河田 光二さん(仮名)

  (住所:神戸市 年齢性別:68才男性 職業:無職)


拝啓 かみひこうきプロジェクトの皆様お変わりなくお元気ですか?以前お手紙を書いたの何時だったかな?

 今思い返せば地震から十数年の歳月が過ぎてましたね・・・という今日この頃です。思い帰れば遠い日の出来事のよう。決して忘れることが出来ないなあって思い出しても身震いする出来事。時が過ぎれば小さな出来事のような気持ちにしまっているような気がします。

 平成の時代に入って私の激動の時代となりました。胃手術、心臓手術、糖尿病と苦痛の時代が始まりました。でも今は病気と仲良く共存しています。いまでは地域の老人会に入り、ふれあい喫茶、食事会、男子のための料理教室、クリーン作戦、運動会、盆踊り、もちつき、研修会、老人の日のつどい、避難訓練等の行事があり、人と人との交流があって楽しく参加しています。

 糖尿病っていう病気はやっかいな病気で、昨日よかったのに今日が悪い、ちょっとした食べ物で血糖値が変わり食前に血糖自己測定器で計るので毎度数値が変わり、そして目が悪くなり夜道歩けなくなり字が書けなくなり、買い物や用事は明るい間にしています。今日も下の道でピコーピコーという音をたてて走る車が行きかい、その車に二度と乗るものかと頑張っています。もう早今年2回も乗ってしまったかな?

 字誤り読みづらいと思いますがよろしくお願い申し上げます。ではお元気で。

追伸 身寄りの無い私はどんな死に方をするだろうと「ふと」考えてしまう今日この頃です。臓器提供意思表示カードを財布に入れて持ち歩いています。私の身体一部はどなたにあげる事が出来るのか葬儀は・・・歳を取る度に思う今日この頃です。
(2006年11月3日)


拝啓 寒の中にも早春の息吹が感じられる今日この頃皆々様方お元気でご活躍のこと と存じます。先日浦島三四様より契絵を頂き、ありがとうございました。

 私の住んでいる神戸新長田も後一ヶ所で空き地もなくなり、美しく完成して出来上がります。だけど困ったことに物価が高くなり、一例をあげますと卵以前130円→220円、菓子330円→390円、コーヒー350円→400円など二割から三割と高くなり、昨年から今年にかけては色々なことがありました。

 街は美しくなりましたが、物価の値上がりは年金生活をしている私にとっては残念です。だんだんと住みにくい世の中になってきました。年金暮らしをしていても元気な人はいいのですが、私のように心臓病、糖尿病をわずらうと目足など病気をつれてきます。
 身寄りの無い私には生命保険に入ろうと思っても受取人がありません。父母が早く迎えに来てほしいと思う今日この頃です。

 ローン会社も67歳に私には貸してくれません。今日明日の食も心配する今日この頃です。毎日複雑な今日を送っています。甥に手紙を書いても返事はありません。
 私が手紙を書くと愚痴ばかりになって申し訳ございません。目が悪くてまともな字が書けなくて申し訳ございません。これでも一生懸命に書きました。
 かみひこうきの発展とご健勝をお祈りします。
(2005年2月23日)


 拝啓 かみひこうきのスタッフの皆々様には、ご健勝にてご活躍ご苦労様です。度々お手紙を頂きながら 勝手ばかりしていて申し訳ございません。
 私は体調が良くない時は、大きな字、小さな字になってしまいます。

 平成15年度は4月〜8月、12月19日〜平成16年1月22日入院しました。お正月もお手紙を頂いたそうで申し訳ございません。
 昨年中は入退院の繰り返しで、病院生活が長く、入院の度、「両足の切断を覚悟して下さい。」と先生に言われました。又、目の方は、新聞などの字を読むこと、字を書くことや階段の上り下りが、だんだんと不自由になって来ました。

 今私はインシュリンを1日4回単位(朝、昼、夜で)自分で打っております。でも1月に退院してからは体調も良く、この足や目が自由なうちにどこか遠くへ行きたいという気持が強くなりました。しかし、年金生活をしていると入院費も借金して支払うような次第です。
 ハローワークに通っておりますが、65才ともなるとなかなか仕事がありません。でも今日も元気を出して 過ごしておりますので、ご安心下さい。
(2004年2月20日)


