本当に物忘れ、字も書けなく気力が無くなり、いつもご無沙汰ばかりでお許し下さいませ。
いくら年とは言え、こんなになるものかと情けなくなります。
書きたい事は山々ですが、お許しくださいませ。
この前、何か読んでますと、
老い果て 物忘れ 字忘れ
多き中 食欲忘れぬ
何故かあさまし
なんか私のこと書かれているように思いました。
食べては寝の毎日ですが、少しづつシルバーカーで歩いております。
どうか皆様お元気でお暮らし下さいませ。
(2007年7月14日)
お便りありがとうございました。あの震災から明日1月17日早12年になります。
今日もテレビを見ながら、あれからよくも今まで生きてきたものだと思います。若い者は早く忘れたいと言っていますが、年寄りは、あの時に亡くなられた方の思いを考えると、思い出しては涙。夢を見て泣いていることもあります。なんで私だけ助かったのかと思ったり。
今は息子達と一緒に暮らし、もったいないと思いながら、亡くなられた方の事を思うとつらい思いです。
地震の時、家はつぶれ、家の下敷きになっている時は、主人も亡くなり2年でしたので、もう私もこれでいいと思っていた時に、息子が近くに住んでいましたので、やっとの事助けてくれました。もう長生きするとは思いもしなかったですが、早12年という月日がたってしまいました。
人のお世話になるばかりですまない事と思いますが、生きている限りがんばって生きます。
皆様の健康をお祈りいたします。
(2007年1月17日)
何時もお便り有難う御座居ます。
お返事と思いながら、手も足も云う事を利いてくれませんので、失礼ばかりでお許し下さいませ。
年末にお便り書こうと思いながら、今日はお正月の二日になりました。皆様にもよいお年を迎えられたことと喜んで居ります。新年御目出度う御座居ます。
あの震災から早十二年に成りまして、未だこの年まで生かさせてもらっていますが、何も出来ない体で生きて行くのがつらいと思う事も有りますが、早く亡くなられた方の事を思うと、もったいない事だと思い、がんばって居ります。
それでも、寄る年波にはどうする事も出来ません。字も書けない、体も動けず、何時も御無沙汰ばかりで済みません。御許し下さいませ。
どうぞ皆様方、お体に気を付けて元気にお暮しのほど、お祈り申し上げて居ります。
(2007年1月2日)
何時もご無沙汰ばかりで、ご免くださいませ。手が震えて字も書けなくて、何時もご無沙汰ですみません。お許し下さいませ。
皆様のご親切、何時も感謝いたしております。90歳代の方もおられますが、私は脳梗塞のため本当に何もできなく、情けないことです。でも生きさせてもらっているのですから、がんばっているのですが、つい泣き言になってしまい、お許し下さいませ。
どうか皆様お体大切にお暮らしのほどお祈りいたしています。
(2006年11月5日)
お便り有難うございました。
昨年は年末に不幸な事が出来まして、正月早々大変でした。
今日ショートステイから帰ってきたとこです。丁度お便りが来てましたが、あの震災から今日が丁度11年目で何とも言えない思いでございます。
亡くなられた方の事を想ってしまったりして、長生きしても良い事ばかりではないので、思いは複雑なものがあります。震災後、街にはビルが出来、公園も出来ました。
私は体の衰えには勝てませんが、生きている限り、自分でがんばらなければと思い、毎日歩いているような有様です。ちっとも良い事が書けませんで御免下さい。
どうぞ皆様お元気で良き一年をお送り下さいませ。
皆様のご多幸をお祈り致しております。
(2006年1月17日)
長い間ご無沙汰、お許し下さいませ。いつもお世話になりまして有難うございます。
早や平成17年が終わろうとしております。私も12月15日で89才の誕生日を迎えさせてもらい有難いことですが、もう一日一日体が弱り、何時頃まで生きられるかと不安な毎日ですが、生きてる限り自分でがんばらねばと毎日すこしづつ歩いております。
かみひこうきの皆様にもお世話になってばかりですので、せめてお返事を思いながら何時もご無沙汰でお許し下さいませ。手も思うように動けず、読みにくい字でご免くださいませ。
月曜、木曜日とシルバーカーを押して歩いてデイサービスに行ってます。月に5日間ショートステイにも行ってますが、体の弱るのが自分で分かります。
