このページはボランティアグループ“えん”が集めておられる公的支援にむけての声を“えん”さんの了解のもと、転載しています。


公的支援の実現にむけて声をあげましょう!!


  チラシから抜粋---
 みなさんご存じのように、市民が発議して超党派の国会議員で提案された「災害被災者等支援法」(仮称)が参議院で上程されました。一方、国民的保障制度を求める国民運動は空前の2400万人の署名をもって審議会の設置を要求しています。また、兵庫県は「地震等自然災害による被災者支援制度(総合的国民安心システム)の創設を提案しております。(中略)  阪神・淡路大震災が発生した時、島原・普賢岳の被災者は、「ああ、これで島原は忘れられる」と嘆いたそうです。そういう意味では、今、一刻も早く公的支援が実現しなければ島原の被災者が浮かばれないだけでなく、次に起こるかもしれない大災害の被災地が間違いなく二の舞になるのです。それだけに、今、阪神・淡路の被災地の役割には重大なものがあります。天災は防ぐことができないとしても、その後に二度とこのような不幸がもたらされないためには、全ての人々が公的支援に思うことを書いて“えん”に送って下さい。


公的支援について私はこう思う。
私は兵庫県に住むものですが、
 忌まわしい阪神・淡路大震災によって永年営業していた店舗兼住宅が全壊いたし今日でも商店街に於いても面影がありません。戦争により軍に引っ張られ復員後焼け野原の町の復興に頑張り生活設計をしつつ来た矢先の悲惨な状況の毎日ですが、生きているよろこびとして時間があればボランティアとして少しでも役立てていければと思っておりますが、人生のなかでこのような度重なる事があるのでしょうか。この度も多くの親戚、知人の方々より暖かいご支援と励ましの友情により今一度頑張っている75才の男性です。今まで国に尽くした事がなんであったのか。日本国であれば当然公的支援すべきであり、分母が大きいからといわれておりますが何を考えてかの事かわからない。私達も北海道・奥尻島地震に長崎の普賢岳の被害にも支援は忘れていなかった。戦後最大の大悲劇です。  心して頂き、よって公的支援の実現を訴えます。(1997年5月20日)



公的支援について私はこう思う。
私は福岡県に住むものですが、
 天災、大災害が起きた時は国民全体で支える事がしごく当然の事であるが、今日まで法的措置整備がなされていなかった事に国(政府)や国民(我々一人一人も)意識の貧困を認めざるを得ない。作家の小田実さんも頑張っていますが、私達ボランティアも周囲の人々に呼びかけ、国民的大合唱を起こそうではありませんか。明日はわが身に振りかかる事を肝に命じて世論形成に発言、行動しましょう。多くの被災者の方々“ガンバッテ”下さい。私、私達は貴方がたの事を忘れてはいません。よって公的支援の実現を訴えます。(1997年5月21日)



公的支援について私はこう思う。
私は福岡県に住むものですが、
 国の最も大切な仕事・役割は国民の生命財産を守ることである。災害を未然に防ぐは勿論、被害者を救済するのは当然であり急務である。よって公的支援の実現を訴えます。(1997年5月22日)



公的支援について私はこう思う。
私は埼玉県に住むものですが、
 私は10年以上前から、交通遺児育英会に毎月些少ですが、送金させて頂いておりましたので、今回育英会で震災遺児に手をさしのべておられることを知り、仲間に加えさせていただきました。が、申し訳なかったのですが、いまだに多くの方が仮設住宅に住み続けていらっしゃる事には、余り関心がありませんでした。
 去る3月、仮設の応援に神戸へ行って来られた方のお話しを伺う機会を得、「心の郵便局」を知りました。遠隔の地でもあり、年金生活では出来ることも限られてしまいますが、「心の郵便局」はとてもよい方法と思い、早速何通か送らせて頂きました。それにしても天災で壊れた家の再建(一部損壊も含めて)に、公的支援を行わないなんて、血の通った政治とは思えません。ずいぶんムダなお金が使われているニュースを聞く度に腹が立ちます。そんなお金を廻してあげる事はできないのでしょうか。よって公的支援の実現を訴えます。(1997年5月23日)



公的支援について私はこう思う。
私は埼玉県に住むものですが、
 地震等自然災害は本当にどこに住んでいても人ごとではありません。これからも同じような災害が必ず起きると思われます。国としてもっと真剣に考えて欲しいものです。よって公的支援の実現を訴えます。(1997年5月29日)



公的支援について私はこう思う。
私は福岡県に住むものですが、
 何事も自助努力が必要であるが、大災害が起きたらまず、国が支援しその後不足部分を義援金で支援すべきと考える。家を失い、家財を失い、職も失い等二重三重にハンディのある人に自助努力を求めるのは酷である。一日も早く国による補償制度を確立すべきである。よって公的支援の実現を訴えます。(1997年5月31日)



公的支援について私はこう思う。
私は東京都に住むものですが、
 自助努力しろと言われたって限界があります。もう無理です。公的支援(物心共に)は国の義務です。しないといけないんです。被災地に公的支援せずして、何が民主国家なのでしょう。"明日は我が身"なのです。たとえ消費税率が上がっても何でも、公的支援がきめ細かく行われたら、文句は誰も言いません。よって公的支援の実現を訴えます。(1997年6月1日)



公的支援について私はこう思う。
私は東京都に住むものですが、
 ボランティアの目覚ましい活動は実に力強い限りでしたが、公的支援がより力強くより敏捷に実行されるために、日頃から備えを考えて欲しいと熱望します。それこそ血も涙もある真の政治と思います。よって公的支援の実現を訴えます。(1997年6月2日)



公的支援について私はこう思う。
私は静岡県に住むものですが、
 「公的支援」という名ばかりの支援ではなく、本当に被災者の立場を考えた措置を行うべきである。今、立法化しなければ今後また、いつかどこかで起こりうるであろう震災・津波といった大災害時に、同じ事を繰り返し、被災者に困惑と不安、そして怒りをもたらすことになる。「今、何をすべきか」私は一国民として国に問いたいと思う。よって公的支援の実現を訴えます。(1997年6月4日)



公的支援について私はこう思う。
私は長野県に住むものですが、
 私も年ですがよく分かっております。皆々様と同じです。気持ち大きく持ってがんばりましょう。よろしくお願いいたします。よって公的支援の実現を訴えます。(1997年6月6日)



公的支援について私はこう思う。
私は滋賀県に住むものですが、
 我が国の全国民(全家庭の中未成年者、病人を除く)の男女から現金を公平に出してもらう。僅かずつでも集まれば、莫大な額になり、自立のめども立てばもう負担せずにすむようにしたらと思います。一日も早い実現を。よって公的支援の実現を訴えます。(1997年6月18日)


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