東山 健男さん(仮名)

  (住所:愛知県西春日井郡新川町 年齢性別:72才男性 職業:無職)


 被災地の自治体も以前に較べれば、県外被災者の方を注視しているかに見えますが、帰りたくても帰れないと云う私達の境遇に、改善の兆しは一向に見えません。今「かみひこうき」のことが全国紙に紹介され、それを眼にした多くの人から激励のメッセージが届き、私も読ませて頂きました。
 震災の風化は確実と云はれる世情の中で、尚被災者に心を寄せられる方がいることに、意を強くし感激しました。しかしその中には、県外被災者に言及されたメッセージは一通もなく、寂しさを禁じ得ませんでした。最近のメディアの報ずる被災者とは、仮設の住民のことを意味しているようで、県外に避難した私達が、声を大にしてその存在を訴へても、世間の人の耳には届かず一顧だにされません。
 遠からず仮設が解消され、震災の復興宣言がなされる日が来るでしょうが、それまでに県外被災者達の帰郷の望みが叶へられる保証は全くありません。
 震災の終焉を迎へることなく、県外被災者の存在は、人々の記憶から消滅して行くのを、私は恐れます。
(1998年4月25日)



 震災ですべてを失った私は、当夜身を刺すような風の吹き込む建物の片隅で1枚の毛布に妻と共にくるまり、余震に脅え寒さに震えながら眠れぬ一夜を明かしました。

 その折り、隣に座っていた1人の老女が「うちのおじいちゃんなァ、まだ埋まったままやねん。呼んでも返事なかったさかい、もうあかんやろなァ」と誰へともなく呟かれた言葉が、2年半も経た今でも耳の奥底にこびり付いています。

 また目を閉じれば、地獄絵図のような当時の惨状が鮮明に蘇ってきます。しかし、現実の世間には震災のことは記憶すらなく、確実に風化しています。

 そうした世情の中で支援団体に恵まれ、県外被災者の会「りんりん愛知」を発足さし得たことは幸せと言わねばならないでしょう。事実、県外被災者の会を作りたくても支援者がおらず、また支援しようにも被災者の住所が判明せず難渋している所もあることを知って下さい。

 被災地の自治体は一刻も早く震災の幕引きを目論んでいますが、県外被災者には震災を終了させる目途は全く立っていないのです。全国の皆さん、県外被災者に対して尚一層の暖かい支援をお願いします。

   尾張の国より愛をこめて、かみひこうきよ
   飛んでゆけ!
(1997年8月31日)



 「被災者のくせに大きな顔をするな!」「被災地へ帰れ!」

 理不尽な雑言を浴びせられた被災者がいるとの噂を耳にし、「まさか?」とは思いましたが、似たような言葉を貰った経験のある私には、「嘘だ」と否定し切れないものがありました。
 当時、極度の情報不足の中で、被災者相互間の連絡手段すら持たなかった私には、その真相を確かめるすべもなく、遣り場のない怒りに身も心も苛立つばかりでした。

 愛知県にも相当数の被災者の方が避難されていると聞き、何とか連絡を取りたいものと、事あるごとに県外被災者の実態調査を訴えてきましたが、行政もマスコミもプライバシーを理由に被災者の住所などの情報は教えてはくれず、個人の力の限界を知り、深い挫折感を味わいました。

 それから一年経った今春、多くの人の尽力により念願の被災者の会の誕生を見ることができ、今後より多くの人達の参加を願っていますが、今なお、被災地の自治体は被災者の住所の公開を頑なに拒んで止みません。これは一体、何を物語っているのでしょうか。

 世間では震災は確実に風化していますが、県外被災者の震災はいつ終わるのでしょうか。
(1997年7月15日)







東山 健男さんへ届いた『かみひこうき』



1.永田雅人(Wally)さん

 初めまして、私は阪神・淡路大震災でボランティアの世界に迷い込んだ者です。あれから年に3回程神戸に出かけています。
 毎回出かける度に、神戸の移り変わりと変わらぬものを感じて関東に戻っています。
 本来変わらなければならないものが変わらなくて、変わらないで欲しいものが変わってしまう・・・このもどかしさを感じながらも、私はまだまだ皆さんと語ったり遊んだり、時にはイベントを起こしたりしたいと思います。
 ですから、今後ともども「遠くの隣人」としてよろしくお願い致します。
(1997年11月18日)


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