私たち45人は20日間、阪急西宮北口の駅で過ごしました。
それは段ボールを敷き、横に上にの段ボールハウスです。初めのうちは毛布一枚でした。蓑虫のように巻き少しゆるめてすっぽりと入ったり出たり。その中で下着をかえる、服を着る。もちろん靴は履いたままです。
そんな生活も他の人と同じなのでありがたいと思っていました。生きていることに感謝していました。
朝はコップ半分の水で顔も口も洗う。全員で食事をする。私は知らないが捕虜収容所のようでした。何かおもしろい話しをして笑いながら食事はけっこう楽しくもあった。私の家も他の家も何を考えているのか西の方へ傾いている。哀れであり、また、滑稽でもあった。それを大阪から来たという親子連れが小さな子供を前にカメラでパチパチ。そして、私に「入ってくれ」と言う。子供に教えることもできない大阪から来たアホ面の親子連れ。私は忘れない。
1998年4月に西宮の市営住宅に入ります。カレンダーはもう、カウントダウンしています。58才の無職の私はこれからどの様にして生活すればいいのでしょう。地震の後遺症があり、頭の痛み、左手が少し不自由、足も少しびっこ。先の楽しみのない私ですが、今日を楽しく明日を信じて生きていきます。
イライラして自転車であてもなく走り回るときと地震後覚えたパチンコをして負けて帰る日もあります。どなたか私のストレスを取って下さい。
(1997年8月4日)
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