永井 俊彦さん(仮名)

  (住所:西宮市 年齢性別:75才男性 職業:婦人服小売業(現在、無職)


 昨年4月5日に仮設住宅より西宮浜マリーナシティ市営住宅に転居いたしました。建物は復興住宅で8階建ての2階に現在快適に暮らしています。而し昨年9月に西宮浜老人会結成大会を致しまして、老人会を発足いたしました。現在、市住、県住をふくめて会員数約160名になり、運営いたしています。県住、市住ふくめて850世帯数です。
 其の内老人は4分の1の数に当り、復興住宅に移住しましたが、ほとんどは年金暮しで生活保護者と身体保護者の老人が住んでいます。仮設住宅の3年間は、あたえられる生活であったが、而し復興住宅は高い建物であり、立ての線であるが故に老人の世話にはエレベーターと言ふ、道を利用しなければならず、1人暮しの老人には連絡がとりにくく、中には14Fのビルもあり、1F〜14Fまでのシルバー住宅にはかなりの手間どります。鉄のドアを閉めれば、1人暮しの老人には、そのケアのはけ口がなく、とじこもりがちとなり、自然と孤独がちとなります。老人会として、その情況を以下に克服しなければならない課題が有ります。
 老人会として何んとか、外に出る催しが必要と思い過日姫路健康ランドに1日レクレーションを企画を致しました。会費3,000円で募集いたしました。52名の参加者ありました。大変に喜んでいただきました。又12月22日、餅つき大会をして各会員に5個づつくばりました。12月24日、ボランティアの支援にてクリスマスパーティーを実施、市営集会場にて、クリームシチュー、ケーキ、お菓子等のプレゼントをいたしました。各産業会のプレゼントをいただき、150名の参加者で昨年の事業をめでたく終りました。
 今後の課題として、きめのこまかい思いやりが、安定した生活が老人には必要と思います。
(1999年1月4日)


 阪神大震災後3年間仮設住宅で大変お世話に相成り有難うございました。
 本年4月5日、西宮浜マリーナシティ市営住宅に入居出来ました。
 これも3年間ボランティアの皆様方のお蔭と厚く御礼申上げます。今後、当地にて生活致しますが、今後共何卒宜しくお願い申し上げます。
 震災まで婦人服小売業を致しておりましたが、現地にて営業したいと思いながら未だ出来ないのです。私の店舗のとなりのビルが当方にたおれていますので、其のビルをおこしていただけなければ、当方の店舗が建てないので、最近、簡易裁判にかけていますが、まだ其の解決出来ない状態です。困っています。私も歳でございますので、現在不況の中で商売しても経済不況の中、むつかしく色々と悩んでいます。
 而、商業意識だけは、前向きに商業界各情報だけは、つとめて、商業界に出向いて、ある情報を取入れることにつとめています。
 何卒宜しく今後当地だけでなく、営業の出来る場所があればご一報下されば幸甚と存じます。宜しくお願い申し上げます。
(1998年4月12日)


 阪神大震災後、仮設住宅にて約2年半たちましたが、近所のビルが当方に倒れて3階部分で(約20センチ当方に倒れていますが)、ビルを起こしてくれないので建設ができない状態です。土地を売りたいのですが、買い手が付かない状態です。2階建てにすれば何とかなるのですが、元の4階建てはできない状態です。隣の地主に交渉しましたが金がないのでビルは起こせないとのことで話しになりません。やむを得ず、現在まで2年半仮設住宅にてすごしています。
 何とか復興したいと思っていますが、他に出店したいとも思っていますが適当な場所がありませんので毎日すごしています。
 現在、なんの所得もなく、75才では働くところもなく弱っています。宜しくお願い申しあげます。
(1997年8月4日)






永井俊彦さんへ届いた『かみひこうき』



1.永田雅人(Wally)さん

 初めまして、私は阪神・淡路大震災でボランティアの世界に迷い込んだ者です。あれから年に3回程神戸に出かけています。
 毎回出かける度に、神戸の移り変わりと変わらぬものを感じて関東に戻っています。
 本来変わらなければならないものが変わらなくて、変わらないで欲しいものが変わってしまう・・・このもどかしさを感じながらも、私はまだまだ皆さんと語ったり遊んだり、時にはイベントを起こしたりしたいと思います。
 ですから、今後ともども「遠くの隣人」としてよろしくお願い致します。
(1997年11月18日)


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