震災ですべてを失った私は、当夜身を刺すような風の吹き込む建物の片隅で1枚の毛布に妻と共にくるまり、余震に脅え寒さに震えながら眠れぬ一夜を明かしました。
その折り、隣に座っていた1人の老女が「うちのおじいちゃんなァ、まだ埋まったままやねん。呼んでも返事なかったさかい、もうあかんやろなァ」と誰へともなく呟かれた言葉が、2年半も経た今でも耳の奥底にこびり付いています。
また目を閉じれば、地獄絵図のような当時の惨状が鮮明に蘇ってきます。しかし、現実の世間には震災のことは記憶すらなく、確実に風化しています。
そうした世情の中で支援団体に恵まれ、県外被災者の会「りんりん愛知」を発足さし得たことは幸せと言わねばならないでしょう。事実、県外被災者の会を作りたくても支援者がおらず、また支援しようにも被災者の住所が判明せず難渋している所もあることを知って下さい。
被災地の自治体は一刻も早く震災の幕引きを目論んでいますが、県外被災者には震災を終了させる目途は全く立っていないのです。全国の皆さん、県外被災者に対して尚一層の暖かい支援をお願いします。
尾張の国より愛をこめて、かみひこうきよ
飛んでゆけ!
(1997年8月31日)
「被災者のくせに大きな顔をするな!」「被災地へ帰れ!」
理不尽な雑言を浴びせられた被災者がいるとの噂を耳にし、「まさか?」とは思いましたが、似たような言葉を貰った経験のある私には、「嘘だ」と否定し切れないものがありました。
当時、極度の情報不足の中で、被災者相互間の連絡手段すら持たなかった私には、その真相を確かめるすべもなく、遣り場のない怒りに身も心も苛立つばかりでした。
愛知県にも相当数の被災者の方が避難されていると聞き、何とか連絡を取りたいものと、事あるごとに県外被災者の実態調査を訴えてきましたが、行政もマスコミもプライバシーを理由に被災者の住所などの情報は教えてはくれず、個人の力の限界を知り、深い挫折感を味わいました。
それから一年経った今春、多くの人の尽力により念願の被災者の会の誕生を見ることができ、今後より多くの人達の参加を願っていますが、今なお、被災地の自治体は被災者の住所の公開を頑なに拒んで止みません。これは一体、何を物語っているのでしょうか。
世間では震災は確実に風化していますが、県外被災者の震災はいつ終わるのでしょうか。
(1997年7月15日)
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||