どうぞ皆様御体大切にお暮らし下さいませ。そしてどうぞ良いお年を迎えられますようお祈り致しております。
(2005年12月23日)
お便りありがとうございました。
いつもお便り頂きながら、本当に申し訳ありません。
字を書く事がなく、何もかも物忘れがひどく、字を書くことができなくなりました。
ディケアに月曜日と木曜日に2回行っていますが、95、6歳の方がしっかりして居られ、私は本当に情けないことです。手も足も頭も悪く、だめな身体になってしまい情けないことです。
何をする気にも、何もできない自分がはがゆくなって、すぐに横になり、しんどい、しんどいで毎日暮らしています。
これではいかん、生かさせて頂いているのだからと、これ以上悪くならないようにと、お医者さんに行って、歩くのだけが私の仕事です。お医者様には、歩くより仕様がない、と言われています。シルバーカーで歩いていますが、なんと言っても年には勝てません。
なんと言いましても、健康が一番。どうぞ皆様もお身体大切にお暮らし下さいませ。読めないような字でごめん下さいませ。
(2005年9月1日)
何時もお便り有難う御座います。又、今年の干支の美しい鳥のチギリ絵をお送り頂きまして、有難う御座いました。早くお礼と思いながら、遅くなりまして申し訳御座いません(三四様有難う御座います)。
早今年も二月が過ぎようとしております。月日の経つのが早く、何時迄も何も出来ない者が皆様にお世話かけるのかと思うと、情けなくなる時が有ります。でも生きている限り頑張って生きねばと自分に言い聞かせながら、リハビリ頑張って参ります。自分の体の事ばかり書いて、申し訳御座いません。
私の町では「再開発」の為、町は見違えるようになり、家の前の公園も大分出来て参りました。
どうぞ皆様、お体には気を付けられ、元気でお暮らしの程お礼方々申し上げます。
(2005年2月28日)
平成17年1月 新年おめでとうございます。何時もかみひこうきの皆様、お便り有難うございます。
16年12月15日で89才という高齢に成りました。震災から11年目、あの時でも命助けて頂いて、今日まで生きさせて頂き、何の役にも立たない者がどうなる事かと、そんな事ばかり思って居りましたが、いやいや今現在生きて居るのだから、これ以上皆に迷惑をかけたら自分もつらいし、はたもつらい。毎日医者通いし、シルバーカーで歩きながら頑張って居ります。
新潟の大震災、10年前のつらかった事を今更の様に思い出します。
でもつらい思いをしても、何時かは良い事も有ります。どうぞお元気で頑張って下さる事をお祈りしてやみません。
皆様お体を大切にお暮らし下さいませ。私も生きている限り頑張って参ります。
くれぐれも皆様お元気でお暮らし下さいませ。
(2005年1月8日)
いつもお便り有り難う御座います。早くお便り書かなければと思いながら、字を書く事が出来なくて、思うばかりで申し訳なく思っております。
新潟の地震などで毎日つらいニュースを聞いて十年前を思い出し、震災と水害で皆様がどんなにつらい思いをしておられるかと思い、涙が止まりません。
この度は余震で大変だと思います。またお子様が可哀想でなりません。これからの人達ですから。でも月日が経てばきっと良い日が来ます。私共の神戸も十年経った今、良くなりましたから、どうぞ元気を出してがんばっていかれる事をお祈りしております。
今回もボランティアの方達ががんばっておられ、私共も大変お世話になった事を今深く思い出しました。感謝の気持ちで一杯です。
どうぞ皆様もお体にお気を付けて、元気でお暮らし下さいませ。
(2004年11月10日)
度々お便りありがとうございます。いつもお便りを書こうと思いながら、何をするにも気力が無く失礼いたしております。
何にもできませず、用の無い人間と思いますと情けなくなるときがあります。それでも生きている限りがんばらねばと毎日少しずつ歩いているような毎日でございます。週二回デイホームに行かせてもらって楽しく過ごさせて頂いたり、ショートステイにも泊まりに行っております。
震災から早十年がたち、町はあれから見違えるようになりました。私がおります隣に区役所もできました。町はだんだんと良くなりますが年齢には勝てず、何時まで皆様のお世話になる事かと思います。
