震災から十年たちました。長いような短いような気がいたします。私も八十ちかくなりました。暇さえあれば歩くことにしています。おかげで足腰は丈夫になりました。
もう手紙を書くのが大儀になりました。ご無沙汰ばかりでごめんなさい。
貼り絵送って頂いた方によろしくお伝え下さいますようお願いします。ありがとうございました。
(2005年2月17日)
ご無沙汰しています。5月から9月1日まで肺炎で入院していました。体だけは、元気だ
と自信をもっていたのに、やっぱりとしですかね・・・。
いつも心にかけてくださってありがたいと思っています。
まあ、ぼちぼち、頑張っていきます。
(2002年9月24日)
毎日寒い日が続きます。皆様お元気でございますか?私も元気です。
震災から七年、長いような昨日のような気がします。ここまでがんばれたのも皆様の御蔭だと感謝しております。むずかしい世の中ですのに、私のような老人に心をかけてくださりほんとうにうれしく思っています。
また、ちぎり絵を送っていただきましてありがとうございます。早速おじいさんも見えるように仏壇の前にかけました。朝晩ながめて元気をもらいます。浦島様にもよろしくお伝えくださいますようお願いいたし
ます。
ありがとうございました。
(2002年2月18日)
おめでとうございます。
かみひこうきの皆様、ご心配かけまして、また大変お世話になりました。
お陰様で元気でがんばっています。
あの震災が昨年の事のように思えたり、遠い遠い昔の事のように思えます。これから
は、一日一日を大切に生きていきたいと思っています。
ありがとうございました。
(2001年1月2日)
平成7年1月16日
2階のベランダからお月さんを見ました。赤くて美しいお月さんです。寝るのがなんだかもったいない夜でした。
1月17日
その日は近所の目の悪いおじいちゃん、耳の遠いおばあちゃんと有馬のヘルスセンターへ遊びに行く約束をしていました。5時頃トイレに起きて、ガスに火をつけるのはまだ早いのでお布団にもぐり込み、うとうとしていたのです。
「ドン!」上に持ち上がり、サッサッ左右に揺れ動きます。「地震や!関東大震災だ!」神戸に地震が起きるなんて、夢にも思っていません。「ドドン」2階の屋根になんだか大きな物が落ちた音がします。夢中で頭から毛布をかぶり、「八百万の神様、お先祖さん、お父さん!助けて!」と叫んでいました。
裏のお兄ちゃんが「クソ!これは何だ」と、大きな声で怒鳴っています。裸足のままで、夢中で外に飛び出しました。隣はタバコ屋さんで、84歳のおばあちゃん一人です。タバコ屋の2階はきれいにつぶれて、私の家に寄りかかって倒れています。「おばあちゃん!おばあちゃん!」大声で叫びましたが、返事はありません。
浜の方を見ますと、国道の下のゴム会社の方から煙が上っています。近所に大声で呼びかけました。「煙が上っているよ。早よ外に出ておいで」一人暮らしの老人の家々を見て回りましたが、2階に押しつぶされて、あの人もこの人も…いくら呼んでも返事がありません。
余震が何回も起きますし、火事はだんだん高取山の方へ向かって広がります。空にはヘリコプターばかり飛んでいます。消防自動車の音もしません。10時頃ですが、消防車が来てくれました。「お兄ちゃん早く火を消してね。家の下に大勢埋まっているんよ」いつまでたってもホースはペチャンコで水が出ません。「お兄ちゃん、貴方下手やね。水が出えへんやないの」「おばさんえらそうにいいな。水がないんや」「えー水がないの。焼けばなしか…」
「老人と子供は早く近くの学校に避難して下さい」誰かが大声で叫んでいます。毛布をかぶって友達と近くの小学校に行きました。皆寝間着のままで、裸足です。毛布を二人に1枚もらって、小学校の壁にもたれて一夜を過ごしました。寒いとも、おなかが空いたとも思いませんでした。皆ボーとしていました。「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」念仏の声がしています。
夜が白々明ける頃、せめて服と靴を探しに家に帰りましたが、家の回りはきれいに灰になっていました。小学校では、全国から水やパン、衣類…皆さんお世話になりました。
今は西区の仮設に入っています。仮設は屋根がトタンで、床下は風が吹き抜けて夜になると寒いのです。でも私はおかげさまで元気でありがたいと思っています。体の弱い人は次々入院されます。私も時々山に行って大声で叫びます。