拝啓
 寒さの中にも早春の息吹が感じられる今日この頃、かみひこうきのスタッフの皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。
 私は少し元気になったような気がします。先日奈良県の浦嶋三四様よりちぎり絵を送付して頂き、ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。浦嶋三四様には季節に対しての私たちの心をいやしてもらえる品物を送付して頂き、ありがとうございます。

 もう少しで3月、そろそろひな祭りですね。以前頂いたひなびな色紙を出して飾って思っています。5月にはアメ菓子にこいのぼりを3年前に買ったのを飾っています。浦嶋様は色々な趣味をもっていらしてうらやましいです。
 私も以前は本を読むこと、画を描くことを趣味としていましたが、糖尿病にかかってから読むこと描くこと、眼がだんだんと悪くなり根気がなくなりました。昨年8月、石原慎太郎の『老いてこそ人生』を買って読みました。それも以前だったら2、3日で読み終わった本が3ヶ月もかかりました。

 被災してから神戸市から他市に出たのは伊丹市に二度、大阪に三度しか出ていません。伊丹市は私が生まれ育った所、それでも変わり東西南北がわからないようなありさま。大阪は阪神百貨店、梅田ですぐわかりやすいので行きました。

 私が今悩んでいることは忘れること、眼がだんだん見えなくなってきていること。糖尿病は一生付き合っていかねばならないことは覚悟しています。私は今、目が見える間に旅行に行きたいと思っています。北海道1週間くらいの予定でツアーで行くにしても一人で行くとつまらない、といつもパンフレットを見ている今日この頃です。

 神戸もだんだんと新しい店やマンションが建ち、空き地も少なくなってきましたが私たちの心の傷はいまだに新しく、癒されていません。
 かみひこうきの皆様、お元気で。浦嶋様にもよろしくお伝え下さい。
(2003年2月20日)


 あけましておめでとうございます。度々お手紙をいただきながら返事が書けなくて申し訳なく思っています。

 昨年4月頃足を怪我して小さな傷だったので放置していましたところ、傷口が膿みだしたので目の検査が午後だったので、朝から病院に行き皮膚科に行きました。今日から入院できますか?と言われ、今日は何も用意をして来ていませんで、明日入院しますと言って帰り、入院の準備をして7月7日に入院しました。

 その日から私の苦痛の毎日が始まりました。土、日曜日も一日も欠かさず足に麻酔を打ち、肉をケズルのです。肉が無いところに麻酔を打つので涙が出るほど痛いので、入院から15日で音を上げて、先生退院させてくださいと申しますと、「このままほおっておくと足を切断しなければならないし、命を落とすことにもなりま すよ、もう少し頑張ってみて7月末頃に赤い肉が見えてこなかったら切断しましょう」。

 それから毎日毎日タオルを持って処置室に行き、口にくわえてかみ締めながら頑張り、7月27日主治医から赤い肉が見えてきましたよ伝えられて、そして3階の病棟から5階の内科病棟に、皮膚科、内科(糖尿病)、眼科、精神科と4ヵ所の病気と戦い、4ヵ月の病院生活を過ごしました。

 退院したものの、冷蔵庫の中の物は全部だめ。それに米までが色が黄ばみ、ごはんを炊いてもパラパラでどうしようもない状態で一から買い出し、また借金の返済のこともあり、自分の身の置く場所さえ見失ってしまった思いでした。借金は自己破産の手続きを7月に入院が決まった折に返済不可能と思い、月に1、2度外室し、自己破産(8月から)手続きをはじめ、全書類の手続きが終わる2月か3月に裁判があるそうです。

 お正月は近所の人が、おもち、みかん、おせち料理を持って来てくださって、美味しくいただきました。その後はパンと玉ねぎ、人参で生活を送っています。
 では今日はこの辺で、皆々様にはよい年でありますよう、また、ご活躍を願っています。私も頑張ります。 字の過ち乱筆お許し下さい。 敬具
(2003年1月9日)


拝啓 梅雨の晴れ間の青空が新鮮で、雨に濡れた青葉が鮮やかに目に映える今日この頃、かみひこうきの皆様には何かとご無理、ご心配をお掛けしまして申し訳なく、小生日々反省しています。
 東京の千葉さんより月一度の励ましの手紙を頂き、文通を楽しみにしています。また、奈良県の浦嶋様にもご心配をお掛けしまして申し訳ございません。書面の上からですが、お礼申し上げます。今後共よろしくお願いします。