でも命ある限り、前向きに元気を出して生きていきます。いつもご親切にお便りいただき、ありがたく思っております。
皆様どうぞお体お大事にお暮らしくださいませ。
(2004年8月28日)
お便り有難う御座いました。字を書けなくなりまして、元々不得手なもので、頭の病気と共に、本当に情けない事です。
震災から十年。街は段々ときれいになりましたが、私は年と共に体の方が弱ってしまい、どうする事も出来ません。
私共も新しいマンションに入りまして、これで元気な体であったなら年の事は仕方ないことですが、元気な体ならどんなに良かっただろうと思う、今日この頃です。
でも、多くの亡くなられた方々の事を思いますと、八十八歳までも長生きさせて頂き、皆様方ボランティアの方々にも大変お世話に成りまして、有難く感謝致して居ります。
どうぞ皆様方お体御大切にお暮らし下さいませ。
(2004年5月5日)
ご無沙汰致しております。
先日は浦嶋様より、けっこうなちぎり絵をお送り頂き、ありがとうございました。すぐにお礼をと思いながら遅くなりましてすみません。だんだん気力もなくなり、字を書くのが出来なくて情けないです。
震災から9年も過ぎてしまい、今迄も皆様、ボランティアの方々にお世話に成りまして、今だにこんなにお世話になっていることを有り難く、嬉しく、感謝しております。本当にありがとうございます。
私もしんどい時は、もうよいと思う時もありますが、気分の良い日は「生かされて 二度とない日を 今日も生く」の気持ちで、元気を出して生きてまいります。ちぎり絵の「見ざる 聞かざる 言わざる」の教えも、何も役に立たず、出来ない者には良き教えとつくづく思います。
どうぞ皆様、お体お大事にお暮らし下さいませ。
(2004年2月20日)
新年明けましておめでとう御座います。新年早々にお便りいただきましてありがとう御座います。字が書けなくなり書くのがいやになりまして、ご無沙汰ばかりでお許しくださいませ。
震災から早や十年目になりまして、自分ながらよくもこんなに長生きしたものだと思います。元気で長生きならうれしいですけど、何もできなくて世話になる人の長生きは辛いと思う時がありますが、自分で気を取り直して生きているようなものです。
あのいまわしい震災で、ボランティアの方々にも本当にいろいろお世話になりまして、病気になった今でも家族の者にも世話にばかりなっています。それでも復興のほうはだんだん進んできました。
元気な体ならどんなにうれしいことかと思いますが、これもいつまでもいうわけにはいきません。仕方の無いことと思います。
どうぞ皆様方お体大事にお暮らし下さいませ。
(2004年1月10日)
長い間ご無沙汰しまして、お許し下さいませ。
字を書くのが出来ないと言うより書けなくなりました。気力がなく、これでは自分の名前も書けなくなるのではないかといやになりました。
度々お便り頂きながら本当にありがとうございます。デイホームでは90歳でもしっかりされている方がおられますのに情けない限りです。
震災から早や9年経とうとしていますが、町はビルが建ち、だんだん良くなりつつありますが、歳には勝てず、避けて通れぬ道ですから。毎日毎日がしんどくて、年は取りなくないものです……。
嫁さんが食べ物は気をつけて、食べるのはおいしく頂いておりますので、体がいうことをきいてくれないのとは別に、長生きさせて頂いております。
これ以上悪くならない様にがんばって参ります。
どうぞ皆様御身お大切にお暮らしくださいませ。
(2003年9月8日)
久しぶりにお便り書きます。長い間ご無沙汰お許し下さいませ。
気持と体が一致しなくて困っております。先だっては未年のちぎり絵を送っていただきながら、早くお礼書かなくてはと思いながら体が言うことをきいてくれませんので、大変お礼が遅くなりましてすみません。本当に有り難く思っております。ありがとうございました。
この頃は元気もなく、気力がなくなりました。何もかも嫁さんに来ていただき、何もできない、何もしないので、元気で働ける時がよかったですが、こんなに体が悪くなってはどうしようもございません。
字も読みにくいでしょうが、お許し下さいませ。生きている限りは頑張っていかねばと思っております。
どうぞ皆様もお体お大事にお暮らし下さいませ。
(2003年3月31日)
明けましておめでとう御座います。新年のお便りをありがとう御座いました。
