に働き、信用の御蔭と思って居ります。これからも親から貰った生身の体を大事にして信用第一に、体を続く限り働くつもりで居ります。
(1998年8月1日)


 毎々、全国の皆様から勇気付けられて参りまして、仮設生活3年余、此の9月に旧住所に新築転居致しました。新築と言っても、莫大な借金を背負い、これからが思いやられますが、そんな事言って居れません。体の元気が取柄で、現在も腰にペンチ、ドライバーを吊り、現場に出て頑張って居ります。
 先般いただきました、ひまわりの種、早速、仮設住宅の横に植えました所、立派に成長し、3m以上にものび、立派な大輪を付けました。
 私もひまわりに負けず、頑張ります。折がありましたら、全国からはげまして下さった皆様によろしく御伝言下さい。
(1998年9月2日)


 震災の丁度10年前に市の区画整理で私有地の一部を無償で市に提供し、わずかな家の改造費を貰い(強制的に)、年齢のことも考え思い切って大改造して、やれやれこれで安心と思った矢先の震災。家屋は瞬時にして全壊。今は仮設住宅で何とか生活している次第です。

 震災時援助金として24万円は市から貰いましたが、その程度の金では見る間になくなりました。仕事の方もやめるわけにも行かず、未だに腰にペンチ、ドライバーを吊り、現場で働いています。その後、何かと援助金の支給があるように聞きましたが、いろいろと制限があり貰えない様な状態です。例えば老齢基礎年金を受給しているとか。生活保護を受けている人は、私達よりぜいたくな暮らしをしている人も何かにつけていろいろと援助を得ている。その辺をしっかり調査して公平にして貰いたい。

 現在猫の額ほどの私有地があるため、家を建てる計画はしているが、自己資金もなく、莫大な借金を背負わねばならない。年齢からして簡単に借り入れが出来るか、借りても何年掛かってどのくらい返せるか、考えれば考えるほど毎日が憂鬱です。一日も早く政府からの援助を期待しています。
(1997年9月10日)





橋上 勉さんへ届いた『かみひこうき』



1.永田雅人(Wally)さん

 初めまして、私は阪神・淡路大震災でボランティアの世界に迷い込んだ者です。あれから年に3回程神戸に出かけています。
 毎回出かける度に、神戸の移り変わりと変わらぬものを感じて関東に戻っています。
 本来変わらなければならないものが変わらなくて、変わらないで欲しいものが変わってしまう・・・このもどかしさを感じながらも、私はまだまだ皆さんと語ったり遊んだり、時にはイベントを起こしたりしたいと思います。
 ですから、今後ともども「遠くの隣人」としてよろしくお願い致します。
(1997年11月18日)

2.古川飛祐(埼玉県)さん

 電気工事のお仕事ご苦労様です。新しいお宅には、もう落ち着かれましたか?。橋上さんのエネルギーには、私も励まされます。どうかこれからもお元気で働かれますように。負けずに頑張ります。
(1999年7月14日)

3.古川飛祐(埼玉県)さん

 こんにちは。お返事ありがとうございました。またまた励まされました。「いつの時も真面目に働き、信用の御蔭」「親からもらった生身の体を大事にして信用第一に」これから世に出ていく、私達若者が常に頭に入れておかなければならないことです。私は働きはじめて5年半ですが、社会への甘えが抜け、ちょうどこれらの言葉を身をもって実感していたところです。私も体を大事にして、長い人生働けるうちは働き、橋上さんをお手本に、また同世代の仲間達を見守っていきたいと思います。すてきな人間関係をたくさん築かれましたね。いつまでも仲良く、お互いに尋ねあえる関係はかけがえのないものです。橋上さんと皆さんのご健康を祈ります。
(1999年8月22日)

4.古川飛祐(埼玉県)さん

 こんにちは。その後いかがお過ごしですか?
 先日、家と職場の電気工事を業者の方にお願いし、橋上さんのお仕事の様子をふと想 像しました。現場を飛び回っている職人さん、これまでにもいろいろな方にお世話に なりましたが、皆さん親しみやすく気持ちのいいことにいつも感心させられます。何 日かかけて工事に通ってくださると、終わって帰られた後、寂しくなるほどです。目 を見張るような腕前とともに、生き生きと誇りと自信と愛情にあふれて働いておられ る姿が、周りに元気を分けてくれます。私は今まで出会った職人さんたちに感謝し、 尊敬し続けるでしょうし、橋上さんもその一人です。職業は違っても、私は橋上さん に恥ずかしくない仕事をしていきたいと思います。御健康をお祈りします。
(1999年11月6日)

5.古川飛祐(埼玉県)さん

 こんにちは。寒い日が続いていますが、お元気でいらっしゃいますか?早くもあちこ ちで、菜の花が真っ盛りです。春の野の花、イヌフグリやホトケノザも私の目を楽し ませてくれます。
昔の私のように霜柱を踏んでいった小学生たちの足跡を眺めながら、通勤しています。 良い一年になるよう心からお祈りしています。
(2000年1月23日)

橋上さんへ『かみひこうき』を送る

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