 小生は今就職を考えて、毎日ハローワークへ行くのですが、63歳の年齢と私には身寄りがなく、身体障害者という事で断られるのです。人間は正直であるべきと思い、毎日面接へ行く度に正直に話してきました。しかし、悪い事かもしれませんが、障害者である事を隠すのも必要だと思いました。

 私は平成12年12月22日に心臓の手術をしてから元気になり、重い物を持たない事と走らない事を注意されている以外は制限されていません。手術後2年半になりますが、元気に暮らしております。前の手紙にも書いた事件でケガした左指の痛みも4月には取れましたので、月2〜3万の収入でよいからと思い、仕事を探して活動しています。

 かみひこうきのスタッフや色んな方に励まされて今日まで来ました事を御礼申し上げまして、ペンを置きます。季節の変わる折、かみひこうきスタッフの皆様、身体には気を付けて今後共頑張って下さい。 敬具
(2001年6月28日)


拝啓 春浅くいまだ風が冷たく感じられる今日この頃,かみひこうきプロジェクトの皆々様には,お世話になります。この度は,奈良県浦嶋三四様よりかみひこうきを通してちぎり絵を頂き,ありがとうございました。そして,東京の千葉さんはじめ,寺崎千鶴さん,上杉謙信さん,はげましのお手紙を頂き,ありがとうございました。心から御礼申し上げます。

 私も年金生活に入り,生活もやっと少しずつ良くなって来たと思ったら,暴力行為と盗難事件にあい,と申しますのは,私は糖尿病と心臓病,一人暮らしをしていますので,日ごろ野菜不足で,昨年九月よりクロレラ栄養補助食品を愛用しています。糖尿病もクロレラを愛用してから,以前は300血糖あったのが今では180血糖に下がり,お医者さんも「いいですね,続けて下さい」と言われました。そしてクロレラ1年分を購入しましたので,その代金と生活費を銀行からおろしました。

 私の公団住宅は23階あり,19階に住んでいます。エレベーターに乗ったその時、一人の男の人が乗って来ました。そしてエレベーターが動き始めた時,いきなり私を足蹴りし,その後何度も足で蹴られ,私はなすすべもありませんでした。男は私の財布からお金を抜き取り,途中でエレベーターから下り逃げました。私は後姿しか見る事が精一杯で,自分の身体の痛さで追い掛ける事もできず,瀕死の思いで自宅へ帰りました。

 110番もできず,三日間食事ものどを通らないまま,明日の生活に事欠く始末です。被害に遭ったのが3月2日。少し歩く事が出来たのが3月5日。知人に電話して話をし,警察に遅れた理由を話して,今後の事もあるので,3月5日夜7時30分頃被害届を出しました。警察官からは「もうお金は返ってこないよ」と言われました。テレビで,日本で今悪いのは,経済と治安と言っていました。

 私は今1日100円で生活をしています。考えればできるものですね。弱者がねらわれる時代になった事を感じました。「私だけは」と考えていて,私自身もこんなに身近でこんな事が起きるとは考えてもいませんでした。
 「かみひこうき」の読者の皆さん,気を付けて下さい。一人歩き,特にエレベーターを乗る時など……。長々と書きましたが,「かみひこうき」の皆様,これからも身体に気をつけて頑張って下さい。私も頑張ります。
(2001年3月19日)


あけましておめでとうございます
 かみひこうきのスタッフの皆様、お変わりなくお過ごしの事と存じます。
 昨年の暮れ、私のポストに一通の手紙が入ってました。ふと、僕に手紙と思いながら、名前をみると「かみひこうき」の紹介で、東京都女性からの励ましの手紙でした。手紙を読む内、僕の胸が熱くなりこみ上げるものがありました。ありがとうございました。お礼の手紙を書き、年賀も書きました。そして年賀状も頂きました。

 私は最近、お医者さんの許しをもらって、週に一度か二度だったらよいと言われ、ボウリングを始めました。11月入会し、12月5日からレディース&シルバー例会の試合に参加、12月は6位、8位、10位と入賞しました。そして、参加する事によって人と話をするようになり、楽しみが一つ増えました。以前よりパチンコ店に行く事は少なくなりましたが、ボウリングに費用がかかるので、食事代を倹約しています。