震災から早や八年が過ぎ去ろうとしています。あれから色々ボランティアの皆様やいろんな方達のお世話になりまして今日生きてまいりました。本当に有り難くもったいなく思っています。
いろんなことがありましたけど、皆様のお陰でいきさせていただいております。いろんなこと、思い出したくもないこともありますが、今はもうこれ以上家の者や皆様に迷惑にならぬようにと思ってたただ一日一日を過ごしています。
八十六歳までも長生きさせていただき、良い事もありますし、元気に暮らさせていただきます。どうぞ皆様お体お大切にお暮らしのほどお祈りいたしております。
乱筆お許し下さいませ。
(2003年1月15日)
何時もお便り有難うございます。一日一日は長いと思いながら、一年経つのが早いのには驚きます。
新しい家に引越ししてから早や一年がきてしまいました。リハビリと思い、毎日お医者さん通いです。家の近くでは再開発のため高いビルが壊され、また新しいビルが建ってますので大変です。
震災から八年。かみひこうきの皆様方、ボランティアの方々にもお世話になりまして、有り難く申し訳なく思っております。
今日はインフルエンザの予防注射をしていただきました。寒さに向かいます。どうぞ皆様お体お大事にお暮らしのほどお祈りいたしております。悪筆お許し下さいませ。
(2002年12月14日)
何時もお便り有難う御座います。もう字も書けないと思いながらお便り頂くのが嬉しくて……つたない字でお許し下さいませ。
暑い夏も過ぎ、涼しい季節となりました。何にもせずにお医者さんに行くのだけが仕事で、毎日過ごしております。デイサービスに週2回行っていますが、お元気な方も有るかと思えば、70歳一寸過ぎの方でもみんな私と似たり寄ったりの人達も有り、(年取ったら)皆こんなんかなと一寸慰めにもなりますけど……。
何も出来ない役立たずで、生きているのが辛いと思いますが、でも生きているんだから頑張らなかったらあかんと自分自身に言い聞かせながら、元気を出して暮らしております。
若い方でも病気なさる事も有りますし、どうぞ皆様お体を大切にお暮らし下さいませ。
(2002年10月9日)
お便りお見舞い有難う御座いました。早くお返事をと何時も思いながら、体の不自由なのと筆持つのができませんので、ご無沙汰ばかりでお許しくださいませ。
震災からすでに8年になろうとしております。もうすぐ86歳、よく生きられたものだと思います。時々「もういいわ」と思うときがありますが、生きているのだから自分で元気出さねばと思い頑張っています。新しいマンション暮らしも元気な体だったらどんなに良かっただろうと思います。
今は毎日のお医者さん通いとデイサービスに行くのが仕事です。町も段々変わり、もっと良くなることでしょう。
生きるのが辛いこともありますが、皆様のご親切をうれしく思いながら一日一日過ごさせていただきます。
どうぞ皆様のご多幸をお祈りしております。
(2002年8月28日)
度々お便り有難うございます。前にちぎり絵も送って頂きながら、お礼も申し上げず、いつも申し訳なく思っております。お許し下さいませ。
体の方も年と共にだんだん悪くなるような気がしています。
この辺もすっかり変わりました。マンションの下もお店がたくさん出来て賑やかです。うちの店もお貸しする事になりました。
何もできず、これでは生きている甲斐のない人間。でも生きている限り、これ以上お世話かけない様にとがんばって生きていきます。いつもいつもお便りありがとうございます。
どうぞ皆様お体お大切にお暮らし下さいませ。
(2002年6月7日)
大変ご無沙汰致しております。
度々お便り頂きながら、体の不自由なのと思う通り言葉も字も書けなくて、自分ながら残念な事で御座います。一昨年から入院生活で、だんだん頭も悪く、お便りすることもできません。
この度、震災から8年目にして13年12月に住宅ができまして、今こちらの住所に息子達と一緒に暮しておりますが、この年になりまして、このマンション暮し、私も嫁も勝手がわからず、誤解することも多く、これでよかったのかと悩んだりして、鬱病になりそうです。人に話すこともできず、悩む日々でございます。それでも体が元気でさえ有れば、何も悩む事もないと思いますが。人間、元気な体ですね。
どうぞ皆様お元気でお過ごし下さいませ。いらぬ事を書きましてお許し下さいませ。