「地震のアホ!アホ!」と……。(平成8年12月)〈筆者後記:これは平成8年に、地震の事を忘れないよう書いたものです。〉
山の中の市住に来て、2年半経ちました。来た頃はあっちを見ても山、こっちを見ても山、山ばっかりです。「懐かしい高取山はどっちの方ですか?」あの山の向こうだと教えてもらい、涙ぐみました。地震で亡くなった友人の名前を呼んでみました。板宿に帰りたい。板宿に帰りたい……。地震を恨みました。
今では友人もできました。それに山は春は緑、秋は紅葉で美しいのです。ここでがんばります。2000年…世の中が、神戸がどんなに変わっていくのか、私の目で見ていてやろうと思っているのですが、いつまで生きられるのでしょうか。
(1999年12月10日)
前略 ご免下さい。 仮設から山の中の市住に来て2年経ちました。さびしさにも慣
れて、小さな花畑を作っています。チューリップ、パンジー、きれいに咲きました。
恐ろしい地震に遭って、何もかも無くしましたが、生きていて良かった、元気でいら
れることに感謝しています。
先日仮設の同窓会がありまして、100人ほどなつかしい人々に会いました。皆さんお
元気でした。
いつもお心配りいただいてありがとうございます。市住の皆さんと仲良くしてがんばって暮らしていきます。
(1999年4月20日)
毎日暑いですね。仮設から山の中の市住にすんで1年4ヶ月たちました。さびしさにもなれて、夕方、散歩する友達もできました。地震前にすんでいた板宿にいきますと、なつかしさと亡くなった知人の顔が頭にうかんで胸一杯になります。
毎日、テレビ・ラジオ・新聞をよんでいます。大変な世の中ですね。年金暮らしの老人は、食べていかれて足がのばされたら、幸福なのだと自分にいいきかせています。
いつも気にかけて、お便りをいただきありがとう。うれしく思います。元気で、がんばって、生きていきます。
(1998年8月16日)
明けましておめでとうございます。テレビが友達のさみしい正月をしていましたら
「かみひこうき」からひまわりが届きました。早速、白い壁に張りました。
部屋の中が明るくなりました。このヒマワリのように明るくがんばっていきます。
奈良の浦島様によろしくお伝えくださいますようお願いします。
(1998年1月7日)
長田で自宅は全壊しました。2年間西神の仮設でお世話になって、今は北区の市住に住んでいます。小さなタンスを1つ買って、その上に形ばかりの仏壇をまつっています。終戦後働いて働いて、地震を知らずに死んでいった主人に毎日話しかけています。「お父ちゃん、これからどうなるんやろね。70越してからこんなになるなんて……。私がんばるから守ってね」
夕方はきらいです。さびしいから。あの山の向こうに高取山があると聞きました。つぶれた家、亡くなった友人を思い出します。
何もかも地震が悪いのだ悪いのだと言い聞かせて生活しています。
(1997年8月18日)
昨夜12時回ってから、神戸市西区の仮設住宅がテレビで放映されておりました。夏は暑く、冬は隅々からすきま風が入って野外で暮らしているように寒いとの事。気の毒に思っております。
私は奈良で家もありますが、一昨年12月主人を亡くし1年が過ぎ、喪があけたばかりで、今年のお正月はお会いする人々に挨拶することが出来ました。一人になると淋しく、震災に遭われ、家族やお友達を亡くされた人々の気持ちも自分が一人になってみてわかるようになりました。
選挙で議員の人を選ぶにも貧しい者、弱い者の味方、理解をして下さる人を選ばなければならないと思います。勉強せずに選んだら今の政治になっています。
どうぞお元気で。寒さ厳しくなって参ります。日々前向きに明るくお過ごし下さい。心よりお祈り致しております。失礼致します。かしこ。
(1998年1月12日)
お手紙ありがとうございました。下手なちぎり絵を喜んで頂き、幸いです。おじいさんも見えるようにとの事、優しいお方なのですね。赤い牛は健康祈願、厄除けだそうで貼ったのです。私の方が老人です。
どうぞ御身御自愛下さいませ。かしこ
(2002年3月12日)
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