 暮れから今年1月3日迄、私はテレビにかじりつきで感じたのは、昨年三宅島噴火、鳥取地震、東海水害を受け、仮設住宅で生活している人はどのように見ておられるかという事です。私が被災した時は、テレビを見る事が少なかったせいか、あまり感じなかったのですが、テレビで俳優、歌手、タレントがクイズで高額な賞金や旅行、食事などを当てる等、今現在、三宅島の方々を思うと、各テレビ局の制作部長達は、どんな気持ちで放映しているのか、今更ながら腹が立ちます。

 この世の中で困っている人がいる事を考えてもらいたいと、声を大きくして言いたい。そんな金があるなら、赤十字を通して困っている人に託してもらい、このような番組を中止して、ドラマや歌番組、映画などに差し替えて放送してもらいたい。また、手紙募集の住所等のテロップが、書き取る間もなく消えてしまうのが残念です。私達が知らない所で困っている人達を支援できるかもしれないが、目で見る事はつらいと思います。時と場合を考えて、放送して欲しいものです。
(2001年1月4日)


暑中お見舞い申し上げます
 いつも心に掛けて頂き、ありがとうございます。
 お手紙を頂く度、書こうとペンを取るのですが、年のせいかだんだんと書く事、読む事…愚痴ばかりになってしまって、と申しますのも糖尿病が進み、それが眼に来たようです。2ヶ月に一度眼の検査、1ヶ月に一度通院し、朝夕にはインシュリンを注射するのです。

 一人で生活して友達もないとなると、どこへ行っても楽しくないし、食事でも一人で入る店が限られ、楽しいと思った事はありません。月に二、三度行くパチンコ屋が唯一自分を慰め、何もかも忘れる事が出来る場所になってしまいました。でも、経済的に度々は行けません。花博や旅行なども行きたいと思いますが、一人で行っても楽しいとは思わないのです。家で一人テレビとにらめっこの毎日です。
 心臓病は平成10年12月22日の手術で、その後まずまず良い方向に向かっています。長田区に移り住んで、早5年の歳月が経ちました。初めの3,4年は病気で入退院を繰り返す日々だったので、孤独に浸っている間がなかったのですが、今は少し元気になって、家にいる事が多くなりました。でも近所付き合いもなく、話をする場所は病院とパチンコ屋しかありません。

 今は夜になると、孤独感が出てきて糖尿病や心臓病に悪いといわれる間食や煙草が進み、これではいけないと思いつつテレビを見ていると、いつの間にか煙草に火がついていたり、お菓子に手が伸びて口にしてしまうのです。誰も注意してくれる人もなく、一人暮らしをしているとわがままになって自分ながらあきれる始末です。
 もう、どうなってもよいと思う日、もう少し長生きしたいと思う日…私の家に来る人もなく、そんな私が死んだらどうなる、誰が見つけてくれるのだろうか?。色々と複雑に頭の中を駆けめぐる今日この頃です。これが私の現状の生活です。いつも愚痴話ばかりで、申し訳ございません。

 これから夏本番、かみひこうきスタッフの皆々様もお体を大切に過ごされることをお祈りしています。
(2000年8月4日)


拝啓 かみひこうきの皆様、ご無沙汰しております。皆様元気でご活動のことと存じます。
 先日、ひまわりの種とメッセージを送って頂きありがとうございました。早速お礼の手紙を書かねばと思いつつ、今日になってしまいました。申し訳ございません。

 私もお陰様で、平成9年8月21日に新長田駅前公団復興住宅に入居することが出来ました。が、すべてがうまくいかないのが現状です。今年1月頃から体の調子がおかしくなり、読むこと、書くこと、食事を作ること、すべてが嫌になり、死ねることが出来るならと考えたことも二度三度。4月〜6月頃には寝ることすら忘れたように昼夜起きていました。私の病気が心臓・糖尿で、間食、タバコとの付き合う日々。6月1日病院に行くと、医師から血糖値が高いので眼科に行くように言われ、6月2日眼科に行くと、医師が眼球に血が混ざり、失明の恐れ、手遅れのように言われ、奈落の底を見た思いで帰って来ました。そして6月4日にもう一度違う病院で診察を受けたところ、「どうもない。大丈夫」と言われ、どちらを信用して良いやら。そこで区役所の保険相談に行きました。今までの粗筋を話しましたが、答えは「目のことは二の次、糖尿病を治すことだけを考えなさい」と。しかし私は一人暮らし、心配と不安がつきまといます。