(2002年1月30日)
お便り有り難うございました。久しぶりに筆を持ちまして、書きたい事は山ほどありますが、思った事やりたい事が思うように出来ずに困っております。
今日は病院で書いておりますが、ここに来てから今まで生きてきました85年よりいい経験をさせてもらいました。70歳位から98歳までの人達が、みんな自分が不自由な身体でも人の事を気遣い、手を貸したりされる努力を見て感激したり、今の事を忘れて怒ってみたり笑ってみたり、この一員になってしまった自分の事を情けなく思ったり……それでも生きている限り生きねばならぬ人生……。
震災から早7年の年月が過ぎようとしていますが、今年12月には家が完成し、24日には引っ越しで新しい家に行きます。でも、もう一つ体に自信がないのが困ります。また書けるようになれば良いと思います。皆様お元気で。
(2001年12月9日)
お便り有り難うございました。毎日猛暑との事ですが、病院にいますと世間の様子とは違いまして、有り難いと言いますか、暑さも何のその、毎日涼しい所でアホのように過ごしております。
84歳にもなって、もう長生きするのも良いと思ったりしていましたが、ここに来て97歳を初め90代の方がたくさんおられるのには驚きました。私もいい年だからと思いながら、これ以上皆に迷惑かけないようがんばらねばと思っております。ここでは今まで生きた以上に、色んな事を見聞します。これも長生きさせて頂いたお陰かと、喜んだり悲しんだりです。
今年の暑さは格別とか。どうか皆様お体御大切にお暮らし下さいませ。
(2001年8月7日)
お便り有り難うございました。お返事を書きたいと思いながら、思うように手も足も動かずお許し下さいませ。
今リハビリをしているのは、病院と言いながら養老院のような年寄りばかりの施設です。朝、昼、晩と食事はきっちり付いてはきますが、情けない限りです。でも、生かされている今日、命ある限り頑張って参ります。
やっとお箸が持てるようになり、嬉しく思います。今日は仮設に外泊で帰って参りますが、夕方からはまた病院です。
どうか皆様もお体を大切にお暮らし下さいませ。
(2001年7月9日)
早春の頃となって参りました。
先日浦嶋様からちぎり絵をお送り頂き、また上杉様からのお便り有り難く読ませて頂きました。本当に有り難うございました。
昨年の11月30日から入院致しまして、早4ヶ月も入院生活でございます。八十余年も生きさして頂いていますと、色んな事がございましたが、入院生活は初めての事で、色々の人間(模様)を見て参り、人生てなんだろうと時々考える事があります。
初めは右手でお箸が持てなかったのが、今ではお箸で食事が頂けるようになりまして、少しずつ快方に向かったのかと喜んでおります。病院から、今は神戸の「しあわせの村」にあるリハビリ施設でお世話になっておりますが、早く元気になりたいものです。
後先になりましたが、寺崎千鶴様にもよろしくお伝え下さいませ。皆様色々有り難うございます。皆様方の御健康お祈り致しております。
(2001年3月27日)
新年あけましておめでとうございます
新年早々ではございますが、今は入院中の身です。昨年11月30日にお風呂(銭湯)で急に倒れまして、救急車で入院致しました。左脳出血で右半身麻痺となりましたが割に軽く、今はリハビリ中です。正月は外泊で、仮設の我が家に帰りました。息子達が泊まってくれています。3日から病院に戻ります。
字も書きにくく、読みにくい事と思います。何時もご親切なお便り有り難うございます。皆様のご健康をお祈り致しております。
(2001年1月3日)
毎日お暑い事で御座居ます。暑中御見舞いうちわをお送り頂きまして、有難う御座居ました。何時も御親切にお便り頂きながら、御無沙汰ばかりでお許し下さいませ。何時もお便り書かねばと思いながら、気持と動きが一致せず、情けない事です。 書く事が苦手なもので、色々な事を書きあらわす事が出来ずに悩んでおります。
今は店に行く事も無く、何も此れと言ってする事も無く、あっても何もする気になれません。
時々老人会のお茶会やお食事会に行かせて頂き、お友達とお話をさせて頂いております。
何がなんでも体丈は気を付けて、寝込まない様にと心掛けて、病院に行ったり、歩いたりしております。
年を取りましたら其れまでです。
暑い折柄 皆様御身体大切にお暮らし下さいませ。
(2000年8月7日)
新春の候、2月になりまだまだ寒さが続きます。皆様にはお元気でお暮らしの事とお喜び申し上げます。皆様より度々お便り頂きながら、筆不精な者ですからお許し下さいませ。
埼玉の古川様、灘区の川本様からのお便り有り難く読ませて頂きました。有り難うございました。
色んなお話を聞き、人生一生のうちには本当に色んな事が有り過ぎて、いやな事は思い出したくないです。
人生83年も生きていますと楽しい事苦しい事色んな事が有りました。
もう私の人生は終わった様なものですが、でも今だ生きているのですから、生きている限りこれ以上世間の皆様、子供達にも迷惑かけない様にと、足が弱らない様にと歩いております。
お手紙の川本様も、お子様がお体がお弱いとの事、大変だと思いますが、お母様が元気出して明るく生きて行かれます様、お祈り致しております。
私も明るくと思うのですが、時々落ち込んでしまいます。それでも体さえ元気でいればと思い、その日その日を大事に生きていきます。
どうぞ皆様もお体大切にお暮らし下さいませ。
(2000年2月24日)
早12月、お正月と寒い冬が訪れようとしています。長い間ご無沙汰お許し下さいませ。
思い出しますと、あの震災から早5年を迎えようとしています。あの時を思うと、家の下敷きになっていたのを息子達や近所の方々に助け出され、娘の家で半年世話になり、老人用仮設に入れて頂き3年半、今年3月まで店に通いましたが、再開発の為、仮設同様店も取り壊しになり、今は住宅が出来るまで仮設に一人住んでおります。
ご近所の皆様も昔のなじみの人達ばかりで、いいお付き合いをさせて頂き、老人会やいろんなボランティアの方々にもお世話になり、有り難い日々を送っております。でも、12月15日で83歳という年ですので、過ぎ去った事は早いものですが、これから先の事は考えられません。「生かされて二度とない日を今日も生く」の心境で、一日一日を寝込まないよう、これ以上子供達にも迷惑掛けないように生きていきたいと思っております(字を書くのが出来なくなりました)。
追伸 古川様のメッセージ有り難く思っております。お手紙書くのが大儀で、ご返事が書けなくてお許し下さいませ。
(1999年12月12日)
お便り有り難うございました。
暑い季節になってまいりました。皆様元気でお暮らしの事と存じます。ご親切なお便り頂く毎に有り難く思いながら、ますます頭も悪くなり字も思うように書けなくなりました。
店も再開発の為なくなりまして、今は事業用の仮設で暮らしております。住宅が出来ましたら、店も再開するよう息子達が考えているのですけど、私は年が年ですので何もかも息子と嫁に任せております。
店をやめてから、何か抜け殻みたいで…。老人会にお世話になり、色々顔出さして頂くのですが、何かむなしいだけです。
それでも生きている限り元気でいなければ、これ以上若い皆様に御迷惑掛けては申し訳ないのですから、自分の体だけ気をつけて一日一日を大事に生きて行きたいと思います。
どうぞ皆様もお体大切にお暮らしのよう、お祈り申し上げます。
(1999年7月13日)
前略 度々お便り頂きながら、大変ご無沙汰致しまして、御免下さいませ。
仮設も店の方も3月まででなくなり、4月からこちらの事業用仮設に住まわせて頂くことになりました。住宅が建つまで、後2、3年かかるとの事。先の事は考えたくないです。一日一日を元気で暮らせたらと思っています。
3月までは住む所も店もなくなるので、二度の震災に遭ったような気持ちで辛く感じましたが、住む所も決まり人生何とかなるものと思いました。
ボランティアの方々にもお世話になり、近所の皆様にも親切にして頂き喜んでいます。これからも何とか元気で暮らせたらと思っております。
どうぞ皆様お体を大事にお暮らしの程、お祈り申し上げます。
(1999年5月5日)
新年明けましておめでとうございます
ご無沙汰ばかりで申し訳ございません。震災から早4年、年月が経つほどに気が滅入りそうでお便りを書くのが何だかおっくうになりまして、ボランティアの方々、皆様方に申し訳ないと思いながら、お便りを書くこともしなくて申し訳ないと思っています。お許し下さいませ。
今日はお正月4日。老人会の方々とお宮さんにお参りさして頂きました。昨日3日は息子達夫婦と、京都にお参りさしてもらいました。