 新長田に引っ越したのは良いのですが、近所付き合いもなく、テレビとラジオを友にして、月に内科、精神科に4回出掛け医師と話をすること以外、話をする機会はありません。精神科に通う6月12日頃から、字を書くことも食事や手紙などもして見ようという気が起きて、やる気や眠れる薬で少しずつですが元気になりつつあります。でもまだ字を書いていても、一字一字が合っているのか、間違っているのか自信がなく、簡単な字でも辞典を引く始末です。
 6月はさんざんな目に遭いました。物忘れがひどくなり、人にお金を取られたりして、6月分の家賃・電気代・ガス代・返済金等を滞納せざるを得なくなり、また心配事が増えました。
 でも、命ある限り頑張って、良いお知らせが出来るよう願うばかりです。私も死んだつもりで頑張りますので、かみひこうきを通して神戸・淡路大震災で被災された方、そして一人暮らしの方、全国で私のような境遇の方々、地に足をしっかり踏みしめて歩いていきましょう。

 かみひこうき事務局の皆々様ありがとうごさいました。今後のご活躍と健勝をお祈り申し上げます。
(1998年6月23日)


 私は身体障害者(臓機能障害(平成6年))で生活保護を受けています(平成4年頃)。
 私は以前、清掃会社に勤務していました。しかし、胃の手術を受けなければならなくなりました。手術をするとなると、お金がいることになり、サラ金から借金をすることになり、また元気になれば働いてと思っていましたが、会社より2カ月も欠勤となるのなら辞めて欲しいと言われ辞めることになり、とりあえず手術を受けることにしました。入院して1カ月しても手術してもらえない。普通の人は約1週間で手術すると言われているのに、私は1カ月もたつのに手術の声もない。看護婦さんに退院したいと言いましたところ、医師が来られ「あなたは栄養不足で、今手術しても治りが遅くなるので少し栄養を付けなければ手術ができない」ということでした。入院費のこと、その他のこともあり、心配で医師に相談しました。そして、生活保護を受けることを知りました。いろいろなことがあり、借金も残り、現在に至ります。毎月の利息を払うだけで毎日が苦しい・・・。私たち生活保護を受けているものは義援金を頂いても自由に使うことはできません。家具とか電気、ガス製品を買い、30万円分の領収証を添えて福祉に出し、借金の一部でも返したい気持ちで少しでも毎月の生活が楽なるのにと思いました。そして、私の場合学校に避難した頃から糖尿病になり、避難所の食事のことで医師に相談しましたが、自分の食事は自分でと言われ、それには自分のお金で食堂を見つけてということ。いっこうに先が見えず、また、人生を楽しむと言うより、苦しいだけが・・・・。今、私には勇気が欲しい毎日です。死ねる人がうらやましい。そんな勇気が私にと思う毎日毎日すごしています。
 この頃、目も悪くなり、書くことも少なくなり、物の事に対して根気もなくなりました。ただ生きていると言うだけ・・・。
(1997年7月29日)






河田 光二さんへ届いた『かみひこうき』



1.永田雅人(Wally)さん

 初めまして、私は阪神・淡路大震災でボランティアの世界に迷い込んだ者です。あれから年に3回程神戸に出かけています。
 毎回出かける度に、神戸の移り変わりと変わらぬものを感じて関東に戻っています。
 本来変わらなければならないものが変わらなくて、変わらないで欲しいものが変わってしまう・・・このもどかしさを感じながらも、私はまだまだ皆さんと語ったり遊んだり、時にはイベントを起こしたりしたいと思います。
 ですから、今後ともども「遠くの隣人」としてよろしくお願い致します。
(1997年11月18日)

2.浦嶋三四(奈良県)さん

 下手なちぎり絵ですのに、ご丁寧にお手紙を頂き、申し訳ございません。
 お手紙にありましたが、エレベーターの中で銀行からおろされたばかりの大事な費用を取られ、足蹴りに遭われたとの事。ほんとに腹が立ちます。弱者をいじめ、その人もどこかでそんな目に遭わされる事でしょう。
 エレベーターを利用されている人だったら、同じ公団住宅の人でしょうか。警察もそんな事ではなかなか動いてくれそうにもありませんね。
 私は恐がりで、一人ではエレベーターによう乗れまぜん。「もし、中途で止まったらどうしようか」と心配になり、階段を使っています。もちろん田舎ですので、そんな高い所がないからです。病院でも5階から7階位です。
 ほんとに治安の良い国になって欲しいものです。どうぞ御身大切に、病気に勝ってお元気になって下さいますように、遠くからですが、お祈り致します。
(2001年5月19日)


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