仮設で一人で居ると何をする気にもなれず、ただぼんやりと過ごしております。今は店に通うのを励みにしておりますが、店の方も仮設も3月までですから……。いくらあがいても私にはどうする事も出来ませんので、一日一日を元気で、何とかこれ以上子供達にも世間の皆様にも迷惑かけないよう、私に出来る事は生きている限り元気で暮らさねばと、そればかりを念じて生きていきます。
皆様方どうぞお体大切にお過ごしの程、お祈り申し上げます。
(1999年1月4日)
長らくご無沙汰致しております。
何時もお便り書かねばと思いながら、思う事と実行が伴わず毎日悶々の日々でございます。年月が経つほどに気持ちが落ち込んで参りますが、これも年のせいでどうすることも出来ないのですが……。
何をするのも、字を書くのも億劫になり、夜寝ていても何も考えなくてもよいのに、色んな事が頭に浮かび眠れない時がございます。
そうは言っても生きているのですから、生かされているのですから…皆様の励まし、自分で自分に言い聞かせながら、一日一日を精一杯頑張って生きて行きます。
人間てつらいものですね。でもつらい時だけ長く続くものでもありませんし、良い時もあるのですから……。どちらにしても何時までもというわけではないのですから、つらい時には辛抱して生きます。
どうかご親切な皆様方、お体御大切にお過ごし下さいませ。拙い文字悪筆悪文お許し下さいませ。
(1998年9月7日)
毎日暑い日が続きますが、皆様お元気お過ごしでしょうか。
私も元気で頑張っておりますが、時々身体も心もズタズタになりそうな時もあります。でも、多くの皆様、ボランティアの方々を支えに暮らしております。
年を取ると何の希望もないものですから、そうは言っても生きている限り1日1日を大切に生きて行きます。私一人でないのですから、みんな苦しみを持っているのですから。張り切って行かねば……。
どうか皆様もお元気でお暮らし下さいますよう、お祈り申し上げます。
(1998年7月18日)
新緑の季節となって参りました。
いつもご親切なお手紙有り難うございます。
震災から早3年半という年月が過ぎてしまいましたが、未だにお気に掛けて下さる方々のことを思いますと涙が出ます。
若い方達は自分のことで精一杯で、年寄りのことなど気に掛ける余裕もないでしょうに、81才という年寄りの私のことでも聞いて下さる方がおられるのは嬉しいことです。年を取ると、字も書けない(私は元からですが)、だんだんお話も出来なくなり寂しいものです。また愚痴になりました。御免なさいね。
この上は体に気を付けて生きている限り元気で、これ以上皆様にご迷惑を掛けないよう、頑張って生きて行きます。いつもお世話になっております皆様にも感謝いたしております。
良く学生さんや若い方々がお世話下さり、本当にありがたいことでございます。今年の1月15日成人の日、ボランティアの学生さんが亡くなられました。人生って色々あるものですね。
どうぞお若い皆様もお体だけは御大切に、お励み下さいませ。
心優しい皆様のご健康をお祈りしつつ。
(1998年6月)
桜の花も散り、青葉の季節と成りました。
先日はお電話、お便り有難う御座居ました。何からお書したら良いやら、余りにも考える事がおおくて、私も仮設暮し3年余りと成りました。今日では、市住、県営と、皆それぞれ出て行かれる方が多くなりまして、淋しいかぎりです。
私のほうは再開発のほうも少しづつは進みつつ有りますが、3年5年はかかるとの事。此のとしで、何の楽しみがありましょう。此んなぐち話聞かれてもいやなだけですものね。
でも一度しかない人生、つよく生きねばと頑張って居りますが、寄る年なみには勝てず、足が痛い、腰が痛いと云いながら暮して居ります。
でも生きるかぎり1日1日を生きて行きます。
生かされて居るのですから、生かされて、二度とない日を今日も生くの気持で。
きたない字で、御免下さいませ。
(1998年5月)
お便り、ちぎり絵の色紙ありがとうございました。震災よりはや3年が経ちました
が私は未だ仮設にお世話になっております。市営住宅や県営住宅を申し込まれた方は
大方の方が家が当たっておられますが私のところは町が再開発のため市営住宅を申し
込んでいないので皆は希望が持ててよいですけど、再開発はまだ先のことで年齢が年
齢ですので心さみしい思いで暮らしております。今は体が元気で働かせてもらってお
りますので喜んで暮らさねばと自分自身に言い聞かせながら一日一日をすごさせても
らっております。
地震で家の下敷きになっているのを息子にやっと助け出されて半年間、腰が立たな かったのがやっと歩けるようになり、何とか元気になれたのがうれしい。これ以上の 贅沢は言えないと思いながらも年を取ってからこんな道具一つない仮設ぐらしが情け ないと思うときもありますが、震災に遭った人はみんなこんな思いで暮らしているの ですから体が元気なので喜んで暮らさねばと思います。
末筆になりましたが、どうぞ皆様方お体をご大切にお暮らしくださいませ。
(1998年1月7日)
震災から早3年目。私の街は再開発の場所となっておりますが、未だ何の復興の兆しもなく、81歳の今日未だ老人用仮設にお世話になっております。
56年間連れ添った夫も6年前に急死し、それから3年目に震災に遭い、腰から下が動けない有様で嫁の家で半年間世話になりました。50年間商売していた元の店の近くの老人用仮設に入り、仮設から15分ほどの所に毎日通い、嫁と2人で冬はたこ焼き、夏はかき氷、駄菓子を売って今では元気に働いております。
15分20分の所を歩いたのがリハビリになったのか、おかげで元気に働けることを喜んでいますが、一日一日をただ生きているというような日々、そのことを思うと何の希望もない毎日……。
誰にどうして下さいというわけでもないのですが、苦労して自分の家を持ち、何もなくなり、私の人生は何であったのかと思いますが、有り難く感謝の気持ちで暮らさねばと、努力して生きて参ります。
(1997年8月26日)
抜け殻みたいな気持ち、私にも経験があります。自分にとって、とても大切なものを手離した時です。その気持ちは私の中でなくなることはありませんが、何年も生きるうちには考えることも少なくなりました。それが大切なことには全く変わりはないけれど、人生の宝が、順番に歩いていく道の上で待っていました。出会うたび、数年前を思い返しては「あれからも生きてきて良かった」と心の底から思います。かつての宝を「もう一度」と望み、その日を待ちながらも。
そして何よりも、一日一日を大事に生きたいのです。すっかり昔に戻ってしまったような気分になることもありますが、そういう日は特に「今日を大事にしよう」と考えます。人生は変わってしまうものですが、そこで生きていくことを決めた人には優しくしてくれます。
私はじき80歳になる祖母と一緒に暮らしていますが、すぐに甘えて困らせてしまうので、もっとしっかりしようと反省を繰り返しています。
それでは徳山さんのご健康と落ち着いて暮らされることをお祈りしています。手紙を書くことが大好きですので、またお便りさせて下さい。
(1999年7月22日)
< こんばんは。始めまして。。。あれから、5年ということで、数日前から今日まで、テレビの特別番組が多く放送されておりました。そのお蔭で「かみひこうき」さんのホームページを知りました。
私も東灘区深江で震災に会いまして、今は灘区に住んでおりますが、長かったような、短かったような、この5年でありました。
私の娘は産まれつきの知的障害児で、出産と同時に医者から宣告を受けました。
母親として、なかなか立ち直れずにおりましたが、やっと、なんとか、物事を肯定的に考えられるようになった矢先の震災でした。
震災当時、娘は三歳でした。いろんな事がありましたが、先日、満8歳の誕生日を元気に迎えることが出来ました。知的な能力の遅れは勿論、身体も弱いですし、手術などもありますが、それでも彼女の精一杯生きている姿を見て、親というより、人間として学ぶことが多くあります。
娘の成長を目にする時、無事に生きてこられたことを感謝せざるを得ません。「命」という目には見えないけれども、この世で一番大切なものをこれからも、「宝物」として、大事にしていきたいと思っております。
皆様も、この宝物を大切に・・・・精一杯良い人生を歩き続けられますように。。。。寒さが厳しくなってきます。何卒ご自愛下さいますよう。。。心より願っております。
(2000年1月17日)
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